表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/76

寝室と呼び声

「まあ! なんて楽しい夜なんでしょう!」

フィリアは両手を合わせ、頬を紅潮させた。

「私、こんなに楽しいのは百五十年ぶりでしてよ!」

相変わらず、その勢いは少しも衰えない。

「呪われてからというもの、ずっと一人ぼっちでしたの。

三十年前からはニコラスがいてくれますけれど……やはり、女の子同士の恋バナというものに、ずっと憧れていましたのよ!」

――やはり。

フィリアも、呪われているのだ。

ミイナはそう思った。

見た目では分からない。

血色は悪いが、普通の人間と何ら変わらない。

そこで、ニコラスが静かに口を挟んだ。

「お嬢様。もう随分と遅い時刻でございます」

「これ以上は、生者のお客様がお疲れになりますでしょう」

その声は丁寧だったが、どこか拗ねたようにも聞こえた。

ミイナと話すフィリアが、あまりに楽しそうだったから、

おそらく、嫉妬も混じっているのだろう。

「あ、あの!」

ミイナは慌てて声を上げた。

「私、本当はモノたちと一緒にここへ来るはずだったんです。でも、途中ではぐれてしまって……だから、みんなを探さないといけなくて……」

偶然フィリアに助けられたから良かったものの、

他の仲間たちの安否は分からない。

ミイナの胸に、不安が広がる。

「まあ!」

フィリアは目を見開き、すぐに柔らかく微笑んだ。

「なんてお優しいの。安心なさって」

「私たちも、捜索に協力しますわ」

そして、少しだけ言いよどむ。

「その代わり……」

フィリアは、もじもじと視線を落とした。

「……お友達になってくださる?」

「私、こんなに楽しかったの、初めてなんですの」

「え? は、はい……いいですよ」

ミイナは困惑しつつも、そう答えた。

――正直、この状況で断れる気がしなかった。

「まあ! やりましたわ!」

フィリアは嬉しそうに、その場でぴょんと跳ねる。

「また、たくさんお話ししましょうね!」

そして、くるりとニコラスに向き直った。

「ニコラス、すぐに捜索をお願い」

「畏まりました、お嬢様」

ニコラスは恭しく一礼すると、静かにその場を後にした。

「さ、これで安心ですわね」

フィリアは満足げに頷く。

「今日は寝室でお休みになって」

「明日には、みなさんと再会できるはずですわ」

一拍置いて、付け足す。

「……生きているとは限りませんけれど」

「えっ!?」

「冗談ですわ、冗談!」

フィリアはくすくすと笑い、手を振った。

「さ、お部屋に案内しますわ」

そう言って、彼女はスキップするように廊下を進んでいく。

ミイナはただ、その背中を追って歩くしかなかった。



フィリアに導かれ、ミイナは屋敷の奥へと進んだ。

廊下は静かで、足音すら上品に吸い込まれていく。

壁には淡い色の装飾が施され、金の縁取りが月光を柔らかく反射していた。

埃はなく、空気は澄んでいる。

まるで、毎日きちんと掃除されているかのようだった。

やがて、フィリアは一つの扉の前で立ち止まる。

「こちらが、今夜のお部屋ですわ」

扉が開かれた瞬間、ミイナは思わず息を呑んだ。

そこは、驚くほど豪奢な寝室だった。

部屋の中央には、天蓋付きの大きなベッド。

彫刻が施された支柱は白木と金で彩られ、垂れ下がる薄布は上質な絹だと一目で分かる。

白を基調に、淡い紫と金が控えめにあしらわれ、全体が静かな調和に包まれていた。

シーツはぴんと張られ、しわ一つない。

触れずとも、柔らかさと清潔さが伝わってくる。

枕はふっくらと整えられ、ほんのりと花の香りがした。

床には厚手の絨毯が敷かれ、足を下ろしても冷たさはない。

歩けば沈み込むような感触があり、長旅の疲れを受け止めてくれそうだった。

壁際にはドレッサーと、磨き上げられた姿見。

銀の縁取りは曇りひとつなく、鏡面は完璧に整っている。

小さなテーブルには、蓋付きの水差しとグラスが用意されていた。

どれもこれも――

「客人を迎えるため」に完璧に整えられている。

だが、そこに“誰かが暮らしている痕跡”はなかった。

