第16話 情報収集②
「結構、重要な情報って集まらないものだな……」
今日だけでも、既に八つほどのチームに接触してみたが、目ぼしい収穫は無しだ。歩き回って足が棒のようだった。すると、神狼は少女の姿でじろりと睨みつけてくる。
「これくらいは、いつもの事ダ。根性無しメ!」
周囲に誰も人がいないせいか、神狼は《ペルソナ》を解いていた。おまけに、罵倒する声にも容赦がない。深雪は、またそれかとうんざりしつつ、反論した。
「あのなあ、いちいち一言多いっての! やっぱ、あの時……《火蜥蜴》って奴らと接触した時に、無理してでも聞き出せば良かったんじゃないか……?」
ところが、神狼はこちらを馬鹿にしたように目を細める。
「フン……呆子だナ、お前」
「た、たいつ……? パンスト……?」
きょとんと目を瞬かせると、神狼は俄かに顔を赤くし、ますます腹を立てた。
「違ウ! 馬鹿だと言ったんダ‼」
「だったら、最初からそう言えばいいだろ!」
英語も怪しいというのに、中国語でそんな事を言われても、分かる筈もない。
一方の神狼はと言えば、深雪の返した文句が尚も不服そうだったが、無意味な言い争いをしても時間の無駄だとばかりに大きな溜め息をつく。
そして気を取り直し、説明を始めた。
「……今の段階では目立たズ、誰の記憶にも残らないのが一番重要ダ。あいつらは思いの外、互いの繋がりが強イ。下手に目立てば、あっという間に街中に広まっテ、必要な情報が全く手に入らなくナル。そうなれば、売人や元売りにも気づかれるダロ!」
「成る程……ちゃんと考えてるんだな」
感心して思わず呟くと、神狼は怒り半分、呆れ半分で声を荒げた。
「当たり前ダ! 呆子はお前の方ダ‼」
「はいはい、分かってますよ。どうせ俺はタイツ男ですよー」
「テキトーな返事するナ! ったク……」
神狼は苛々と腕を組み、指の先を上下させる。その姿につい深雪も、こっちだって大変な思いをしているんだぞと反発心を覚える。
けれどその一方で、ある事にも気づいていた。それは、神狼はそれだけ不愉快そうな様子を見せているのに、決して自分に任された仕事を放棄しないという事だ。深雪に対する態度はすこぶる悪いが、基本的に根は真面目なのだろう。それに意外と、面倒見のいいところもあるのかもしれない。
(まあ実際、奈落に比べれば、神狼の悪態はかわいいもんだよな……)
最初の頃の奈落なら、今頃、知ったこっちゃないとばかりに深雪を放置していただろう。拳や蹴りが飛んでくるのは当たり前だったし、深雪のことを一人の人間として認識していたのかどうかさえ怪しい。
だが神狼は、奈落と同様に深雪に対して辛辣ではありつつも、何だかんだで共に情報収集に励んでいる。それに分からないことを聞いたら、乱暴ではあるが、それなりに答えてくれたりもする。ひょっとすると、深雪が実感できないだけで、琴原海の言うように本当は良い奴なのかもしれない。
(ただ……いろいろ初心者の俺に合わせてくれてるのかもしれないけど、このまま今の方法を続けていても、成果が出るのには時間がかかりすぎる……《Heaven》だって十分、危険な代物だったっていうのに、《Ciel》がこのまま拡散し続けたら……きっと、もっと最悪な事態に陥ってしまう……!)
