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 次にエルネスタがアルトゥールに滞在したのは、姉であるアデルハイドのお産が近づいたときだった。

 最初に屋敷を訪れたときからジークリードの憎悪を感じていたので、ああこれはバレたのだなと思ってはいた。


 しかし、こんな時期に、アデルハイドが滞在している屋敷の離れに一人で来たことには驚いた。


 屋敷の鍵はすべてジークリードの支配下にある。立てこもることもできない。

 そう腹をくくったエルネスタはジークリードを招き入れた。

 扉を開けた途端、普段の取り澄ました顔を投げ捨てたジークリードに腕を掴まれる。


 「フランシスの娘が、お前に頼まれて一芝居を打ったと説明してくれた」

 「そう」


 バレたのならば仕方がない。

 フランシスの家を襲った男も、襲われた娘も、すべてエルネスタの仕込みなのは事実だった。あれは、予知ではない。巷によくいる占い師の汚い手段を真似た自作自演の茶番劇だったのだ。

 「この嘘つき女め! よくもこの俺を騙してくれたな?!」

 「……レーネに手を出そうとしていたのは本当のことでしょう。私としては、それを回避するために知恵を絞っただけよ」

 ジークリードは、ちっ、と舌うちをした。

 「ならば、お前の掴んでいる俺の不義を言い立てればよかっただろう。あんな馬鹿げた芝居を打つ必要はなかったはずだ」

 「それだけであなたが諦めてくれるならば良かったのだけど――それだと、やはり『死の瞬間』が消えなかったから」

 「まだ、それを言うか」

 憤怒の形相でエルネスタの腕を掴むジークリードの瞳に、情欲の色が浮かんでいることを、もちろん二人ともわかっている。今だって、ジークリードが来たのは、エルネスタに言いがかりをつけ、怒りにまかせたという言い訳で自分のものにするためだ。


 「もし、私に少しでも手を触れたら、次に死ぬのは、あなたよ」


 だから、エルネスタは、ジークリードに危険を冒してまで、この話をしたのだ。

 ――自分を、恐れさせる、そのために。


 ジークリードは、昔からエルネスタにも色目を使っていた。ジークリードは手の早い男で、女に言うことをきかせる術を知っている。しかも、もし関係が露見したら、誘惑したと世間から謗られるのはエルネスタの方だろう。

 それを見越してジークリードがエルネスタを犯し、口封じするという手段を封じる必要があったのだ。

 「言ったでしょう。私が予知できるのは、『死の瞬間』だけ。それ以外のことで私の予知が正しいと示すことはできない。信じてもらうだけの証をあの時の私は持っていなかった。だから、時間稼ぎが必要だったのよ」

 「どういう意味だ」

 腕の力が弱まる。エルネスタはジークリードの腕を振り払った。


 そう、時間稼ぎが必要だ。


 「妹が殺したあなたの子供が、男なのか女なのか、それを当てれば、あなたは信じたでしょう。でも、それでは子供が生まれるまでの間にあなたは妹に手を出してしまう。今はもう、産み月だから、私の言うことが正しいのか、あなたはすぐに確かめることができるわね」

 「言ってみろ」

 ジークリードが言葉を促した。迷わずエルネスタは口を開く。

 「妹が殺すのは、私の甥よ」

 「後継が、生まれるのか!」

 彼の血が貴族として続くことを聞いて、さすがに嬉しかったのだろう。こんな時にもかかわらず、ジークリードは、喜色を顔に表した。

 しかし、喜ぶ風もなく、エルネスタは、顔を曇らせて下を向いた。

 「あなたは、獣腹けものばらを気にする家系かしら」

 「……?」

 獣腹とは、多胎児を生んだ女性に対して、人間ではなく獣のように多数の子供を産んだと罵る言葉だ。今ではそれを忌む風習は薄れたが、王族などではまだ気にすることがあると聞く。

