成長と再会
朝の水汲みをしている時だった。
砂丘の向こうから、二つの影が現れる。
旅装に身を包み、砂にまみれたその姿を見た瞬間――
ミイナの胸が、ぎゅっと音を立てた。
(……帰って来た)
黒い毛並みの猫が、先に顔を上げる。
夜のような漆黒の毛、額の白い×印。
空色の眼が、こちらを捉えた。
『おっ!』
間の抜けた声だった。
『無事だったか、ミイナ』
それだけ。
いつも通りの、少し気の抜けた調子。
その瞬間――
ミイナの中で、何かが決壊した。
「……っ!」
気づけば、走り出していた。
砂を蹴り、息が乱れるのも構わず。
胸の奥に溜め込んでいたものが、一気に溢れ出す。
「モノ……っ!」
声が震える。
「遅いよ! 本当に……っ、遅すぎ!」
目が熱くなる。
視界が滲む。
「私、ここで……ずっと……!」
言葉にならない。
悔しさも、不安も、寂しさも。
全部まとめて、声に乗った。
モノは、完全に虚を突かれた顔をした。
『え、え?』
『な、なんだよ急に……』
慌てて前脚を上げる。
『あー……その……』
ミイナを上から下まで見て、首を傾げる。
『……なんか、でかくなったな?』
それだけだった。
ミイナは、一瞬ぽかんとして――
次の瞬間、涙を浮かべたまま、笑った。
「……それだけ?」
『いや、だって生きてたし』
『元気そうだし』
『クロスケも相変わらず案山子だし』
背後で、
『失礼でござるな』
と、案山子がぴょんと跳ねる。
ペルシャは、少し遅れて歩み寄ってきた。
白い髪が風に揺れ、その視線は真っ直ぐミイナを捉えている。
そして――
一目で分かった。
「……随分、いい立ち方になりましたね」
静かな声だった。
ミイナは、はっとして姿勢を崩しかけ――
それを、無意識に戻す。
その動きに、ペルシャは確信したように微笑んだ。
「剣を持っていなくても分かります」
「鍛えられています。それも、かなり」
『ほう』
クロスケが、満足そうに頷く。
『よく見ておられる』
『二年、立ち続けた成果でござるよ』
『なあに、泣くほどのことではござらん』
ミイナは、ぐいっと袖で目元を拭いた。
「……泣いてない」
そう言ってから、少し間を置く。
「……でも、置いていかれるの、やっぱり嫌だった」
正直な声だった。
モノは、しばらく黙ってから、ぽりぽりと頭を掻く。
『……悪かったって』
『でもさ』
少しだけ、真面目な声になる。
『ちゃんと、戻ってきたろ』
ミイナは、その言葉を聞いて――
ゆっくりと、深く息を吐いた。
「……うん」
砂族の里に、太陽が昇っていく。
武軍鶏が、のんびりと砂を踏み鳴らす。
再会は、騒がしくて、不格好で。
けれど確かに――
次の旅へ向かうための、始まりだった。
*
「今度は連れてってくれるよね?」
ミイナは勢い込んで、モノに尋ねた。
『それなんだが、うーん。思ったよりも厄介で危険な場所でな……』
モノの歯切れは悪い。
「そんな! 私、強くなったんだよ⁉︎」
『確かに、背は伸びたが……うーん』
『それは拙者も保証するでござるよ。少なくとも、自分の身ぐらいは護れる筈でござる』
クロスケが加勢に入る。
「ほら! クロスケさんもこう言ってるし!」
『うーん。でもなぁ……本当に危険なんだよ』
「もう! モノ! しつこいよ!」
ミイナは、だんだんイライラしてきた。
「ミイナさん。それなら、私と手合わせしましょう。実力を見てあげます」
ペルシャが、軽い口調でそう言った。
「え? ペルシャさんが……」
「はい。不足でしょうか? それとも自信がありませんか?」
「……いえ。よろしくお願いします」
ミイナは頭を下げると、木刀を取りに走った。
『おい……いいのか? そんなこと言って』
モノが心配そうに、ペルシャに耳打ちする。
「ええ。モノ、優柔不断は嫌われますよ?」
「それに、彼女の努力は認めるべきです」
『そうは言ってもだな……』
「安心してください。実力が足りなければ、容赦なく置いていきます」
ペルシャは、冷たく言い放った。
「ペルシャさん! 木刀、持ってきました。よろしくお願いします!」
ミイナが、木刀を一本、ペルシャに渡す。
「はい。よろしくお願いします」
両者の構えは、対照的だった。
ミイナは姿勢を低くし、腰に木刀を当てた抜刀前の構え。
一方、ペルシャは構えを取らない。
いつも通り、木刀を持った手をだらりと垂らし、棒立ちしているだけだった。
(さて、どうするかニャ。まずは上段――)
ミイナは咄嗟に上段を警戒し、カウンターの構えを取る。
(あ! やっぱり、こっちニャ)
ペルシャの木刀が、ミイナの胴を撫でるように叩いた。
