第11話 過去の亡霊
ゴーストになって学校や社会から拒絶され、深雪は家を出た。
そして僅かな貯金を手に街をさすらった。
公園のベンチや橋の下で寝たり、スーパーやコンビニの裏口をうろうろしたり。ネット喫茶もよく利用した。
そのうち、あることに気づいたのだった。SNSの書き込みには、ゴーストであることを思わせるものが数多くあることを。
彼らは現実の世界では周囲の反応を恐れ、ゴーストである事を徹底的に隠していたのだろう。そうでなければ、簡単に社会からはじき出されてしまう。
しかし、一方でSNSの世界ではあらゆるサインを発していた。俺は、私は、ここにいる――それは仲間を求めあう生物の本能の様なものだったのかもしれない。
それらは瞬く間に広がり、徐々にコミュニティを形成していった。《ウロボロス》も当初はチャットのオフ会の様なものだったのだ。当時、街の片隅でそういう集団がいくつも形成され始めていた。
深雪も《ウロボロス》の初期メンバーと瞬く間に打ち解けた。
みな、自分がゴーストになった事に戸惑い、或いはそれが原因で周囲から疎外され、言いようのない孤独に悩んでいた。家族と断絶したり、学校へ行けなくなったり。既に孤立してしまっている者達も数多くいた。
彼らが抱える強い寂しさと周囲に対する不信は、深雪のそれと全く同じものだった。深雪が彼らに強く共感し、思想や行動を共にするのに時間はかからなかった。彼らの事を唯一無二の仲間だと信じて疑わなかった。
――少なくとも、その当時は。
変化し始めたのは《ウロボロス》に加入するゴーストが増え、組織のメンバーが五十人を超え始めた頃だ。警察のマークや世間の風当たりが殊更に厳しくなり始めた。
元来、社会というのは、群れる若者に対して決して寛容ではないものだ。それがゴーストであるとなれば、尚更だった。
それと同時に深刻な問題となり始めていたのが、《ウロボロス》以外にも無数に発生し始めていた他のゴーストのチームとの対立の激化だった。
もちろん、それらが全て凶悪で敵対的だったというわけではない。しかし、暴力と対立を好み、攻撃的なチームが出現し始めていたのは事実だった。
彼らはアニムスを使って他者を攻撃することを厭わず、次第にアニムスを用いた衝突が常態化していった。
その頃から《ウロボロス》は急速に狂暴な組織へと変貌する。
チームの人間全員に双頭の蛇の刺青を強要し、忠誠を誓わせ始めたのもこの頃だ。それでも、当初はまだどこかそれを自己防衛と考え、深雪自身も仕方の無い事と考えていた。
学校や社会から受けた猛烈なバッシングが記憶に新しかったからかもしれない。
他に居場所は無い――その事が考え方を頑なにさせていた。
そして歯車が狂い出す。
きっかけは《ウロボロス》のメンバーの一人が、当時対立していた他のゴーストのグループによって暴行を加えられ、死亡させられたという陰惨な事件が起こったことだ。
かなり一方的な暴行死だったが、それにも拘わらず、逮捕者は一人も出なかった。
理由はそう――ゴーストが人間ではないからだ。
それが《ウロボロス》のメンバーの感情に火をつけた。
それは、表向きは復讐だったが、裏にあったのはやらなければ自分たちがやられるという恐怖心、そして誰も助けてくれないのだという自己防衛本能だったかもしれない。
それを機に、ただでさえ激しかったゴーストのチーム同士の対立は完全に一線を越えてしまった。睨み合いに暴力が加わり、殺戮へと豹変していったのだ。
そうなってしまえば、もう手のつけようがなかった。ただでさえアニムスを駆使したゴースト同士の戦いは激しいものになる。それに輪をかけて、どうせどれだけアニムスを使っても逮捕されない――ゴーストは法で裁かれないという事実が、事態を悪化させた。
暴力は報復を呼び、報復は怒りと憎悪を生んだ。《ウロボロス》と対立チームの抗争は本来関係のない他のチームも巻き込んで、大きな『戦争』へと姿を変えた。
小さなともし火に過ぎなかった炎は、瞬く間に巨大な劫火へと膨れ上がったのだ。
深雪はただ、燃え盛る炎を眺めている事しかできなかった。
もちろん、何もしなかったわけではない。
