第4話 初めての出動
途中でぶつんと途切れた轍の後だけ見せられて、車輪がどこへ行ったか言い当てろと言われても、どだい無理な話だ。深雪にはテレパシー能力などないし、読心術も心得ているわけではない。
しかも、深雪が聞かされたのは、笑顔がどうこうという、個人の好みとしか言いようのない話なのだ。
すると、深雪の言葉で本題を思い出したのか、オリヴィエが悲しげに表情を曇らせた。
「深雪……ゴーストの子どもたちは己の力を持てあまし、暴走をしてしまう事がある……先日、孤児院でそう説明したことを覚えていますか?」
「え……うん」
確かに深雪は以前、オリヴィエに招かれて孤児院を訪れたことがある。そこで知ったことの一つは、ゴーストの子どもの中にはアニムスを暴発せてしまい、それによって家族と離れ離れになってしまう者も珍しくないのだという事だ。
子供には悪気などない。故意にアニムスを暴発させているわけでもない。だがそれでも、対処をしないわけにはいかないのだ。それほど、アニムスの暴発は危険を伴うものだから。
我が子のアニムスが暴発するのを目にし、強いショックを受けた両親が、悩んだ末に子供との別離を選択したとても、それを責めることなどできないのですよ――オリヴィエはそう言っていた。
確かに誰が悪いというわけでもないのかもしれない。けれど、一度暴発が起こってしまったら、大勢の人がたくさんのものを失うのも事実だ。
そして、最も多くのものを失うのは、おそらくゴースト本人なのだ。
アニムスが安定しているか否か。それは孤児院の子供だけでなく、ゴースト全てにとって、望んだ生活が得られるかどうかの重要な分岐点でもある。
オリヴィエの説明は続く。
「――実は、うちの孤児院で育った子供が、アニムスの暴走を引き起こしているようなのです。彼女は花凛という名前なのですが、今は孤児院を出ていて、自立し、働いています」
「……大丈夫なのかな」
深雪はつい、そう呟いた。オリヴィエの様子だと、その花凛という子が起こしているアニムスの暴走は、決して楽観できない状況なのだろう。日々悪化するアニムスに対する不安や周囲との軋轢を抱え、悩んでいるのではないかと、そう思ったのだ。
すると案の定、オリヴィエは更に表情を曇らせた。
「それが……最初はうまくいっていたようなのです。ところが、アニムスの具合が悪化した頃から、職場でもめることも増えてしまったみたいで……。彼女のアニムスはずっと安定していて、今までこの様な事は無かったのですが……」
「加齢と共にアニムスが不安定になる奴もいるからな……」
流星も、どこかやりきれなさを滲ませる。
深雪もその話は聞いたことがあった。ゴーストのアニムスは、年齢を重ねる過程で変化が起きる。徐々にその力が弱まっていく者も中にはいるが、逆に強大化し、不安定になる者も多い。特に、強力なアニムスを保持するゴーストにその傾向が強く、暴走を引き起こした場合、どうしても深刻化してしまうのだという。
「対処法は? 何かあるの?」
深雪が尋ねると、流星は「もちろん、あるにはある」と答える。
「ゴーストの中には、その強すぎるアニムスの為に心身を病んだり暴走したりする者もいる。子供や大人、性別を問わずな。だから、強すぎるアニムスを抑制し、ゴーストの心身の安定を図るための薬っていうのもある。それがいわゆるアニムス抑制剤だ」
「……これです」
オリヴィエが金属製のペンケースのようなものを取り出す。蓋を開くと、鉛筆のような細いスティック状の注射器が四本並んでいた。透明な注射筒の中には青みがかった液体が満たされている。
(これ、奈落が俺に使ったっていう……)
深雪も一時的にアニムスの暴走を起こしたことがある。その時は奈落がこのアニムス抑制剤を投与してくれたおかげで、大事に至らずに済んだらしい。
深雪はその話を石蕗麗という医師から聞かされていた。
二十年前にも、既にゴースト治療と呼ばれるものは存在していたが、その頃は研究が開始されたばかりの段階で、この手の薬はまだ無かった。深雪が冷凍睡眠に入っている間に、それらの研究はかなり進んでいたらしい。
深雪にとっては一年足らずの出来事でも、確かに現実では二十年が経っているのだという事を、こういう所でも実感させられる。
