第24話 《東京中華街》③
(ここでクヨクヨ考えたって、仕様がないことだと、分かってはいるけど……)
深雪は何とかして気分を変えるため、周囲へと視線を巡らせた。
街中には人の姿も数多くみられる。すれ違う人々は、神狼の言う通り、確かにチャイナ服をまとったものが多い。みな、《レッド=ドラゴン》の構成員や関係者なのだろうか。建物は近未来なのに、服装は封建時代のままで、何だか不思議な感覚になってくる。
(いや……目覚ましい発展を遂げているからこそ、古いものに拘るのか)
人の精神は、それほど強靭にはできていない。余りにも無機質な空間で生活すると、植物や動物に癒しを求めたくなるし、閉鎖的な空間に閉じ込められると、広い世界に飛び出したくなる。
それと同じで最新のものばかりに囲まれると、古いものを取り戻したくなるのだ。そうやってバランスを取っているのだろう。
やがて、街の中心部に近づくにつれ、カジノや会員制のバー、高級ホテルが目に付くようになる。その前に停車しているのは、これまた一台で家が一軒買えそうな高級外車だ。その辺りになると、チャイナ服だけでなく、スーツやタキシード、華やかなドレスを纏った人々の姿も見受けられるようになる。
「この辺はチャイナ服を着ていない人も多いんだな」
深雪が囁くと、神狼は事も無げに答えた。
「あいつらは観光客ダ」
「か……観光客ぅ!? ここは《監獄都市》だぞ‼」
今の《東京》はとても危険だ。とても遊び感覚や物見遊山で気軽に訪れることのできる場所ではない。そもそも一体、何を観光するというのだろう。あるのは廃墟とゴーストだけではないか。それでつい声を荒げてしまったのだが、神狼はそんな深雪をちらりと睨みつけた。十中八九、大声を出すなとでも言いたいのだろう。
「別ニ不思議な話じゃナイ。人間はゴーストと違っテ、壁の内と外とラ側を自由に行き来できるダロ。《東京中華街》の北端ハ《関東大外殻》と接しているかラ、検問所から直通の道路もあル」
「そうなのか……」
「《東京中華街》ハ《監獄都市》の中でも治安が良ク、外の街と大差ナイ。池袋ヲ出なけれバ、トラブルに巻き込まれル心配もナイ。だから、観光客にハ人気があル。……と言ってモ、あそこで遊ぶようナ連中は、一定水準以上の富裕層ばかリだがナ。観光産業ハ《レッド=ドラゴン》の主要ナ収入源の一つダ」
(……ああ、だからこんなにいろいろ派手なのか)
《東京中華街》は確かにきらびやかだが、人の住む街としてはどこか不自然だ。庶民の感覚では、どうしても生活するには派手すぎやしないかと思ってしまう。
煌々としたネオンは明るすぎてしっかり熟睡できそうにないし、高級店はどう考えても日常の買い物には不向きだ。だがそれも、この街が観光地であるなら納得がいく。
この街は、それそのものが、一つの巨大なテーマパークなのだ。富裕層をターゲットにしているのも、この街の特異性には合っている。《監獄都市》という性質上、多くの人々が気軽に訪れることのできる場所ではない。だから客単価を上げることで、高い収益性を確保しているのだろう。
いや、むしろ《レッド=ドラゴン》は、《東京中華街》が《監獄都市》の中にあるという事実を、うまく利用してブランド化しているのかもしれない。どの世界にも、普通の人には簡単に手に入らないような、特殊な体験を追い求めている者は大勢いる。
誰でも気軽に立ち入ることができないからこそ、価値が出るという事も、時にはある。
この街はその特殊性や外界のパワーをうまく活用し、ここまでの大発展を遂げたのだ。
深雪は、目の前に聳え立つ、高級カジノホテルへと視線を向けた。高級感の無駄に溢れるエントランスには、二人のドアマンが門番となり、来客のドレスコードを厳重にチェックしている。深雪たちなど、近づいただけですぐさま追い払われるだろう。
見るからに観光客だと分かる、小綺麗な身なりをした男女のカップルが、澄ました表情でその中へと入っていく。
(あの人たちはこの《東京中華街》から一歩も外に出ることなく、《監獄都市》の全てを見知った気になって、自分の家へと帰るのか)
だからどうという事でもない。いちいち反発したって仕方ないのかもしれないし、それに第一、観光客に真実を知らせたからと言って、おそらくこの《監獄都市》の何かが変わるわけでもない。
でもそれでも、心の奥底にモヤモヤとした感情が湧き上がるのを、感じずにはいられなかった。
(どうして、《東京》がこんな酷い扱いを受けなきゃならないんだ……!)
