36.私はただ、君のことが
流行り病で母が亡くなった少年の元に、再従姉妹がやってきた。
白金に近い艶やかな髪に、滑らかな肌は緊張のためか頬が赤く染まっている。淡青の瞳が湖畔のように煌めく幼い少女が、母を亡くしたばかりの少年の話し相手となった。
少女は落ち込む少年にただ寄り添った。心情を吐露すれば淡青の瞳でじっと見つめて話を聴き、内気な感情を否定する事なく肯定してくれた。
少女は聡明で、賢く、優しく、活発であった。剣術をやろうと誘えば少女も着替えて剣を取り共に習った。
美しく愛らしい少女が視界に映るだけで、少年の心は満たされていく。
その様子を見ていた父から二人の婚約の話が出て、少年は頷いた。
「僕の隣にずっと居てくれますか?」
少年の問いかけに、少女は「私でよければ……」と頬を赤らめた。
これにて、少年と少女——王太子とエリシアの婚約が成立した。
その日から王太子は、エリーを自分のものとして大事にした。
王太子はエリーをよく王城に呼び寄せた。少しでも一緒に居たかったからだ。王太子との茶会でエリシアの茶に毒が盛られた時、彼は恐怖した。母のように亡くしたくないと思った。
だから尚の事、ほぼ毎日のようにエリーを王城に呼び出し、自分の手元で守ろうとした。王城には優秀な近衛騎士団がいる。彼らにエリーを守らせれば安心だ。毒を飲ませるような友人はエリーには要らない。自分だけ居れば良いのだ。
エリーは学ぶ事が好きなようだ。だから王妃教育は厳しくするように教師に申し伝えた。エリーはきっと喜んで学ぶだろう。
やがて内政も興味を持ち始めたから、自身の執務も分けてあげた。エリーの為になって王太子も負担が減る。なんていい関係なのだろう。
ある日を境に、エリーは剣術を習うのを辞めた。淑女として相応しくないからだと言った。
相応しいかどうかなんて自分が決める。だから剣術を一緒にやればいいのに。本当はやりたいのを我慢しているのだろうと、彼女を近衛騎士団の修練場に呼び出して鍛錬や稽古をしている様子を見せた。見ているだけでも、きっと楽しいはずだ。
しかし彼女は顔を顰めて、図書室へ行くと言って離れてしまった。やはりエリーだ。剣よりもペンを取ったのだろう。それならば止めないが、剣が好きな事は変わらないだろうと王城に来る度に剣術を彼女に見せた。王太子が剣で、エリーはペンを。何て似合っているのだろうと、王太子は思った。
ある日、エリーが王太子に反論した。
近衛騎士団を私用に使うな。騎士を目指すのなら騎士科に進めばいいと。王太子の自分に逆らうのは、反逆だ。彼女を守る為に、止めなければならない。
だから、彼女の頬を打った。大罪にしないために、自身が手を下したのだ。
結果、話が父である国王まで行き、二人で公爵家の屋敷に行き頭を下げた。エリーの父の公爵は渋い顔で、エリーは暗い顔だった。でも、これで王太子が悪い事になったので結果的にエリーを守った。これでいいと思った。
ある日、エリーが体調不良で何日も王城に来なかった。
体調が悪いのなら王城に来て休めばいいのに。優秀な医師も揃っているからすぐに良くなるはずだ。
そう手紙で送っても中々来ないから、王太子は見舞いで公爵家に向かった。
エリーは屋敷で微笑んで出迎えてくれた。何だ、出迎えてくれるのなら元気じゃないかと言ったら驚いた顔をしていた。
今後は体調が悪くても王城に来るように申し伝えて、花と好みの菓子を渡して王太子は城に帰った。
エリーは、将来王太子妃、行く行くは王妃になる。
母のように、誰からも慕われる王妃に。
だからもっと強くなって欲しかった。
エリーが贈ってくれた刺繍入りのハンカチを、目の前で切り裂いた。
私達の絆は物で繋ぎ止めるものではないと教えた。エリーは泣きそうだった。でもこれも強くなるためには必要なことだ。
破いたハンカチは大事な物だから額に入れて自室に飾った。また作ってくれたら、同じように裂いて額に入れて飾ろうと思う。
デビュタントの日のエリーは、とても美しかった。
少し線が細すぎる気もするが、まるで湖の精のように儚く、静かで、美しいとしか言えなかった。
自身と親しい令息達がエリーを褒めた。エリーを踊ってもいいかと聞いた。それは許せなかった。
だからエリーの悪い印象を伝えた。そうすれば、誰ともエリーは踊らない。エリーから離れて行く。それは好都合だった。
学園に入学してもエリーは一人でいることが多かった。
王太子は将来王になってエリーを支えるために忙しいが、エリーは静かに勉強している姿が似合っているからこれでいいと思う。
中等部からエリーと親しくしている商家の伯爵令嬢がこちらを睨んでいたが、些細な事だった。
婚約式を終えて結婚式の準備に入ってから、エリーの元気がどんどん無くなっていった。
好きな読書もせず、物憂げに空を眺めてぼうっとしたり、ため息を吐いて泣きそうになっている。
