第10話 石蕗 麗②
「……それから、もう一つ。
これだけ大きな力だ。あまりパカパカ使わない方がいい。
アニムスはその殆どが、使用回数が多ければ多いほど所持するゴーストの寿命を縮めるという事が、最新の研究で判明している。強大な能力であれば、なおさらだ。あの能力も、使い過ぎれば必ずきみの体に対する負担は増すだろう。
特に、いまの段階で既に自己コントロールが効いていないんだ。これからできるようになるかどうかは、経過を見てみなければ分からないが……暴走する確率も高いと見ておいた方がいい。
きみは花凛を救ったけれど、この力を使いすぎれば、暴走するのは今度はきみの方だよ。そのことを肝に銘じな」
「……はい」
それは、深雪も薄々、感じていたことだった。
この《二番目の能力》は、おそらくいろいろな意味で深雪のキャパシティを超えた力なのだ。だからこそ、急性アニムス激化症候群を起こして倒れてしまった。
平時は使おうと思っても使えないというのも、そこに原因の一端があるのだろう。《ランドマイン》とは違い、好きな時に好きなだけ使える力ではない。
(この力に、安易に頼るのは危険だという事か……)
だが、花凛のように、この《二番目の能力》を必要としているゴーストは、他にも大勢いるだろう。日々、悪化するアニムスに苦しめられ、人であれば手に入れることのできた未来を、諦めざるを得ない――そういうゴーストは、きっとまだまだいる。
彼らをみな、アニムスの呪縛から解き放てるなどというおこがましいことは、考えていない。ただ、何だか途轍もなくもったいないような気がするのだ。解決する力はあるのに、それを必要な人に使うことができないだなんて。
すると、深雪の思考を読み取ったのか、石蕗はきっと怖い顔をして目を光らせた。
「今は余計なことを考えるんじゃないよ。言っとくけど、君だってそれなりに危険な領域に片足を突っ込んでいるんだ。他人の事にかまけている余裕はないんだよ?」
「わ……分かってます」
「まあ、うちは小さな病院だけど、いつでも力になるよ。何か困ったことがあったら、いつでも相談においで」
そういうと、石蕗はようやく眉間の力を抜いて破顔した。やっと解放されたような心地になり、深雪の表情も思わず緩む。
「ありがとうございます、いろいろしてもらって……。でも、その……石蕗さんは人間なんですよね? どうしてゴースト専門なんて……?」
深雪の知る限り、人間はゴーストを忌避するものだ。それなのに、どうして人間なのにゴーストだらけのこのような場所で、診療所を開いているのだろうか。それが少し気になっていたのだ。
すると石蕗は、少し躊躇するような間の後に、どこか寂寞とした空気を漂わせて言った。
「身内にゴーストがいてね。急性アニムス激化症候群で死んだたんだ。……ただそれだけ」
深雪は、しまった、と内心で激しく後悔した。
「……すみません、踏み込んだこと聞いて……」
「気にしなくていいよ。もう、十年近く前の事だからね。ゴーストって言ったって、人と何ら変わらない……少なくとも、あたしはそう思ってる。だから、放っておけないのさ」
そう言って、石蕗はニッと笑う。彼女はメイクが濃い目なので、一見するととても性格がきつそうだが、笑うととても目元が優しくなることに深雪は気づいた。
「ただ……そうは言っても、理想だけじゃやっていけないところもあるけどね。アニムス抑制剤はバカ高い上に、数が限られてる。ゴースト相手じゃ、外部で寄付を募ることもできないし、全ての命が平等に救えるわけじゃない。
最近、多いんだよ。花凛のように、劣化剤に手を出してここに運び込まれるゴーストの子供がさ。
ほら、《Ciel》とか《Caelum》なんて名前で流行ってるだろ? 危険性を説いて言う事を聞く子はまだいいんだけどね。安価なアニムス抑制剤と勘違いしている子も多いんだよ」
「……」
その話は、俊哉もしていた。高価なアニムス抑制剤を買う余裕がなく、渋々《Ciel》に手を出したのだと。
石蕗の話だと、どうやらそういったケースは、かなりの数に上りそうだった。《Ciel》が短期間で爆発的に広まったのも、そこに原因の一端があるのだろう。
「だからさ、この《監獄都市》が平和であることが一番なんだ。抗争がなけりゃ、それだけアニムスも使わずに済むし、怪我人も減る。病院の世話になる人間がぐんと減るだろ? その為にも、頑張ってくれよ。新人の《死刑執行人》さん!」
「は……はい、頑張ります……!」
石蕗に左の肩のあたりをバンと豪快に叩かれ、深雪は苦笑して答えたのだった。