「くっ……! 参りました」
ミイナは、項垂れるように首を垂れる。
「ふふっ。落ち込まないでください」
「合格です。一緒に連れていきましょう」
ペルシャは、悪戯っぽく笑った。
「えっ! 本当ですか⁉︎」
「本当ですよ。あなた、私の動きを読みましたね?」
「……はい。でも、通用しませんでした」
「動きを見てから、変えましたからね。これは年季の差です」
「落ち込む必要はありません。充分、戦力になります」
「はい! ありがとうございます! やった!」
「クロスケさん! やったよ!」
ミイナは、案山子のクロスケに抱きついた。
『やったでござるな。ミイナ殿』
クロスケが応える。
『わかった、わかった。連れて行こう』
モノも、認めざるを得なかった。
ミイナの喜ぶ声は、夕陽に溶けていった。
*
天幕の中で、一行は夕食をとっていた。
メニューは、武軍鶏の卵のオムレツ。
ミイナが、この二年で覚えた唯一の料理だ。
『これは、うまい』
モノが、オムレツにかぶりつきながら言う。
「料理の腕も上げましたね」
ペルシャも、素直に褒める。
「これしか作れないんですけどね」
「喜んでもらえて、良かったです」
ミイナは、照れくさそうに笑った。
『良かったでござるな。ミイナ殿』
クロスケも、どこか微笑ましげに眺めている。
「さて。それでは、食べながらですが本題に入りましょうか」
ペルシャが、改まった口調になる。
『二年間の旅の話は割愛する』
『次に、俺たちが向かう候補地は二つだ』
モノが、引き締まった表情で続ける。
『一つ目は、“悪魔の穴”――デモンズフォールと呼ばれる巨大なダンジョン』
『ここに、魔術師ハイランドがいるとの情報があった』
さらに、続けた。
『二つ目は、“死者の丘”――ラベンダーヒル』
『こちらは、聖女フィリアの目撃情報と噂がある』
「デモンズフォール? ラベンダーヒル?」
ミイナは、思わず喉を鳴らした。
『そうだ。わかりやすく言えば、デモンズフォールは危険なダンジョン』
『ラベンダーヒルは、アンデッドの巣窟といったところだな』
『どうだ? 怖くなったか?』
モノが、少し意地悪そうな顔をしたのを、ミイナは見逃さなかった。
「ぜ、全然怖くない!」
「だから、ちゃんと連れて行ってよ!」
「大丈夫ですよ、ミイナさん。置いていったりしません」
「それに、初めてのダンジョンにアンデッド。怖いのが当たり前です」
ペルシャは、落ち着いて言う。
『それで、相談なんだが。どちらを先に向かうかだ』
「先って言われても……うーん」
ミイナは、腕を組んで考え込む。
「私は、別にどちらでも良いです」
ペルシャの、冷静な声。
『拙者の考えは、先にハイランド殿の所へ向かうべきだと思うでござる』
『ああ。俺も、そう言おうと思っていた』
「え? なんで?」
ミイナは、首を傾げて尋ねる。
『まず第一に、ミイナ殿はアンデッドの対処方法を知らないでござる』
『まだ、魔物の方が相手をしやすいと思うでござる』
『二つ目は、ハイランド殿の刻印魔術は必ず役に立つでござる』
『拙者の動けない制限も、不便も解消してくれる筈でござる』
『最後に、聖女フィリア殿は……なんというか……』
クロスケは、わずかに言い淀んだ。
それを、モノが引き取る。
『聖女フィリアは、“めんどくさい”、だろ?』
『……そうでござる。悪い人ではないのでござるが……』
「え? そんな理由?」
『まぁ、いいだろ』
『最終的には、両方とも合流するわけだしな』
『それよりも、ミイナ。初めてのダンジョンアタックだ』
『気を抜くなよ』
「はい!」
「明日は準備に充てます」
「それに、蜥蜴人にも協力をお願いしないといけませんからね」
『ミイナ殿。今日もよく頑張ったでござるな』
『あとは、ゆっくり休むでござるよ』
「え、もう少しだけ、お話ししたいです……」
「二年ぶりに、モノとペルシャさんに会えたんだから」
『わがまま言うな。子供は、さっさと寝ろ』
「ひどい! また子供扱いして!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
「少しだけ、お話ししましょう」
「二年間の旅の話など、どうですか?」
ペルシャが、仲裁に入る。
「聞きたい!」
『まったく……』
モノは呆れ声だが、満更でもなさそうだ。
尻尾が、ぴんと立っている。
「あれは、二年前ですね……」
ペルシャが、滔々と語り出す。
『ああ。あの時は……』
モノも、相槌や補足を語る。
こうして、天幕の中の夜は更けていくのであった。




