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時の掌握者  作者: 夢我霧中
三章
35/39

08

 園内から直接行き来できるそのホテルは少なくとも慧を気後れさせていた。慧の持っている資産からすれば少なくともこのホテルを暫く利用しても問題ないだけはある。ただ、そうであっても拭えないものはあるわけで。


「それで、どうしたのよ。さっきから借りて来た猫のように大人しくなって」

「何というか、こういう所とは縁がなかったから」

「そ。まぁいいわ。じゃあ部屋まで行きましょう。慧も早く休みたいでしょ」


 慧は視線を周りにキョロキョロと動かしながら乃彩の言葉に頷く。


「そう、だな。で、どんな部屋なんだ?」

「スイートルームよ。私は普通の部屋で良かったのだけれど、条件に会う部屋って生憎ここしか空いていなかったのよね」


 鍵を受け取った乃彩は何でもない事のようにそう言うが、よりによってかと慧は思わないでもない。とはいえ今更どうする事もできようもなく、自分が払うわけでも無いのだから構わないか、と自らを納得させると乃彩の後ろを付いていく。

 エレベーターが9階を告げ、部屋の扉を開けると半ば予想できた光景がそこにはあった。


「……良い部屋だな。何というか、落ち着かないが」

「慣れろとは言わないけど、休息はしっかり取るべきよ。明日は多分、大変だと思うから」


 近くの机に鞄を置くと、乃彩はベッドへと腰掛けた。そしてボフッという音を立てながら後ろに倒れこむと大きく溜息をついた。


「あー、今日も疲れたぁ」


 こういった言葉が乃彩から出てくるとは思っていなかったため、年相応の少女のような言葉に慧は少しばかり驚く。

 そして部屋をぐるりと見渡し、あることに気づく。


「ベッド一つなんだな……」

「仕方ないじゃない、広さは十分あるのだから問題はないはずよ。嫌なら床で寝ても良いけど?」

「その、何というか。あまり気にしないのか?」

「変なことしたら撃ち抜いた上でボスに報告ね。それでも良いならお好きにどうぞ」


 何を、というのは聞かなくても理解できた。しかし、冷静に考えるとそんなことは起こり得ないと判断した慧は、思考からその光景を除外する。


「わかった。寝相はそんなに悪くない方だと思う。ベッドの件はもう良い。それより」

「明日のこと?」


 頷く慧に、乃彩はゆっくりと上体を起こすと窓の方に視線をやる。時刻は六時前だというのに、相変わらず賑やかな空間で。

 乃彩は携帯を鞄から取り出すと、情報を確認する。


「そうね。やはりと言って良いかしら。どこで取引が行われるかはわかってないわ。おそらく決まってすらないと思うわ」

「そういえば聞いてなかったが、どことどこの取引なんだ?」

「麻田とレス・シグノ。ま、そこは気にしなくて良いわよ。能力者は多分いないから」


 麻田にレス・シグノ。麻田は国内でも有数の総合商社を有するグループ企業だ。当然扱う品も多岐にわたる。黒い噂はないこともなかったが、デマであることが確実とされていたものばかり。


「麻田って、あの麻田グループのか?」

「そうよ。真っ当なビジネスもやってはいるけど、ここのところ裏組織との繋がりを強めているみたい」


 乃彩が携帯を慧に投げ渡す。表示されているのは今回の資料。レス・シグノを名前しか知らない慧にもわかるようにどのような組織かの注釈まで入れられている。


「今回の件、二人でどうにかなるのか?」

「私とあなたでどうにもならないというのなら、余程の状況だと思うけど」


 そう言い切る乃彩にそれもそうかと、資料を眺めながら考える。


「慧はおそらくさっきの軍人には勝てるでしょう?」

「確信はないが、おそらくは」

「そもそも軍が治安維持に派遣するのは佐官まで。あの男、中隊長なら少佐といったところかしら。ただそれでも私たちの方がおそらくは強い」

「つまりもし俺たちで対処出来ないなら、甚大な被害が確定しているってことか」


 敷根悠仁。確かに弱くはないのだろう。戦闘は見ていないものの、鈴やあの異形種のような重圧は感じられなかった。クロノも慧に、敷根への注意は促してはいなかった。


「安心して良いわよ。どちらも強力な能力者は確認されていないわ。精々がうちの非戦闘員クラスね。もっとも、民間人からしたら脅威なのは違いないけれど」

「……わかりづらいな。まぁ大丈夫ということか」

「私が気になっているのはなぜ敷根とかいう少佐が来ているのか、ということよ。彼、慧の聴取を行った軍人でしょう?」

「そうだな」

「さっきも言ったけれど、治安維持に出てくるのは佐官までなのよ。佐官では一番下とはいえ、たかが匿名での密告に出てくるにしてはおかしい気がするの」

「つまり今回軍が動いてるのは敷根の独断ということか。だけど、それもリークにある程度の確証を得ていないと動かないはず。全くわからない」

「そうね。現段階だとどうにも読めないわ。仮に軍と対立したところで今更だし、最悪こちら側は引き下がっても構わない。そう考えると意味がわからないわね」


 立ち上がり、窓の方へと歩いていく乃彩から視線を外すと、慧はショルダーバッグからメモ帳を取り出した。


「状況を整理しよう。情報が多すぎる」


 こんがらがってきた情報を整理するために、慧はペンを持つと、表紙をめくって図を書いていく。


「今回はレス・シグノと麻田の取引の妨害。向こうはただの資金調達のための薬物売買。俺たちがこれに食ってかかった理由としては、軍への支援も大きく、ノーフェイスとの繋がりもあると見られている麻田への牽制。そして慈善活動も兼ねている」

「そうね。その認識で間違いないわ」


 麻田とレス・シグノ、アンノウンを書き込む。そして少し離れたところに軍とノーフェイスを書き加えた。


「話がややこしくなったのは、そこに軍が介入してきたから。どの組織も一枚岩でないことは確実。どこの組織が、というのは確証がない。ただ、先日俺が襲撃された件は尋問の結果ノーフェイスによるものだった。表向き、誰も得をしない軍へのリーク。もし得をするとしたらノーフェイスの可能性が高い。その他の第三者の可能性もないことはないだろうが可能性は低い、こんなところかな」


 それぞれの目的を書き加えていくも、ノーフェイスのところで手が止まる。どこまで今回の件に関与しているのかわからない集団。


「今の状況からだとそう考えるのが自然ね。もっとも、ノーフェイスが私たちに干渉する理由が一切不明なところが怖いけれどね」


 どこまで思惑通りなのか、それともほとんど関わりがないのか。不透明な現状に慧は、えも言われぬ不気味さを感じるのだった。



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