第15話 情報収集①
「《Ciel》を愛用してるのは、《中立地帯》でチームを組んでる若年層ゴーストがメインだって、さっき言っただろ。《タイタン》のように、な」
「うん。でも、そういえば……どうして若者限定なの?」
「その層に一番需要があるからよ。《Ciel》には能力アップの効果があるでしょ? それを最も必要としているのは、能力値の低いゴースト達ってわけ。
元々アニムスの強いゴーストであれば、とうの昔に《レッド=ドラゴン》か《アラハバキ》にスカウトされている筈。能力値の低い若年層ゴーストは互いに身を守る意味もあって、徒党を組んでる。その分、横のつながりも強いわ。こういうものが流行るにはうってつけの下地があるってわけ。
――彼らの行動範囲はさほど広くは無い。けれど、縄張り意識や仲間意識、排他性が異常に強く、簡単に近づくわけにもいかない。《死刑執行人》は勿論のこと、一定年齢を越したオッサンやオバサンなんかには、絶対に心を開かないでしょうね。でも、同じ十代の若者なら、親近感から情報を流す可能性がある。
……言いたいこと、分かるよね?」
こちらへと含みのある視線を投げて寄越すマリアに、深雪はぎょっとして上擦った声を上げた。
「まさか……俺にその役目をしろって事!?」
「正しくは深雪っちと神狼に、だけどね。さすがに深雪っち一人だと、まだ不安だし。この際だから、神狼に情報収集の方法もみっちり教えてもらうといいんじゃない?」
マリアの声音はやたらと軽く、完全に対岸の火事だ。
「お、俺が神狼と……?」
そんな事がとてもうまくいくとは思えない。横目で神狼の方にちらりと視線を送ってみると、案の定、不満をありありと浮かべ、ぶすっとしている。おまけに深雪も被害者だというのに、お前のせいだぞと言わんばかりに、こちらを睨みつけてくる始末だ。
(前途多難の臭いしかしないぞ……!)
何とかその計画を阻止せねばと思うが、オリヴィエや奈落もマリアの意見に同調し始めてしまった。
「確かに……我々では少々、悪い意味で目立ちすぎてしまうでしょうし……」
「いいじゃねーか。ガキが二人も揃ってんだ。相手もガキだし、これ以上の適任者はいねえだろ」
「……言うと思った」
呑気に煙草を燻らせる奈落に、深雪はそう呻く。機嫌の悪い神狼に尻を叩かれつつ、聞き込みをしなければならないのだと思うと、早くも気が滅入った。
「ま、そーいう事だ。頼むな、神狼」
流星に直接そう頼まれては、嫌とは言えないのだろう。神狼は不承不承、頷いた。
「仕方ナイ……足を引っ張るなヨ、チビ!」
「むっ……そっちだって、チビだろ!」
「ジジイでチビよりはましダ!」
「年齢だって、ほとんど変わらないっての‼」
互いに額に青筋を立て、額を突き合わせる深雪と神狼の二人を、オリヴィエは即座に宥めにかかった。
「およしなさい、二人とも。人の価値は、体の大きさで決まるのではありませんよ」
「そりゃそうだけど……何か、オリヴィエがそれを言うのはずるいと思う!」
すらりと背の高いオリヴィエにそう説教されるのは納得いかないと、深雪は唇を尖らせる。すると、やはり慎重に恵まれた奈落は、憐れみと蔑みの綯い交ぜになったぞんざいな口調で言った。
「おい、やめてやれ。傷口に塩を塗るような真似は。どちらにしろ、伸びないものは伸びないんだ」
これには神狼が、「まだそうと決まったわけじゃナイ‼」と噛みつく。
「チビでもデカくても、どっちでもいいじゃない。これも一種の見栄ってヤツ? 殿方ってホント大変よね~」
てっぷりした体型の、二頭身のウサギのマスコットは、自身の体型を完全に棚に上げ、能天気にぷかぷかと宙に浮いている。
「いやあ……あれはどう見ても、ただの子供の喧嘩だろ」
ぼそっと呟く流星だったが、すぐにシロがその服の袖を引っ張った。
「ねえねえ、りゅーせい。シロはどうしたらいいの?」
