表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東亰PRISON  作者: 天野地人
東京中華街編
104/752

第1話 異常気象①

「……それから、三日前に起こった《新八州特区》と《東京中華街》との中間地点で起こった爆発ですが、どうもただの交通事故ではないようですね」


 執務机を挟んで真向かいに立つ青年――赤神流星は、椅子に身を埋める六道に対し、淀みなく定時報告を行った。


 東雲六道の執務室は東雲探偵事務所の一階にある。理由は、六道の足が片方、義足だからだ。


 歩行は辛うじて行えるものの、杖を使わねばならず、階段の昇降は大きな負担となる。十畳ほどのこじんまりした執務室の中には、書類棚や執務机など最低限の設備しかない。その中で、東雲六道と赤神流星は執務机を挟み、対峙していた。 


 赤神流星は頭髪が赤く、ライダースーツに身を包んでいることもあり、時に軽薄な印象を相手に与えることもある。だが、仕事は至って真面目で責任感も強い。六道は信頼のおける男だと思っている。我の強い他の事務所員(メンバー)も、彼の命令は聞き入れるようだ。


 先日、十代の少女ばかりを狙った連続猟奇殺人を解決したばかりで、疲労も蓄積しているだろうに、眼前に立つ青年はそういった素振りを一かけらも見せない。そこはさすが元警官といったところか。


「マリアの映像解析によると、ゴーストのアニムスによるものである可能性があるようですが、詳細はまだ調査中です。ただ、抗争による衝突の線は薄いかと思われます」 

 流星の説明に、六道は頷きを返した。


「確かに……抗争であれば、《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》、双方共にもっと殺気立っているだろうからな」


「ええ。これはまだ推測の段階ですが、ひょっとすると最近、《中立地帯》で相次いで目撃されている『火だるま男』とも、何か関連があるかもしれません。一応、調べてみます」

 流星はそこまで言い終わると、手元にある板状のタブレットにざっと目を通し、付け加えた。


「後は――それくらい、ですね。今のところ、それ以外に特に目立った動きはありません」


「……表面的には、な」

 冷え冷えとした六道の返事に、流星も眉根を寄せた。


「《Ciel(シエル)》ですか」

 六道は無言で頷く。


 既に一か月ほど前になるが、この《監獄都市》で《Heaven(ヘヴン)》という薬物が蔓延した。


 危険ドラッグの蔓延は、ただでさえ危険で悪質なゴースト犯罪を更に悪化(エスカレート)させてしまう。とても看過することなどできない、重大な事案だ。

 そこで東雲探偵事務所は、不動王奈落、オリヴィエ=ノア、雨宮深雪の三名を送り込み、密売組織となっていた《タイタン》というゴーストギャングのチームをほぼ解体状態に追い込んだのだ。

 それと同時に、彼らの根城に保管されていた大量の《Heaven(ヘヴン)》も同時に回収。その件はそれで幕を閉じたはずだった。


 ところがその数週間後、今度は別の薬物が広まり始めた。その名も、《Ciel(シエル)》という薬物だ。それだけではない。《Caelum(カエルム)》や《Paradiso(パラディソ)》、《Tian Guo(ティエンクオ)》――などなど、その数は今や十種近くにも及んでいる。


 それはゴースト専用薬物と言っても過言ではない代物で、既存の危険ドラッグとアニムス抑制剤の配合によって生まれた《監獄都市》・東京ならではの薬物だった。

 それらはゴーストには特に吸収率がよく、強い興奮作用と万能感が得られ、特に若いゴーストの間で一気に広まっていった。どうやらアニムス値を上昇させるという噂まであるらしい。だが一方で毒性も非常に強く、中毒症状を起こし、異常な行動をとったり意識不明に陥るゴーストも増加していた。


 これまでの調査で、新たに蔓延している薬物はみな、《Heaven(ヘヴン)》を基本(ベース)とし、成分の配合などを微妙に変えただけの類似品であることが分かっている。

 

 六道は落ち窪んだ眼窩の奥底で、ぎらりと鋭い光をみなぎらせた。

「これまでも、薬物はある一定の常習者はいたが、これだけ大規模の拡散は今までになかった。これだけ大掛かりな『事業』だ。《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》のどちらかが噛んでいることに間違いはない。マリアと神狼に調べさせているが、事が事だけに難航が予想されるだろう。しっかりサポートをしてやれ」


