12.魔法喰いはあきらめない
左手に米を盛った茶碗を持ち、右手に箸を持つ。
由緒正しき和食スタイルだ。時刻はもう正午を回っている。
「さあ、やってくれ」
「え、えええぇぇ……。……なんか……ヤです……」
エルディノーラが戸惑いの表情を浮かべた。
「いいからやってくれ!」
血走った目を見開いて、ナナヤが大声を出す。
その唇の端からは涎が垂れている。若く、瑞々しく、そして美しい娘であるエルディノーラを見ながらだ。
『ナ、ナナヤよ。おまえ、正気か……』
「正気も正気だよ、マオさん! 味だぞ! 魔法には味があったんだ!」
大発見である。
『いや、ない……あり得ぬ……』
「あったんだよ! 少なくともおれにとっては!」
迂闊だった。
青狼マオの前世である魔王ヴァルフィナと戦い、彼女を打ち倒し、呪いのアイテム【魔王の魔力】に寄生されて以降、味覚を失った。
食に対し、並々ならぬ執着を持っていたナナヤにとって味覚を失うことは、生きる気力を殺がれるも等しいことだった。
当初は様々な食材を取り寄せ、口に運んだ。農産物や海産物のみならず、香辛料に調味料などを直接舌へ塗り込んだこともある。
だが何を食べても、無機物を口に入れるようなものでしかなかった。
そして数年が経過した頃、ナナヤはあきらめた。
結果としてナナヤは館にヒキコモリ、用がなければ外に出ることもしなくなった。
かつて戦い続けてきた勇者は、戦うことをやめてしまったのだ。
だから当然のように、何かしらの敵に魔法を撃たれるようなことも、この二十年間はなかった。ましてや青狼となったヴァルフィナは、今や最大の理解者であり、友でもある。魔法を撃ち合うことなどない。
つまり、他者の魔法と接する機会がなかったのだ。よもやそれに味があるなどとは思うわけもなく。
「頼む! エルディノーラ! キミの魔法をおれに喰わせてくれ!」
「え、えええぇぇ……あの……それより弟子入りの件は……?」
「許可する。キミが毎朝おれのために魔法を撃ってくれるならばだが」
『プロポーズか……』
エルディノーラが頬を染めた。
「わ、わかりました。そんなことでいいのでしたら……」
「うん。エルディノーラ、キミは最高のシェフになれるぞ」
「シェフじゃだめなんですってば。魔術師か魔法剣士になりたいです」
「なんでも好きなものになれるさ!」
無責任且つ適当なことを言って、ナナヤがずいっと茶碗を差し出す。
「そんなことより頼む。雷系は使えるかい?」
「はあ……一応。でも、どうしましょう? 雷系は一瞬で消えてしまうので、火系のように食べるのは難しいかと思います」
「おれの口に向けて直接ぶち込んでくれ。キミの雷を。さあ!」
エルディノーラが長い金髪を勢いよく左右に振って叫ぶ。
「そ、そんなことしたら死んじゃいますよぉ!?」
『くっく、頭部に直撃はさすがに躊躇われるのう』
ナナヤがいい笑顔で親指を立てた。
「大丈夫だ! エルディノーラのへっぽこ魔法程度なら耐えて見せる! 味覚のためならば!」
『それもそうかの』
「あぁん、お二人ともひどい~……」
「さあ、やってくれ」
あんぐりと大口を開けたナナヤへと、エルディノーラが若干脅えたような視線を向けた。そうしておもむろに魔法のリングの嵌った左手を持ち上げた。
「し、知りませんからね……?」
「どんとこい!」
いつになくテンションが高い。
「やりますよ~……」
エルディノーラの喉がごくりと嚥下した。直後、彼女の左手に水色と黄色の混ざった魔力が発生し始める。
すぅっと息を吸って胸を膨らませ、少女は叫んだ。
「――さんだああぁぁぁん!」
ぱりぱりっと音がして、小さな小さな雷がナナヤの舌へと落ちる。
すかさず口を閉ざし、ナナヤは口内から頭部まで刺激する初級魔法サンダーを味わう。
これは……まったりとしていてそれでいてしつこくなく、噛みしめるほどに溢れ出すまろやかなハーモニーが電流にのって全身に心地良い痺れをもたらす……!
