第二十二話 脱出
サタナキアの予言を、もう単なる脅しとして切り捨てることはできなかった。
その時、地の底から轟音が響き、宝物殿全体に亀裂が走った。
天井から壁、柱へと亀裂は瞬く間に広がり、次々と石材が剥がれ落ちていく。
崩れる……早く、ここから出ないと。
「崩れるぞ!」
「急げ、出口へ!」
「生きている者は走れ!」
石段の下から叫び声が響き、生き残った者達が負傷者を支えながら出口へ向かっていく。
だが、カイルはその様子を見て、後ろを振り返った。
最上部には、意識を失ったリセリアが倒れている。
最後まで戦ってくれた彼女を、ここへ置いてはいけない。
カイルはすぐに駆け寄り、その傍らへ膝をついた。
倒れた身体を抱き起こそうとして、伸ばしかけた左手を止める。
台座を黒くしたのは、この左手だ。
人に触れても同じことが起きるかもしれない。
そんなことを、彼女で確かめるわけにはいかない。
左手を引き、右腕だけで上半身を起こす。
リセリアの腕を肩へ回し、背を向けて屈むと、そのまま右腕を両脚の下へ差し入れて背負い上げた。
その時、カイルはふと思う。
黒を得る前なら、片腕だけで彼女を支えて立つことなどできなかった。だが今は、その重さがほとんど負担にならない。
どうしてここまで身体が変わったのかは分からない。
けれど、今は考えている場合ではない。彼女を連れて、ここから出る。
カイルは右腕でリセリアを支え、石畳に残していた黒剣を左手で拾い上げ、そのまま石段を一気に駆け下りる。
石段を蹴るたび、身体は数段先まで跳んだ。
背中にリセリアを負っていてもカイルの足取りは鈍らない。
頭上から落ちた石材を横へかわし、崩れ始めた足場を飛び越えていく。
背後で、先ほどまで走っていた石段が轟音とともに崩れ落ちた。
生き残った者達は、すでに扉を抜けて第二の試練が行われた場所へ移動している。
カイルもその背中を追い、降り注ぐ瓦礫の中を走り続けた。
第二の試練を抜け、第一の試練を通り過ぎる。
崩壊はすぐ後ろまで迫り、天井も壁も、通ってきた道から順に瓦礫へ変わっていった。
やがてロビーへ駆け込むと、その先に雪原へ続く出口が見えた。
あと少しだ。あそこまで行けば、彼女を外へ連れ出せる!
先に逃げた者達は、すでに外へ飛び出している。
その直後、地面が大きく跳ねた。
「くっ……!」
足元を取られながらも踏みとどまる。
入口の天井へ亀裂が走り、巨大な石材が出口を塞ぐように崩れ始めていた。
ここで止まれば、彼女まで呑み込まれる。
カイルは右腕へ力を込め、崩れ落ちる天井へ向かって駆け出した。
絶対に、彼女を外へ連れていく。
出口が塞がる寸前、床を強く蹴る。
リセリアを背負った身体が宙へ浮かび、そのまま宝物殿の外へ飛び出した。
雪の上へ着地した瞬間、身体が大きく傾く。
それでも右腕は緩めず、片膝をついてリセリアを支え切った。
その直後。
背後で宝物殿の入口が轟音とともに崩れ落ちた。
巨大な石材が門を塞ぎ、噴き上がった土煙と雪煙がカイルとリセリアの姿を一瞬にして覆い隠した。
風に流されるように煙が薄れ、周囲の景色が少しずつ戻っていく。
雪原へ逃れていた者達は誰もが足を止め、崩れ落ちた宝物殿を振り返る。
「危なかった……なんとか脱出できた……」
カイルは息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
そこには生き残った者達は雪原の各所に集まっている。
負傷者を介抱する冒険者や、互いの無事を確かめ合う者達。
その中に、ハクレインの民が固まっている場所がある。
そこでカイルは、見覚えのある老人を見つけた。
慈愛の試練で、ルカごと地面へ押し倒し、身を挺して庇った老人だった。
身体や衣服には傷が残っているものの、自分の足で雪の上に立っている。
よかった……あの後も、無事だったんだ。
宝物殿の中では、老人がどうなったのか確かめる余裕がなかった。
その姿を見つけたことで、カイルの胸に安堵が広がった。
カイルはリセリアを背負ったまま、老人のもとへ歩み寄った。
「おじいさん……よかった。無事だったんですね」
振り向いた老人の顔が、カイルの姿を見た途端に強張った。
近づいてくるカイルから逃れるように雪の上を一歩後ずさる。
「……来るな!」
老人が自分を見て怯えている。
その理由が分からず、カイルは足を止めた。
「僕ですよ。さっき、試練で――」
「分かっておる……そのうえで来るなと言っておるのだ!」
老人は、カイルの言葉を強い声で遮った。
「お主! これ以上、わしに近づくな!」
「僕が一体、あなたに何をしたって言うんですか! 僕を見て、そんなに怯える必要なんて――」
カイルはまた一歩老人に歩み寄り、手を伸ばす。
だが、老人はこの世が終わったかのような顔でまた一歩距離を置いた。
「こんなやつに助けてもらうぐらいなら、あのまま死んだ方がよかった!」
カイルの言葉が途切れた。
おじいさんの様子が、明らかに変だ……どうして僕をここまで否定するんだ。
カイルは何も言えず、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。




