5.Cafe Time with you(31)
31.思い出の場所で混乱する
横になっている大きなソファはふかふか。冷やしたタオルを乗せて、腫れた目を平している。頭上では懐かしい音楽が部屋に響き渡っている。
心地よい音量で――。
Johann Sebastian Bach:Air on the G String(G線上のアリア)
私は、ログハウスの前で大泣きをし、兄に抱きかかえられて今に至る。
やっと落ち着き、気が付いたら泣きはらした目を冷やしていところだ。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
もぞもぞと身じろぎをし、体を起こす。
目を開けると、家具は昔のまま、埃も被っていないような気がする。
カーテンやリネンは……、流石に新しいものになっていそうだった。
ゆっくりと視線を動かし、暖炉の上の時計を見た。
(夜の、7時を過ぎたところ……かな?)
ただ、今の時間を確認するだけで、時間の流れが頭の中でうまく処理できていない。
「瑞葵、起きて大丈夫?」
兄が扉から入ってきて、心配そうに声をかける。
「うん。大丈夫」
そう言うと同時に“グゥ”と腹の虫が主張する。
「ハハハ!お腹は正直だね。何か食べようか」
兄は満面の笑顔だ。
何を食べようか話をしていると、ふとお母さんの作ってくれたご飯を思い出した。
「オムライス、食べたいな……」
「うん……。そうだね。俺が作ってもいいんだけど、今日は疲れたから人の手を借りよう」
そう言って兄が後ろを振り向くと、気配を消していた黒服の女性が一礼をしてキッチンへと向かった。
「お兄ちゃん、あの人、は?」
「ん?あ、お手伝いさんだよ。しばらくは身の回りのことをお願いすることにしたから」
「え?いいの?ハウスキーパーさん……にはちょっと見えないけど……」
「あ~。そうだよね。まあ、そのあたりはもう少し落ち着いたら話すから。今はゆっくりしよう」
「うん……。あ!私、会社を飛び出して来ちゃったんだ!どうしよう……社会人失格だ」
何も言わずに逃げたから、荷物も何も持っていない。
「それなら問題ないよ。他のお手伝いさんが持ってきてくれるから、問題ないよ」
「え?問題ないの?」
「あ~。ん~……。問題ない!」
悩んだ末に言い切る兄。問題しかない。
「私、連絡するよ」
そう言ってスマホを探そうとポケットに手を入れるが、見当たらない。
テーブルの上……にもない。
(ん?スマホが、ない?)
首をかしげると、
「瑞葵のスマホは預かってるよ。新しいのを用意するから待ってて。電話も今はしなくていいよ」
「え?でも、明日も仕事が……」
「ん~。もう行かなくてもいいんだ。巌さんと話しが付いてるから」
ん?なんで?
疑問しかない。
でも、話すつもりがない兄。
「え……。私、社会不適格者?」
ため息をついた。
「違うよ~。巌さんと交渉したから問題ないんだよ」
「え?それで、いいの?」
(なんでも巌さんで解決って……、問題ありすぎ)
1人、眉間に皺を寄せて唸っていると、“お手伝いさん”がオムライスを持ってきてくれた。
「樹様、瑞葵様。お召し上がりください。……あと、お風呂の用意もできております」
そう言って後ろに目配せをする彼女の視線の先にほかの“お手伝いさん”が礼をしている。
「……」
これは、だめなやつだと直感的に理解した。
ふうっとため息を吐き、スプーンを手に取る。
「とりあえず、温かいうちに食べよう。せっかく作ってくれたんだしね」
「うんうん。美味しそうだね」
テンション高めの兄。
(ありがと)
心の中で感謝する。
が――。
「後で、お話しようね」
きちんと釘を刺しておいた。
ログハウスで食べるオムライス。
いつもの定番だった。
Franz Peter SchubertのAve Mariaが今は部屋中に旋律を浮かべていた。