「了解ッス」

 流星はそう返事をしたが、六道に言われるまでもなく、既に調査には着手しているだろう。六道はこの事務所の所長だが、足が悪いため、現場には殆ど出ることはない。その為、現場の指揮は、ほぼ流星に任せている。


 とはいえ勿論、全てを現場任せにしているわけではない。この《監獄都市》における行政機構との交渉など、六道にしかできぬ事、《中立地帯の死神》と呼び習わされる六道だからこそできる事もある。


 《Ciel(シエル)》を始めとする新型薬物は、浸透が異常なほど早い。被害は現在進行形で広がり続けている。とはいえ、売人や密売組織をいくら叩いても効果は薄い。供給源を絶たなければ、次から次へと新たな薬物が登場し、拡散していくだけだ。

 これ以上、対応を後手に回すわけにはいかないが、『頭』を突き止め潰すのには、相当の時間と労力が必要だろう。少なくとも一筋縄ではいくまい。そう考えると、暗鬱とした心境になってくる。


「……ところで、雨宮はどうだ?」

 重々しい気分を変えようと話題の矛先を変えると、流星もまたいくらか明るい表情になって答えた。


「様子を見ながら、ですね。実戦にはまだもう少し時間が必要かと思います」

「うむ……」

「ちょっと変わった奴ですよ。ぼんやりしてて、何もしないのかと思いきや、『そこかよ!?』みたいなところで行動し始めたりしますしね。精神面もやたらと不安定で、能力面よりむしろそっちの方に課題があるというか……。

 でもまあ、以前よりは確実に良くなってきていると思います。最近はけっこう積極的に動くようになっているし、他の事務所員との信頼構築にも前向きになってるようですしね。多分うまくいきますよ。……勘ですけど」


「そうか……」

 六道は我知らず、重い溜息をつく。


 この赤髪の青年は、現場の指揮官であるだけあって、他の面々のことをよく把握している。アニムスの特性は勿論、性格や思考パターン、果ては健康状態までと、細かなとこまでよく観察している。その流星がその様に言うのだから、今のところは問題がないのだと考えてほぼ間違いないだろう。


 自分で雨宮深雪をこの事務所へと引き摺り込んだ六道であったが、最初からうまくいくという確証があったわけではなかった。いや、むしろ想定外だったと言ってもいい。

 雨宮深雪はふわふわした外見の印象とは違い、己の信念を頑なに守るところがある。彼がどうしても組織に馴染めない場合、或いは雨宮深雪の持つ『個性』が組織の毒となる場合、放逐もやむを得まいかと考えていた。


「奈落と組ませたのが良かったんじゃないすか? 結構強引な荒療治でしたけど」

 肩を竦め、おどける流星に対し、六道はにやりと笑みを返した。


「あれくらいやらなければ、あの分厚い岩盤は突き崩せないだろう」

「まあ確かに……深雪には、妙に頑固なところがありますね。俺はどっちかって言うと、奈落の奴がどっかでこっそりと深雪をシメて、そのまま東京湾に沈めたりすんじゃねえかと、ヒヤヒヤしてました」


「そうなったら、東京湾の底を漁るのはお前の仕事になっていただろうな。この時期の東京湾は、他と違ってかなり冷えるぞ。気温はまだしも、水温は真冬並みらしいからな」


「……マジでシャレになんねえっす」

 流星は半眼で呻いた。しかし、彼の言う洒落にならないというのは事実だったかもしれない。何せ、雨宮深雪と不動王奈落は、真逆といっていいほど考え方や性格が違うのだ。もしもその化学変化が失敗し、大暴発を引き起こしたなら、全てが瓦解し、灰燼に帰す可能性もあった。


 だが、六道の一か八かの賭けは、辛くも勝利に終わったようだ。


「ふ……冗談はさておき、だ。雨宮が使えるようになるまでは、まだいくつか壁を乗り越えねばならんだろう。引き続き面倒を見てやってくれ」

「うス。失礼します」


 流星は定時報告を終えると、六道の書斎から出ていった。六道はそれを見送ると、背もたれ付きの重厚なデスクチェアにその身を預けた。そして、足と両手を組み、目を閉じて思惑に耽る。今回の、《Ciel(シエル)》を巡る新たな事件のこと、そしてこれからこの《監獄都市》に襲い掛かるであろう、数多の苦難のことを。


