18. 側にいて【アルベルト視点】
2026/4/5 加筆修正済
「では、私達はこれで。私はまた一週間後に往診に伺います」
医師の言葉に、アルベルトは言葉を発せず頭を下げる。
エリシアの余命が医師から告げられた際、室内は重い沈黙に包まれた。項垂れた侯爵に声を掛けたのは、微笑みを浮かべたエリシアだった。
「そんなに落ち込まないで、伯父様。私なら大丈夫よ」
「エリー……」
辺境に来てよく見る様になった笑みを、エリシアは見せている。――言葉通りに、何処か無理に貼り付けているようだ。
「子供の頃から大人になれないと言われていたの。数年前からあと少しと言われていたから、今更だわ」
「エリー、それは……!」
聞いた瞬間に、アルベルトは頭を殴られた様な感覚であった。……ここ数年で余命が判明していたのではなく、子供の頃から、ずっと? ずっと、いつか死ぬと言われ続けていたのか?
「だからね、伯父様。私は大丈夫よ。どうか悲しまないで」
「……エリー」
侯爵の声が、震えていた。椅子から立ち上がり、ベッドに上半身を起こすエリシアに近付き、その前に膝をついた。
「……どうしてエリーなのだ」
侯爵の言葉に、淡青の瞳が、潤んだ。
「伯父様……」
「あの時公開された診断書も、余命も、全部嘘であればいいとずっと願っていた……! 姉の忘れ形見であるお前が、こんなに可愛い私の姪が、こんなに……頑張り屋で、優しくて、思いやりのある、エリーが、どうして……」
「伯父様、どうか泣かないで」
「あんまりだ、エリー! どうしてお前なんだ! お前が何かした訳でもないのに、どうしてこんな仕打ちを、神は……!」
「伯父様、それは王城でも聞きましてよ。こんな身の上だからと言って、神様を恨んではいませんわ」
ベッドに腕をついて泣き崩れる侯爵を、エリシアは涙を浮かべながらも、そっと慰めていた。その姿に、アルベルトは壁際に立って拳を握りしめる。
医師から侯爵へ、侯爵からアルベルトへ渡された眼鏡を通して見たエリシアは、真っ黒に塗り潰されていた。侯爵や医師には、全身に張り巡らされた血管のような魔力回路や、心臓の中心にそれぞれ色のついた魔力が見えた。
――エリシアは、人の形をした黒い塊がそこに居る様に見える。身体の中が、何も、見えない。これが、全て彼女の身の内に溜まった魔力だと分かると、絶望に全身に震えが走った。
辺境に来てから少し元気そうな彼女を見て、実は身体が回復していて、もっと長生き出来るのではないか——居なくなるなんて嘘ではないか、と思っていたのだ。
アルベルトは、拳を強く握り締める。いつだって、自分より先に死んでいくのは、優しい人間なのだ。
「さて、お医者様がいらっしゃると聞いて、もてなしの準備をしているの。軽食ですがどうか召し上がっていって?」
「エリー。とても食べる気分では……」
「また王都に戻られるのでしょう? 遠い所までお越しくださったのに、すぐ帰らせるなんて申し訳ないわ。グランツ卿、話をしていたように、二人に軽食の用意をお願い出来るかしら?」
「かしこまりました」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
「……エリー」
「伯父様も」
エリシアに促された侯爵が、ゆっくりと立ち上がり、とぼとぼと歩いて部屋を出る。最後になったアルベルトが扉を閉めて離れようとした時、扉の奥から盛大なため息が聞こえてきた。思わず振り返って耳を澄ますと、とても小さく「半年か」と呟く声が届いた。アルベルトは唇を引き締め、何も聞かなかった振りをして階下へと降りて行った。
侯爵と医師にエリシアの指示通りに軽食を振る舞ったが、重たい空気が充満していた。
「……やはり、治らないのか」
侯爵の問いに、医師は紅茶の入ったカップから口を離して答える。
