72.失くさないため
(広場で待つか……)
今日は兄を待つためバックヤードの休憩スペースで待機というわけにもいかなくなった。
兄の仕事が終わるまであと三十分はあるので、好実はオフィスビル近くの広場に向かって歩き始める。
いつもと違い身体は鉛のように重だるいのに、心はぽっかりと空洞が開いたように寒々しかった。
失恋から一カ月経って、また失恋か。そんなことを実感しながら広場にたどり着いた。
「あ、折原さん」
「……え、佐紀さん、何で」
びっくり……広場にはすでに先客がいたのだが、佐紀さんだったなんて。
しかも佐紀さんとは昼にこの広場で会っていて、今も彼は昼と同じ石椅子に座っている。
ということは、まさか……昼からずっとここにいたってこと? やばぁ。
「……佐紀さん、やめてくださいよ。さすがに私、怖いです」
「ん? 何のこと?」
「今更とぼけないでください。昼からずっとここにいたくせに。そこまでして反省を見せて、私に許されようと?」
昼休憩に好実と一緒だった佐紀さんは十七時を過ぎた今も残り続け、しかもその理由は友達をやめると宣言した好実に撤回してもらうため。
でも好実が勝手にそう思いついただけで、そうだと決めつけられた佐紀の方はポカン……。
「いや……えっと……俺はただのサボ……」
「え?」
「ううんっ、何でもないっ。そーなんだよー。折原さんに許してほしくて、俺ずーっと待ってた。えーん」
しぶとさを見せた挙句、最後は泣き落としかとただ呆れた好実は、ヤレヤレと隣に座ってあげることに。
昼間は確かに宣言した通り、本気で友達をやめるつもりだったのだが、やはり相手がこの佐紀さんなだけにあっさりほとぼりが冷めてしまった。
しょうがない。広場でずっと反省していた佐紀さんをちゃんと許してやるか。
「そんなに私と友達やめたくないんですか?」
「うんうんっ、もちろんっ。折原さんは俺の唯一の女友達っ」
「へえ、いくらでもいるのかと思った」
「まさかっ」
「まあいいですよ。友達復活してあげます」
どんな時も佐紀さん相手には態度が大きい好実は今も上から目線で許すと、万歳で喜ばれた。
佐紀さんはプライドなさすぎるのが問題だよな。でもまあ、こんな佐紀さんだから友達やめるにやめられないのだ。
……本当はいつも奢ってくれる佐紀さんを手離すの惜しいしね。
「はぁ……私ってがめつい……」
「ん? そんなことで落ち込むの? 今更じゃん」
「がめついのが私だって?」
「そうそう、がめつくなきゃ折原好実じゃないっしょ」
……確かに、いつも奢る側の佐紀さんにとっては特にがめつい折原好実なんだろうね。友達復活したのを機に、そこは改めるべきかな。
「……佐紀さん、今度は私が奢りますよ」
「えーやだ。折原さんが奢れるのなんて、せいぜいコンビニのおにぎりでしょ? 俺食べない」
「ムカッ。コンビニおにぎりだって、今は高いんですからね?」
「コンビニで安く済まそうとして高いおにぎり買うの? それだったらさ、俺と一緒にまあまあ高い店で飯食おうよ。これからも俺の奢りで」
失恋をきっかけに、佐紀さんとちゃんと友達になった。好実が失恋しても、佐紀さんは何も変わらず仲良くしようとしたから。
いくら鈍感な好実だって、佐紀さんが自分から離れない理由くらいわかっているのだ。
「……佐紀さんは一番不毛かもしれないですね」
「ん? 不問? 不動? 不覚?」
「全部違います。耳悪いですね」
「あっ、わかった。布団! えっ、俺布団ってこと? ひどーい」
いつもこうしてふざけるけど、本当は不毛な佐紀さんか。
男の人も様々だな。それぞれ違うものを抱えている。怖いと思うものも、それぞれ。
「ねえ、佐紀さんにとって恋って怖いですか? ふざけないで答えて」
「えーやだ。無理」
「いいから」
「えー……そうだな。俺は怖いより、失くせないかな」
「第一に失くせないから、怖さは吹っ飛ばすしかない」と続けた佐紀さんは、ちゃんとふざけないでくれた。珍しくふざけない顔のまま、遠くにまで視線を向ける。
