表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東亰PRISON  作者: 天野地人
東京中華街編
106/752

第3話 昼食会

 東雲探偵事務所にまっすぐ戻り、廊下を入ってすぐそこにある客間を通って、キッチンへ向かう。古い洋館を改装して事務所にしているせいか、この建物の中はいつも薄暗い。電気を付けなければ、壁の隅に何かが潜んでいても気づかないほどだ。


 今も、廊下は階段の辺りがほぼ真っ暗だし、そこから客間の中も、殆ど目視できない。

 そのせいだろうか。


 深雪は居間に足を踏み入れた際、中から紅神狼(ホンシェンラン)が出てくることに気づかなかった。おまけに、神狼シェンランが深雪の死角から突然、姿を現したものだから、驚いてしまって完全に避けるのが遅れてしまった。


「うわっ!」

 声を上げたが功は奏さず、深雪は神狼と出合い頭に、派手に衝突してしまったのだった。深雪は肩を打ち付けてそれなりに痛かったが、神狼の方を見ると、やはりどこか打ったらしく、忌々しそうに舌打ちをしている。


 神狼シェンランの格好は、いつもの黒いチャイナ服ではなく、黄色の簡素なチャイナ服を身に纏っていた。確か、中華料理店のアルバイトで着用しているユニフォームだ。おそらく、出前を運んでいる最中なのだろう。


 元殺し屋だったというその少年は、いつも身のこなしがしなやかで軽々としている。だが今は、深雪を避けようとしたせいか、大きくバランスを崩し、その拍子に持っていた岡持ちを落としてしまっていた。 金属が床に打ち付けられる、甲高い音が響く。ただ幸いなことに、岡持ちの中は既に空のようだ。


「神狼! 来てたの?」

 深雪の後ろにいたシロが、驚いて神狼に声をかけた。神狼もまた深雪とぶつかったことに驚いたのか、不意を突かれたような表情で、床に転がった岡持ちを見つめている。 


(琴原さん、出前を取るって言ってたけど……ひょっとしたら、神狼のバイト先に注文したのかな)


 そんなことを思いつつ岡持ちから視線を上げると、神狼と視線がかち合った。神狼は少女と見紛うほどの瑞々しく端正な顔を、これでもかと歪め、憎々しげに深雪を睨みつけている。その全身からは、殺気にも似た怒りの波動を発散させている。


「貴様……‼」

「な……何だよ?」

「邪魔ダ、役立たズ! そこを退けロ! 俺はお前と違っテ、忙しいンダ‼」


 突然降ってきた罵詈雑言に、さすがの深雪もムッとした。衝突したのは確かだが、深雪と神狼のどちらが悪いとは、一概に言えないようなぶつかり方だった。それなのに、一方的に罵倒されるのはどうも納得がいかない。深雪は唇を尖らせ、反論を試みる。


「いや、衝突した俺も悪いけど……そっちも前方不注意だっただろ。そもそも、そんな怖い顔して凄むような事か?」

 だが、神狼には、言い過ぎたと反省する様子もなければ、こちらに謝る気配もない。それどころか、小馬鹿にしたように鼻で笑って、深雪の反論を一蹴したのだった。


「フン……相変わらず、能天気だナ。今度、俺の邪魔をしたラ、豚肉と一緒に合い挽きミンチにしてヤル‼」


 そして、まるで駄目押しするかのように再び睨みつけてくる。小憎たらしい事、この上ない。何だよソレ、何様のつもりなんだよ――そんな文句が喉元まで出掛かるが、深雪は寸手のところでその言葉を呑み込んだのだった。


(ま……まあ、俺の方が年上だし? 一緒になって口喧嘩したら、レベルが一緒って自ら証明するようなもんだしな)


 自分に敵意を向ける相手に対し、敵意で返すのは幼稚な人間のすることだ。しかも神狼のそれは、敵意というより最早、八つ当たりに近い。神狼の言うことが正しいなどとは深雪も思っていないが、それを指摘したって余計に逆上させるだけだろう。ここは自分が大人の対応をするべきだ――自分にそう言い聞かせ、深雪は深呼吸をする。


 ところが、何故か深雪のそんな態度が、余計に神狼を苛立たせたようだった。

「……とにかク、お前の相手なんテしている暇はないんダ!」


「分かったから……ほら、岡持ち。大丈夫か?」

 不機嫌も露わに突っかかってくる神狼に対し、深雪は床に転がった岡持ちを拾い上げ、差し出してやる。

「貴様に心配されるホド、落ちぶれてナイ!」

 

