危機
「……急ぎの知らせ?」
「どうかしましたか?」
隣からポンポコナーが覗き込むと、ジークフリートは紙を彼女へ見せた。
「父上からではない、ヴァルグレン家の別邸からだ。街道沿いの館に今朝、向こうから使いが来たらしい」
書状には、至急確認してほしい案件がある、とだけ記されていた。
「急ぎなのですか?私も参りましょうか?」
ジークフリートは首を横に振った。
「大丈夫だ、昼までには戻る」
彼は書状を折りたたんだ。
その声には、いつもの落ち着きがあった。
「……分かりました。では、これを」
そう言ってから、彼女は少しだけ指を伸ばした。
「お守りです」
小さな白い花を一輪手渡した。
ジークフリートはそれを受け取ると、目を細めた。
「ありがとう」
彼は花を胸元へしまい馬車へ向かう。
ポンポコナーはその背中が見えなくなるまで見守っていた。
*
朝の雨で濡れた土から、湿った草の匂いが立ち上っている。
馬車の車輪が泥を踏み、ジークフリートは窓の外を眺めていた。
「……妙だな。この道は別邸へ向かう道ではない」
御者が振り返り、肩がわずかに揺れた。
ジークフリートはその変化を見逃さなかった。
「止めろ」
「しかし、急ぎの用件が――」
「止めるんだ」
ドスのきいた声で馬車を急停止させた。
ジークフリートが扉を開けると外には森が広がっている。
森の中、道の先の古びた橋の向こうに別邸へ続く道がある。
ジークフリートは馬車から降りた。
「……どういうつもりだ」
御者はそのまま馬車を走らせた。
「待て!」
ジークフリートは馬車を追う。
風が吹き木々の葉がざわめく。
追いつくと橋の傍に馬車が捨てられており、橋の向こうに御者がいた。
ジークフリートは静かに御者を見た。
「ヴァルグレン家の者ではないな。私をここへ誘い出した理由は?」
ジークフリートが御者に歩み寄ったその瞬間、足元で嫌な音がした。
身を引くが遅かった。
橋の欄干が大きく傾き、足場まで崩れ、身体が宙へ投げ出される。
「……クエッ!」
腕を伸ばし木材の縁を掴んだ。
だが、体重を支えた瞬間、右腕に激痛が走った。
「ぐ……!」
爪が木材に食い込む。
下を見ると底の見えない深い谷であった。
次の瞬間、頭上から石がばらばらと落ちてきた。
石が額を掠め、どろりと血が頬を伝った。
「……殺すつもりか」
息を整えながら、ジークフリートは問う。
御者は踵を返した。
「待て!」
叫びもむなしく、男は森の中へ消えていった。
ジークフリートは歯を食いしばった。
血が額から頬へ流れ、顎から落ちていった。
*
「遅いですね」
「はい。別邸までは、馬車で往復してもそれほど時間はかからないはずですが」
侍女が答える。
ポンポコナーは立ち上がった。
理由は分からないが、朝に見送ったジークフリートの背中が、何度も脳裏に浮かんだ。
「馬車を用意してください」
ほどなくして馬車が屋敷を出た。
街道へ入り森が近づいてくる。
やがて、前方に何かが見えた。
様子がおかしい。
「止めて!」
道端に止まっていたのは、朝の馬車だった。
ポンポコナーは周囲を見回すと、地面に落ちていた白い花を見つけた。
「……ジークフリート様」
声が震えた。
馬車を飛び出し走るとやがて橋が見えた。
崩壊した欄干に血が飛び散っている。
ポンポコナーは橋の端まで駆け寄り谷底を見下ろした。
「ジークフリート様!」
返事はなく、川の轟音だけが谷底から響いていた。
ポンポコナーは橋の前で立ち尽くした。