眉根を寄せ、そう考え込んでいた深雪は、ふとある事に気づいて声を弾ませた。
「そういえば……《Ciel》と《Heaven》の成分は酷似してるんだろ。だったら、《Heaven》を流した奴が《Ciel》も流通させてるんじゃないのか? 《Heaven》を捌いていた《タイタン》の奴らなら、何か知ってるんじゃないのか?」
ゴーストは法によって裁かれない。大罪を犯したゴーストは警視庁指定ゴースト第一級特別指名手配書》――いわゆる、《死刑執行対象者リスト》に登録され、《死刑執行人》によって、命の火を刈り取られる。
しかし、薬物の売買は、《リスト》入りするほどの案件ではないらしい。《タイタン》の大多数は、取り調べを受けた後、その殆どが釈放されていると聞く。彼らはおそらく、この《監獄都市》のどこかに身を潜めているだろう。街からは決して出られないのだから。
よって、探し出すのは不可能ではない。
我ながらいいアイディアだと思ったのだが、期待に反して神狼は、冷ややかな一瞥を深雪へと寄越した。
「そんなこと、とっくにやってル。でも、《タイタン》の奴ら、『上』のことは殆ど知らナイ。《Ciel》に関しても、何も知らなかっタ。いざという時の為に、末端は何も知らされなイ。トカゲの尻尾切り……よくある事ダ」
容赦なくバッサリと意見を切り捨てられ、深雪は深い失望と脱力感に襲われる。
「つまり、『敵』もかなり用心してるってことだよな。こんなんで、本当に黒幕に辿り着けるのか……?」
新宿を根城にしている他のゴーストギャングたちに聞き込みを行っても、殆ど情報が得られないのも、おそらく同様の理由からだろう。そのことからも、《Ciel》の売人がかなり用心深く、慎重な連中であることが分かる。
少なくとも、深雪が考えているよりずっとしたたかで手強い相手であることは間違いない。
がくりと肩を落とすと、神狼はそんな深雪に、苛立ち紛れに発破をかける。
「弱音を吐くナ! ここで食い止めないと、中毒者が増えて、好き放題、暴れ回るのは目に見えテル。そんなこと、絶対に許さナイ……‼」
優美な弧を描いた瞼の下、黒曜のように真っ黒な瞳の奥には、思いの外、強固な意志を感じさせる光が宿っていた。
(へえ……意外と正義感が強いんだな)
神狼は深雪に対しては理不尽な怒りを見せることが多いだけに、その正義感の強さは予想外だった。それとも、そういった『悪』の存在を許すことができない事情でもあるのか。
「やっぱ……鈴華のため、なのか?」
深雪はふと呟いた。街に《Ciel》の中毒者が溢れれば、暴力沙汰も激増する。そうなれば、鈴華やその祖母が巻き込まれる危険性も高まるだろう。
神狼は鈴華をとても大切に想っている様子だった。こうやって、顔も見たくないほど嫌っている深雪と渋々バディを組んでいるのも、それが鈴華たちの為になると思っているからではないのか。
すると、神狼は饅頭を喉に詰まらせたような愉快な顔で硬直した。
「何でそこデ、鈴華の名前が出てくるンダ!」
不機嫌そうに声を荒げたものの、神狼の頬は心なしか赤い。原因が『鈴華』にあるのは明白だ。深雪はここぞとばかりに、にまにまと笑う。
「何だ、図星じゃん。……ってか、照れることないだろ。いいじゃん、好きな子の為に頑張るとか、そういうのってさ」
「住嘴【黙れ】!」
神狼は路地に響き渡るほどの大きな怒声を発すると、そのまま《ペルソナ》も使わず、さっさと行ってしまう。
半分は本当に怒っているのだろうが、残りの半分はどう見ても照れ隠しであるように思える。深雪はずんずんと歩いていく神狼の背中を追いかけつつ、苦笑を漏らした。
(ホント、分かりやすい奴……)
前を歩く神狼は耳まで真っ赤だ。そのリアクションを考えても、神狼が鈴華にただならぬ感情を抱いているのは間違いないだろう。先ほど口にした深雪の推測も、概ね的中していたというわけだ。
神狼としてはその事を知られたくなかったのだろうが、深雪は逆に、心の中で神狼に対する我が儘で自分勝手なイメージを払拭しつつあった。
大切な女の子を守るために頑張る。理由としては、この上なく単純だ。そしてそれ故に、純粋であり、至極真っ当でもある。共感もしやすい。《龍々亭》で共に働く神狼と鈴華の姿を思い出すと、素直に微笑ましいと思いこそすれ、不愉快に感じることはない。それどころか、何だ、本当は良い奴じゃんと、見直したくらいだ。
深雪の経験則で言うと、好きな女の子のために戦う男に、悪い奴はいない。
(でも、何かすごく懐かしい感じだな、こういうの……)
神狼と鈴華を見ていると、花凛と俊哉を思い出す。二十年前に属していた《ウロボロス》のメンバーの中にも、カップルはいくつもいた。みな、互いを大切にし、過酷な環境に置かれても、せめて手のひらに収まるくらいの小さな幸せが欲しいと、もがくようにして生きていた。
(神狼も、確かに元殺し屋だったって言うし、実際に身のこなしは半端じゃないけど、多分……本当は俺たちと同じ、どこにでもいる普通の子どもなんじゃないかな……)