《ウロボロス》を止めなければならない――深雪はそう思った。こんなことをする為にゴースト同士、集まったわけではない。
初期メンバーの一人として、チームに対する愛着もあった。世間がどう思おうと、《ウロボロス》には真っ当なチームであって欲しかった。
深雪は何度も話し合いを提案した。しかし、走り出してしまった車輪を止める事はもはや不可能だったのだ。
深雪に待っていたのは仲間による裏切り者認定と、壮絶な私刑だった。
それはあまりにも凄惨極まりないものだった。肉体・精神ともに途轍もない激痛に晒され、途中から記憶が飛んでいる。双頭の蛇の刺青もその時に剥ぎ取られた。つい先ほどまで仲間だと思っていた者達による、容赦のない残虐な暴行の数々。あの時の恐怖は忘れられない。
このままでは殺される――そう思った。事実、彼らは殺すつもりだったのだろう。
当時、おそらく全てのゴーストが正気を失っていた。敵味方無く、憎しみ合い、殺し合う。巨大な憎悪の劫火に抗える者など一人もいなかった。
力が全てを狂わせたのだ。
狂乱の果てに何が起こったのか。よくは覚えていない。ただ、自分が生き延びるのに必死だった。結果として、《ウロボロス》は一夜で壊滅状態に陥る。現場は巨大な爆発による熱波と爆風に晒され、跡形もない状態だったという。
生き残ったのは深雪一人だった。
それが旧首都・東京を震撼させた事件の全容だ。
あの時どうするべきだったのか。今でも分からない。分かっているのは、自分は無力だったという事。そして人間だけでなくゴーストからも拒絶されたのだという事だけだ。
自分も死ぬべきだったのだろうか。そう思う事もある。実際、深雪も深刻な痛手を負い、二度と起き上がれぬほどの重症だった。恐ろしい罪を犯してしまった自分は、このまま絶命するのだと思っていた。そしてまた、それが妥当なのだ、と。
しかし、何故だかそうはならなかった。深雪は斑鳩科学研究センターに運び込まれ、治療を受ける事となった。
どういう経緯でそんな事になったのか、最後まで詳細を知らされることはなかったが、おそらく自分はゴースト研究の実験体だったのだろうと深雪は思っている。それが証拠に、深雪は数々の検査や得体の知れない投薬を受けさせられた。だがその内容が何であったのかまでは分からない。ただその後、最終的に冷凍睡眠となったのだった。
東雲探偵事務所が何をしているのか。うっすらとは想像がつく。
ただでさえ監獄都市としての東京は、秩序を失い、荒廃しきっている。街中を歩けば、《ウロボロス》よりも数倍凶悪なゴースト達が集団を形成し、我が物顔で徘徊している。深雪もそれを嫌というほど味わった。
失った秩序を取り戻すことは、確かに重要な事だろう。警察を含めた治安機構や行政機関が機能しなくなっているのなら、誰かが代わりに安全装置の役目を果たす必要がある。おそらく、東雲探偵事務所はそれを担っているのだろう。
シロは、悪いゴーストをやっつけるのだと言っていた。
だが、善悪の判断など誰が下すのだろう。ただでさえ法は効力を失い、それを問う者も、審議する場所すらも無い。
力を振るう側は常に自分に正義があると思うものだ。《ウロボロス》のメンバーもそうだった。
歯車は徐々に狂っていく。誰がそれを正すのか。
人の数だけ、正義はある。それが公正であるかどうかを、一体誰が判断するのか。
深雪には、それはとても危険なやり方に思えて仕方なかった。
「ゴーストにならなければ……ゴーストにさえ………!」
深雪は肺の奥底から絞り出すようにして、呟く。
ゴーストにならなければ、家や家族を失わずに済んだ。ゴーストにならなければ、学校を辞める事もなかった。ゴーストにさえならなければ、誰も傷つけることもなかったし、二十年後の未来に一人で放り出される事も無かっただろう。こんなに孤独に苛まれる事など、無かった筈だ。
しかし、それがどれだけ無意味な考えであるかも良く承知している。
自分は犯罪者なのだ。沢山のゴーストの命を奪った、凶悪犯なのだ。
項垂れて自分の部屋の前に立つ深雪の脳裏に、先ほどの東雲六道の言葉が甦った。
―――過去に怯えてばかりいる者には、何も果たすことは出来んぞ………。