 神狼は岡持ちを乱暴にひったくると、そのまま荒々しい足取りで事務所を出て行ってしまった。その場違いなほどの激昂と、それを隠そうともしない神狼の態度に、深雪も怒りを通り越して、すっかり呆れ果ててしまった。


「な、何なんだ……?」

 困惑してその場に佇んでいると、シロも困ったような顔をして話しかけてきた。

「神狼、すっごく怒ってたね」

「好かれてないのは分かってたし、どちらかというと嫌われているとは思ってたけど……今日はいつもに増して喧嘩腰っていうか、機嫌が悪かったような……。気のせいか?」


「そうだね……今の、ちょっと神狼らしくなかった」

 シロのその言葉で、深雪もそういえば、と違和感を覚えた。


「言われてみると、確かに……。いつもはもっと、こう……クールだもんな」

 神狼は出会ってからこれまで、態度の端々で深雪のことを毛嫌いしてきたが、面と向かって罵声を飛ばすなどという事はあまりなかった。どちらかというと、お前なんかに関わり合いになりたくないとばかりに、避けられたり無視されることの方が多かったくらいだ。

 それなのに、何故、今日に限って、喧嘩を売ってきたのだろう。


 それに、神狼は身体能力が高く、身軽で注意深いので、何かに衝突するなどという事は基本的に無い。現に深雪も、神狼が今まで誰かにぶつかったところや物を落としたところなど、見た覚えがない。

 だが、今日の神狼はそれとは違った。深雪と出合い頭にぶつかり、しかも神狼自身、そのことにひどく驚いているようだった。

 シロは、神狼の出て行った事務所の玄関を見つめ、ぽつりと呟く。

「何だか心配だね」

「心配? 神狼のことが?」

「うん。……何となくだけど」


「シロはやさしいんだな」

 深雪は、ふと微笑んだ。(……それに、よく見てる)

 あれほど自分勝手に振舞われたら、どういうつもりだと眉を顰めてもおかしくないのに、シロは深雪も気づかなかったような神狼の小さな変化にも、気を配っている。


 深雪がそのことに純粋に感心していると、シロは頬を赤く染め、嬉しそうに笑った。

「えへへ……みんな大切な《仲間》だもん」

 彼女にとっては、深雪や六道は勿論、奈落や神狼、マリア、流星、オリヴィエもみな大切な『家族』であり『仲間』なのだろう。深雪はそう信じて疑わないシロを、ある意味すごいと尊敬してしまうのだった。

(流星とかオリヴィエはともかく、奈落やマリアまで《大切な仲間》って言いきっちゃえるのは、シロならではだよな)


 シロは確かに言動が幼く、年齢の割に子供っぽく見えるところもある。けれど、その実、事務所の誰より大人なのではないかと、深雪はそう感じる事がある。少なくとも、最初に深雪が思っていたより、彼女はずっとよく周りが見えているのではないか。


 もっとも、シロの子どもっぽい言動を、深雪は不快に思ったことは殆どなかった。彼女の言動は、人を傷つけない。それどころか、アクの強い事務所の面々との間で、うまく緩衝材になっている。ひょっとすると、シロ自身もそのことを無意識のうちに悟っているのかもしれない。


「……そろそろ行こうか。琴原さんが待ってる」

 確かに神狼のらしくない様子も気がかりではあるが、今は海を待たせてある。深雪がそう声をかけると、シロも「うん」と答えて身を翻した。




 暗い居間を通り抜け、シロと共にキッチンへと行かうと、約束通り、うみが二人を待ち構えていた。

 初めて出会った頃、ボブだった海の髪は、今では少し伸びて頭の後ろで括ることができるほどになっていた。そのせいか、雰囲気が少し大人っぽくなったように感じる。パンツスーツも、随分さまになってきている。


 キッチンの中央にあるテーブルの前に立つ海は、深雪たちの到着に気づくと、こちらを振り返った。

「ただいま、(うみ)ちゃん!」 

 シロが声をかけると、海は嬉しそうに微笑んだ。

「シロちゃん、それに深雪さんもお帰りなさい。すみません、急に……」


「いいよ、気にしないで。俺たちも、昼どこで食べようかって迷ってたんだ」

「神狼のお店、すっごくお料理美味しいもんね。シロ、大好き!」

 深雪とシロは、口々にそう答える。四人掛けのテーブルの上には、チャーハンやラーメン、八宝菜など数々の品が所狭しと並んでいる。その壮大な光景といい、それぞれの料理から発せられる香ばしい匂いといい、どれもこの上なく美味しそうだ。