「難しいです。回路に供給元を学習させ直させれば見込みはありますが、あそこまで高濃度の魔力が溜まってしまったら、もうどうしようもありません」
「……公爵家の医者は何をしていたのだ」
「治そうと、努力をしていた様です。聖女様に診断書の作成を依頼された際に、これでエリシア様の助けになるのなら、と請け負ったと聞きました」
「守秘義務が守られていないではないか、馬鹿者め」
そんな、重い会話を二言三言交わしているのを、アルベルトは黙って聞いていた。
やがて日が暮れかかり、侯爵と医師が帰る時間となった。
医師は、研究室もある侯爵領の屋敷を拠点にして往診を定期的に続けてくれるらしい。対して侯爵は、本当に思い付きで「急用で領地に帰る」と周りに伝えて出て来たので、今日はこのまま侯爵領の屋敷に帰り、仕事をしてからまた王都に向けて発つのだそうだ。
そうして、冒頭へと戻る。
「王都よりここまでありがとうございました。エリシア様に代わって、お見送りします」
「……………………」
泣き腫らした侯爵の目は、赤くなっていた。無言で馬車に乗ろうとしていたが、思い直した様にアルベルトへ体を向ける。
「貴様」
「はい」
侯爵の鋭い視線が、アルベルトに刺さる。しかし、不快ではない。
「……エリーを、泣かせるな。分かったな」
侯爵の言葉に、アルベルトは姿勢を正した。足を揃え、背筋を伸ばし、敬礼を行い、「はっ!」と短くはっきりと返事をした。
それを見て、侯爵は馬車へと乗り込む。侯爵の護衛騎士も、アルベルトの様子に眉尻を下げていた。
馬車が丘の向こうへ消えるまでアルベルトは見送り、一人屋敷を振り返った。空は黄昏色に染まっている。屋敷の一階は明かりが点いているが、塔にあるエリシアの自室の窓はまだ暗いままだ。ここからでは、エリシアの姿は見えない。
「……………………」
何と声を掛けていいか分からないまま、アルベルトは息を吐き、屋敷へと戻った。塔の薄暗い階段を上ると、踏み締める音だけが耳に届く。
「はい、どうぞ」
ノックをすると衣擦れの音とエリシアの声が中から聞こえた。扉を開けると、薄暗い部屋のベッドの上で、エリシアが上半身を起こしていた。
「見送りありがとう。伯父様達はもう帰られた?」
「はい」
「少し位なら起きていられるのに、伯父様に寝ている様に言われてしまったわ。あなたに全部任せてしまったわね。伯父様の相手は大変ではなかった?」
「別に。それは……」
エリシアが、ベッドの横の台に置かれた洋燈に手を触れる。ほんのりとした柔らかな光が室内を灯した。どうかした? とエリシアが首を傾げて、視線だけでアルベルトに訊ねる。
「……お加減は、いかがですか?」
「お医者様が強めの薬をご用意してくださったから、だいぶ良くなったわ。明日は普通に動けるはずよ」
「……………………」
無理はしていないか。大丈夫なのか。聞きたいことや言いたいことが浮かぶが、どれも違う気がして、言葉にする前に沈んでいく。アルベルトの様子を見て、エリシアは息を吐いた。
「あと半年ですって」
「……………………」
「そんなに長くはないとずっと前から分かっていたけれど、明確に期限を言われるのは、やっぱりきついわね」
「……………………」
「お父様に遺書を書かないと。伯父様や従兄弟、友達に、親しくしてくれた人にも。やることをやっていたら、半年なんてあっという間かもしれないわ」
「それが、あなた様のやりたいことですか?」
気付いたら、語気の強い言葉が出ていた。淡青の瞳を瞬かせて、エリシアがアルベルトを見る。
「本当はもっと、やりたいことや、したいことがあるのではないですか?」
「……やりたいことなんて、別に……」
「どうしてすぐに諦めてしまうのですか」
