第3章 第140話 鉄が作れるなら、次は何を作るべきだ?
異世界生活百六十三日目。朝食を終えた神城皇牙は、城の中庭で一脚の椅子を眺めていた。
背もたれをゆったりと倒せる木製の椅子で、肘掛けには丁寧な彫刻が施されている。昨日、職人たちが仕上げてくれた新しい昼寝椅子だ。見た目だけなら、王族が使う家具としても申し分ない。
そして、その椅子にはアストレアで初めて試験製錬された鉄から作った、小さな留め金が取り付けられていた。
「いやあ、いいねえ。こういうのが欲しかったんだよ」
皇牙は満足げに頷き、背もたれへ身体を預けた。木の軋む音がわずかに響いたものの、椅子はしっかりと体重を支えている。試作品の留め金は主要な荷重を受ける部分には使われておらず、職人たちが何度も確認したうえで取り付けたものだ。
それでも、自分たちの国で採れた鉱石から作られた鉄が、こうして身近な道具に使われているという事実は、皇牙の気分を大いによくしていた。
「殿。お気に召されたようで何よりでございます」
隣に立つ巴御前が、穏やかな笑みを浮かべる。
「当たり前だろ。最初は何もない荒野だったんだぞ? それが今じゃ、鉄まで作れるようになったんだからな」
「はい。皆の努力の賜物でございますね」
「そうそう。だから今日は、その努力に敬意を表して、ここで一日ゆっくり過ごそうと思う」
「その前に、朝の召喚が残っておりますが」
「……忘れてないって。ちょうど今からやろうと思ってたところだ」
巴の視線を受け、皇牙は名残惜しそうに椅子から立ち上がった。
毎朝の無料ガチャだけは、どれほど怠けたい日でも欠かせない。むしろ皇牙にとっては、一日の中で最も楽しみな時間の一つだった。
目の前に《英霊召喚ガチャEX》の画面を呼び出すと、いつものように無料召喚の残り回数が三回と表示される。
「さて、今日は誰が来るかな。そろそろとんでもない偉人が出てもいい頃だと思うんだけど」
期待を込めて一回目を引くと、淡い光の中から作業着姿の男性が現れた。
【N・鉱石運搬補助】
「おお、鉱石関係か。ちょうど人手が必要になりそうだし、悪くないな」
二回目に現れたのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。
【N・工具整備補助】
「工具の手入れか。地味だけど、こういう仕事も大事なんだよな」
そして三回目。いつもより少し強い光が広がり、革の前掛けを身につけた壮年の男性が姿を現した。
【R・金属加工技師 ハルト】
「おっ、Rだ! しかも金属加工技師!」
皇牙は思わず声を上げた。ハルトは周囲を見回したあと、胸に手を当てて頭を下げる。
「ハルトと申します。金属の成形や加工を専門としております。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく。今ちょうど鉄を作り始めたところなんだ。腕を貸してくれると助かる」
「それは興味深いことでございます。ぜひ、実際の作業場を拝見したく存じます」
皇牙は嬉しそうに頷いた。昨日までの人口は七百九人。今日の三人を迎え、アストレアの人口は七百十二人となった。
人口一万人にはまだ遠い。高レアリティの排出率が上がる日を思うと気が遠くなりそうだが、こうして必要な人材が少しずつ増えていくのも、ガチャの面白いところだった。
「よし。せっかくだし、今日は工房を見に行くか」
「先ほど、一日ゆっくり過ごすと仰っていたような……」
「鉄の話は別腹なんだよ」
「食べ物ではございませんよ、殿」
巴の呆れた声を背中に受けながら、皇牙は足取り軽く中庭を後にした。
城下町の工房区へ向かうと、朝から金属を打つ音が響いていた。通りには木材を積んだ荷車が行き交い、工房の前では職人たちが道具を運び込んでいる。
数か月前まで、ここには乾いた土地が広がっているだけだった。今では建物の間を人々が行き交い、あちこちから仕事の音が聞こえてくる。
皇牙はその景色を眺めるたびに、少しだけ不思議な気分になった。