「そうだなぁ。俺と一緒にお留守番するか」
シロはいつも、深雪と行動を共にしている。しかし今回、深雪が神狼と組むことになれば、シロはあぶれてしまう。かと言って今の段階では他に何かできることもなく、だからこそ流星も「お留守番」と言ったのだろう。
ところが、シロはそれがお気に召さなかったらしく、ぷう、と頬を膨らませ、プイッとそっぽを向いてしまった。
「そんなの、やだーっ! りゅーせいのバカ!」
すると流星は、ガーンと慄き、上半身を仰け反らせる。
「『やだっ』て……ついこの間まではそれで喜んでたのに! これがいわゆる、反抗期ってヤツか? とうとう来てしまったのか、この時が……‼」
「……アホらし。何か分かったら、連絡ちょーだいね~」
マリアは投げやりにそう言うと、ふわあと欠伸をし、そのままプツリと姿を消した。
それでミーティングは解散となったのだった。
《監獄都市》には大きく分けて、三つの地帯がある。
《アラハバキ》の縄張りである《新八洲特区》、《レッド=ドラゴン》が牛耳る《東京中華街》。そして三つ目は東京特別収容区管理庁の影響力が最も強い、《中立地帯》と呼ばれる地帯だ。東京特別収容区管理庁は旧都庁にあり、新宿を中心とした勢力でもある。
そのせいか、新宿は他の街と比べ、街の姿が崩壊することなくほぼそのままで残っている、稀有な地帯でもあった。西側は特に目覚ましい発展を遂げているが、それほどではないにしろ、全体的に街らしい喧騒や賑わいに溢れ、唯一、生活感を色濃く感じられる区画でもある。
ただそれでも、露店や商店の立ち並ぶ路地から一歩入ると、人けが無く、真昼でも歩くのが憚れるような、物騒な空気を漂わせた路地裏が広がっている。新宿駅の東側はどこも似たようなものだ。
そんな路地裏に、十代の男女が集まってたむろしていた。全部で十五人ほどの集団だ。みな、だぼだぼのパンツや派手な英字の入ったキャップ、パーカーやブルゾンなど、似たようなストリート系のファッションで統一している。
それぞれの腕や首元に目をやると、みな炎を纏った蜥蜴の刺青を刻んでいた。彼らはこの辺を根城にしているストリートダストで、《火蜥蜴》というチームだ。
その《火蜥蜴》のメンバーに、深雪は近づいていく。
(それにしても……何か背中がムズムズするな)
そう思うのも通りで、深雪はいつもらしからぬ格好をさせられていた。
V字ネックのシャツに、背中に大きな髑髏の模様をあしらった黒い革ジャンと、レザーパンツ。その下には、つま先が凶器と見紛うほど尖りまくった、スタッズだらけのブーツ。頭には、肩のあたりまである茶髪のウイッグまでのっかっている。
普段の自分であれば、絶対にチョイスしないファッションだ。
そんな深雪と一緒なのは、これまた肩の出た緩いニットのセーターにぴっちりしたミニスカート、膝まであるロングブーツを履いてカラフルなニット帽を被った、いかにもギャル風の少女だった。
ぽっちゃりした童顔で、目元はパンダみたいに垂れ下がっている。黙っていても顔が笑っているように見える、とても愛嬌のある娘だ。
深雪と少女は腕を組み、ぴたりとくっついて歩いていた。どこから見ても、若いカップルだ。でも、慣れない姿勢で腰は痛いし、腕も既に攣りそうだった。
深雪は極力それを表に出さず、《火蜥蜴》の刺青を身に付けた少年少女に話しかけた。
「あのさ……ちょっと話があるんだけど」
すると、どこか気怠げな少年少女の眼が、一斉に深雪に集まる。
「何だよ? ここらじゃ見ねえ顔だな」
くちゃくちゃとガムを噛みながら答えたのは、《火蜥蜴》の中でも一番年長と思しき少年で、顎髭を生やし、凝った意匠のサングラスをかけている。そして典型的なヤンキー座りで、しきりと煙草を吹かしていた。
「ああ、うん……普段は渋谷の方にいるから」