(石蕗さん……か。男勝りだけど、良い人そうだな)
診療所を後にした深雪は、路上で雑居ビルの二階を見上げながら、そう思った。
彼女は、医療従事者らしからぬ格好をしているし、無愛想なところもあるので誤解しやすいが、実際はとても熱心で面倒見がいい。ゴーストを人間と分け隔てなく接するところも、代えがたい長所だ。だからこそ、流星たちも信頼を置いているのだろう。
そんな石蕗が、《第二の能力》を酷使し過ぎるなと忠告するのだから、その忠告には大人しく従っておくべきだろう。
(この力を使い過ぎれば、暴走するのは俺の方……か)
深雪は、自分の右手の掌を見つめた。既にそこには白光はなく、赤く変色した痣が残されているのみだ。
確かに、この《第二の能力》は頻繁に行使するには強すぎる力なのかもしれない。己の体力を考えても、乱用できないことはよく分かっている。
しかし、この力は深雪の希望でもあった。この世には確かに、ゴーストで在り続けるべきではない者が存在する。アニムスの使い方を間違っている者、その力を犯罪に利用することしか頭にない者、或いは、花凛のように望まずとも力を暴走させてしまう者。その理由は、様々だ。
また、そういった事情を抱えていなくとも、人間に戻りたいと思っているゴーストは、おそらく大勢いるだろう。そういった者たちには、きっと《第二の能力》のような力が必要なのだ。現に今日も花凛を救う事が出来た。
使い方さえ誤らなければ、確実に何かを変える力に成り得るのではないか。
(慎重に……けど判断は的確に、だ)
この力を使う事が、深雪にとって相当なリスクを伴うものであることは、嫌というほどよく理解している。リスクを恐れて、使うべき時に使わないのも問題だが、誰かのためといって乱発し、急性アニムス激化症候群を起こした挙句、深雪自身が《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》となっては、意味がない。
だから、判断は慎重にすべきだ。今はまだ、完全にコントロールしているとは言えない力だが、慣れればそのうち、もっと安定して使えるようになるかもしれない。今は少しずつ経験を積んでいく時だ。
(そういえば……石蕗さんが俺のことを《死刑執行人》だって言った時、最初の頃ほどの抵抗感はなかったな……)
東雲探偵事務所に在籍しているからと言って、この街の愚かな殺し合いに加わるつもりは、毛頭無い。この《第二の能力》をうまく使えば、必ずしも凶悪ゴーストを殺して排除、などという度を越した強硬手段に頼る必要は無いからだ。
勿論、《死刑執行人》はゴーストを殺す仕事だという事は分かっている。深雪一人がこの街の理に逆らったところで、すぐさま何かが変わるわけではないことも。
むしろ、一人だけ外れたことをしていたら、たちまちのうちに奈落やマリアらの不興を買ってしまうだろう。
だが、深雪の《第二の能力》も、ゴーストからアニムスを奪い、人間にしてしまうという点に於いて、ある意味ゴーストを『殺す』能力でもある。
(俺は……この力でゴーストを殺す。でも、命は絶対に 奪ったりしない!)
そういう《死刑執行人》が一人くらいいても、いいのではないか。
深雪は右手を力強く握りしめる。そして事務所に戻るため、茜色に染まり始めた路地裏を一歩一歩、しっかりとした足取りで歩き出した。
✜✜✜✜✜✜ ✜✜✜✜✜✜ ✜✜✜✜✜✜
その頃。
患者のいなくなった石蕗診療所の診察室は、しんとした無機質な静けさに包まれていた。
窓から差し込む黄昏は、白を基調とした室内を、いとも簡単に、鮮烈な緋色へと染め上げていく。その中で、パソコンのデスクトップがただ異質な光を放っている。
部屋の主である石蕗麗は、そのパソコンが置かれている医務机から離れると、窓際から下を見下ろした。診療所の入っている雑居ビルの前には細い路地が伸びており、先ほどまでこの診察室にいた少年の背中が見える。
石蕗麗はそれを見つめながら、板状のタブレットを取り出し、指で素早くそれを操作した。次にそのタブレットを耳に当てると、繋がった通信相手に淡々と報告事項を告げる。
その声音は先ほどの診察時とは打って変わって感情がなく、どこまでも冷淡で事務的だった。
「……こちら、斑鳩 夏紀。雨宮=シックスの固有アニムス、《レナトゥス》を目視で確認しました。測定値及び問診結果等の資料は後程メールで送ります。
……はい。はい、分かりました。引き続き、対象の観察を続行します」