感情を抑えつけるつもりだった。それなのに、堰を切ってしまった言葉が、止まらない。
「もっと、抗ったって、怒ったって、理不尽だって喚いたっていい。生きたいって言ったっていいんだ! どうしてそれを飲み込んで、平然としていられるんだ!」
「だって」
エリシアが困った顔をする。
「それを言ったとしてもどうにもならないなら、言うだけ無駄でしょう?」
またしても、頭を殴られた様な感覚だった。柔らかな光に照らされたエリシアが、眉尻を下げて微笑む。
「今更なのよ……。子供の時に魔力を暴走させて、大人になれないと言われてから、随分経ったわ。あの事件の前は、いつ倒れてもいいように覚悟をしておいてと言われていたの。――だから、余命一年と宣告された時は、意外とまだ時間があったのね、なんて思ったわ。そう考えると、残り半年は妥当な所よね」
エリシアが、ベッドの横を叩いた。重い足取りでアルベルトは近付くと、エリシアが手を差し出した。その手にそっと、アルベルトは自身の手を乗せる。
「辛い思いをさせてしまってごめんなさい。本当は今日の診断結果は、伝える気がなかったの」
「……どうして」
「あなたを悲しませたり、巻き込みたくはなかったから」
エリシアの手が、アルベルトの指先を握った。その指は、アルベルトよりも細くて、小さい。
「どうする? きつかったら逃げてもいいわよ。私のことは私で何とかするから。伯父様に言って陛下に取り次いでもらって、王都に帰れるように手配をしましょうか?」
「……………………」
この人は、人の事しか考えていない。それは彼女の優しさでもあるが、悪い所だ。
アルベルトは首を横に振った。それを見て、エリシアはそう、と頷く。
「無理はしないで」
「……忠誠の誓いをしました。俺はあなた様から離れるつもりはありません。――でも、お願いが」
「何?」
「もう少しだけ、ご自身に素直になってもらえませんか?」
指先で握り返すと、ほんの少しだけ、エリシアの瞳が見開かれた。しかしすぐに、柔和な微笑みに変わる。
「努力するわ。私も、あなたが居てくれるととても助かるもの。では、私からも一つお願いしてもいい?」
「何なりと」
「――もし、私から炎が上がったら」
エリシアの長い睫毛が、瞳に影を落とした。
「私もその時は出来るだけ屋敷から離れるから、どうか、焼かれる姿を見ず、焼かれる声を聞かないようにしてちょうだい」
「それは……」
「あなたの心の傷にはなりたくないの。こんな私の側に居てくれるのだもの。どうか、残るのはいい思い出だけにさせて」
深い灰色の瞳を伏せて、アルベルトは考える。そしてエリシアに視線を合わせるように屈んだ時には、瞳に力が宿っていた。
「善処はしましょう。しかし、俺もあなた様に生きてほしいと思っています。もしもの時は燃えないよう対処しますので、どうかそのつもりでいて下さい」
「……消火活動でも、してくれるの?」
きょとりとして言った彼女の言葉が、どこか抜けていて。アルベルトは小さく笑った。
「はい。炎が起きるのなら、その度に何度でも消して助けます」
「あなたの命の方が大事よ?」
「……俺も、あなた様が居なくなるのは嫌です」
彼女の言葉に、胸が詰まった。思いを口にしながら、手を握り返す。
「最期の瞬間まで、側に居てお守りします。だからどうか、少しでも長く、一緒に居てください」
「王都に帰るのが遅くなっても?」
「……謹慎は今の所、無期限となっています」
「それは……殿下を殴ったのだから、当然よね」
目を伏せながら、彼女は笑った。何かを発しようと口を開いた彼女だったが、息を吐く。
「グランツ卿」
「はい」
「ありがとう」
「……………………」
「……側にいて?」
彼女の、指の力が強くなった。元々アルベルトは、離すつもりはない。頷くと、彼女の目から涙が溢れたのだった。