花凛と俊哉、そして鈴華と神狼。全員、容姿や性格、個性も別々だし、抱えている事情も文化的背景も違う。けれど、互いを想い合い、大切にする姿はみな一緒だ。
それを鑑みる時、難しい理屈なんて、本当は必要ないのだと深雪は気づかされる。
きっと皆、ただ、自分の大事な人たち――家族や兄弟、友達、恋人を、自分の手で守りたいだけなのだ。どこでどのように生きていようと、どんなルーツや過去があろうと、本当はただそれだけなのだ。
深雪はそれを想うと、嬉しいような哀しいような、不思議な感覚に捕らわれるのだった。
それは張り裂けそうなほど切ないのに、同時に真冬に自販機から取り出したばかりの缶コーヒーのように、心の奥底をじわりとした温もりで満たしてくれる。
深雪たちが接しているゴーストの若者たちも、きっと本当はそういう子たちなのだろう。決して積極的に犯罪に加担したいわけではない。ただ、仲間やパートナーと共に、少しでも安定したより良い生活を送りたいと願っているだけなのだ。
《Ciel》はそのささやかな願望に漬け込み、ウイルスのようにぶくぶくと増殖し、全てを食らいつくしてしまう恐ろしいクスリだ。それを考えると、一刻も早く供給元を突き止め、それを叩き潰さねばならないと思う。
それ以外に、解決する方法はないのだ。
そう考えると、深雪は背筋がぴんと張ったような緊張感を覚えるのだった。
次に深雪と神狼が接触したのは、平均年齢が十五才ほどの、中でもとりわけ若いゴーストが集まるチームだった。十二、三才ほどにしか見えない子どもの姿も多くある。
比較的、女の子が多い印象だ。そのせいか、雰囲気も比較的、穏やかで、カップルの姿に身をやつした深雪たちが近づいて行っても、敵視したり警戒した様子はなかった。
「やあ。ちょっといいかな。君たち、何てチーム?」
深雪が笑顔で尋ねると、見かけ以上に幼く、舌足らずな発音で返答があった。
「《ディナ・シー》だよ。ほら」
チームのうちの一人が服の袖をまくり、右の腕にある、羽の生えた妖精の刺青を見せてくれた。女の子らしい、とても可愛らしい図案だ。
「かわいい刺青だね」
そう誉めると、少女たちは、嬉しそうにはにかんだ。
「うん。ウチらも気に入ってんだ、このデザイン」
「……何か用?」
特にこちらに対する抵抗感もないようなので、早速、本題に入る。
「最近、《Ciel》って流行ってるだろ。みんな使ってんの?」
「モチだよ」
「みんな飲んでるし、健康維持になるって聞いたから」
「それに、《Ciel》を呑み続けると、きれいになれるんだって」
「アニムス抑制剤の代わりにもなるしね」
健康維持。その単語が気になって、深雪は思わず少女たちに尋ね返した。
「……それもみんなが言ってる?」
「うん、そう」
アニムス抑制剤の代わりになる――《Ciel》がそういった謳い文句で広がっていたのは知っていたが、『健康にいい』だとか、『美容効果がある』という説まで広がっているとは。
勿論、実際にはそんな効果などない筈だが。
深雪は、《ペルソナ》によってギャル風少女に変身した神狼に、小声で話しかける。
「何か、誤った知識がかなり広まってしまってるな」
「違ウ……誰かが故意に広めたンダ」
神狼は鋭く囁いた。目元も険しい。変身していても、そうと分かるほどだ。
(そうか……《Ciel》を広めるために、わざと食いつきの良さそうな情報を流しているんだ)
『美容に良い』というのは、特に若い女性にとっては殺し文句のようなものだろう。そこに『健康にいい』、『安心、安全』といった言葉が続けば、抵抗感はぐっと減る。
《Ciel》の包装が、市販の薬かと見紛うほど簡素であるのも、おそらくそのためだ。過剰なデザインの包装は、オシャレである分、怪しさも増す。簡素で定番なデザインであればあるほど、手に取る者に、安全性や健康に良さそうなイメージを与えやすいのだろう。
(俊哉や花凛から話を聞いた時も悪質だとは感じていたけど、思ったより、ずっと深刻だな……急がないと)
その時、ギャル風少女の姿をした神狼が、深雪の腕を掴む手を僅かに強めた。その弾みで、体重がぐっと深雪にかかる。
深雪は、てっきり神狼が踵の高い靴に足を取られ、よろめいたのだと思った。けれど、すぐにそうではないと気づいた。
神狼がなかなか体勢を整えなかったからだ。
「……神狼?」
横で腕を組む神狼に視線をやると、意外にも顔色が悪い。心なしか呼吸も荒く、立っているのも辛そうだ。
「……? どうしたんだ……?」
小声で尋ねると、神狼はじろりとこちらを睨みつける。
「どうでもイイ。それより、ボサッとせずにちゃんとシロ!」
「わ、分かってるよ!」
慌てて答えた深雪は、唇を尖らせた。
(何だよ、人が心配してやってんのに……ボサッとしてんのは自分の方だろ)
こうも敵意を向けられると、さすがに辟易してくる。深雪のことを気に食わないのは仕方ないにしても、明らかに異常だ。
(不機嫌なのはいつもの事だけど、気のせいか、いつもに増してグレードアップしてんな。……気のせいか?)