 もちろん、ジークリードのような辺境の騎士の一族では、多胎児を忌む風習はない。

 「私の姉の子供よ。どうか、守ってあげて」

 「どういう意味だ、エルネスタ!」

 そう言うと、エルネスタは、踵を返す。いつの間にか扉の位置へとのがれていたエルネスタが扉を開け、離れから逃げ出しても、ジークリードは追わなかった。


 ――もし、私に少しでも手を触れたら、次に死ぬのは、あなたよ

 エルネスタが言い置いた言葉が、どうしても頭から消えなかったからかもしれなかった。



 一週間後、アデルハイドの産んだ子供は、双子だった。

 医者すらも予想していないことであり、難産だったアデルハイドは、しかし健康を取り戻した。

 その後、アメルハイザー家は、予想もしていなかった増えた子供の準備に、しばらく忙しくなったという。


 「お久しぶりです。お姉さま!」

 レーネがアルトゥールから離れたエルネスタの屋敷に逗留したのは、それから二か月後のことだった。

 少女の溌剌さの下に、少し物思いの色を含んでいる。しかし、その清純さは失われていない。

 結局、ジークリードはエルネスタの言葉を信じたのだろう。危険を冒した甲斐はあった、とエルネスタは思う。

 「王宮に行儀見習いに行くと聞いたわ。しっかりね!」

 「はいっ! アメルハイザー家の名前を汚さないように、しっかりと勤めて参ります」

 淑女の礼を取るレーネに、エルネスタは、にっこりと笑った。

 少し考えなしで、他人の善意を疑わず、自分の我がままが通ると思っている末っ子。

 でも、可愛い可愛いエルネスタの妹。


 ――あなたをきっと守ってみせる。


 「一つ、かわいいレーネに、忠告をあげるわ。王宮には、たくさん素敵な男性がいるけど、口説き文句に騙されちゃだめよ。あなたのようなかわいい淑女には、口説き文句を言うのが礼儀みたいなものなの。そして、淑女はそれを躱すのが礼儀なのよ。本気にしたら淑女として失格なの」

 「失格……?」

 「そうよ。例えば、ジークリード様!」

 ぱっ、とレーネの顔に赤みが差した。

 「えっ?」

 「ジークリード様もあなたにそういう口説き文句を言うでしょう?」

 「……!」

 レーネの顔の赤みが濃くなった。

 「ジークリード様は、王宮にもよくいらっしゃるから、そういうことを言うのが癖になっていらっしゃるのね。ああいうことを言われても、本気にしてはだめよ」

 もう既に、レーネはジークリードに恋している。恋する少女の稚拙な考えで、ジークリードもレーネに恋していて、アデルハイドさえいなければジークリードと一緒になれる――という結論に達する前に、その考えを叩き潰しておく必要があった。

 「姉さまにも……ジークリード様はそういうことを言うの?」

 「ええ。もちろんよ!」

 論ずるまでもないという軽い口調で、朗らかになんでもないように、エルネスタはそう言い切った。

 羞恥、怒り、落胆、失望。そんな感情が次々とレーネを通り過ぎていくのがわかる。

 ぽたり、ぽたりと涙が落ちる。

 「レーネ?」

 気遣う声と共に腕を差し伸べると、レーネがその中に飛び込んできた。

 「……っ、違うのっ、寂しいから、泣いてる……のっ!」

 「そうね。私も寂しいわ、レーネ」

 感情を隠せない妹。その危うさと幼さに不安を覚えながら、エルネスタは宝物を抱くように妹を抱きしめる。

 声をあげて、レーネは泣いた。


 しばらく泣きじゃくった妹は、やっと落ち着いた。子供のころのように、エルネスタの腕の中で甘えたように身体を摺り寄せる。

 「私も、素敵な方と素敵な結婚ができるかしら」

 その言葉は、レーネが失恋を受け入れた印だろう。

 「ええ。きっと、見つかるわ。素敵な方が」

 エルネスタは、心の底から、妹の幸せを願いながら、その背を撫でた。

 「姉さまは……どうだったの?」

 その問いに、エルネスタは、思わず、驚きに息を飲んだ。

 アデルハイドもレーネも本当の夫の死因を知らない。夫の裏切りも、知らない。


 しかし、エルネスタは、微笑んだ。


 夫の『死の瞬間』を見なければ、エルネスタの見る『あれ』が想像や妄想ではなく、本当のことだと確信することはなかっただろう。

 確信していなければ、レーネのことも、夢か何かだと思って、見過ごしていたかもしれない。


 ――だから、夫との出会いがエルネスタの一番大事なものを守ってくれたのは、きっと確かなことなのだ。



 「そうね。死によって二人は分かたれてしまったけど――私は夫に会えたことを、神に感謝しているわ」



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