深雪がそう答えると、少年少女は少し意外そうな表情を見せた。
「渋谷? まじウケるし」
「どこのチームだよ?」
「《ハニー・ムーン》だよ。ほら」
深雪は革ジャンの腕をまくって、腕に刻まれた刺青を掲げて見せる。月とハート模様を組み合わせたデザインだ。
ただそれは、実際には実在しないチームだった。今回の情報収集のために、わざわざ架空のチームをでっち上げたのだ。ゴーストギャングは星の数ほど存在するため、ばれることはまずないだろうと、マリアや神狼は言っていた。
「《ハニー・ムーン》……? 聞いたことないよね?」
《火蜥蜴》のメンバーも首を傾げ、そう疑問を発したが、深雪が
「ぶっちゃけ、小さいチームだから。地元ではけっこー有名なんだけど」
と返すと、「はあ? 知らねーもんは知らねーし」と言っただけで、それ以上深くは追及してこなかった。
「っつか、その渋谷にいる奴らが、ここまで出張って何の用だよ?」
「《Ciel》が欲しいんだ。あっちじゃ、まだあんま出回ってなくて」
これも嘘だ。でも、殆ど自分の縄張り(テリトリー)から移動しないストリートダストには、確かめる術がない。実際、目の前の少年たちも、深雪の言葉を疑った様子は全くなかった。
「ふーん?」
「そんなん、こっちじゃそこら中で売ってるよね」
「へえ……そうなんだ。こっちの方が進んでるね。渋谷はいろいろと不便でさ」
さりげなく地元愛をくすぐってみると、《火蜥蜴》のゴーストたちはまんざらでもない様子で互いに顔を見合わせた。
「確かに、そっちは大変そーだな」
「この間の連続殺人も渋谷であったよね。こっわー」
「うちらので良かったら、売ってあげてもいいよ、《Ciel》」
そして白いパーカーにカラフルなパンツを履いた少女が、十錠ずつPTP包装された《Ciel》を取り出し、それをいくつか手渡してきた。深雪は内心でどきりとしたが、それを押し隠すと、笑顔でそれを受け取る。
「マジで、いいの? ありがと。いくら?」
「ええと……買ったのが一枚五百円だから……三百円でいいよ」
「え!? 何か、とんでもなく安くない?」
演技でなく、心の底から驚いた。
薬物には詳しくないが、普通は一グラム数千円するのが普通ではないのか。その値段では、本当に市販の胃腸薬と変わらないではないか。
だが、《火蜥蜴》のメンバーはそれを異常と感じた節はない。
「そう? そんなもんだよね」
「《Caelum》とか《Paradiso》とか、いろいろ流行ってるけど、《Ciel》は超・安いから、中でも一番人気がある。……そんなことも知らねーの?」
鋭く突っ込まれ、ぎくりとした深雪は作り笑いを浮かべると、慌てて話題を変えた。
「あ、いや……はは。ところで、君らはこれ、どこで買ったの?」
「は? 何で?」
深雪は隣の少女を指さして答えた。
「いや、彼女がさあ。《Ciel》にハマっちゃって、もっと欲しいって言うからさ。……聞いちゃマズかった?」
「いや、別にそんなことねーけど」
「ウチらはねー、いつも……」
先ほどの白いパーカーを羽織った少女が、口を開きかけた時だった。それまで沈黙し、ひたすら煙草を吹かしていたリーダー格――顎髭を生やしサングラスをかけた少年が、突然それを遮った。
「……待てよ。何でそんなこと知りてえんだ?」
少年はそう言うと、不意に腰を上げた。立ち上がると、かなりでかい。サングラスのせいであまり感情は読み取れないが、こちらを警戒した気配を感じる。
「いや、だから必要だからだって……」
内心で冷や汗をかきつつ、何とか笑顔を浮かべるが、少年に納得した様子はない。
「関係ねーっつの。《Ciel》が欲しいんだろ。そんなん、この辺じゃそこら中で売ってるし、欲しけりゃいくらでも手に入る。それ買ってとっとと渋谷に戻りゃいいじゃねーか」
(まずいな……警戒されたか……?)
