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東亰PRISON  作者: 天野地人
トウキョウ・ジャック・ザ・リッパー編
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第45話 過去を知る者⑤

 坂本が己の行いを悔い改めるかどうかは分からない。だが、いずれにせよこれから大きな困難が立ちはだかっているのは間違いないだろう。


 今までさんざん馬鹿にし、見下してきた、力を持たない普通の人間に、これからは自分がなるのだ。


 高アニムス値の強力なゴーストに命を脅かされぬためには、他人と協調し、己を律し、慎ましく行動していく必要もある。

 坂本のように、自分のアニムスにものを言わせ、威張り散らして生きてきた者に、果たしてそれが耐えられるだろうか。答えは否、だ。おそらく、その境遇は途轍もなく過酷に感じるだろう。


(でも、それが本来あるべき姿なんだ)


 ゴーストになる以前は、坂本も人として生きていたのだ。それが再び戻ってきたというだけのことだ。

 

 だから、簡単には殺さない。殺してなるものか、と深雪は思う。死は確かに罰として最も有効な手段だ。でも、時には生きることの方がずっと辛いこともある。坂本は己の過去の行いを悔いながら、もがき苦しみ、生き続けるのだ。

 深雪が《ウロボロス》のことを永遠に背負い、苦しみ続けねばならないのと同じように。


 深雪はシロとともに、一歩一歩、ゆっくりと歩みを進める。東の空で頭をもたげた太陽が廃墟を照らし、崩れかけた壁や電柱、ガードレールにへばりついた闇を、一斉に追い払っていく。


 坂本は項垂れたまま、いつまでも動かなかった。






 恵比寿駅の前まで戻る頃には、地上は目覚めたばかりの太陽に照らされ、だいぶ明るくなっていた。


 シロに支えられつつ駅前に到達した深雪は、視線を走らせ、バンを探す。中に少女たちを残したままだったのが気になっていたのだ。


 ところが、バンは変わらずそこにあったのだが、少々意外なものが先回りしていた。それは、《立ち入り禁止》の文字が印刷された鮮やかな黄色のテープ、そして赤色灯を瞬かせた何台ものパトカーだ。

 

 バンはその黄色いテープでぐるりと囲まれ、更に向こうでは何事かと、群がる野次馬の姿まである。


 そんな中、制服を着た大勢の警察官たちがせわしなく動いたり、周囲の野次馬に睨みを利かせたりしていた。


「あれは……」

 まさか警察がいるとは思っていなかった。深雪は戸惑いつつ足を止める。

「りゅーせい達、お仕事終わったのかな?」

 シロも隣で小首を傾げた。


 深雪とシロがマリアから指示されたのは、バンの中に捕らわれた少女たちの安全を確かめ、迎えが来るまで傍に付き添うことだった。だがそれは坂本の襲撃によって、途中で邪魔されてしまった。

 だから坂本を退けた今、再び任務に戻ろうと思ったのだが、バンの周囲にいる警察官たちは数が多く、雰囲気もやけに仰々しい。触れたら切れそうなほどに、ぴんとした緊張感を帯びている。

 どう考えても、ゴーストである自分たちが近づくべきではないというような気がした。


 どうしたものかと途方に暮れていると、背後から近づく人の気配があった。振り向くと、そこには見慣れた黒衣の神父と、チャイナ服をまとった少年の姿があった。


「シロ! 深雪!」

「あ、オルと神狼だ!」

 

 どこか安堵した表情のオリヴィエに、いつもの仏頂面の神狼。シロはそんな二人に対し、嬉しそうに片手を振る。オリヴィエはそれを目にし、柔らかい微笑を浮かべた。


「良かった……マリアから連絡を受けて探していたのですよ。怪我はありませんか?」

「シロはだいじょーぶだよ! でも、ユキは……ちょっと疲れてるみたい」

「何かあったのですか?」

 すぐさま心配そうな顔に戻るオリヴィエに、深雪は苦笑を返した。

「大したことないよ。だいぶ、楽になってきたし」


 しかし、言ったそばから大きくふらついてしまった。シロとオリヴィエが慌てて深雪に手を貸してくれる。その後ろで神狼はじっとりと半眼で呟いた。

「ヘタレ、人騒がせ。役立たず。死ネ」

「悪かったな、役立たずで。……っていうか、聞こえてるぞ、全部!」

 深雪も半眼になり、悪態を返す。すると神狼は憎たらしい表情で、そっぽを向いてしまった。本当にかわいくない奴、と深雪は内心で呆れる。いつぞや食べさせてもらった、神狼が務めているという中華料理店の餃子は文句なく美味かったのだが。