自分が建物を作ったのは確かだ。しかし、その中で働き、道具を使い、街を生きた場所にしているのは、ここで暮らす人々なのだ。
「おや、陛下。今日はお早いですね」
工房へ入ると、レオナルド・ダ・ヴィンチが作業台に広げた図面から顔を上げた。その隣では、鍛冶工房の管理を任されているグレンが、黒ずんだ金属片を並べている。
「新しい人材が来たから紹介しに来た。金属加工技師のハルトだ」
「ほう! それは素晴らしい。ちょうど加工方法について意見を聞きたいところだったのです」
レオナルドは目を輝かせ、ハルトを作業台へ招いた。グレンも短く挨拶すると、並べていた金属片を一つ手に取る。
「昨日の鉄を、もう一度熱して鍛えてみました。使える部分はありますが、品質にばらつきがあります」
「ばらつき?」
皇牙が首を傾げると、グレンは二つの金属片を並べて見せた。
一方は表面が比較的滑らかだったが、もう一方には細かな割れ目が入っている。
「同じ炉から取り出したものでも、場所によって不純物の残り方が違います。割れやすい部分を無理に加工すれば、道具として使ったときに壊れるおそれがあります」
「なるほどな。鉄ができたからって、何でも作れるわけじゃないのか」
「はい。今は少量を選別し、加工できる部分だけを使っています」
ハルトは金属片を手に取り、光にかざして表面を確かめた。
「鍛える際の温度や叩き方にも工夫が必要でしょう。まずは小さな部品をいくつか作り、仕上がりを比べてみたいところです」
「いいね。そういうのは専門家に任せる」
皇牙が即答すると、レオナルドが愉快そうに笑った。
「陛下は実に判断が早い。しかし、もう一つ考えていただきたいことがあります」
「ん? 何だ?」
「我々は鉄を作ることに成功しました。ですが、次に何を優先して作るべきか、まだ決まっていないのです」
レオナルドが指差した図面には、農具、工具、荷車の金具、扉の蝶番など、さまざまな品物が描かれていた。
皇牙は思わず身を乗り出した。
「おお、いいじゃん。全部作ろうぜ!」
「そのお気持ちは分かりますが、今の生産量では難しいでしょう」
グレンの冷静な返答に、皇牙は肩を落とした。
「……だよなあ」
鉄鉱石の採れる場所は見つかったものの、北方の森はまだ安全な採掘地ではない。運び出せる鉱石の量も限られ、製錬には木炭と人手が必要になる。
今のアストレアにあるのは、大規模な製鉄産業ではなく、小さな成功を積み重ねている試験工房だった。
「そこで、まずは何に使うかを絞る必要があります」
レオナルドがそう告げたところで、工房の入口から別の声が聞こえた。
「その件でしたら、私からも申し上げたいことがあります」
振り返ると、ジャン=バティスト・コルベールが書類を抱えて立っていた。
「お、コルベール。ちょうどいいところに来たな」
「陛下が工房へ向かわれたと聞きまして。鉄の利用については、財務の面からも優先順位を決めていただきたいのです」
「うっ……。また金の話か?」
「国の資源を何に使うかという話です」
コルベールは平然と答え、持参した書類を作業台へ広げた。
「現在、農具や工具の一部は商人から購入しております。特に修理用の金属部品は、必要になるたびに取り寄せる場合もあります。少量でも国内で作れるようになれば、職人たちの仕事が進めやすくなるでしょう」
「なるほど。つまり、最初は仕事に使う道具を優先した方がいいってことか」
「はい。見栄えのよい装飾品を作るのも結構ですが、それはもう少し先でもよろしいかと」
「まだ何も言ってないだろ!」
「陛下のお顔を拝見すれば、ある程度は分かります」
レオナルドが笑いを堪え、巴も小さく口元を緩めた。
皇牙としては、巨大な城門や格好いい武器にも興味がある。しかし、今ここで無理に作らせたところで、職人たちの負担が増えるだけだ。
何より、道具が充実すれば国の仕事が効率化する。仕事が効率化すれば、将来的には自分へ回ってくる面倒事も減るかもしれない。
そこまで考えて、皇牙は大きく頷いた。
