第5話 花凛と俊哉①
(周りの人の迷惑にならないように、いろいろ考えているんだな)
そのことから、花凛という娘が決して無責任にアニムスを暴走させ、暴れ回っているわけではないという事が窺えた。
一方で、こんなところに隠れ込まねばならないほど、彼女が追い詰められているのだという事も事実だろう。これ以上悪くなる前に、急がねばならない。
「大事にならねば良いのですが……」
オリヴィエは、花凛ことがよほど気がかりなのだろう。先ほどから声をかけてもどこか上の空で、返事は返ってくるものの、心ここにあらずといった様子だ。あまりに心を痛めているので、流星がそれとなく宥めているが、あまり効果はなさそうだった。
やがて複合施設の正面に近づくと、ガラスがごっそり割れ堕ちたエントランスに十五、六ほどの少年が佇んでいるのが見えた。厚手のGジャンに黒のデニムで、足元には白のスニーカー。若者らしいファッションに身を包んだ少年は、壁際に身を寄せ、施設内部をちらちらと心配そうに見つめている。
一体誰だろうと深雪が首を傾げていると、少年がこちらに気づいた。そしてオリヴィエの姿を目にすると、安堵した表情で駆け寄ってきた。
「神父様! それに……赤神さん?」
少年は流星のことも知っているのだろう。少しだけ意外な素振りを見せたが、すぐに笑顔に戻り、ぺこりと折り目正しくお辞儀をした。その顔は安堵から来る喜びで綻び、笑顔さえ浮かべている。先ほどまでの緊張と不安で押しつぶされそうな様子とは対照的だ。
ところが、だった。
次にその視線が深雪へととまった途端、少年の眉間に険が籠った。
「この人……誰」
声にも明らかな不審が滲んでいる。オリヴィエも少年の如実な変化に気づいたのだろう。殊更に笑顔を作り、深雪を少年へと紹介する。
「彼は、同じ探偵事務所の深雪ですよ、俊弥。今回、手伝ってくれることになりました。深雪、俊弥も花凛と同じく、孤児院育ちの子供……ゴーストです。二人はちょうど同じ時期に孤児院に入ったこともあって、とても仲が良いのですよ」
「どうも……」
「よろしく」
互いに会釈を交わしたが、少年の表情は強張ったままだ。俊弥は見慣れぬ深雪の姿に、かなり警戒している様子だった。俊弥は深雪のことを、流星のような頼もしい助っ人だとは露ほども思っていない。おそらく、何故こんな野次馬もどきが、などと腹を立てているのだろう。それがありありと顔に出ている。
深雪もそこは気になったが、しかしだからと言って、誤解を解き、悠長に親交を深めている時間はないようだった。流星とオリヴィエはさっそく本題に入る。
「花凛はこの中ですか?」
「うん……もう、殆ど自制が効かないみたいだ。俺が呼び掛けても、アニムスを抑えることができないみたいで、近づくこともできないんだ」
俊哉は泣き出しそうなほど表情を崩してそう答えた。唇を噛み、両手のこぶしを握り締めて俯いている。彼が花凛と仲が良いというのは本当なのだろう。その姿からは、花凛を案じていると共に、彼女を救い出せない自分に対する怒りと失望が見て取れた。
「急いだほうがいいな……俺とオリヴィエでターゲットを押さえこむ。お前は俊弥を守れ」
早速、指示を飛ばす流星に、深雪は「……分かった」と返事をした。オリヴィエもそれに異論はないようだ。
「暴走したゴーストが相手だ。何が起こるか誰にも分からない。気を引き締めていくぞ」
「了解です。慎重に行きましょう」
その場にいる全員が、互いに顔を見合わせ、頷き合った。
四人は、ぽっかりと口を開けているビルのエントランスを抜け、崩壊寸前のビルの中へと足を踏み入れる。最初は真っ暗で戸惑ったが、やがてすぐに目が暗闇に慣れてきた。
娯楽施設の中は、外から見た以上に荒れ果てていた。
元はさまざまな娯楽施設が入った複合型の施設だったのだろう、あちこちで崩壊しかかったアーケードゲーム機やフードコートのカラフルでポップな看板など、それらの痕跡が見られたが、いずれも瓦礫と共に埋没してしまっていた。
それらの瓦礫は、深雪の胸元まで積み上がり、おまけに至る所で天井板が崩落しかかっているので、入り込むことすらできない。
ただ、瓦礫が少ない箇所もあり、辛うじてそこを通り抜けることができる。
(まるで瓦礫でできた巨大迷路みたいだな……)
