表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/76

大学と魔術師

ディエスの店を訪ねた日の午後。

ミイナとモノは、バルバラの店を訪れていた。

クロスケは、再び留守番だ。

次は、ペンタグラム大学、魔術科教授ハーベル。

その人物に標的を定めていた。

そのために、バルバラの力を借りようと思ったのだ。

開店前の店内は閑散としており、昨夜の喧騒が嘘のようだった。

カウンターの向こうで、バルバラが腕を組んでいる。

「ほう。

 次はハーベルかい」

「はい」

ミイナは頷く。

「ペンタグラム大学の魔術科教授ですよね」

「ああ。

 王都でも指折りの魔術師さ」

バルバラは、にやりと口角を上げる。

「で?

 まさか正面から“乳母を探してます”なんて聞くつもりじゃないだろうね」

「それは……」

ミイナが困ったように笑う。

バルバラは少し考えるそぶりを見せ、やがて指を鳴らした。

「いい手がある」

ミイナを見る。

「アンタ、アタイの“姪”ってことにしな」

「えっ?」

「魔術科を受験したいから、視察と相談に来た。

 それなら、ハーベルも無下にはできない」

ミイナは、ぱちぱちと瞬きをする。

「わ、私が……受験……?」

「顔つきも歳も、ちょうどいい」

バルバラは肩をすくめる。

「アタイが紹介状を書く。

 ついでに、ちょいとした寄付の話も添えてやる」

『金の匂いは強いな』

モノがぼそりと言う。

「学者も人間だからね」

バルバラは、にやりと笑った。

「向こうは“才能のありそうな姪”。

 こっちは“教授を観察”。

 お互い様さ」

ミイナは、小さく息を吸う。

「……やってみます」

「よし」

バルバラは机の引き出しから羊皮紙を取り出し、素早く文字を書き始めた。

ペンタグラム大学は、王都の中央区画にそびえていた。

白い石で造られた巨大な校舎群。

幾重にも連なる回廊と塔が、迷宮のように絡み合っている。

尖塔の先には、五芒星の意匠。

それらが空に向かって突き出す様は、まるで巨大な魔法陣が街の上に描かれているかのようだった。

空気そのものが、どこか張り詰めている。

肌を撫でる風さえ、ひんやりと冷たい。

「……大きい」

ミイナが思わず呟く。

『権威の塊だな』

モノが低く言った。

学生と思しき若者たちが、ローブ姿で行き交っている。

手には、杖や魔導書。

ローブには学科を示す徽章。

視線の端では、魔術の練習らしき光が一瞬またたく。

(ここで、みんな魔術師なんだ……)

ミイナは、無意識に背筋を伸ばした。

正門の前には、背筋をぴんと伸ばした眼鏡の事務官が立っていた。

無駄のない動き。表情は硬い。

バルバラが、何食わぬ顔で紹介状を差し出す。

事務官はそれを受け取り、ゆっくりと目を通した。

――数秒。

わずかに、眼鏡の奥の目が見開かれる。

「……バルバラ殿のご紹介ですか」

「ああ」

バルバラは肩をすくめる。

「姪の進学相談でね。

 魔術科志望さ。ハーベル先生の大ファンでね」

事務官は、ミイナに視線を向ける。

値踏みするような目。

ミイナは、思わず唾を飲み込んだ。

(落ち着いて……)

しばしの沈黙。

やがて事務官は、静かに頷いた。

「ハーベル教授なら、ちょうど研究棟にいらっしゃいます」

そう言って、正門の内側へと案内し始める。 



正門の内側には、バルバラは入れない。

門をくぐった瞬間、空気が変わった。

外よりも、さらに静かだ。

遠くで鐘の音が鳴り、石畳に反響する。

回廊の壁には、古い壁画。

竜。星座。見たこともない魔法陣。

ミイナは、思わず見上げる。

(何百年分の知識が、ここにあるんだろう……)

『油断するなよ。

 ここで働いてるんだ。相手はなかなかの魔術師だ』

研究棟は、校舎群の中でもひときわ高い塔だった。

螺旋階段を上る。

一段。

また一段。

足音が、やけに大きく響く。

ミイナの心臓の音まで、聞こえてきそうだった。

(乳母さん……ここに、関係してるのかな)