「あれ、でも……ちょっと量が多いような……?」

 海は事前に注文するメニューを深雪たちに確認していたが、テーブルに並んでいる料理はその時に聞いていた品数より、いくらか多いような気がする。深雪が首を傾げていると、海がどこか申し訳なさそうに答えた。

「あ、はい。神狼さんが、サービスで焼き餃子と杏仁豆腐をおまけしてくれたんです」

「神狼が……?」


 少々、意外だった。あの不愛想な少年は、そういうサービス精神とは悉く無縁であるように思われたからだ。ところが、海によると、それは決して珍しい事ではないのだという。


「神狼さんは、時々、お店の料理を持ってきてくれるんですよ。余ったからって……。でも、いつも作り立てだし、気を使ってくれているんだと思います。私が外に出られなくて、お店に食べに行くことができないから……」

「そうだったのか……知らなかった」

 神狼が海にそういう風に接していたとは、全く知らなかった。純粋な驚きを口にする深雪に、海は神狼への心からの感謝をその顔に浮かべて、付け加えたのだった。


「……不器用なところもあるけど、本当はとてもやさしい人なんですよ」

「へ……へえ」

 深雪はさっき神狼と衝突した時、凄まじい形相で睨まれたのを思い出す。ぶつかったのを謝りもせず、好きなだけ罵詈雑言を吐いた後、足取りも荒く事務所を飛び出していったその姿からは、やさしさなど絶望的なまでに感じられなかったのだが。


(何か、さっき俺が遭遇した神狼とは、全くの別人の話を聞いているみたいだな……)

 自分の中にある神狼のイメージと、海から聞く神狼の人物像がどうにも噛み合わず、深雪は困惑を覚えるばかりなのだった。


(っていうか……そもそも、何で神狼は俺のこと、嫌ってるんだ?)

 深雪は神狼に害を成した覚えなどないし、そもそもそれほど深く接したことがあるわけでもない。好かれることはしていないが、嫌われることもまたしていないのだ。そういった意味に於いても、神狼の深雪に対する言動は、少々悪意がすぎると思わざるを得なかった。

(俺が何をしたって言うんだよ?)

 眉間にしわを寄せて考えて込んでみるが、やはり心当たりがない。それでも何か見落としがあるのではないかと、事務所でのことを思い返してみる。


 あれも違う、これも多分違うと唸っていると、一方の海は、シロと楽しそうに会話を交わしていた。

「シロちゃん、神狼さんが杏仁豆腐はシロちゃんにって」

「わあい! シロ、この白いの大好き‼ ユキ、ご飯にしよ!」


「……うん。そうしよっか」

 深雪はそう答え、思考を一旦停止させることにした。神狼の事は、深雪への態度も含め、どう考えても納得がいかないが、一人で考え続けたところで答えが出るわけでもない。


(まあ、神狼の態度はともかく……料理は美味そうだし)


 海は一時期に比べると、随分と表情が明るくなってきた。《監獄都市》で経験した辛い体験を、少しずつ乗り越えようとしているのだろう。

 ただ、一つ心配なのは、彼女には知り合いがあまりにも少ないという事だ。事務所から出られないのだから仕方ないが、それでも本来ならもっと友達が欲しい年頃だろう。深雪もそうだったから、余計に海のことが心配だった。


(《ニーズヘッグ》の静紅や銀賀、亜希なら、大丈夫なんじゃないかな……? 後は、琴原さんが外に出られるようになればいいんだけど……) 

 

 このままいつまでも、永遠に事務所の外に出ないというわけにもいくまい。折を見てそれとなく海を外に誘ってみようと思う深雪だった。






 シロや海と昼食を共にした後、深雪は二人とその場で分かれた。


 どうやら海はこれから書類作成をしなければならないらしく、それには事務所の古い資料が必要なのらしい。だが、事務所に来てまだ日の浅い海は、その資料の保管場所が分からないのだという。そこで、シロが一緒にその資料を探すことになったのだ。

 その為、シロと海は昼食後、三階にある事務所の資料室へと向かったのだった。


(俺も手伝った方が良かったかな……)

 実際、深雪も二人にそう伝えたのだが、資料室はとても狭く、一度に沢山の人間は中に入れないらしい。

(かといって、俺も何か予定があるわけじゃないし、事務所も最近はあまり忙しくないし……後でシロと琴原さんに差し入れでも持って行こうか)