使い古された跡も、置き忘れも、生活の乱れもない。

完璧すぎて、逆に人の気配がしない。

窓は大きく、厚手のカーテンが開け放たれている。

月光が部屋いっぱいに差し込み、白と金の調度を静かに照らしていた。

外には、紫の丘が広がっているはずだったが、ガラス越しには夜の闇と月しか見えない。

「お気に召しました?」

フィリアが、満足そうに尋ねる。

「はい……とても」

それは、嘘ではなかった。

これほど清潔で、これほど上品な寝室は、王侯貴族の館でもそう多くはないだろう。

「どうぞ、安心してお休みくださいな」

「ここでは、夜に何かが起こることはありませんわ」

さらりと告げて、フィリアは微笑む。

「明日には、きっと皆さまと再会できますもの」

そう言って、彼女は扉へと向かう。

「それでは、おやすみなさい」

静かに扉が閉まった。

一人きりになった寝室は、変わらず美しく、静かだった。

音もなく、風もなく、時間すら止まっているように感じられる。

ミイナはベッドに腰を下ろし、そっとシーツに手を触れた。

柔らかい。

温度も、ちょうどいい。

――あまりにも、完璧だ。

だが、疲労は正直だった。

体が、自然と横になることを求めている。

ミイナは靴を脱ぎ、ベッドに身を横たえた。

天蓋越しの月光が、視界を白く包む。

清潔で、豪奢で、何の危険も感じられない部屋で。

それでも、ここが生者のための場所ではないことだけは、はっきりと分かっていた。

ミイナは、ゆっくりと目を閉じた。

奇妙な夜は、静かに続いていく。 



どれほど時間が経っただろうか。

ミイナは、ふと目を覚ました。

眠っていたはずなのに、意識は不自然なほどはっきりしている。

そして――何かが、聞こえた気がした。

いや、気のせいではない。

確かに、聞こえている。

ミイナの名を、呼ぶ声が。

「ミイナ! どこだ? ミイナ!」

聞き慣れた声だった。

「……モノ?」

ミイナは勢いよく上体を起こし、ベッドから飛び降りる。

裸足のまま窓辺へ駆け寄り、外を覗き込んだ。

そこにいた。

黒い毛並み。

額の×印。

間違いない。モノだ。

「ミイナ! そこは危険だ! 早く出るぞ!」

声が、切羽詰まっている。

いつもの余裕も、皮肉もない。

「え? どういうこと?」

「説明は後だ! いいから急げ! あいつはフィリアじゃない!」

その言葉に、胸が強く脈打った。

「……う、うん」

考えるより先に、体が動いていた。

ミイナは窓枠に手をかけ、慎重に外へ身を乗り出す。

ひんやりとした夜気が、肌を刺した。

月光に照らされたラベンダー畑は、怪しい雰囲気を醸し出している。

静かすぎて、不気味だった。

「こっちだ!」

モノはそう叫ぶと、屋敷から離れる方向へ一気に走り出した。

「待って! モノ、速いよ!」

ミイナも必死に後を追う。

だが、モノは振り返らない。

距離が、少しずつ開いていく。

「急げ!」

その声が、だんだん遠くなる。

――その時だった。

急に、気温が下がった気がした。

次の瞬間、白い霧が足元から立ち上った。

「……え?」

霧は一気に広がり、視界を覆っていく。

「待って! モノ!」

叫ぶが、返事はない。

モノの黒い背中が、ラベンダーの向こうに溶けるように消えた。

「モノ!」

必死に走る。

ラベンダーを掻き分ける。

だが、霧はますます濃くなり、方向感覚が奪われていく。

いつの間にか、月には雲がかかっていた。

丘は闇に沈み、霧だけが白く漂っている。

「モノ……どこなの?」

声は、霧に吸い込まれて消えた。

足を止めた瞬間、気づく。

――静かすぎる。

風もない。

虫の声もない。

自分の足音すら、遠い。

ミイナは、完全に一人だった。

その時――

「ミイナ」

背後から、声がした。

モノの声ではない。

低くも高くもない、女の声。

それは、ミイナの胸の奥に直接触れてくるような、

懐かしくて、

そして――ひどく、悲しい記憶を呼び覚ます声だった。

ミイナは、息を呑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