やがて最上階。

事務官は一つの扉の前で立ち止まり、ノックする。

「ハーベル教授。

 面会希望の方です」

一拍。

「……入りたまえ」

低く、落ち着いた声。

扉が開く。

中は、書物と魔導具で埋め尽くされた部屋だった。

床から天井まで続く書架。

宙に浮かぶ水晶球。

ゆっくり回転する歯車仕掛けの星図。

インクと薬品の匂い。

机の向こうにいたのは――

小柄な女性。

赤毛に近い色の髪を短く切り揃え、首から欠けた月の形のペンダント。

そして、右目の下に泣きぼくろ。

ミイナの心臓が、どくんと鳴る。

(……ハーベル……)

ハーベルは、静かにミイナを見つめた。

「君が、バルバラの姪かね」

「は、はい」

「魔術科を志望していると?」

「……はい」

「私の専門は知っているね?」

「はい……呪術と占星術です」

「その通り。

 その二つには深い因果関係があってね。

 どうして、呪術に興味を?」

「せ、先生の著書、

 《星と呪いの相関理論》を読んだからです」

「ほう。あの本か。

 若い頃に書いた本だ。少し、恥ずかしさもあるな。

 他にも読んでいるのかね?」

「え?」

一瞬の間。

「まさか、読んでいないのかね…?」

「い、いえ!緊張してしまって……

 《見えざる呪いの解析学》と、

 《運命は呪術で書き換えられるか》も読んでいます!」

ハーベルとミイナの目が合う。

やがて、ハーベルはゆっくり微笑んだ。

「緊張するのは当然だ。

 志望者は皆そうだよ」

そして、穏やかに言う。

「まずは、簡単な適性を見せてもらおうか」

ミイナは、安堵の息をついたのだった。



「適性試験は簡単だ。

 単純に学生と魔道戦をやってもらう。

 呪術は試すには危険すぎるのでね」

ハーベルはそう言いながら研究棟を出て、校庭へと歩き出した。

石畳の通路を抜けると、視界が一気に開ける。

広大な校庭。

円形の演習場がいくつも並び、その中心には魔法陣の刻まれた決闘区画が設けられている。

すでに数人の学生たちが訓練を行っていた。

火球を放つ者。

氷の刃を生み出す者。

防御結界を張る者。

(ここが……魔術師の卵たちの場所……)

ミイナは、思わず息を呑んだ。

その時だった。

「この黒猫。可愛い使い魔ですねー」

ひょい、と。

モノが何者かの手によって持ち上げられた。

モノの目が、驚愕に見開かれる。

抱き上げていたのは、一人の女生徒だった。

腰の上あたりまで伸びた淡い金髪は、陽光を受けて氷のようにきらりと光る。

ほとんど癖のない真っ直ぐな髪で、毛先だけがわずかに内へと丸まっている。

色白の小さな顔立ち。

鼻筋はすっと通り、口元は控えめ。

全体的に、整いすぎているほど整っていた。

華奢な体つきで、肩幅も狭い。

紺色の魔術科ローブの下には白いブラウスと膝丈のスカート。

黒いタイツに革靴。

どう見ても、可憐な美少女だった。

「は、離してください」

ミイナは慌てて抗議する。

モノは腕の中でジタバタともがき、ようやく女生徒から解放された。

「あーん。残念。こんなに可愛いのに」

女生徒は唇を尖らせる。

「こら、サンサ。他人の使い魔を勝手に触るんじゃありません。

 ですが、ちょうどよかった。この方の魔道戦の相手をしてもらえますか?」

「もちろん、いいですよー。

 入学希望者ですか?

 お手柔らかにお願いしますねー」

どこか間延びした口調。

ミイナは、少し拍子抜けする。

「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」

遅れて、ぺこりと頭を下げた。

『気をつけろよ。

 あいつに抱き抱えられるまで、俺は気づけなかった。

 俺の背後を取ったんだ。油断はできないぞ』

モノが低い声で告げる。

「うん」

ミイナも小さく頷いた。

「魔道戦のルールは分かりますね?

 魔術の攻撃を先に当てた方が勝ちです」

なるほど、とミイナは思った。

魔道戦など見たことも聞いたこともないが、それなら何とかなるかもしれない。

「はい。分かりました」

「はーい。分かってますよー」

サンサものんびりと返事をする。

二人は校庭の中央で向かい合った。

「用意はいいですね?

