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40話

 いつもと変わらない言葉が聞こえた次の瞬間、あたしは喉に苦しさを覚えた。


 息ができない。


 びっくりして喉に手を当てると、そこにあったのは手。


 当然、その手はあたしじゃない。


 目の前にいる、白雪さんの手しかなかった。


 指は遠慮なんてないくらい、強くあたしの首に食い込んでいく。


 いつもはできている呼吸が、今はできない。


 苦しさで小さくなった視界から見える白雪さんの表情は、いつもと全く変わっていない。


 何でこんなことをされてるか分からない混乱の頭の中に、白雪さんの声が聞こえてくる。


「苦しいですよね? 今、間森さんすっごく死にたくないって思いますよね? もっと、もっと生きたいって思いますよね? 今、間森さんすっごく死にたくないって思いますよね?」


 ゆっくりと話しかけてくれる口調は、勉強会であたしに『教えて』くれているのと同じだった。


 表情も一緒。


 真面目で大人しいあたしが知ってる、白雪さんと変わりはない。


 そうだ。


 今すごい死にたくない!


 やだ、あたし、もっと生きたい!


 声も出せなくって身体を何とか動かしたり白雪さんの手を放そうとしたりするけど、一向に力は弱まらないどころかさらに強くなってくる。


「それくらい暴れたくらいじゃ、音も立ちませんし誰も来ませんよ? いくら間森さんの家だからって言って、これくらいの音は下には聞こえません。それに、あたしがご家族にどう思われてますか分かってますよね? ほら、間森さん、もっと今、生きてるって教えてあげますよ」


 白雪さんのゆっくりした言葉は、パニック状態のあたしにも分かるくらいに染みこんでいく。


 本当に、あたしこのまま殺されちゃうの?


 何で、白雪さんがそんなことするの?


 あたしが悪、やっぱり悪い事したの?


 でも、そのどれもが混ざり合って訳が分からない。


「今あたしに殺されちゃうかもしれないって不安ですよね? でも、今は生きてるってすごく思いますよね? それって嬉しいですよね? だって、さっき分からないって言ってた生きているってことが、すっごく実感できてるんですからね?」


 ああ、そっか。


 凄い、わかるよ。


 あたし生きてるってこと、白雪さんはこうして教えてくれるんだ。


 嬉しい。


 嬉しい。


 生きてるって感じるって、あたしがちゃんと生きてるって知るのってこんなに安心するし嬉しいんだ。


 もっと、もっと教えてよ!


 生きてるって、あたしが生きてるって教えて!


 それに気が付いたあたしは、抵抗のための手を放した。


 もっとあたしに、生きてる事を感じさせて欲しい。


 そしてその内に、白雪さんに本当にあたしの全てを委ねている感覚があたしの中に湧いてきた。


 今は生きるのも死ぬのも、全部白雪さんが握ってる。


 それはあたしが何も決めなくっていい安心感に繋がって、あたしの心を満たしていく。


 あたし、何も決めなくていいんだ。


 ああ、すごい楽で気持ちいな。


 もっと、この時間が続いてほしいなぁ。


 そしてそんな安心を感じ始めてどれくらい経ったか分からない頃、ようやく白雪さんはあたしの首から手を放してくれた。


「がはっ!はぁ……はぁ……はぁ……」


 呼吸ができたことで、あたしはさらに生きてるってことを実感できた。


「どうですか? 生きてるって、感じることができましたか?」


 顔を上げたあたしの前にあったのは、白雪さんの笑顔だった。


「どうですか?今でも、生きてるのが無駄だって思いますか?」


「そんなことない。そんなことなかった。やだ、やだ、もっと生きたい!そう……すごっく思った」


「よかったです。分かってくれれば、あたしは嬉しいです」


 勉強会であたしが躓いていた問題を一緒に考えていって、解けた時と同じような白雪さんは反応。


 そしてあたしが小さく頷くと、頭をゆっくり撫でてくれた。


 あたしの言葉全てが正しかったって、白雪さんはそうすることで教えてくれていた。


「あのね、白雪さん。お願い」


「どうか、しましたか?」


 そして、あたしはある欲求を白雪さんに告げる。


 おかしなことかもしれないけど、あたしはさっきの時間に今まで感じたことのない悦びと安心を覚えた。


 悦びは、本当に生きてるって実感できるから。


 安心は、あたしの全てを白雪さんに委ねられるから。


 その二つから感じた感覚は、麻薬のようにあたしに染みこんでいた。


「また、してほしい。あたしが不安になった時、また今日みたいなことあたしにしてほしい。すごくね、嬉しかったから……。不安になったら、こうしてほしいの。お願い」


 あたしのお願いだからきっと白雪さんならやってくれるって思ったんだけど、さすがにダメって言われるのは分かる。


 さすがの白雪さんだって、危ないしこんなこと二度としたくないはず。


「わかりました。あたしが、次はもっと……くすっ、そうですね、悦ばせてあげますからね? 間森さん」


 だけど、次に聞こえてきたのは嬉しさをたくさん含んだ白雪さんの明るい声。


 そして、頭をまたゆっくり撫でてくれた。


 それで本当に白雪さんはどんなあたしでも受け止めてくれて、どんなお願いも聞いてくれるって確信した。


 もう、あたしは白雪さんを放したくなくない。


 何があっても、誰がなんて言ってもあたしの側に居てほしい。


 そのためには、なんだってしてみせる。


 そう、なんだって。


 白雪さんの笑顔を見ながら、あたしはそう強く思った。




 あの後は、普通の白雪さんとあたしだった。


 勉強会の続きをして、白雪さんの家の事もあるからって今は当たり前になった一緒の晩御飯もいつも通り。


 どうやら、白雪さんはあの家で一人暮らし。


 父親と母親はめったに帰ってこないらしく、一人で家事を全部やってるって教えてくれた。


 それもあって、今では晩御飯はあたしの家族と一緒。


 白雪さんの食べ方はきれいで、お母さんが感心してた。


 あたしも白雪さんにコツを教えてもらったから、大分きれいになったけどまだまだ。


 お皿洗いは、あたしと白雪さん。


 お母さんはお客さんだからって渋っていたけど、どうしてもごちそうになったお礼をしたいんですっていう白雪さんに根負けして、あたしが一緒にやるってことで落ち着いた。


 そんな時間を過ごして白雪さんとまた明日って別れたあたしは、一人部屋に戻って鏡を見ていた。


 跡はないけど、確かにまだ白雪さんの手があった感覚はある。


「夢じゃない。あたしのためにここまでしてくれたんだ。優しいんだ、白雪さんは本当に。それに、またしてくれるって言ってくれた。あたし、もっと、甘えたくなっちゃうな……。もっと、白雪さんに甘えたいな。全部、あたしの全てを白雪さんにあげたいな」


 甘えたい。


 そう、白雪さんにすべてを委ねるくらいあたしは甘えたいんだ。


 だけど、それが正しいかどうか、まだあたしには分からなかった。

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