その巨大迷路を何とか抜けると、突如として日の光が差し込んでいるのが見えた。どうやらそこがビルの最奥で、壁と天井の一部が崩落し、穴が開いているらしい。儚げな光が斜めになって差し込んでいる。
さらに近づいてみると、そこは大きな瓦礫が少なく、学校の体育館ほどの広々とした空間が広がっていた。
「ここは……もしかして、ボウリング場か?」
流星はそう呟いた。確かに床には一面、細かな瓦礫で埋まっているが、その隙間から木製のボウリングレーンやピンセッターが顔を覗かせているので、そうだと分かる。
他にも埃を被ったボウリングの玉や白いピン、スコアを表示するための液晶テレビの残骸などが、あちこち無造作に散乱している。
ただ、小さな塵芥がレーンの凹凸をうまく埋めてくれているので、足場は悪くなさそうだ。
ニ十本以上はあろうかというレーンの中央には、何か鉄クズのようなものが固まって、小さな山を作っていた。大きさはちょうど、引っ越しなどに使う段ボールを四、五個ほど積み上げたくらいだろうか。
全体的に黒ずんでいるのも道理で、ネジ、ワイヤー、鉄板などといったボウリング場の廃材が塊になっているのだ。
(あれ? でもあれって……)
しかし深雪は、その鉄くずの塊を見ているうちに、いくつかの違和感に気づいた。一つは、廃材が放射状に集まり、固まっているという事だ。
見たところ、棒状や板状の細長い廃材が多いが、一つ一つの鉄くずが水平に積みあがって山になっているのではない。山の真ん中に核があり、それを中心として鉄くずが四方八方に広がって逆立っているように見える。
まるで巨大なウニかハリネズミのようだ。
自然現象で、こういう風に鉄くずが積みあがるものだろうか。訝しんでいると、俊弥はその塊に向かってゆっくりと歩み寄っていく、そして、強張った表情で声をかけた。
「花凛……聞こえるか!?」
「え……あれが?」
深雪は驚き、改めて鉄くずの塊を凝視する。
すると巨大な灰色のいがぐりが、まるで生物のようにびくりと動いた。そして、その奥から、十代の少女の者と思しき、澄んだ声音が聞こえてくる。
「と……トシ、ヤ……?」
丸まったハリネズミは、俊哉を探し求めるかのようにゆっくりと向きを変えた。それがもぞもぞと動くたび、全身を覆う針のような廃材が、ざわざわと大きく揺れる。
廃材が異常な密度で密集しているせいで、花凛の姿を見ることはできない。ただ、そのハリネズミがおぼろげながらも人型をし、腹這いになって蹲っているのが窺える。
オリヴィエはそれを目にして息を呑み、次いで沈痛な面持ちになって呟いた。
「花凛のアニムスは《マグネティク・フィールド》と言います」
「成る程、磁場形成……ってワケか」
流星も緊張感を滲ませて唸る。
見ると、ライダースーツ風のジャケットに取り付けられた金具が、花凛の《マグネティク・フィールド》に影響されてか、激しく反応している。深雪のパーカーについている金具も、同じように宙に浮き、まるで磁石を近づけたかのように、がちゃがちゃと激しく揺れる。
おそらく花凛のアニムスが作り出した磁場によって、このボウリング場にある細かな金属製の部品が全て彼女にくっついてしまったのだろう。
「花凛!……花凛‼」
俊弥が呼びかけながら、慎重に尚も花凛へと近づいてく。
「俊……弥……!」
灰色のハリネズミが一際激しく身震いし、その中から花凛の声が再び聞こえてきたが、心なしかその声は先ほどよりも震えを帯び、切迫しているような気がした。俊哉は慌てて彼女を励ます。
「だ、大丈夫だから! 神父様が来てくれたからな! すぐに、良くなるから‼」
「こ、来ないで……誰も、来ないで……!」
怯えきった花凛の声。俊哉の声は聞こえているようだが、言葉の内容は一切、伝わっていないかのようだ。オリヴィエは眉を顰め、自らも彼女に向かって呼び掛けた。
「花凛、聞こえますか?」
「……来ないで‼」――今度は、はっきりとした拒絶の声。相手がオリヴィエだと認識することができないのだろうか。いや、オリヴィエだけでなく、今の彼女にとって俊哉以外の人間はみな、警戒すべき『敵』なのだろう。
「確かに、えらく精神的に不安定になってるな……」
と、流星も危機感を募らせる。
(大丈夫かな……? この状態で刺激するのは、かえって危ないんじゃ……?)