横目でそれとなく様子を窺うと、やはり神狼の調子は悪そうに見える。深雪から無理矢理、体を引き剥がしたものの、顔色は青ざめたままだ。
深雪はその時、ふと気づいた。神狼が深雪に辛辣に当たるのは、単に嫌っているからというだけではない。深雪に己の不調を悟られたくないがために、過剰に強がっているのではないだろうか。
(そう考えるのは、さすがに勘繰り過ぎかな)
どの道、ここで問い質しても、神狼が素直に答えることは決してないだろう。《ディナ・シー》の少女たちに不審に思われるだけだ。深雪は取り敢えず神狼をそのままにし、気分を入れ替えて聞き込みを続けることにした。
「……あのさ、みんな《Ciel》ってどこで買ってんの?」
「どこって……そこら中で売ってるよ」
「最初は吹っ掛けられるけど、値切ったら結構安くしてくれるし、あと、他のチームにいる子から流してもらったりもしてる」
「……そっか」
やはり、彼女たちにとって《Ciel》の入手は簡単なようだ。ここまで蔓延してしまったら、大元を叩く以外に、有効な対策はないだろう。ッしかめっ面でそう考えていると、《ディナ・シー》の一人が窺うようにして口を開いた。
「お兄さんたち、《Ciel》欲しいの?」
「え……うん。どうして?」
「さっき、他のチームの知り合いが、《Ciel》欲しがってるカップルがいるって言ってたから」
深雪はどきりと心臓を弾ませる。
「……そうなんだ」
(成る程……確かに、横の繋がりは結構、強いみたいだな。俺たちの情報、どれくらい出回ってるんだ……?)
他チームとの交流が盛んなチームもあれば、そうでないチームもある。それは、それぞれのチームの個性だ。だが《ディナ・シー》は、女の子が多いせいか、交流が盛んなチームであるようだった。確かに少女だらけでは、どうしてもパワー面で劣る。情報収集に長けていなければ、あっという間に生存競争に負けてしまうだろう。
もし、自分たちのことが知れ渡っているなら――そして不審に思われているのなら、今日はもう引き上げた方がいいかもしれない。少なくとも、変装は別のものに変えるべきだ。
(どちらにしろ、この子たちは売人と直接の接触はなさそうだな……)
そう思って神狼に視線を向けると、同じことを感じたのか、頷きを返してくる。
(やっぱり引き上げた方が良さそうだな。でも……この子たちが《Ciel》を使い続けるのを放置しとくわけにはいかない。まだ、こんなに幼いのに……!)
目立つべきでないのなら、このまま何もせずに立ち去るのが最良の判断だろう。だが、深雪はどうしてもそれができなかった。不審に思われない程に、《Ciel》は危険だと忠告しておいた方がいい。そして、努めてにこやかに口を開く。
「教えてくれてありがとう。……でも、《Ciel》はあんま使わない方がいいかもね」
「えー、何で?」
「バッドトリップで死にかけた奴とかいるらしいよ。まだ、そこまで噂にはなってないみたいだけど。あんま、手を出さない方がいいんじゃないかな」
その話は完全に初耳だったのだろう。少女たちは目を丸くし互いに顔を見合わせた。
「ええー!?」
「知らなかった」
「怖―い!」
「それじゃ」
口々に驚きの感想を漏らす少女たちに別れを告げ、深雪は神狼神狼と共にその場を離れたのだった。