 すると今度は、腕に嵌めた端末機器から軽快なメロディーが流れ、ウサギのマスコットが飛び出してきた。

「はいはーい、喧嘩しないの、子どもたち。っていうか、ごめんねー、深雪っち。こっちもいろいろ手が塞がっちゃっててさ~」

「あ、いや……それはいいけど」

「でも無事で良かった。奈落の奴は、助けは必要ない――なんて格好つけちゃってさ。ホント、薄情なんだから」


(それって絶対、『自分で何とかしろ』って事だよな)

 こちら窮地に陥ったからと言って、すぐさま駆けつけたりしないのは、いかにも奈落らしい。自分の身くらい自分で守れと、隻眼を眇める姿が目に浮かぶようだった。


(まあ、結局は何とかなったけど)


 坂本を殺さず人間に戻したといったら、奈落はどんな顔をするだろうか。甘いと鼻で笑うだろうか。それとも、中途半端なことはするなと激怒するだろうか。


 ただ、すっかり燃え尽きたかのような坂本の姿を見るに、当分は立ち直ることはないだろう。完璧ではないにしろ、その脅威を軽減させることはできたのではないか。だからきっと、奈落に出会い頭に拳でぶん殴られるようなことはない筈だ。


「そういえば……」

 バンはどうしたらいいのかと、深雪が口を開きかけた時だった。


 恵比寿駅の地下に通じる階段から、複数の人影が地上に這い出して来るのが見えた。


 ぎょっとしてそちらへ目を向けると、複数の警察官が一人の男を挟んで、パトカーへと連行している。全体的にずんぐりとした印象を与える男で、がっちりした輪郭に比べると、目がやけに小さい。何となく、モグラを想起させる男だった。 


(犯人グループの中に、一人、人間が混じってるって言ってたな。あいつがそうか……)


 ジャックによると、その男はキングという暗号名(コードネーム)で呼ばれていたという。あのモグラのような男がそうなのだろう。


 キングはだいぶ派手にやり込められたらしく、顔も体も痣だらけだ。表情も憔悴しきり、死んだ魚のようだった。左腕は骨折しているのか、ブランと垂れ下がっている。その腕にはがっちりと手錠が嵌めてあった。


 やがて警察官たちは、パトカーの後部まで移動すると、その中へとキングを押し込める。そして、赤色灯を回転させながら走り去っていった。


「あいつ……どれくらいの罪になるのかな?」

 深雪が呟くと、マリアは回転しながらのんびりした口調で答える。

「さあ? ゴーストが絡むと、犯罪の立証って極端に難しくなるのよね~。そもそも、ゴーストは存在そのものが認められてないし、アニムスとか、司法機関じゃガン無視だしね。有罪になったとしても、案外、半年くらいで釈放されちゃったりして」


「……」

 深雪は無言でそれを聞いていた。

 実際にキングがどういう刑に処されるのかは分からない。だが、いずれにせよ、ジョーカーやジャック、クイーンに比べると、かなりの厚遇と言わざるを得ない。

 他の三名は、ゴーストだというだけで碌に弁明の場も与えられず、殺されたのだ。そんな中、キングは人間だというだけで生かされている。その上、もしキングに下された刑が不当に軽かったとしたら、まさに逃げ得ではないか。


 ゴーストだというだけで殺されるのも変だが、人間だからといって刑が軽くなるのもおかしい。何故、そんなにも極端なことになってしまうのか。


 ただ、深雪はそれを口には出さなかった。オリヴィエや神狼の前でそれを口にするのは、あまりにもおこがましい気がしたからだ。それに、そんな事になってしまったのは、彼らのせいではない。安全なところから文句だけ喚き散らすような、差し出がましいことはしたくない。


 しかしそれでも、《監獄都市》の抱える歪さを、改めて感じずにはいられないのだった。


 キングが連行され、駅前の張り詰めた空気も若干弛緩したようだった。野次馬は散り散りになり、先ほどまで飛び交っていた激しい怒号は、落ち付いた話し声へと変化している。


「……ああ、もうこんな時間ですか」

 やがてオリヴィエが、ふと思い出したように腕の端末に視線を落として言った。

「すみません、私は孤児院に戻らなければならないので」

「うん、お疲れ」

 これから孤児院の子どもたちを起こし、朝ご飯を食べさせたり選択したりするのだろうか。神父と《死刑執行人リーパー》との兼業生活も大変そうだな、などと深雪が思っていると、今度は神狼も欠伸をしながら呟く。