「俺の恋を失わない努力はさ、確かに不毛かもね」
さっきはふざけて誤魔化した佐紀さんが、今はふざけちゃいけないばかりに自ら認めた。彼は不毛な恋をしていると。
「じゃあ俺、そろそろ会社戻るわ。あいつ、家帰るのも忘れるから、俺が追い払わないと」
先に立ち上がった佐紀さんは、今日も彼のために動き始める。でもその前に、好実に教えてくれた。
「男は怖くたって、ちゃんと乗り越えるもんだよ。失わないために」
きっと佐紀さんは好実より先に気付いたのだろう。この広場に向かって走ってくる彼の姿に。
彼がたどり着く前に、佐紀さんは好実の傍から去ってしまった。
「小宮山さん……」
佐紀さんと入れ替わるように、今度は小宮山さんが好実の傍に来た。
広場まで走ってきた彼は再び好実と向き合いながらも、肩を弾ませるほど苦しそう。
「間違って、駅に行ってしまった」
だからこんなに息を切らしてるのか。今日は好実が兄を待たず電車で帰ったと思って。
本当はすぐ近くの広場にいたのに。
そんなロスが生まれても、今は好実と向き合った小宮山さんは、制服も脱ぎ去っている。もう十一月なのに、Tシャツ一枚で寒くないのかな。
走った後の今は暑いけど、冷めたら風邪引きそう。彼は忙しい店長なので、そんな心配も思いついてしまう。
さっき自分から別れを切り出して、残酷な言葉で突き放したのに、どうしてこんなに早くまた向き合ってしまったのだろう。
突き放されても追いかけた彼はともかく、なぜ好実はもう一度突き放さないのだろう。
さっき、佐紀さんと一時過ごして心が落ち着いてしまったのか。さすがワンクッションの佐紀さん。
「……今日は、大事なコンビニを忘れすぎですよ。鈴木君一人に任せて」
「今の俺が大事なのは一人だよ。好実ちゃんだけ」
「……コンビニ愛を捨てるんですか?」
「仕方ないよ。俺はこんなに不器用なんだ。好実ちゃんしか愛せない」
さっきはあれほど恋に振り回されて苦しみ、恋のせいで豹変した自分をあれほど怖がった彼が、今はなぜこうも潔いのだろう。
潔く、コンビニ一筋の人生より恋をとってしまった。
このまま好実を逃がさないため今は潔くなれても、どうせまた繰り返すだろうに。
また嫉妬によって我を失くし、そんな自分に怖れ、今度は好実に出会ったことすら後悔するかも。やはり前の自分を取り戻したくて。
好実など出会って二か月足らずで、コンビニを愛した年月の方がはるかに長いのだから。
「私なんて、本当はライバルにもなり得ませんよ。小宮山さんにとってのコンビニとは」
「……コンビニコンビニって、俺はコンビニ命なの?」
「そりゃあ小宮山さんですから」
「何だよそれ」と思わず笑ってしまった彼はその勢いで一歩近づいた。
「残念だけど、俺はコンビニ命なわけじゃない。コンビニ=仕事かな。でも……今の俺は好実ちゃん命」
「……そこまで言ったら、あとで後悔しますよ。あんな大袈裟なこと言わなきゃよかったって」
「するわけないよ。あとは失わないために必死になるだけ」
さっき佐紀さんが残した言葉は、偶然にも今の小宮山さんを表わしているのかも。
今好実と向き合う彼は本当に怖さを乗り越えてくれたのだ。一瞬でも好実を失わないために、こんなにも早く。
何より彼の顔が物語っている。さっき怖さに陥った彼とは別人みたいに、ただ恋する男の顔。
目の前の好実だけに夢中。
「……じゃあ、私も撤回します。本当は別れたくありません」
「好実ちゃん……」
「今日は待っててもいいですか? 兄じゃなくて、小宮山さんと帰りたいです」
俯きながらでも素直にお願いした好実に向かって、小宮山さんの両手がガッと伸びた。しかし無理やりストップさせた手は堪えながら震える。
TPOを守るため、今の小宮山さんは好実を抱きしめたくでもできない状態。
中途半端に手だけ伸ばす彼が面白くて、つい笑ってしまった。
「帰ろっか」
「はい」
今日は一緒に帰るため、まずは小宮山さんを仕事に戻らせなきゃ。
再び恋人同士に戻った二人は手も繋げなくても、同じ気持ちのままコンビニに戻り始めた。