「よし。最初は工具を優先しよう。職人が使う道具を作れるようになれば、ほかの物も作りやすくなるだろ?」
「そのとおりです、陛下」
レオナルドが満足そうに頷く。
「ただし、工具にもさまざまな種類があります。まずは小型の金具や簡単な工具から試し、加工技術を確かめましょう」
「分かった。細かい順番はレオナルドとグレン、それからハルトで相談して決めてくれ」
皇牙が三人へ視線を向けると、ハルトは嬉しそうに頭を下げた。
「お任せください。加工方法の違いによる強度も確かめながら、少しずつ形にしてまいります」
「頼んだぞ。壊れやすい道具を無理に使わせるなよ。怪我でもされたら困るからな」
「承知しております」
グレンの返事を聞いて、皇牙は満足げに頷いた。
そこへ、工房の外から慌ただしい足音が近づいてきた。
「陛下! 少々よろしいでしょうか!」
姿を現したのは、山本勘助の部下である護衛兵だった。
「どうした?」
「北方の調査拠点から報告が届きました。鉱石を運ぶ荷車が、森の入口付近で動けなくなったとのことです」
「荷車が?」
皇牙の表情が変わる。
「怪我人は?」
「幸い、怪我人はおりません。ただ、昨日の雨で地面が緩み、車輪が深く沈んでしまったようです」
それを聞いた皇牙は、ひとまず胸を撫で下ろした。
北方の森には角狼が生息している。調査隊が無事だったことは何よりだが、荷車が立ち往生するようでは、今後の鉱石運搬にも支障が出るだろう。
「殿。私も同行いたします」
巴がすぐに申し出る。
「おう。ちょっと様子を見に行こう。勘助にも話を聞きたいしな」
皇牙は護衛兵に報告を続けさせながら、巴とともに工房を後にした。
北方の森へ続く道は、城下町から離れるにつれて人通りが少なくなっていく。やがて木々の姿が増え、昨日整えた調査拠点が見えてきた。
拠点には休憩室と倉庫、護衛兵の詰所が並び、荷車を止める広場も設けられている。建物そのものは立派だが、森の奥から鉱石を運び出す道については、まだ十分な整備が進んでいなかった。
広場の手前では、一台の荷車が斜めに傾いていた。片側の車輪がぬかるみに沈み、数人の作業員が困った顔で周囲に集まっている。
「おお、本当に埋まってるな」
「殿、お足元にお気をつけください」
巴に注意されながら近づくと、山本勘助と森林測量士のノルドが状況を確認していた。
「殿。お越しいただき恐縮です」
「気にすんな。それより、何があった?」
勘助は荷車の車輪を示した。
「昨夜の雨で、道の一部が軟らかくなったようです。荷車が通るたびに地面が削れ、この状態になりました」
「なるほどな。じゃあ、道を直せばいいのか?」
「はい。ただし、単に表面を固めるだけでは、雨が降るたびに同じことが起こりかねません」
ノルドが横から説明を加える。
「この辺りは斜面から水が集まりやすい場所です。先に水の逃げ道を作り、荷車の通る部分を整えた方がよいでしょう」
皇牙は二人の話を聞きながら、ぬかるんだ地面を見下ろした。
《国家創造EX》を使えば、道路そのものは一瞬で作れる。だが、どこに水が流れ、どの場所が崩れやすいのかまでは、現場を知る者の判断が必要だった。
「じゃあ、勘助とノルドで道の形を決めてくれ。俺はそのとおりに作る」
「承知いたしました」
勘助とノルドは周囲の地形を確認し、荷車が通る位置と排水の方向を決めていく。皇牙はその間、作業員たちに荷車から離れるよう声をかけた。
位置が決まると、皇牙は地面へ手を向ける。
「《国家創造EX》!」
淡い光が走り、ぬかるんだ地面の脇に排水溝が現れた。続いて、荷車が通る部分には丈夫な石造りの路面が形成される。斜面から流れ込む水を逃がし、車輪が沈まないようにした、短い搬送路だ。
「おお……!」
作業員たちから感嘆の声が上がる。
皇牙は得意げに胸を張った。
「ふっ。道路工事なら任せろ。俺にかかれば一瞬だからな」
「殿のお力には、いつも驚かされます」
勘助はそう言いながらも、完成した路面の端を確かめていた。