実際、《Ciel》は街中のゴーストに溢れていて、今や売人ではないゴーストまで当たり前のように売買している。買い占めたり、それを転売して儲けたり。その為、深雪たちはこれまでもいくつかのゴーストギャングと接触してみたものの、なかなか肝心の売人の情報が得られずにいた。
おまけに、ストリートダストの少年たちはマリアの言う通り、警戒心や排他性が極端に強い。詳しい話を聞こうと思っても拒絶されてしまい、情報が集められないという状態が続いていた。
(どうする……? 見たところ、《火蜥蜴》の中には、俺たちにフランクな奴もいる。ここで粘るべきか、それとも……)
するとその瞬間、脇腹に凄まじい激痛が走った。深雪と腕を組んでいたパンダ目のギャル風少女が、《火蜥蜴》の少年たちからは見えないところで、深雪の脇腹をドスッと肘で小突いたのだ。あまりの痛さに、それが表情に出ないよう努めるのが精一杯だった。
(いっ……!? 神狼のやつ……‼)
深雪が涙目になり、内心で思い切り毒づいていると、少女はにこにこと笑顔を作り、肩から掛けたピンクのショルダーバッグの中から、ラメ装飾の施された財布を取り出す。
「ごめーん、気にしないで。はいこれ、五百円」
「あ、うん」
「ありがとね~! ……行こ」
「あ、ありがとう。それじゃ」
少女に促され、深雪も《火蜥蜴》のメンバーの前から立ち去ることにする。そして少女と腕を組んだまま、ギクシャクと歩き続け、人けの無いところを目指して移動した。
そうして、いくつめかの曲がり角を曲がった時だった。少女は深雪の腕を乱暴に振り払う。それと同時に、《ペルソナ》のアニムスを解き、黒のチャイナ服を纏った紅神狼の姿へと戻ったのだった。
「いつまで腕を組んでるンダ! 鬱陶シイ! いい加減、離れロ‼」
神狼は嫌悪を全開にし、深雪と組んでいた方の腕を汚らわしそうに払う仕草をして、悪態をつく。突き飛ばされた弾みでウイッグの取れかかった深雪は、それが落ちないように頭を押さえつつ、渋面を作った。深雪とて、好んで神狼と腕を組んで歩いていたわけではない。あまりにも一方的な言い草に、思わず怒声を上げた。
「何だよ、カップルっていう設定でいくって言ったのは神狼だろ!」
「それが一番、無理がナイ。お前が失敗した時の誤魔化し(フォロー)も効くしナ」
「どこが誤魔化し(フォロー)だよ? 単に肘鉄食らわしただけだろ!」
「うるさイ、さっそくドジ踏みやがっテ……疑われるところだったじゃねえカ!」
痛いところをぐさりと突かれ、深雪は、うぐっと言葉を呑む。
「し、仕方ないじゃないか、こういうの初めてなんだから! それに、確かにちょっと怪しくはあったけど……でも、押し切ったらどうにかなったかもしれないし……!」
「黙ってろ、役立たズ!」
「んなっ……!?」
「素人は黙って従っていればいいンダ。さっさと次に行くゾ!」
目を白黒させる深雪に冷ややかな視線を浴びせると、神狼はくるりと踵を返した。深雪は何も言い返せないことを恨めしく思いながら、その背中を見つめる。
「くっそー……!」
(まあ、確かに俺は、こういう聞き込みに関しちゃ素人だけど……だからってそういう言い方は、何か腹立つぞ!)
手取り足取りノウハウを教えろとは言わないが、もう少し長い目で見てくれてもいいいのではないか。慣れない変装に四苦八苦し、それでも情報を聞き出そうと努めているのだから、細かいところは大目に見て欲しい。
(こんな調子で情報収集を始めて三日……神狼の言う通り、情報がなかなか集まらないというのも事実だけど……)
一方の神狼は、瞳孔の縁を赤く光らせると、再び《ペルソナ》のアニムスを発動させ、先ほどのギャル風少女の姿になる。そして、心底嫌だという表情で、こちらにぬっと手を差し出してくる。
どうやら、情報収集はこのまま続行らしい。ただ、愛嬌のある少女の姿だと、神狼の憎々しさが若干中和されるので、それだけが救いだ。
渋々、気を取り直した深雪は、少女に姿を変えた神狼と共に、他にもいくつかのグループに同様の話を持ち掛けてみた。いずれも他人行儀だったり余所余所しかったりしたが、軽い世間話になら答えてくれた。
「《Ciel》? 人気あるよね。あたしらもやってるよー」
「《Caelum》や《Paradiso》はヤバいって噂も聞くけど、《Ciel》はそういうの、全然ないって言うもんな」
「ああ使ってるよ、ほら。ウチんとこのチームじゃアニムス抑制剤の代わりにしてるんだぜ。ウチらだけじゃない……みんなそうしてるし。なあ?」
「っつーかあ、今は《Ciel》がイケてんじゃね? まじヤバくね?」
「《Heaven》……? 何ソレ、知っらなーい」
彼らとの会話から察するに、《Ciel》は予想以上に幅広く拡散している。最早、どこが出どころなのかも、全く分からない状態だ。
流星やマリアの言っていた通り、《Caelum》や《Paradiso》など、似たような薬物も拡散している中で、《Ciel》は最も人気が高い。
安価だというだけでなく、何故か《Ciel》には、体にいいというイメージまで付着している。