「あ、ああああばばばばばぁぁぁ……ぁぁぁ……っ」
炎とはまた違ったうま味!
そう……卵! 卵に似ているんだ……!
「キタ、キタキタキタキタキタァァーーーーーーーーーーー!」
くわっと目を見開き、炊いた米を一気にかき込む。
イケる! うまい!
惜しむらくは塩味が一切しないことだが、二十年もの間、味のないものを食べ続けていた舌はそれでもうま味を探り出す。
「はぁ……はぁ……はぁ……、……くくっ」
ご飯を食べ終えて、ナナヤは椅子の背もたれに背を預けた。
「シェフ、次はデザートにファイアを頼む」
「ええ……」
エルディノーラが再び左手を持ち上げた。
「――ふぁいああぁぁん!」
昨夜同様、小さな火がポンと彼女の掌に浮かび上がる。
ナナヤはそれを手でつかむことなく、直接ぱくりと喰いついた。
「む? お、おおおお?」
そして首を傾げる。
『どうかしたかの?』
青狼のほうを振り向いて、ナナヤが左右の眉の高さを変えた。
「あ、朝とは味が違うだとォ!?」
『ほう?』
朝食時のファイアは、たしかに柑橘系を思わせるフルーティーなものだった。だが、今食べたファイアは柑橘系の酸味が消えていて、砂糖のような甘さだけが口に残っている。
どうやらエルディノーラの体調や気分によって、味に微細な変化が起こるらしい。
「……これはこれで……ふむ……」
もぐもぐと口を動かす。
「マオさん。マオさんの魔法もちょっと喰わせてくれ。ファイアで頼む」
青狼がふんと鼻を鳴らした。
『阿呆。私の魔法を頭部に喰らったら、初級魔法であったとしても首から上がなくなってしまうかもしれんぞ。よくて黒こげじゃ』
「それもそうか……」
致し方ない。しかし、魔法の味は一定ではないのか。これは困った。
しばし考える。
いや、むしろ朗報と取るべきだ。食べたいときに食べたい味を喰えないのは残念だが、反面、多くの種類を味わうことができるとも考えられる。
「ふむ……」
少し研究するか。
「いかがなさいました、お師匠さま?」
「ナナヤでいい。そんな呼ばれ方したらむずがゆくなる」
エルディノーラがにっこり微笑んでうなずいた。
「はい、ナナヤ様。ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃないだろ」
敬称もいらないのだが、あまり一気に押しつけてはエルディノーラもやりづらくなるだろう。昨夜までの彼女ならば追い返してもよかったが、今や彼女は貴重ともいえるうま味成分だ。逃がす手はない。
そうっ! 彼女は美味だっ! 美少女以上に美食であり、そして美味なのだっ!!
是が非でもこのままこの館に住まわせる。絶対に逃がすものか。たとえ王都に、この街に攻め込むだけの理由を与えようとも。
四十男はすでに決意を固めていた。
『何やら悪い顔をしておるな……』
「マオさん、魔晶石の作り方って知ってる?」
『無論じゃ。私には必要ないがの。しかしあんなもの、何に使うのだ? おまえにも必要なかろうに』
魔晶石――。
魔法を結晶化して持ち歩くための手段だ。正式には魔法の純結晶というらしい。
これを投げることによって、魔術師としての才能がない一般人にも、擬似的に魔法を使うことができる。以前の世界でいえば護身用の拳銃に似ている。
危険なものであるがゆえ、あまり流通はしていないし、国によっては禁止されているところもある。だが、遺跡から発掘されるような古代の魔晶石から新たな魔法が発見開発される等、メリットも多くある。
ナナヤは口もとに不気味な笑みを浮かべた。唇の端からは涎が滲んでいる。
「決まってるだろ。削ってふりかけるのさ、ご飯に」
うまくすれば、調味料が手に入るかもしれない。




