生ハムユッケ丼と、華金のすれ違い
俺の名は飯田真一。
苗字の通り、ご飯が大好きである。両親からは真っ直ぐに育って欲しいと名付けられ、名付け通り自分に素直に今日も丼を掻き込む。
今日の丼は、冷蔵庫の常備品でサクッと作る「生ハムユッケ丼」だ。
作り方は至って簡単。
器にホカホカのご飯を装い、ごま油をひと回しかけて下味をつける。その上に、手で適当な大きさにちぎった生ハムを敷き詰める。中央にくぼみを作り、そこに卵黄をポトンと落とす。仕上げにコチュジャンと醤油、ニンニクチューブをほんの少し混ぜ合わせた特製タレを回しかけ、白いりごまと刻みネギを散らせば完成だ。
パックの生ハムを使うだけで、包丁も火も使わずに、驚くほど本格的なユッケ丼が出来上がる。
さっそく、真ん中の卵黄に箸を突き立てる。
とろりと溢れ出した黄色い蜜が、タレの染みた生ハムと白いご飯に絡みついていく。一気にスプーンですくい、口へ運び込んだ。
塩気の効いた生ハムの旨味と、ごま油とニンニクの風味がガツンと鼻を抜ける。そこに濃厚な卵黄やまろやかさを与え、ご飯の甘みと完璧に調和する。
「……うん、うまい」
思わず笑みがこぼれる。だが、噛み締めるほどに、今日職場であった出来事が胸に浮かんできた。
◇
今日は金曜日。
うちのデザイン会社には今年、3年ぶりに新卒が入ってきた。山本さんという真面目な女の子だ。
社内は久々の若手に沸き立ち、誰もが彼女を可愛がっている。だが、同時に「何をどう教えればいいのか」と、先輩たちはみんな手探り状態だった。もちろん、俺もその一人だ。
今日、俺はバナー制作に必要な画像の切り抜き作業を山本さんに頼んだ。
被写体の輪郭をペンツールで丁寧にパス取りしていく、デザインの基本中の基本だ。
しかし、彼女の画面を遠目で見ていると、なかなか作業が進んでいない。パスの打ち方に迷い、1ピクセルのズレと格闘して固まっているようだった。
締め切り時間は刻一刻と迫ってくる。
(……あ、これ、俺がやった方が早いな)
そう判断した俺は、彼女の席へ向かった。
「山本さん、この案件ちょっと急ぎになっちゃったから、残りは俺の方で引き受けるね。途中までのデータもらっていい?」
「あ……はい。すみません、手際が悪くて……」
「気にしなくていいよ」
俺はデータを受け取り、自分のデスクで一気に切り抜きを終わらせた。パスの調整も含めて15分。やっぱり自分でやった方が圧倒的に速い。
だが、夜8時を過ぎた頃。
残業している俺のデスクの横に、カバンを抱えた山本さんが申し訳なさそうに立っていた。
「あの……飯田さん。何か私にできるお手伝いはありませんか? 切り抜きも終わらせられなかったのに、お先に帰るのが申し訳なくて……」
健気な申し出だった。
だが、今日は華金の夜だ。新人の彼女に、こんな時間まで付き合わせるわけにはいかない。純粋な親切心から、俺はできるだけ優しく言った。
「ううん、今日はもう大丈夫だよ。せっかくの金曜日なんだから、早く帰ってゆっくり休んで」
「……あ。はい。……お疲れ様でした」
山本さんは分かりやすく肩を落とし、小さな背中でオフィスを後にした。
その姿を見ていた隣の席の同僚が、椅子のキャスターを転がして俺に囁いてきた。
「飯田〜、気持ちは分かるけどさ。山本ちゃん、『私じゃ役に立たないから帰された』って顔してたぞ? 言い方ってホント難しいよな〜」
「……え」
俺はただ、彼女のプライベートを気遣っただけだった。
でも、彼女からすれば「仕事を奪われ、期待もされず、邪魔だから帰された」ように感じたのかもしれない。
自分で引き取った方が速い。でも、それじゃ彼女は育たない。
親切のつもりの一言が、誰かを傷つけることもある。
不器用な自分に、小さなため息が出た。
◇
「……ふぅ」
冷めかけた生ハムユッケ丼の最後の一口を、綺麗にすくい取って口に運ぶ。
生ハムの濃い塩気が、どこかほろ苦い今日の思い出を優しく塗り替えていくようだった。
失敗したなら、また来週やり直せばいい。
月曜日になったら、今度は切り抜きのコツを、ゆっくり丁寧に教える時間を作ろう。
ごちそうさまでした、と心の中で呟き、パチンと静かに箸を置く。
窓の外は、静かな金曜日の深夜。
来週の月曜日、彼女が少しでも笑顔で「おはようございます」と言ってくれることを願いながら、俺は空になった器を下げた。
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