 それでは――始め!」

その声と同時に。

ミイナの、初めての魔道戦が幕を開けたのだった。 


「それじゃ、いきますねー」

サンサは相変わらず、ゆるい口調だった。

しかし――

彼女の周囲には、エステラが渦巻いているのがミイナにははっきりと分かった。

そして、そのエステラは、みるみる冷気へと変換されていく。

(冷たい……)

冷気を含んだ風が、ミイナの頬を撫でた。

ミイナは身構え、右手を掲げる。

水球が、ぽん、と宙に生まれた。

前の旅でハイランドから教わり、ようやく使えるようになった術だ。

「なるほどー。水術が得意なんですねー」

間延びした声。

だが、サンサの周囲には、氷柱が次々と浮かび始めている。

「行きますよー」

ビュン!

空気を切り裂く音。

放たれた氷柱が、ミイナの顔面めがけて一直線に迫る。

「くっ!」

ミイナは水球を肥大化させ、氷柱を包み込んだ。

氷柱は勢いを殺され、水の中で溶けるように消滅する。

「おおー。やりますねー」

サンサの声に、動揺はない。

ミイナは油断せず、今度は左手にも水球を発生させた。

二つの水球が、ミイナの周囲を漂う。

「これならどうですかー?」

サンサの周囲に、今度は数十本もの氷柱が生成される。

ビュン!

ビュン!

ビュン!

一斉に、ミイナへと襲いかかる。

(数が多い……! でも――)

ミイナは片方の水球を、薄く広く引き伸ばした。

盾のような水の膜が、前方に展開される。

氷柱はその膜に突き刺さり、勢いを失った。

だが――

パキ、パキ、と音を立てて、水の膜が凍り始める。

「トドメですよー」

サンサは両手を掲げる。

自身の身の丈よりも大きな氷柱が、空中に出現した。

それを、ミイナに向かって投擲する。

ガシャン!

氷が砕ける音。

冷気の白煙と、砂埃が舞い上がる。

「私の勝ちですかねー」

勝利を確信した、その時だった。

ポツ……ポツ……。

「雨ですかー?」

サンサの頭上。

そこにだけ、小さな黒雲が浮かび、雨を降らせていた。

やがて、白煙と砂埃が晴れる。

ミイナは、氷柱を躱して立っていた。

そして、サンサに向かって両手を掲げている。

「私の勝ちです」

ミイナは、静かに言った。

「え? 雨が当たったぐらいでは攻撃にはなりませんよー」

ミイナは答えない。

サンサは、しとしとと降り続く雨に濡らされていく。

「もう一度、氷柱で攻撃して終わりにしますねー」

そう宣言し、動こうとした瞬間。

「あれー?」

違和感。

「う、動けませんねー」

口調は変わらないが、顔には明らかな動揺が浮かんでいる。

「はい。

 サンサさんの周囲の水を固定しました。

 冷気を使えば、自分ごと凍ることになります。

 私の勝ちです」

ミイナは淡々と言った。

「そこまで!

