恋愛小説マニア、断罪現場に立ち会う
※本編1話の頃のお話です。
申し遅れました、私、ソフィ・ミレットと申します。商家ミレット家の一人娘として生まれ、現在はオルコット伯爵家のお嬢様付き侍女、十七歳。趣味は恋愛小説を読むこと、そして分析。読破数、三百冊。お給金の使い道は、ほぼ本です。
その夜、私はお嬢様のお供で、王立学園の卒業夜会に来ていました。
壁際の侍女待機列で、私はそわそわしていました。だって、七年も婚約者をないがしろにしてきた王太子殿下が、最近ますます怪しいのです。男爵令嬢と庭園を歩いていたとか、劇場を貸し切ったとか。この流れ、私は知っています。三百冊のうち、だいたい八十冊で採用される良くない方のシチュエーションの流れ。
(まさかね。現実で、あんな展開)
ありました。
「メリア・オルコット伯爵令嬢! 私は本日をもって、お前との婚約を破棄する!」
出た――――!! 冒頭断罪です! 小説なら第一章! 百回読んだ場面です!
でも、言わせてください。本で読む断罪と、実物の断罪は、全然違いました。まず会場の空気が氷点下になります。何百人の視線が、私の大好きなお嬢様に突き刺さります。そして私の膝は、情けないことに、かたかた笑っていました。
(お嬢様……! ああ、あんなに真っ白なお顔で……!)
駆け寄りたいのに、足が動かない。お嬢様が、ゆらりと傾いで――
「……ふ、ふふ」
笑った?
「承知いたしました、殿下」
背筋がすっと伸びて、扇がぱちんと閉じられて。お嬢様は、それはそれは晴れやかに微笑みました。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします。つきましては――婚約期間七年分の精算をお願いいたします。ソフィ、あれを」
あれ。あれとは。……あれか!!
実は今夜、お嬢様に「これを持っていて」と預けられていた包みがあるのです。ずっしり重くて、てっきり嫁入り支度の目録か何かだと。
開けたら、紐綴じの羊皮紙が三十八枚。数字がびっしり。
「お、お嬢様、本当に配るんですか、これ」
「もちろん。今夜のために七年かけて作ったんだもの」
七年!? 準備がよすぎませんか!? 三百冊読みましたけど、断罪返しの請求書を七年前から用意していたヒロインは一人もいませんでした!
私は震える腕で、来賓の皆様に明細をお配りしました。一部ずつ。宰相閣下には、特に丁寧に。会場のどよめきが、気の毒な令嬢を見る空気から、頁をめくる音に変わっていくのが分かりました。追い詰められたヘンリー王太子殿下がなにやら喚くも…
「はい。ですから王家の帳簿は、いずれ国の帳簿。国の帳簿は、民の血税でございます。――私、お金の話ばかりする女ですので」
ピシャリ。
凛と響くお嬢様の声。真っ赤な殿下。真っ青な男爵令嬢。
……あのですね。ここだけの話、私、このとき不覚にも思ってしまったんです。
(お嬢様、婚約破棄されてるのに――人生で一番、輝いてらっしゃる……!)
何かが変わってしまわれたのは、間違いありませんでした。倒れかけたあの数秒を境に、お嬢様の目に、見たことのない光が宿ったのです。強いて言うなら、決算前の商人の目です(実家が商家なので知ってます)。
――そして。
配り終えた私は、見てしまいました。
会場の隅、柱の陰。黒い礼服の背の高い殿方が、配られた明細を読んでいたのです。
笑うでもなく、囁くでもなく。一枚、一枚。まるで宝物の目録でも確かめるみたいに、丁寧に、丁寧に。
そして顔を上げて、お嬢様を見たときの、あの目。
三百冊の経験値が、警鐘を鳴らしました。
(あれ、恋に落ちる主人公の目、なんですけど……!?このタイミングで!?)
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本作品は、婚約破棄されたので、慰謝料と経費精算願います ~大手会計事務所内定だった転生令嬢は、簿記のわかる公爵さまと複式簿記で恋に落ちる~のスピンオフ作品です。
本編の裏側をお楽しみいただければ幸いです。