「俺も店の仕込み、ある」

「神狼もお疲れー!」

「ん」

 シロの言葉に神狼は小さく頷いた。深雪に対するふてぶてしい態度とはえらい違いだ。思わず唇を尖らせるが、文句を言うのはやめておいた。何か言えば、必ず暗器が飛んでくるだろう。今の深雪の体力では、絶対に避けられない。流血沙汰は必至だ。


「ああ、そうそう。バンは警察に任せとけばいいから。それじゃ、あたしも、お先~!」

 マリアはくるくる回転すると、ムギュっと間の抜けた効果音とともに、弾けて姿を消した。後にはピンク色の煙幕と、手品で使うような紙吹雪がひらひらと舞うだけだ。オリヴィエや神狼も去り、その場には深雪とシロだけが残される。

「俺たちも戻ろうか、事務所に」

「うん」

 頷いたシロは、ぴくっと動きを止めると、獣耳を小刻みに動かす。そして後ろを振り返ると、声を弾ませた。


「あ、奈落だ!」

「え? 奈落って……おわっ!?」


 シロにつられて後ろを振り返ると、真後ろに奈落が立っていて、深雪は驚きのあまり思い切り仰け反ってしまった。

 いつもの事とはいえ、気配を消されると全くその存在に気付くことができない。これでもしナイフで斬り付けられでもしたら、ほぼ間違いなく即死だろう。そう考えると、肝が冷える。


 深雪のそんな思考を鋭く嗅ぎ付けたのか、奈落は小馬鹿にしたように頬を吊り上げた。

「何をびびってやがる、クソガキ」

「そりゃびびるでしょ。フツーに登場したらいいじゃんか! フツーに正面からさあ!」


 そう抗議した深雪はしかし、奈落の姿をまじまじと見て思わず絶句した。奈落の右半身がべったりと血に染まっていることに気づいたからだ。

 それはまるで、真っ赤なペンキを頭から引っ被ったようだった。逆光になって最初は気づかなかったが、目が慣れてくると、その異様さに息を吞むばかりだった。


 その姿から、深雪は奈落が何をしてきたかを一瞬で悟った。 


 深雪はまだ、奈落のアニムスを直にこの目で見たことはない。だが、それがどういったものかはマリアによって教えられたので知っている。

 奈落のアニムスの名は《ジ・アビス》。映像で目にしたそれは、あまりにも常軌を逸した光景だった。奈落の右目から這い出してきた『何か』は一瞬にして狙った者へと掴みかかり、それを容赦なく握り潰してしまうのだ。

 それは見ようによっては、凶悪な姿をした怪物が獲物を喰らい尽くしているようにも見えた。


 後には肉片はおろか、骨すら残らない。だからこそ今回のような件では、その能力はうってつけなのだろう。事務所は最後までジョーカーを《リスト登録》することができなかった。しかし、六道はそれを黙殺し、ジョーカーを仕留める選択をした。

 この《監獄都市》においてすら、それは許されざる不法行為だ。超えてはならない一線を越えるのだ。死体は決して残すわけにはいかなかっただろう。


 そして、奈落は見事にそれを完遂してのけたのだ。


 よほど事が露見しない自信があるのか、奈落は警察が近くにいるというのに、全身に血糊を張り付けたまま、悠然と煙草をふかしている。こそこそと身を隠す様子もなければ、悪びれる素振りさえない。あまりのあけすけな態度に、深雪もすっかり脱力してしまった。


(誰にも従わない奴だと思ってたけど、六道の命令は聞くんだな)


 《リスト登録》されていない状態でジョーカーを手にかけることは、奈落にとっても相当なリスクがあったはずだ。この隻眼の傭兵は、確かに傲岸不遜だが、自ら好んで危険に足を突っ込むようなリスキーな性格はしていない。