 やがて六道は、うっすらと目を開くと、誰ともなくぽつりと呟いた。

「過去から這い出てきた亡霊と、それに憑りつかれた亡者……か。何とも哀れで滑稽なものだ。……まあいい。こちらも最早、形振りを構っていられる余裕などないのだからな」


 六道にはもう、時間がない。手遅れになる前に、想定される全ての難題に、出来得る限り手を打っておかねばならない。雨宮深雪と不動王奈落を組ませるという、やや乱暴ともいえる措置を取ったのも、彼らが互いにうまく順応しいくのを悠長に待っている時間が無かったからだ。


 そう、既に手段を選んでいられる余裕はない。多少強引だと非難されようと――或いは、例え誰かから恨み憎まれ、己の名誉を損なうようことがあろうとも。何としてでも、今の安定と秩序を守り通さねばならない。自分がこの街からいなくなった時、かつてのように内戦状態へと逆戻りしては、意味が無いのだ。


 現在、この《監獄都市》を支えている『安定』は、数多の血と犠牲の上に辛うじて成り立っている、儚くも簡単には得難いものなのだ。そしてそれはもはや、奇跡だと言っても過言ではないほどの貴重なものなのだから。

 

 それを守る為には、何であろうと利用する。


 

 それが例え、己の半身を奪った『(かたき)』であったとしても。




✜✜✜✜✜✜ ✜✜✜✜✜✜ ✜✜✜✜✜✜




「う……さぶっ!」

 雨宮深雪はそう言うと、首を両肩に埋めて身震いをした。


 深雪の服装は、薄手のパーカーにジーンズという、いつもの格好だ。決して薄着ではないし、梅雨時期の服装としてはむしろ厚いくらいだろう。それでも気候は一向に温かくならないし、妙な肌寒さを感じる日々が続いている。


 この肌寒さは決して気のせいではないし、深雪が大袈裟なわけでもない。それが証拠に、街中を見回してもすれ違う人々はみな、長袖の上着を身に着けている。


 暦の上では、既に六月も終わろうかという頃合いだ。普通は霖雨で蒸し暑いものなのだが、どういうわけか《監獄都市》の中は一向に暑くならない。それどころか、五月の下旬に一度上昇した気温が、ここ数日でぐっと下がったような気さえする。まるで夏を通り越して秋が来てしまったかのようだ。


 深雪は、パーカーの下は半袖のTシャツという薄着だった。それにこの気温は少々、堪える。袖口から、冷気が這い上がってくるようだ。


「何か、今年はいつまでも寒いな。シロは平気?」

 深雪は、隣を歩いているシロにそう声をかける。


「うん、平気だよ。でも、ユキは何だか寒そうだね。どうしてそんな格好してるの?」

 シロは不思議そうに小首を傾げる。彼女の服装はいつもの脳紺色のセーラー服だが、下に黒のタートルネックのアンダーシャツを着ているのが見える。


「もう六月だから、朝は寒くても昼は結構、暑くなるんじゃないかって思ってたんだけど……何か随分、予想と外れたみたいだ。こんなに異常気象になるとは思わなかった」 

「よく分かんないけど……《東京》では、六月はこういう気温が普通だよ」

「そうなのか?」

「うん。七月も八月も、ずっとこんな感じ。……外は違うの?」

「全然違うよ。地球は温暖化してるし、真夏は四十度近くなることも珍しくない」


(まあ、あくまで二十年前の話だけど)

 二十年前の東京は、真夏は三十五度を超す猛暑になることも珍しくなく、とても蒸し暑かった覚えがある。夜になってもうだるような暑さが続き、寝苦しい日々を冷房で何とか耐え忍んだ。もっとも、もし《冷凍睡眠(コールド・スリープ)》で眠り続けていたこの二十年に天変地異でもあったなら、それは過去の事となっていてもおかしくは無いが。


「四十度も!? ……砂漠みたい!」

 目を丸くし、信じられないと驚くシロに、深雪は苦笑を返す。

「砂漠はもっと熱くなるよ。五十度とか、それくらい。俺も行ったことはないけど」

「うわあ、すごいねえ。ソフトクリームみたいに溶けちゃいそうだね!」

「そうだよなあ……実際、猛暑の年は熱中症とかヤバかったし、これくらいの気候の方が、快適と言えば快適なんだけど……」


 深雪はしみじみと呟いた。確かに猛暑は辛い。熱中症や脱水症状はこじらせると命の危険に関わるし、何もしていないのに、気力や体力が暑さによってどんどん奪われていく。

 だが、だからといって全く暑くならないというのも、何だか味気ない。夏がしっかり暑くならないと、秋や冬のありがたみが無くなってしまうし、季節の移ろいが感じられなくなるような気がするのだ。


 それとも、これも二十年前に問題となっていた、異常気象による現象の一種なのだろうか。


(俺が《冷凍睡眠(コールド・スリープ)》に入ってる間に、地球環境が激変しちゃったとか……?)