深雪がそう危惧を抱くほど、花凛という少女の声には混乱し、切羽詰まった響きがあった。まるで、限界まで膨張し、今にも破裂しそうなゴム風船のようだ。何が刺激となり、それが弾けてしまうか分からない。そしてもしそうなったら、当の花凛だけでなく、救出しようとしている流星やオリヴィエ、深雪たちも深刻な負傷を追う可能性がある。
(だからって、このまま放っておくわけにもいかないけど)
流星も同様に判断したのだろう。瞳孔の淵を赤く光りせると、《レギオン》を呼び出した。すると瞬時に、音も無く、二体の黒い兵隊が現れる。ガスマスクのような、不気味な仮面をかぶった、漆黒の巨躯。
「オリヴィエ、まずは俺とお前のアニムスで彼女に接近するぞ」
「分かりました」
流星はオリヴィエと互いに目配せし合うと、次に深雪と俊哉に視線を向けた。
「深雪と俊弥は離れてろ。いいな?」
「分かった」
「気を付けて!」
深雪と俊哉がそれぞれ返事をして後退したのを確認し、流星とオリヴィエは、ほぼ同時に動き出した。
「……行け」
流星の命令を受け、二体の《レギオン》は従順な猟犬の如く動き出す。やはり、物音はしない。まるで、影法師が実態をもって動いているかのようだ。
そして、難なく蹲った花凛の傍へと近づいて行った。
《レギオン》の一体が、廃材だらけの花凛の体に触れようと手を伸ばす。ところが、その指先が鉄くずの一つと接触した瞬間、花凛は激しく動揺し、暴れ始めた。
「いやっ……いやあ! 来ないで! ――触らないで‼」
悲鳴じみた叫び声と共に、花凛の体をびっしりと覆っていた鉄くずが、ふわりと宙に浮いた。その弾みで、花凛の華奢な体が初めて廃材の下から覗く。
明るいカーキ色のダウンジャケットに、真っ青のデニムのパンツ、黒いニット帽を被っている。ただ、両手で顔を覆ってうずくまっているため、表情は分からない。
(あれが、花凛……?)
格好といい、年齢は俊哉と同じくらいか。思っていたよりずっと小柄なその姿に、深雪は内心で動揺を覚えた。あんなに小さい子だなんて。何かあったら、ひとたまりも無いではないか。
しかし、そうする間もなく、新たな変化が起きた。花凛を覆っていた鉄くず――今は宙に浮かんだそれが、一斉に放射状に散っていったのだ。
おまけに、まるで弾丸のような凄まじい勢いで、廃材のうちのいくつかは、床や壁、天井に勢いよく突き刺さるほどだった。
それらに体を貫かれ、《レギオン》の黒い体にも大小の穴が無数に開いた。そうなってしまうと、実態を保っているのが難しくなるのだろう。《レギオン》は次の瞬間、散り散りになって霧散し、消滅してしまった。
それを目にしたせいか、もう一体の《レギオン》は後退し、花凛と距離を取る。
「磁場が逆転した……!?」
流星とオリヴィエは、花凛へと向けていた足を止め、息を呑んだ。
どうやら花凛の《マグネティク・フィールド》は、S極とN極を自在に操れるようだ。平常であれば花凛もそれをうまくコントロールすることができるのだろう。だが、今の彼女はひどく取り乱し、混乱している。これではいつ磁場が逆転するのか分からない。
そんな状態で近づくのはあまりにも危険すぎる。
接近を躊躇する流星らの前で、花凛は両手の中に埋めていた顔を上げ、こちらを見た。まだ幼さを残した瞳が、ボウリング場にいる面々を見渡す。俊哉の姿を探しているのだろうか。
せめてオリヴィエの存在に気づいてくれと深雪は願ったが、それは叶わなかった。
花凛の瞳全体が、不吉なほどの赤い光を発したのだ。
「来ないで……! みんな……みんな、消えちゃえぇぇッ‼」
花凛から剥がれた鉄くずは一トントラック一杯分ほどもある。それが群れを成し、凶器となって見境なく周囲に襲い掛かる。
「か……花凛!」
「危ない!」
あんなものが直撃したら、流星の《レギオン》と同じく穴だらけになってしまう。深雪は茫然と突っ立っている俊弥を突き飛ばした。地面に転がった二人の上空を、鉄くずの群れが掠めるようにして飛び去っていく。さらに後続の金属片が深雪たちを襲う。
深雪は咄嗟に地面に落ちていたボルトを拾い上げ、反射的に襲い来る金属片に向かって投げつけた。同時に《ランドマイン》を発動させると、小さな爆発が起こり、鉄くずは粉々になった。
「す、すげえ……」