「その花凛って子、どうするの?」
話を聞いている限り、彼女はのっぴきならない状況に置かれているのだろう。本人が弱っているというだけでなく、既にアニムスの暴走が周囲を巻き込むレベルまで進行しているのだ。だからこそ、流星たちもこれほど懸念しているのだろう。
「私情だと分かってはいるのですが、何とか助けてやりたいと私は思っています」
「そうだな。その子はゴーストとはいえ、ただの一般人だし、《リスト登録》するような犯罪者でもない。尚更早いとこ助けてやんねえとな」
オリヴィエと流星はそれぞれそう答えた。二人は花凛を困窮した状態から救い出したいと考えているのだろう。
「つまり、花凛って子にそのアニムス抑制剤って薬を投与すればいいんだよね?」
「ええ。ただ、花凛は不安定なアニムスのせいで、精神的にもひどく混乱しているようなのです。ですから、奈落にはいつもの如く凶悪な空気を全開にして余計な刺激を与えないで欲しいと頼んだのですが……」
オリヴィエは恨みがましい視線を奈落に向けるが、奈落は何食わぬ顔でそれをばっさり斬り捨てる。
「殺しでない仕事に興味は無え。おまけに、事務所に来た依頼でも無えしな」
「だから、報酬なら私が払うと、さっきから何度も言っているでしょう!」
オリヴィエが尚も声を荒げると、奈落はいっそ惚れ惚れするほどの悪人面で、にやりと笑ってみせる。
「そういう話じゃねーんだよ、お嬢さん」
「お、お嬢……!? いえ、だったらどういう話だというのですか‼」
「いいよ、俺、やるよ」
口論を再開させかけた奈落とオリヴィエの会話に、深雪は突如として割り込んだ。
深雪がその様なことを言い出すとは思っていなかったのだろう。流星とオリヴィエは、驚いたように口をつぐみ、深雪へと視線を向ける。
「深雪、お前……」
「替わりが務まるかどうかは分からないけど……奈落は自分が手を出すのが嫌っていうより、俺に担当させたいんだろ。だったら、俺やるよ。……何をすればいい?」
奈落がこの仕事を面倒だと感じているのは確かのなのだろう。確かに、暴走状態にあるゴーストを救い出すのは、根気と細やかな気配りが必要だ。奈落はそのどちらも長けているようには見えない。でも、たとえいくら面倒だったとしても、信用ならない相手に仕事を回したりは決してしないだろう。
(少しは認めてくれたのかな、俺のこと)
もしそうであるなら、それに応えて見せたい。役に立つのだという事を証明したい。
「しかし、あなたにも危険が……」
オリヴィエは深雪が関わることに難色を示したが、流星は早々に思考を切り替えたようだった。
「よし……分かった。深雪、お前やってみるか?」
「……‼ うん!」
「流星まで……!?」
深雪の同行を許す流星と、それに力強く返事をする深雪に、一人話の展開について行けず、オリヴィエは困惑の色を深める。
「決まりだな」そう言うや否や、奈落までさっさと事務所を出て行ってしまった。
「ああ、ちょっと!」
非難交じりの声で奈落を呼び止めようとするオリヴィエだったが、流星がその肩を叩き、宥めたのだった。
「まあ落ち着けって、オリヴィエ。奈落のアニムス、《ジ・アビス》は、良くも悪くも強力過ぎる。深雪の《ランドマイン》の方が、いろいろと小回りが効くだろ。こいつの経験不足は、俺たちがカバーしてやりゃあいい。……それに何より、本人がやる気になってんだ。折角だから、やらせてみりゃいいじゃねーか。な、深雪ちゃん?」
流星は飄々とした口調でそう言うと、深雪に向かってウインクする。
「もう……最後のは余計だって!」
仕事を任せてくれるのは素直に嬉しい。でもいい加減、「ちゃん」づけはやめて欲しいと、唇を尖らせる深雪だった。
オリヴィエはそんな深雪を心配と不安の入り混じった眼で見つめていたが、流星の提案を聞いてようやく思い直したようだった。
「そうですね……確かに深雪なら誰かさんと違って、きっと花凛を傷つけるようなこともないでしょうし……ね。でも……いいですか深雪? 危険を感じたら無理をせず、すぐに私か流星を頼るのですよ? 決して自分一人の力で何とかしようなどとは思ってはなりません。皆で協力していけば、どんな困難でも道はきっと開けます」