 ミイナさんの勝ち!」

ハーベルの宣言で、魔道戦は終了した。

こうして――

ミイナの初めての魔道戦は、勝利で幕を下ろしたのだった。



ハーベルは、しばらく無言でミイナを見つめていた。

――観察する者の目。

やがて、ゆっくりと口を開く。

「面白い」

ミイナは、びくっと肩を震わせる。

「水術の制御が正確だ。

 それに、発想がいい。

 力任せではなく、相手の性質を利用して封じた」

サンサが、にへらと笑う。

「完敗でーす。

 頭がいい人、苦手なんですよねー」

ハーベルは、小さく頷いた。

「魔力量も申し分ない、

 基礎ができている。

 それ以上に、“考える癖”がある」

そして、ミイナをまっすぐ見る。

「君、今日は入学手続きまでは進めないが――

 私の研究室に来なさい」

ミイナの目が見開かれる。

「えっ……?」

「適性を見るには、もう少し話がしたい」

周囲の学生たちが、ざわ、と小さくどよめいた。

教授自ら研究室に招く。

それが、どれほど異例かは、雰囲気だけでも伝わってくる。

モノが、小さく尻尾を揺らす。

『上出来だな』

ミイナは、こくりと頷いた。

「……はい」



研究棟の最上階。

先ほどよりもさらに私的な区画。

ハーベルの研究室は、校舎の中とは思えないほど静かだった。

壁一面の書架。

積み重なる羊皮紙の束。

卓上には、分解された魔導具と、いくつもの水晶。

ハーベルは椅子に腰掛けると、ミイナにも向かいの椅子を勧めた。

「さて」

指を組む。

「君は、なぜ魔術を学びたい?」

ミイナは、一瞬迷った。

だが、ここで嘘を重ねるより、少しだけ本音を混ぜる方がいい。

「……大切な人を、助けたいからです」

ハーベルは、眉をわずかに動かす。

「ほう」

「呪いに関わる問題で……。

 私には、できることが少なくて」

ハーベルは、しばし沈黙したあと、静かに言った。

「呪いはな、

 魔術の中でも最も“人間臭い”分野だ」

ミイナは、息を呑む。

「憎しみ、願い、執着、恐怖。

 そういった感情が形になったものだ」

ハーベルは、机の上の古い書を指でなぞる。

「私は長年、呪術と占星術の関係を研究している」

ミイナは、ここだと思った。

「先生……。

 私、探している呪術師がいるんです」

ハーベルの指が、ぴたりと止まる。

「……誰だね?」

「ニイナという人の乳母をしていた人です。

 呪いと星に詳しい人で……」

ミイナは、乳母の特徴を伝えた。

しかし、ハーベルは、ゆっくりと首を振る。

「知らない。

 この月のペンダントは市場で出回っていたものだ。

 私は別人だよ」

即答だった。

ミイナの胸が、少し沈む。

しかし、落ち込んでいる暇はない。

できるだけ情報を引き出すのだ。

「先生、それなら……この指輪に見覚えはありませんか?」

ミイナは、左手を差し出した。

「指輪?」

ハーベルの目が、訝しげに細められる。

コンコン。

「お茶をお持ちしましたー」

ノックと共に、間延びした声。

サンサが扉を開けて入ってくる。

サンサは、ミイナとハーベルの正面のテーブルにティーカップを置いた。

「あれー?

 綺麗な指輪ですねー。蛇とコップですかー?」

何気ない一言。

ミイナの目が、驚愕に見開かれる。

「えっ⁉︎」

それを聞いていたハーベルが、徐ろに口を開く。

「蛇とコップ……。

 もしや、蛇と盃では?」

「えっ⁉︎ そうです!

 ご存じなんですか⁉︎」

ミイナは身を乗り出す。

「ええ。

 呪術を齧っている者なら、皆知っているはずだ。

 シャクナ族の紋章…」

ミイナの喉が鳴る。

「その指輪自体が、呪われている者にしか視認できない。

 違いますか?」

「その通りです!

 やっぱりご存じなんですね!」

ミイナの胸に、熱い興奮が巡る。

「いや。文献で読んだ程度だ。

 なんと、その実物が目の前にあるとは……」

ハーベルは、苦笑する。

「呪われていないこの身が恨めしい。

 そして、彼のように呪われているのが羨ましいと思う日が来るとはな」

そう言って、サンサを見る。

「え? 彼?」

ミイナは首を傾げる。

サンサが、にこりと笑う。

「はいー。実は私、男なんですよー」

「えっ⁉︎」

今日、何度目かわからない驚愕だった。

「サンサは魅了の呪いにかかっているのだよ。

 男性の格好をしていると、周囲の女子生徒を魅了してしまう。

 その対策として女装をさせている」

「え、ええ……」

ミイナは、ただ困惑する。

情報量が多すぎる。

「ともかくだ」

ハーベルは、ミイナを見る。

「実に、君は興味深い。

 ぜひとも、この研究室に欲しい」

ミイナは息を呑む。

「そして、その指輪について研究したい」

「は、はい。ぜひお願いします……」

いつの間にか、入学する流れになっている。

「私が推薦状を書こう。

 これで合格は間違いない」

「あ、ありがとうございます。

 あ、あの……外で叔母を待たせていますので、そろそろ……」

「む。そうだったな。

 ぜひとも、君の入学を待っているよ。さようなら」

「はい。失礼します」

ミイナは一礼し、研究室を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