「ただし、雨の後は様子を見る必要があります。排水が想定どおりに働くか、しばらく確認いたしましょう」
「了解。そこは任せた」
荷車は作業員たちの手で慎重に引き出され、新しい路面の上へ移された。今度は車輪が沈むことなく、ゆっくりと前へ進んでいく。
その様子を見届けた皇牙は、ようやく肩の力を抜いた。
「よし。これで鉱石も運びやすくなるな」
「はい。ただ、森の奥については、まだ調査が必要でございます」
勘助の言葉に、皇牙は頷いた。
「分かってる。角狼もいるし、無理に奥まで進む必要はない。安全が確認できた場所から少しずつだ」
巴も静かに頷く。
「護衛の配置については、引き続き私が確認いたします。作業員たちが安心して働けるよう、警戒を怠らぬようにいたしましょう」
「頼んだぞ、巴」
皇牙は森の奥へ視線を向けた。
木々の向こうには、まだ調べられていない土地が広がっている。鉄鉱石がどれほど眠っているのかも、ほかに何が見つかるのかも分からない。
だが、それを一日で確かめる必要はない。
少しずつ道を整え、人を集め、技術を育てていけばいい。そうしているうちに、いつか自分の思い描いた国が完成するのだろう。
「……まあ、その頃には俺も、もっと楽ができるようになってるといいけどな」
「殿は今でも、十分にお休みになっておられると思いますが」
「巴。それ以上は言わなくていい」
思わず苦笑した皇牙に、巴も楽しそうに笑った。
城へ戻る頃には、すでに昼を過ぎていた。
皇牙は中庭の昼寝椅子へ腰を下ろし、空を見上げた。暖かな日差しが降り注ぎ、風が庭の木々を静かに揺らしている。
今日も結局、朝から工房へ行き、北方の森まで足を運ぶことになった。のんびり過ごすつもりだった予定は、見事に崩れてしまったわけだ。
「……なんか、最近こういう日が多くないか?」
「殿が楽しそうにお出かけになるからではございませんか?」
「それを言われると反論できねえな」
皇牙は椅子の背もたれを倒し、ゆっくりと目を閉じた。
鉄を作れるようになった。新しい職人も増えた。北方の道も少しずつ整っている。今日の成果を思い返すと、自然と口元が緩んだ。
「なあ、巴」
「はい、殿」
「いつかさ、鉄をたくさん作れるようになったら、すげえ立派な城門を作ろうぜ。でっかい歯車が動いて、見ただけで圧倒されるようなやつ」
「ふふっ。殿らしいお考えでございますね」
「だろ? そのためにも、まずは職人たちに頑張ってもらわないとな」
「はい。きっと、皆も喜んで力を貸してくれることでしょう」
皇牙は満足げに頷き、椅子の上で身体を伸ばした。
国を作るというのは、思っていた以上に面倒なことが多い。けれど、自分が好きなことをしているうちに、少しずつ街が変わっていくのは悪くなかった。
何より、その変化を一緒に喜んでくれる仲間がいる。
「……よし。今日はもう何もしない。絶対に昼寝する」
「承知いたしました。では、私は少し離れたところで警護しております」
「おう。ありがとな、巴」
皇牙が目を閉じると、巴は静かに一礼して歩き出した。
その背中を見送りながら、皇牙はふと思う。
いつか国がもっと大きくなったら、巴にもゆっくり休める日を作ってやりたい。自分だけが昼寝を楽しんでいては、さすがに申し訳ない。
そんなことを考えているうちに、心地よい眠気が訪れた。
アストレアの工房では、今日も職人たちが新しい鉄製品の研究を続けている。北方の森では、調査隊が安全な道を確かめながら、少しずつ鉱石を運び出している。
そして、そのすべてを任せた国王は、午後の日差しの中で幸せそうに眠り始めた。
本人が望む悠々自適な生活は、まだ完成にはほど遠い。
それでも、今日のアストレアは、昨日より確かに一歩だけ前へ進んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
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そして本日はここまで明日も10話投稿します。
よろしくお願いいたします。