慈愛の塊のような金髪の神父は、まるで母親か学校の先生のように、懇懇と注意事項を並べ立てる。深雪は子供ではないし、オリヴィエの話の内容は、わざわざ言われずともそれなりに分かっているつもりだ。
「心配し過ぎだよ、オリヴィエ……」
呆れて答えると、「まるで保護者だな」と言って、流星もおかしそうに笑う。
「俺ってそんなに頼りない? そういう扱いされると、かなりヘコむんだけど……」
オリヴィエが深雪のことを心配するのは、裏を返せばそれだけ信頼していないという事でもある。任せるのが不安だから、つい説教してしまうのだろう。深雪としては、心配してくれる気持ちはありがたいものの、やはりどこか面白くないと思ってしまう。
奈落ほど乱暴でなくともいいから、少しはこちらの事も信じて欲しい。
ところがオリヴィエは、すっかり迷える子羊たちに説教をする神父の表情になって言ったのだった。
「元気を出してください、深雪。人はみな、そうやって成長してゆくのです」
深雪は家を追い出された猫のように、ひどく悲しい顔になるのを堪えることができなかった。一方の流星は、とうとう、ぶっと吹き出すと、そのまま腹を抱えて大爆笑し始める。
「流星、笑いすぎ」
半眼で突っこむが、よほどツボに嵌ったのか、流星はなかなか笑うのをやめない。
「うはは、悪い、悪い! まあとにかく、そうと決まれば現場に直行するぞ!」
そう言うと、流星は事務所を出て行ってしまう。深雪はかなりの仏頂面で、それを追ったのだった。
流星にしろ、オリヴィエにしろ、深雪には優しい。奈落のように容赦なく殴ることもなければ、神狼のように睨んだり無視をしたりすることもない。だが、優しくしてくれるからと言って認めてくれているかというと、それは別問題なのだ。
それが嫌なら、自分の力で認めさせるしかない。今回、初めて実務を任された。緊張するが、同時に深雪にとってチャンスでもある。
そう意気込む深雪だったが、事務所から数歩出たところで、不意に右の掌に熱を感じた。深雪は立ち止まって、右手を開いた。すると、掌を中心として、ぼんやりと白い光が滲んでいる。
(あ、また光ってる)
深雪の右手には、掌を中心として、放射状に赤い痣のような筋が走っている。その筋は手首や肘、二の腕を走り、肩まで伸びている。それは普段はただの痣だが、時おりこうやって光を発することがあるのだ。
それが何故なのか、どういう意味があるのか深雪自身もよく知らない。ただ一つ分かっているのは、二十年前、《冷凍睡眠(コールド=スリープ)》に入った時には、少なくともそういった現象は見られなかったという事だ。
(でも、この光のせいなのか、俺は《ランドマイン》以外にも、もう一つアニムスが使えるようになったんだ)
ゴーストを人に戻す作用のある、そのアニムスは、非常に稀少度の高いものなのではないかと深雪は思っている。実際、ゴーストが人間に戻ったなどという話は、これまで一度も聞いたことがないし、そういった技術が開発されたという話も聞かない。
それができるのは、下手をすると世界中で深雪だけかもしれないのではないか。
そう考えると、このアニムスは誰かを攻撃したり、命を奪ったりはしないが、強力な力であることに違いはないだろう。それ故、使用するには十分慎重にならなければならない。何せ、ゴーストを人にしてしまうのだ。人がゴーストになる時と同じかそれ以上の衝撃と変化を、相手に与えてしまうに違いないのだから。
(そういえば、今はもう、あんま痛くないな)
この能力が顕現し始めた頃、たびたび頭部や右手に激痛が走って、随分、苦しめさせられた。でも今は、痛みの方はかなり落ち着いてきている。痣が腕に馴染んできたからだろうか。それとも、これまで二度ほど能力を使ったことで、体の方が慣れてきたのか。
(もしかしたら……これから向かう仕事の中で、この力を使うことがあるかもな……)
アニムスの暴走を引き起こしている花凛に、仮に何らかの理由でアニムス抑制剤を打つことができなくなってしまったら、彼女を人に戻すというのもありなのかもしれない。もっとも、花凛がそれを良しとするかどうかは分からない。彼女の意志も勿論、尊重し、汲み取っていかなければならないが。
(でも、この二番目の力って、発現のタイミングが、いまいち掴めないんだよな)