俊弥は驚きと戸惑いが入り混じった、複雑そうな顔で深雪を見る。まさか深雪がその様なアニムスを持っているとは思いもしなかったのだろう。思わず感嘆が漏れた、そういう様子だった。
辛うじて、廃材の群れから逃れられた深雪と俊哉だったが、《ランドマイン》で爆発し損ない、残った金属片の塊も多数残って宙に漂っている。それらは空中で旋回すると、今度はオリヴィエと赤神へと牙を剥いた。磁場を操ることのできる花凛は、それを使って自在に鉄くずの集合体を動かすことができるらしい。
「流星……下がってください!」
オリヴィエはそう叫ぶとともに、右手に嵌めていた白い手袋を外す。その下には血の滲んだ包帯が掌を包んでいた。その包帯もはらりと地に落ちると、オリヴィエの右手の甲が露わになる。
そこには黒い十字の痣がくっきりと刻まれていた。傷口は痛々しく盛り上がり、昨日今日できた傷ではないことが分かる。
(いつも白い手袋をしていると思ったけど、あの傷を隠すためだったのか)
その、右手の十字型をした『聖痕』から血の塊が浮き上がり、宙に浮く。それが瞬く間に、ビニールシートの様に薄く広がると、半球体になって、オリヴィエと後退してきた流星を包む。
寸暇の差で、鉄くずの群れが直撃。深雪は、あっと思っだが、オリヴィエの作りだしたドーム状の血の膜は、その衝撃に見事に耐えてみせた。
「あれは……?」
「神父様のアニムス、《スティグマ》だ!」
俊弥の言葉は自分の事であるかのように誇らしげだ。よほど、オリヴィエに信頼を寄せているのだろう。
(オリヴィエのアニムスは、自らの血を自由自在に操ることができる力だって事か。変形型のアニムスの一種だろうな。用途が広そうだ)
深雪がそんな風に分析している間にも、流星とオリヴィエの二人は攻勢へ転じていた。オリヴィエが花凛の放った鉄くずの弾丸を防いでいる間に、流星は残った方の《レギオン》に命令を下す。
「行け、押さえろ!」
《レギオン》は音も無く動き出す。だが、黒の傀儡は、今度は花凛に真っ直ぐ向かわず、大きく横に迂回する動きを見せた。どうやら花凛の感情を刺激しないように、死角である背後から回り込むつもりらしい。
だが、花凛はそれを見逃さなかった。焦点の定まっていない瞳が、ギラリと狂暴な光を放つ。
「来ないでって……言ってるでしょ!?!?」
花凛の瞳孔が赤く光ると同時に、再び磁場が逆転した。金属片の群れが一斉に花凛の方へと戻って行く。
《レギオン》は再び穴だらけになり、霧となって消滅してしまった。それだけならまだ良かったのだが、花凛は既に《マグネティク・フィールド》の調整がうまく出来なくなっているらしく、花凛自身の身体も鉄くずによって激しく傷ついてしまう。
「ウウ……あああああああああっ‼」
花凛は悲鳴を上げ、激しく身を捩らせた。しかし、全身にくっついてしまった金属片は簡単には剥がれない。花凛がのた打ち回るほど、その鋭利な先端は彼女を傷つけていく。オリヴィエはそれを目にし、蒼白になった。
「花凛、落ち着きなさい! このままでは、あなたの体がボロボロになってしまう!」
必死でそう花凛に呼び掛けるが、やはり先ほどと同じように、彼女に呼び掛けが聞こえている気配はない。花凛は体をくの字に折り曲げたまま、激しい呼吸を繰り返している。
彼女が荒々しく息を吸う度、ひゅうひゅうという鋭い呼吸音がし、彼女を埋め尽くすかのような鉄くずの塊が身悶えするように上下する。表情こそ見えないものの、異常に興奮した状態であるのが、その姿から見て取れる。
(俺がこの間ぶっ倒れた時も、急性アニムス症候群って言われたけど……花凛の症状はそれともちょっと違うみたいだ。より悪化してるっていうか……)
深雪は花凛のことはよく知らないが、それでも彼女がかなり精神的に追い詰められていることは分かる。自分も、もし悪化していたなら、彼女のようになっていたのだろうか。
いや、深雪だけでなく、ゴースト全てに花凛のようになる可能性があるのだ。そう思うと、心中穏やかではない。
アニムスの不安定化は、決してあり得ない話でもなければ、他人事でもない。だからこそ、一刻も早く、花凛を何とかしてあげたいとも思う。
「でも……何であんなになるまで放置していたんだ? 薬があるんだったら、もっと早くに投与すれば……」




