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『面倒をみただけでした。』(連載版)  作者: くろめがね


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第五話 列を乱す旗

5話です。

朝は、風の匂いが違っていた。


焼け跡の煤とは別の、湿った革と鉄の匂いが混じっている。

誰かが近づいているときの空気だった。


私は水の器を並べながら、それを感じていた。

空は薄く曇り、光は弱い。

人の顔が少しだけ疲れて見える色だった。


子どもたちは、まだ眠気の残る声で笑い合っている。

大人たちは火の周りに集まり、低い声で話していた。


「……来るらしい」

「本当にか」

「旗を見たって」


噂は、火の粉のように広がる。

誰かが見たと言えば、見ていない者まで見た気になる。


私は聞こえていても、振り向かなかった。

水の高さを揃え、列を整える。


順番が見える形にしておけば、

人は不安より先に並ぶ。


「ねえ」


背後から声がした。


振り返ると、村の女が立っていた。

目の下に影があり、眠れていない顔だった。


「あなた、怖くないの」


質問というより、確かめる声だった。


「何が」


「……あの人たちよ。兵士。旗。偉い人たち」


言葉の端が震えている。

怒りとも、期待ともつかない揺れ方だった。


私は少し考えてから答えた。


「順番が変わるなら、困る」


女は一瞬、何も言えなくなった。

それから、少し笑った。


「ほんと、あなたって……変」


変と言われることは珍しくなかった。


そのころ、鎧の男は外れの方に立っていた。

村の入口を見ている。


姿勢は静かだが、背中は固い。

迎える準備をしている人間の背中だった。


遠くで、馬の蹄の音がした。


小さく、しかし確かな音。


子どもが最初に気づいた。


「ねえ、誰か来る」


声が広がる。


笑っていた顔が止まり、

手を動かしていた大人たちの視線が一斉に向いた。


土煙が見えた。

旗が揺れている。


紋章の形は、ここにいる誰もが知っているものだった。

知らないふりをしていても、体が覚えている。


迎えだ。


誰かが小さく呟いた。


期待と恐れが、同じ速さで広がっていく。

救われるかもしれない。

責められるかもしれない。


人は、希望と罰を同時に想像する。


私は器を持ち上げ、位置を少しだけ変えた。

列が崩れない場所へ。


「並んで」


声は大きくない。

でも、聞こえた人から動いた。


子どもが並び、大人が後ろに立つ。

自然に列が生まれる。


村人の一人が、私を見て小さく笑った。


「……ほらな。あの子がいると、なんか大丈夫な気がする」


隣の男が頷く。


「怒鳴らないのに、皆が動く。変なやつだ」


彼らの声には、敬意と戸惑いが混じっていた。

英雄を見る目ではない。

隣人を見る目に近い。


馬が止まる。


鎧の音が重なり、旗が風を切った。


先頭の兵士が降り立つ。

整った動きだった。


視線が村を走り、

やがて、鎧の男で止まった。


一瞬だけ、空気が変わる。


兵士の顔に驚きが浮かび、

すぐに膝が折れた。


「……ご無事で」


低く、抑えた声だった。


村人たちがざわめく。

誰かが息を呑む。


名前は出ていない。

でも、立場は隠しきれない。


私は列の端からそれを見ていた。


順番が揺れる。


鎧の男が、兵士に小さく手を上げた。

言葉を制する仕草だった。


「今は、ここではない」


静かな声だったが、命令の響きがあった。


兵士は戸惑いながらも頷き、立ち上がる。


その視線が、私に向いた。


値踏みではない。

確認するような目だった。


「……この方が」


言いかけて、止まる。


鎧の男が、わずかに首を振った。


名前は、まだ落とさない。


私は器を一つ、前へ出した。


「水は先に子ども」


兵士が一瞬、戸惑う。

次の瞬間、周囲の視線を感じて理解した。


列は、すでに出来上がっている。


秩序は、命令より早い。


兵士は深く息を吐き、

ゆっくりと後ろへ下がった。


村人たちのざわめきが、少しだけ柔らぐ。


誰かが小さく笑った。


「……やっぱり、順番なんだな」


私は何も答えない。


鎧の男が、私の隣に立った。


さっきより、近い距離だった。


触れない。

でも、離れない。


「……君は」


彼が言いかけて、やめる。


言葉より先に、彼の肩の力が抜けた。


守ろうとしていた人が、

守られる列の中に立っている。


それを理解した顔だった。


旗が風に鳴る。


村はまだ瓦礫のままなのに、

世界の方が、ここへ足を踏み入れてきた。


私は思う。


順番は、きっともっと増える。


でも、やることは同じだ。


並べて、待たせて、取り残さない。


それだけだった。


誤字脱字はお許しください。

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