最初は、廃墟と化した街並みに、ただただ、衝撃を受けっぱなしだった。茫然とし、立ち尽くして現実を受け止めるのが精一杯だった。
ただ、それも一通り受け止められるようになると、別の感情が込み上げてくる。
それは怒りだった。どうして、外の人間は、誰も何もしないのか。誰が東京を《監獄都市》にしてしまったのか。何故、誰ひとり責任を負うことなく、全てを《死刑執行人》に丸投げしているのか。
ゴーストが厄介な存在だというのは分かる。でもこれでは、あまりにもグダグダだ。廃墟ばかり目にしていると、だんだん慣れてきて、それが当たり前となってしまう。けれど、こうやって発展した街の中に来ると、瓦礫に埋め尽くされたあの光景がいかに異様であるか、いかにあってはならない光景であるかが、よく分かる。
(俺たちゴーストが一斉にこの世からいなくなれば、東京も元の姿に戻るのかな)
そういった自虐的なことを考えなくもない。この街を廃墟にしてしまっているのは、間違いなく深雪たちゴーストの存在が原因だ。
だが、その仮定も現状ではあまり意味のない事であるように思えた。そうは言ってもゴーストは存在するし、深雪の《第二の能力》も、東京中の全てのゴーストを人間にしてしまうほど強力なものではない。
(でも、いつまでもこのままじゃいけない……‼)
何をすれば良いのかは分からない。ただ一つはっきりしているのは、外部の力は当てにならないという事だ。彼らにとって、首都でない東京など、はっきり言って大した価値などない、どうでもいい地方都市なのだろう。大方、都合の良いゴースト廃棄場くらいにしか思っていない。
そうでないなら、いくら《監獄都市》とはいえ、もう少しまともに整備されていただろうからだ。
この《東京中華街》の中にいると、それがよく分かる。現にこの街の支配者は――《レッド=ドラゴン》は、外界の者たちと違い、歪ながらも池袋をここまで発展させているではないか。
現状を変えたければ、自分たちの力で抗い、変えるしかない。ただそれも、現状維持と同じかそれ以上に多大な困難を伴う道のりであろうが。
さまざまな思惑が、深雪の頭の中で乱れ飛び、ぐるぐると渦を巻く。そうしている場合ではないと分かってはいても、溢れ出す感情や思考を止めることができない。
深雪にとって《東京中華街》の存在はそれほど衝撃的だった。心の奥底で眠っていた何かが目覚め、湧き上がるのを感じるのだ。もしかすると、この街の華々しいネオンや演出のせいで、神経が昂っているのかもしれない。
すると突然、隣を歩く神狼が足を止めた。はっとして現実に引き戻された深雪は、すぐに神狼が立ち止まった理由を知ることとなった。
数メートル先、眼前の車道に高級外車が連なって停まり、そこから大勢の人が路上に出てくる。スーツ姿でガタイのいい男たちはSPだろうか。険しい目つきで、周囲の様子を油断なく探っている。
彼らに守られるようにして、高級車の中から現れたのは、ゆったりとした白い衣を纏い、黒い輪を頭部に被った男性の集団だ。みな、顔に立派なひげを蓄えている。見るからに中東の人々だ。彼らの目の前には、他より一段と品格を漂わせている最高級のホテルが鎮座していた。思うに、そこへ宿泊する予定なのだろう。
「あれは……まさか中東の大富豪……!? あの人たちも観光客なの?」
驚いて尋ねると、神狼は小さく首肯する。
「そうだろうナ」
「外国の人まで来るんだ……」
「むしろ外国人ノ方が多イ。日本人ハ《監獄都市》の名を恐レ、決して観光目的デ近づこうとハしなイ」
確かに観光客たちの姿をよく見ると、インド人や中国人、欧米系の人々や、アフリカ人、東南アジアの人々など、いろいろな人種や国籍の人たちの姿を見かけるが、日本人と思しき人たちはあまり見ないような気がする。彼らにとっては、《監獄都市》のイメージが強すぎて、とても観光をする気にはならないのだろう。
実際、深雪もその方が賢明ではないかと思う。今の池袋がいくら安全とは言え、万一の事態が起こる可能性もゼロではないと思うのだ。