以前、二回ほど発動させた時はどちらも、深雪は胸の奥底から噴出するほどの強い感情に支配されていた。怒りや悲しみ、或いは憤り。そういった体を掻きむしるほどの情動を感じた時、自ずと右手に光は宿る。
だが、そうでない時――普通に生活している時は、深雪がどれだけ望んでも光が掌に現れないという事も多い。深雪自身、その辺のコントロールが感覚として、まだしっかりと掴めていない。使いたい時、使うべきだと思った時に、うまく発動するという確証がまだ無いのだ。
(あまり……この力に頼りきりにならないようにしよう)
深雪はそして、右手をぎゅっと握りしめた。
この力は大きな可能性を秘めているが、同時にどこか恐ろしくもあった。ゴーストを人に戻すという事は、ライオンを猫にしてしまうようなものだ。一人の人間の意志で、人の存在そのものを変えてしまう行為が、果たして正しいと言えるのだろうか。
坂本一空に使い、彼を人にしたのは間違っていなかったと思う。だが、鵜久森命は、自分が人に戻ったという事実に耐え兼ね、自ら死を選んでしまった。
それを考えると、やはり軽々しく使うのは控えた方がいい。
「深雪、どうかしましたか?」
背後からオリヴィエが声をかけてきた。
「あ、うん。何でもないよ、ごめん」
深雪はそう答え、握りしめた右手を、そのままさりげない仕草で下に下ろした。オリヴィエは深雪の右手を見つめ、何か言いたそうに口を開きかけたが、結局「急ぎましょう」とだけ言うと、流星の後を追って歩き出した。
(オリヴィエは……事務所のみんなは、俺の右手の事を知ってるのかな)
深雪は第二の力のことを誰かに相談したことはない。何となくだが、自分の二番目の能力のことは、あまり人に知られない方がいいのではないかという気がするのだ。でも今のオリヴィエの反応から察するに、深雪の思惑とは別に、既に誰かから聞いて知っているようでもあった。
〈事務所のみんなには、俺が自分でちゃんと説明しておいた方がいいのかもな……〉
深雪としても、何がなんでも隠し通したいというわけではない。余計なトラブルに発展する前に、きちんと情報を共有しておいた方がいいという考え方もある。
この仕事が終わったら、考えてみよう――と、深雪は心の中でそう思ったのだった。
深雪が流星やオリヴィエと共に向かったのは、もともと複合型の娯楽施設だったビルの前だった。
ただ、ビルといっても外観は殆ど崩れかかっていいて、特に二階より上の部分は、窓から廃材が溢れ出しているのが見え、人が足を踏み入れる事すらできそうにない。
一階も入口の自動ドア付近は巨大ガラスでできているが、今や粉々に砕けて床に散乱している。中はどうなっているのか、外からは真っ暗で何も見えない。見るも無残な、寒々しい闇が入口を塞いでいる。
もっとも、周囲にあるビルの状態はそれよりさらにひどく、既に建物としての体裁を保っていない。ぐずぐずのコンクリの塊が、あちこちで山を作っている。
錆びて今にも崩れ落ちそうな鉄骨や、黄褐色に変色した廃材を見るに、このような状態になって既に長い年月が経っているのだろう。それよりさらに下に覗いているアスファルトやコンクリは、幾筋も割れ目が入り、その間から雑草が生い茂っている。
そんなだったから、眼前に立つ複合施設は、箱型を保っているだけまだましで、むしろ奇跡的だとさえ言えた。
《監獄都市》である《東京》の街中は、今や殆どがこういった廃墟と化しているので、もはや深雪もいちいち驚いたり、ショックを受けたりすることはない。
「……ここにその花凛って子がいるの?」
今のところ、外から見る分には複合施設に異常は感じられない。花凛という名のゴーストは、施設の内部にいるのだろうか。オリヴィエに尋ねると、懸念を滲ませつつ、それを肯定した。
「ええ。もう既にかなり症状が深刻で、アニムスの制御ができず、周囲に悪影響を及ぼしていると聞きました。ですから、こういった人けの無いところを選んだのでしょう」
確かにこの複合施設は、それ自体がかなり巨大で、構造もがっしりしているので、中でアニムスを暴発させたとしても、衝撃が周囲へ拡散するのを防いでくれそうだ。
それに、施設の周辺もこれだけ廃墟と化していたら、人は滅多に近づくまい。実際、深雪たち意外に、周囲に人影はない。