 それでも六道の命令に従ったのは、それだけ金払いがいいからか、それとも六道に何かしらの借りでもあるのか。いずれにせよ、よほどの理由があるのだろう。

 一体、それは何なのか。

 そう思いを巡らせているうちに、深雪はふとあることに気づいた。


「……あのさ、奈落は六道に雇われているんだよな?」

「それがどうした」


「それってつまり、俺が奈落を雇うこともできるってことか?」


 条件さえ満たせば、深雪も奈落と契約を結ぶことができるのではないか。そう思ったのだが、案の定、奈落は路上を這う芋虫でも見つめるかのような冷笑を向けてくる。


「笑わせるな。お前にゃ、そのセリフは百万年早い」

「分かってるよ。今は確かに無理かもしれない」 

 今の深雪には、何もない。奈落に支払うだけの報酬も、納得させるだけの実力や権力(材料)も、何一つない。だが、今ではそれに激しい劣等感を抱いてはいなかった。


「でも、いつかきっと六道より俺を選ばせてみせる」


 実現できる根拠など、ない。目算も全く立ってない。それでも深雪は真正面から、奈落を見つめた。決して冗談などではなく、虚勢を張ったわけでもなかった。正真正銘の本気だった。


 ただ一方で、その言葉が一笑に付されるだろうという覚悟もしていた。クソチビのくせに生意気言うんじゃねえ、身の程をわきまえろと、嘲弄されるのではないか、と。そうされても仕方無いという自覚もあった。


 しかし、意外なことに奈落は笑わなかった。無言で煙草を咥え、火をつけると、煙と共に吐き出した。


「俺は高いぞ」

「知ってるよ。でも、金の力は使わない」

「阿呆か?」

「そうかもね。でも奈落だって、本当は金目当てで六道に従ってる訳じゃないんだろ?」

「……。何だと?」

 眉根を寄せる奈落に、深雪は静かに続ける。


「《ヘルハウンド》は世界的に有名な傭兵集団だった……だったら、わざわざこの《監獄都市》まで来なくても、もっと羽振りのいい依頼者(クライアント)は、他にいくらでもいただろ。それを蹴ってまでこの街に来たんだ。金だけが目的だったとは思えない」


 《ヘルハウンド》は時に国家から依頼を受けることもあったという。それなら、尚更だろう。《監獄都市》となった東京は極端に閉じられた街だ。金だけを目当てにするには、リスクが高すぎる。

 そもそも奈落のような男が、金銭的な報酬だけを理由に他人の命令を聞いたりするだろうか。それには何か、強い違和感があった。


「奈落は報酬の額だけでは雇い主を選ばない。何となく、そういう感じがする。……だったら、例え俺がいくら払ったとしても、それは無意味だ。……そうだろ?」


 再び、無言。圧迫されそうな沈黙が下りる。

 踏み入ってはならない場所に踏み込んでしまっただろうか。内心で冷汗をかいたが、視線は意地でも逸らさなかった。


 やがて奈落は呆れたような口調で言う。

「お前は本当に気色の悪い奴だな」

「それって、誉め言葉?」

 にっと笑うと、奈落はすかさずチッと不機嫌そうに舌打ちをした。

「調子に乗んな、脳天ぶち抜くぞ」


 その返事で、深雪は自分の考えがある程度、正しいのだと悟った。奈落は自分のことを言い当てられると不機嫌になる傾向がある事に、気づいていたからだ。


 よほど気分を害したのか、奈落はそのまま深雪とシロに背を向けかけたが、ふと思い出したように顔半分だけこちらを振り返った。


「何を企んでいるのかは知らんが、望みがあるならせいぜい足掻け。……ただ、これだけは忘れるな。見るに堪えん無様な姿を晒すなら、例え雇用主であろうとその瞬間に……殺す」


 赤みを帯びた隻眼が朝の澄んだ日の光を受け、無機質な輝きを帯びる。


「……俺を雇うとは、そういうことだ」


 抑揚のない、淡々とした声。だからこそ、奈落の言葉は如実に告げていた。それが決して誇張表現などではないのだと。


 奈落の赤眼は、瞳孔を爛々とぎらつかせ、重低音の唸り声をあげる獰猛な獣の姿を想起させた。接し方を間違えば、取り返しのつかない大怪我をする。半端者など、近づいただけで喉笛を噛み切られて終わりだ。

 だが、深雪は静かに緋の瞳を見つめ返した。

 奈落は深雪の言葉を「あり得ない」と一蹴したりしなかった。可能性は僅かばかりであるのかもしれない。それでも、それを脈ありと考えるのは思い上がりだろうか。


 僅かな対峙の後、奈落は今度こそこちらに背を向けると、颯爽と歩き去っていく。そして二度と振り返ることは無かった。


 朝陽がその輪郭をなぞり、墨のような長い影を礫土に描き出す。



 深雪は目を細め、その大きな背中を見送った。



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