「でも……これ、どうするの?」
高級外車からは続々と大勢の人々が下りてくる。一方、ホテルの方からも迎えのホテルマンが現れて接客したりと、大わらわだ。歩道は瞬く間に人でごった返した。これではいくら何でも通り抜けられまい。
すると神狼は、「こっちダ」と言って、メインロードと交差するようにして延びている、小さな路地へと深雪を促した。このホテルを迂回して進むつもりなのだろう。
その道を暫く進むと、今度は中華風の伝統的な木造家屋が立ち並ぶ通りに出た。
真っ白な壁に古い木枠の窓、灰色の瓦屋根。建物と建物の間には、深緑の透き通った水をたっぷり湛えた用水路も走っている。
この辺りは香港というより、上海の豫園のようだ。そういう趣向の通りなのだろう。路地はみな石畳で、建物の軒先には色とりどりの提灯がぶら下がっており、方々に観光客向けの露店が店を構えているのも見えた。
他にも大道芸人が 中国獅子舞を披露していたり、やたらと注ぎ口の長い薬缶をくるくると操って茶を淹れたりして、通りすがりの観光客たちを楽しませている。
看板や道路標識は中国語が主体だが、英語やアラビア語など他地域の言語も複数、併記されていて、ここがあくまでも観光地なのだという事を強く意識させられた。
(……何だか本当に、テーマパークみたいだな)
その徹底したエンターテインメント性には、深雪も驚くやら呆れるやらだった。周囲に視線を奪われ、キョロキョロとしていると、知らず知らずのうちに歩調も遅れてしまう。すると、いつの間にか、神狼がどんどん先を歩いているの気付き、深雪は慌てて小走りにその後を追った。
いちいち驚いたり戸惑ったり、憤ったりする深雪とは対照的に、神狼は終始無表情で落ち着いていた。斜め下へと俯けた顔の奥では、鋭利に研ぎ澄ませたかのような視線を、ぶれることなくただ一点へと注ぎ続けている。おそらく、今は鈴華を助け出すことに全ての神経を集中させているのだ。
けれどその一方で足取りは自然で、余計な力みもなく、傍目から見ると完全に若者がぶらぶらしているようにしか見えない。その演技力には舌を巻くばかりだ。
(何ていうか……さすがだな)
初志貫徹している神狼の姿は、何だかとても頼もしく感じる。池袋に何をしに来たか、深雪にはっきりと思い出させてくれるからだ。
《監獄都市》のこと、《東京中華街》のこと。深雪としても、思うところはたくさんある。でも、今は冷静にならなければ。激情に駆られ、潜入に失敗するようなことがあってはならない。深雪や神狼の身が危険に晒されるだけでなく、鈴華の救出も永遠に叶わなくなってしまう。
(……って言っても、この調子だと、命の危険まではなさそうだけど)
周囲は観光客の姿も多く、活気こそあれど、不穏な気配は全く感じない。それに深雪たちの変装も今のところは成功しているようで、周囲の人々に不審に思われている様子もない。想像していたよりは、順調に事が運んでいると言えるのではないか。
深雪は周囲に通行人がいなくなった頃合いを見計らい、神狼に話しかける。
「……これから藍家の人と接触するんだろ? 具体的にはどこで何をしたらいいんだ?」
すると神狼は、前方に視線を注いだまま、淀みなく答えた。
「まずハ、《東京中華街》の中心街へと向かウ。そこに藍家の邸宅がアル。そこで藍光霧という人物と会ウ」
「どういう人物なんだ、その藍光霧って人」
「藍家の次期当主と目されている人物ダ。若いガ、聡明で知識も深イ。事情を話せバ、きっと力を貸してくれル」
「本当に信用できる人なのか?」
話によると、藍家と緑家は、中立の立場であるようだが、それは裏を返せば日和見主義でどっちつかず、ということだろう。本当に協力してくれるのか。そう懸念したが、神狼は自信があるようだった。
「……ああ。ただ、光霧サンが藍家とどういう縁のある人なのカ、俺もよくは知らナイ。数年前、突然《壁》の外からやって来て、藍家の養子になっタ。藍家には後継ぎがいなかったかラ、現当主のたっての望みで実現した縁組だったようだがナ」