ちょうどその頃に、国教の神殿に選ばれた聖女が入学してきた。
エリーを元気にする方法はあるかと、聖女に相談していた。
その場面を、エリーに見られてしまった。
王太子を見つめた淡青の瞳が、揺れている。そして銀の睫に伏せられて、悲しみを湛えて、その場から離れて行った。
初めて見たエリーの感情に、胸がときめいた。
あれは、嫉妬だ。エリーが初めて嫉妬してくれたのだ。幼い頃のように、自分だけを見てくれた。ようやくエリーも、自分を必要としてくれたのだ。
もっとその表情を見たいと、聖女に協力を申し出た。聖女は快く受けてくれた。
エリーの嫉妬はどんどん強くなっているようだ。
聖女や王太子を見る目が厳しくなり、最近では聖女を虐めていると聞いた。
エリーは嫉妬しているがそんな事はしない。もしそうなら代わりに謝ろうと話をした。
しかし、聖女の話は、それだけでは終わらなかった。
エリーが、余命僅かであると女神の神託があったと聖女は告げた。
神託は、絶対だ。間違いも嘘もない。
唇が、震えた。到底信じられなかった。
何かの間違いだと聖女に言った。しかし聖女は首を横に振る。
そんなに信じられないのなら、逃げられないような状況を作って、白状してもらいましょう。そうすれば真実は明らかになるはずだと、聖女は言った。
苦渋の決断だった。
もしそうでなかったら、エリーはこちらを冷静に分析して、やり返すはずだ。そうしたら、お芝居だったと言ってその場を和ませよう。そうしよう。
——本当だった時の事なんて、考えないようにした。
結果は、本当だった。
問い詰めたエリーが、項垂れた。
私は嘘を吐かれていたのだと、思った。——あの日、ずっと一緒にいると約束したじゃないか。どうして……! どうして、母のようにいなくなろうとするのだ。
咄嗟に、婚約の破棄を言い渡した。エリーと少し距離を置きたかった。
知らせを聞いて駆けつけた父から怒られて、謹慎を言い渡された。丁度良かった。一人で考えたかった。
一人でいる時も、エリーで頭がいっぱいだった。
エリー、エリー、エリー。
謹慎中に、エリーが神殿の拘置所で倒れて危篤だと聞いた。エリーに会いたかった。
王城で保護していると聞いたから居室から出てエリーを探して歩いた。
近衛騎士が止めても無視をしていた。ただひたすらにエリーに会いたかった。
そうしていたら、近衛騎士団の副団長が王太子の顔を殴った。
王命です、自身が何をしたのか考えろと仰せでした、と彼は言った。
驚く警備兵に、では以後謹慎処分に入りますと彼はその場を離れた。回廊の床に座り込み、殴られた顔を押さえて呆気に取られてしまった。
お前も謹慎中なのだから部屋から出るなと父に怒られ、見張りまで付いて部屋に閉じ込められた。
そうしている間に、エリーは追放先の辺境に行ってしまった。
何もかもが、彼を置いて進んでいく。結局エリーと話をすることも出来なかった。
エリー、エリー、エリー。
きっとエリーは、今頃泣いているだろう。
病なんてきっと嘘だ。もしくは治るのに治そうとしないだけだろう。エリーの手を取って、王城の医師に診せればきっとすぐに良くなるはずだ。そうしたらエリーは、騙して悪かったと謝ってくれるはずだ。
エリーを返してほしいと訴えても、誰も相手にしてくれなかった。
エリーの伯父の侯爵も返してくれない。だから自分と親しい近衛騎士を使ってエリーを探させた。
それすらも、王に止めろと怒られた。
ああ、エリー。君が居てくれたら、それだけでいいのに。
すると、奇跡が起こった。
女神の神託を聞いた近衛騎士が駆け込んできた。
「楽園の乙女を救うのは、愛」だと。この楽園の乙女が、エリーを示しているのではないかと。
目の前が、明るくなった気がした。
すぐに身支度を調えて神殿に駆け込んだ。
驚いた聖女に状況を聞くと、確かにその神託が出たと頷いた。
エリーを連れ戻したい、私が幾らでもエリーが行った事を謝るから、神殿からの訴えを退けてくれないかと訴えた。
少し考えた聖女は、なら、エリシア様のご病気が治ったら、訴えを取り止めて戻ってこれるよう便宜を図りましょうと言った。
必ず、と約束をした。
そうと決まれば、後はエリーを連れ戻すだけだ。
馬を走らせて、侯爵領へと向かった。
自分に近しい近衛騎士だけで向かうつもりが、心配だからと何名か付いてきた。
エリーを迎えに行くのに、味方がいるのは心強い。
ああ、エリー、エリー、エリー!
待っていてくれ! 君をすぐに連れ戻すから! もう離さないから!
「だから、私を思うのなら、このまま放っておいて下さい」
……エリー?
久々に会えて、今まで引き裂かれていたのに、どうしてそう言うのだ?
「——もう私は、あなたの顔など見たくありません」
エリー?
私はこんなに思っているのに、どうしてそんな……エリー?
私はただ、君の事が……。
次の更新は7/11(土)予定です。