 首を捻っていると、右手の手首に嵌めた腕輪型端末のライトが、ちかちかと数度、点滅した。それに気づいた深雪が端末を宙に掲げると、ポヨヨーンというどこか間抜けな効果音と共に、ぬいぐるみほどの大きさの、二頭身のウサギのマスコットが空中へ飛び出してきた。

 

 といっても、そのマスコットには実体はない。3Dホログラムでできた、乙葉マリアのアバターだからだ。ウサギのマスコット――マリアは、くるくると回転すると、ビシッとポーズを取った。


「はあ~い、悩める少年少女の諸君! それではこのマリアちゃんが、キミタチの悲しい行き違いを説明してあげましょう‼ さあーて、用意はいいかな~!?」

「はーい、マリア先生!」

 シロはいつもの慣れた展開に、無邪気にそう返事を返したが、深雪の心境はいささか複雑だった。


「今までの俺たちの話、聞いてたんだ」

 これまでマリアと接してきて、彼女には看過できない重大な悪癖がある事に、深雪は気づいていた。だから、シロほど無邪気に、マリアの登場を喜べない。

 すると、それを知ってか知らずか、マリアはふふん、と平らな胸を逸らせた。


「当ったり前でしょ~? このマリアちゃんに知らない事なんて無いのよ! 個人情報? 何ソレ知ラナ~イ! 美味シイノ? なんちて~!」


 案の定、それがどうしたと言わんばかりの反応だった。反省するどころか、ハッキングに長けた己の能力を誇示したくてたまらないといった様子だ。決して彼女に謝罪するなどという殊勝な態度を期待していたわけではなかったが、その開き直りぶりには、さすがに呆れざるを得ない。


「そんなことばっか言ってると、友達いなくなっちゃうよ」

 するとマリアは、ますますふんぞり返って見せた。

「ああーら、深雪っち知らないの? 友達っていうのはね……躍らせて利用して、裏切るためにいるのよ‼」


(うわあ……)

 自信たっぷりのその返答に、さすがの深雪もドン引きしてしまった。


 《ドッペルゲンガー》というアニムスを持つマリアは、その名の通り、電脳空間上で無数に自分の『分身』を作り出すことができる。そして、それらを駆使することによって、類稀なるハッキング能力を発揮することができるのだ。

 彼女にかかれば、個人情報などものの数秒で、洗いざらい全て暴かれてしまう。それなのに、マリアにはその個人情報を殆ど趣味として収集し、楽しむという悪癖があるのだから、始末が悪いのだ。


 マリアはサイバー空間を介して干渉してくるので、端末の類を一切身につけなければその危険は減らすことはできる。だが、このご時世、通信機器が無ければ不便で仕方ないし、事務所の仕事にも支障をきたしてしまう。


 個人情報を暴かれるという事は、弱みを握られるという事と、ほぼ同義だ。ところがマリアには、その行為に対して、罪の意識も無ければ、反省するという事も無い。あまりにもあっけらかんとし過ぎていているので、何か大切な感覚が麻痺しているのではないかと心配になるくらいだ。


「マリアってさ、ずっと思ってたけど、いろいろ歪んでるよね……」

 非難交じりにそう言ってみるが、やはりマリアには堪えた様子がない。

「そう? 誉め言葉としておくわん。ま、平和ボケしてて、みんな仲良く事なかれ主義の深雪っちには、理解できない事かもしれないけどね~!」


「マリアってば! 喧嘩は駄目だよ!」

 さすがに見かねたのか、シロは唇を尖らせてマリアを窘めた。彼女がマリアに対し、注意をするなど珍しいことだ。それでもマリアは口笛を吹くジェスチャーをして、そっぽを向いてしまう。あくまで自分は悪くないのだというのが、彼女の決して変わることない確固とした主張のようだった。


 そこまで居直られたら、生半可な批判は却って逆効果だ。深雪は早々に反論するのを諦めてしまった。 

「いいんだ、シロ。俺はまだよくマリアのこと知らないけど……きっと、過去にいろいろあったんだ。じゃなきゃ、こんなにあちこち破綻してるのはおかしい……! 今はそっとしておいてあげよう……‼」


 そう考えたら、マリアの暴挙も少しは許せる気がする。いや、きっとそうに違いない。深雪はマリアへ、そっと生暖かい視線を送るのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