 そんな事を考えていると、ふと事務所の廊下に人の気配を感じたような気がした。いや、気配だけでなく話声もする。

 気になって、深雪が居間からそちらを覗いてみると、赤神流星の他、右目に眼帯をした軍服の男と、肩からキャソックを垂らした神父がそこにいた。

 元傭兵の不動王奈落と、神父のオリヴィエ=ノアだ。


 二人は背の高さは共通しているものの、体格や雰囲気は対照的だ。分厚い軍服を纏っていてもなお、鍛え上げられた体躯であることをはっきりと感じさせる奈落は、眼光も鋭く、存在そのものがまるで研ぎ澄まされた一本のアーミーナイフのようだ。

 対するオリヴィエはすらりとした体型で、身のこなしも上品であり、澄んだスカイブルーの瞳にはいつも他者に対する慈愛と思いやりに満ちている。その目が憎悪や悪意に染まっているところを、深雪は見たことがない。


(にしても……三人とも、何の話をしてるんだろ?)

 奈落とオリヴィエ、そして流星の三人はゴーストであり、現在は東雲探偵事務所に所属する《死刑執行人(リーパー)》でもある。その存在は《監獄都市》で知らぬ者などなく、夜叉や羅刹のように恐れられている。

 そんな彼らが額を突き合わせ、何やら深刻そうな表情で話し込んでいるのだ。おそらく何か思わしくない事件があったのだろう。


(大したことじゃないといいけど……)

 ついこの間、連続猟奇殺人事件が、どうにかこうにか片付いたばかりだ。それなのに、既に巷では危険な新型薬物が広まりつつあるという。まさしくもぐら叩きのような状況に、深雪もうんざりとしたものを感じずにはいられない。

 眉根を寄せていると、流星がこちらに気づき声をかけてきた。


「よう、深雪。いたのか」

「うん。……何かあったの?」

「ん? ああ、ちょっとな………」

 すると、同じく深雪に気づいた奈落が、おもむろに口を開いた。


「丁度いいじゃねえか。ガキの相手はガキが適任だろう。俺は下りる」


「……! そうですか。あくまで収入に直結しない仕事はしないと、そういう事ですね?」

 苦々しげに嫌味を込めるオリヴィエに、奈落はフンと鼻を鳴らして応じる。


「分かってるじゃねえか。そもそも人の顔面に、やれ物騒だの悪人面だの、性格の悪さが滲み出ているなどとケチをつけたのはお前の方だろう」

「どれも事実ではありませんか。けれど、私はあなたがどれほど悪人面だろうと、それをとやかく言うつもりはありません。ただ今回に限っては、少し眉間の力を抜いて、穏やかに笑って欲しいと、そう頼んだだけです」


「可笑しくもないのに、へらへら笑えるか、気色悪い!」

「何事も訓練です。少なくともあなたの人生に於いて、殺気を撒き散らすよりはよほど有意義であることは、間違いありませんよ。この私が保証します」

「フン……坊主のお墨付きか。有難すぎて鳥肌が立つぜ」


「――とまあ、こういう事なんだよ」

 流星が、いやあ参った参った、とばかりに明るく笑って見せるが、それが空元気なのは言うまでもなかった。それが証拠に、口元がしっかり引き攣っている。


「いや、どういう事なんだかさっぱりなんだけど……」

 深雪としても、そう答える他ない。


 傭兵である奈落と神父であるオリヴィエは、その職業理念の違い故か、それとも性格の不一致が原因なのか、ともかく意見がよく衝突する。しかもその上、がっぷり四つに組んだまま、ごろごろと転がって本題から脱線していってしまうのだ。


(おまけに、価値観が違い過ぎるから、どれだけ言い争っても半永久的に平行線だし)

 

 ところが、まさしく水と油の奈落とオリヴィエであったが、事務所の仕事をこなす上ではバディを組むことも多い。二人とも感情的なようでいて、実際にはけっこう実務優先だ。もしかしたら、二人とも本心では互いの実力をそれなりに評価しているのかもしれない。

 ただ、共に行動することで感じるストレス――不快感と反発心は、隠しきれないのだろう。


「よく分かんないけど……取り敢えず、ニコニコご機嫌な奈落ほど不気味なものは、他にはないと俺は思う」


 素直に思った感想をそのまま口にすると、どうやらそれが癇に障ったらしく、奈落の角ばったごつい手が、容赦なくぎりぎりと深雪の胸元を締め上げてきた。

「うっせーぞクソガキ! そこまで言うなら、今ここでゴキゲンに笑ってやろうか、ああ!?」


「ち、ちょっと待ってよ! そもそも何の話してんのか、ちゃんと説明してよ!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