「成る程……つまり、謎の多い人物でもあるってことか」
そんな人物を頼るなど、少々、危なっかしいような気もするが、深雪はその藍光霧という人には実際に会ったことがないので、何とも言えない。神狼はそれなりに信頼を寄せているようなので、その判断を信じるしかない。
(鈴華を連れ去った三人組は、黄家の奴らだって、鈴梅婆ちゃんは言ってたな……。神狼は大方、藍家の有力者から黄家に働きかけて、鈴華を解放してもらおうという腹積もりなんだ)
確かにそれが上手くいけば、暴力沙汰になることもない。接触する人間の数も最低限で済むし、深雪たちはただ藍家からの報せを待てばいい。だから神狼も、深雪を連れて《東京中華街》に潜入する気になったのだろう。
さすがこの街の出身だというだけあって、神狼は《レッド=ドラゴン》のどの勢力にどのように働きかければ目的が達せられるか、しっかり熟知している。
「因みに……その藍光霧っていう人と、黄家の交渉が上手くいかなかった場合、どうするんだ?」
すると、神狼は僅かに言葉を濁した。
「それハ……今ハ何とも言えナイ。藍家ガどこまで力を貸してくれルかモ、実際に会ってみないト分からナイ。全てハ藍光霧といウ人と会ってからダ」
「つまり、今の段階では完全に藍家頼みってことか……」
話を要約すると、上手くいけば誰も傷つかずアニムスを使用する必要もなく、深雪たちはただ吉報を待っていれば良いが、もし藍家に交渉役を断られてしまったらその時点でかなりの窮地に陥るという事か。全ては藍家しだい、まさに一か八かの綱渡りだ。
本当に大宇丈夫なのか。深雪が小さく溜息をつくと、神狼は毅然とした声で口を開く。
「でモ、もし藍家の協力を得られなくトモ、俺ハ鈴華を絶対に諦めナイ」
「諦めないって……どうするつもりだよ。まさか一人で、黄家に突っ込むつもりじゃないよな?」
冗談めかしく尋ねてみたが、神狼は答えもせず、笑いもしない。まるで、深雪の言葉を全面的に肯定しているかのようだ。
(やっぱ、俺がついてきて正解だった)
深雪は内心でひっそりとそう思った。神狼はおそらく本気だ。藍家に協力を断られたら、本気で黄家に殴り込むつもりでいる。
黄家が《レッド=ドラゴン》の最大勢力であることを考えても、腕の立つゴーストが大勢ひしめいているのは優に想像できる。殴り込みが現実になったなら、血みどろの争いになるのは避けられない。体調も万全ではないのに――いや、たとえ万全であったとしても、そんな事は絶対にさせられない。
深雪は黙りこくる神狼の隣で、己の役割を再確認した。一つは東雲探事務所と連絡を取る事、そしてもう一つは、神狼が捨て鉢になって自爆しないよう見張る事だ。
「そういえば……神狼は紅家の人間なんだろ? だったら、紅家の当主に掛け合えば一発で解決するんじゃないか?」
深雪はそう疑問を発した。現在の《レッド=ドラゴン》は紅家と黄家が支配していると言う。そうであるなら、紅家は黄家に近い位置にいるだろうし、藍家より話も通しやすいだろう。
そう思ったのだが、神狼の表情は硬い。
「……。紅家は頼れナイ」
「何でだよ? まさか……紅家とは仲が悪いのか?」
「そういう事じゃナイ! とにかク、紅家は駄目ダ!」
神狼の態度は頑なだった。紅家という名を聞いただけで顔を強張らせ、拒絶反応を示す。藍家には協力を仰ぎたいと思っている一方で、紅家との接触だけは、何が何でも避けたいと考えているらしい。
(神狼が《レッド=ドラゴン》を出たのは、紅家との不仲が原因か……?)
それは十分考えられる。《レッド=ドラゴン》随一の権力者である紅家の不興を買えば、組織には居辛くなるだろうし、接触も憚られるだろう。神狼の表情が硬くなるのも頷ける。
仮に神狼と紅家の確執があるとして、それはどれほど深刻なのだろう。紅家の方は神狼の事をどう考えているのだろうか。
(いや……待てよ。紅家が当てにならない程度だったらいいけど……神狼を敵視しているとしたら厄介だぞ)




