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すべてを失った令嬢は騎士の愛を選ぶ——その愛は、もういりません  作者: 円花なまり
第二章 明日を数える日々

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10/24

10. こういう朝が、欲しかった

 朝の光で目が覚めた。

 一瞬にして今日の予定を洗い出す。学園、王太子妃教育、王太子からの呼び出し、結婚式の準備、お茶会、夜会、その他諸々。それらが全部ないことに気が付いて、ベッドの上で伸びをした。いやー……今までみっちみちで生活していたけど、面倒だったもの全部ないと考えると幸せかな? 侍女もいないからこうやってすぐ起きないでベッドの上でごろごろしても誰も怒らない。起きてすぐに公爵令嬢モードをオンにしなくていいのもめちゃくちゃいい。

 そう思って朝の日差しを目一杯浴びながらベッドで気を抜いていたが、気が付いてすぐに体を起こした。

 食事を作れるのが、私しかいないではないか。

 昨日は私も泣いてしまったし、移動と片付けで疲れているので簡単に夕食を済ませた。今朝ぐらいはちゃんとした物を用意しないと、流石にグランツ卿がお腹を空かせてしまう。パンはあったから卵とベーコンを焼いて、コーヒーがあったからそれも淹れよう。辺境最初の朝だ。特に予定もないのだから、優雅に行こうじゃないか。

 そう思ってベッドから起き上がって階下に降りると、生活音といい匂いがしてくる。

 

「おはようございます」

「……おはよう、ございます」


 既にグランツ卿に先を越されていた。キッチンに立っているグランツ卿から挨拶をされ、昨日の気まずさもあって少し顔を背ける。


「よく眠れましたか?」

「ええ、よく眠れたわ」

「体調は?」

「今のところ悪くはないわね」


 胸に手を当てて確認する。昨日の薬の効果がまだ残っているのだろうか。普段なら用事以外はぐったりして何もする気になれなかった。ひょっとしたら解放感で気分が上がっている影響かもしれない。


「それは良かった。朝食は今作っていますので少々お待ちください。先に身支度を整えてきていいですよ」

「待って。グランツ卿、食事を作れるの?」


 私の言葉にグランツ卿が振り向く。


「はい。男の一人暮らしの料理ですから、お口に合わないかもしれませんが……」

「作れることがすごいのよ! ではお願いしてもいい? 顔を洗ってくるわ」

「かしこまりました」


 洗面所に数歩進んでから足を止める。私の胃袋が、ベーコンと卵を欲している。いや、今日は諦めろ、でももうスイッチ入っちゃってる、と数秒格闘したのち、そっとグランツ卿に近づいて腰の辺りを引っ張った。


「ねぇ、グランツ卿。今日の朝ごはんは何かしら?」

「今野菜のスープを作っている所です。あとはパンですが……」

「まだ作っていないのなら、ひとつお願いしてもいいかしら?」


 グランツ卿が手を止めて、こちらに振り向く。


「貯蔵庫に卵とベーコンがあったのよ。焼いてもらっても?」


 そう言って彼を見上げると、切れ長の瞳が優しく細められた。


「それは贅沢ですね。仰せの通りにしましょう」

「飲み物は? コーヒーと紅茶ならどちらがいい?」

「……飲めるのですか?」


 驚いたようにグランツ卿が言う。……ああ、そうだった。紅茶は貴族の嗜みだし、コーヒーは南方から海を渡って取り寄せている、ちょっと珍しい飲み物だ。


「飲めるわよ。豆も茶葉もあったから、私が淹れられるわ」

「淹れられる? あなた様がですか?」

「もちろん」


 言ってしまってから、ん? と思う。公爵令嬢は、自分で紅茶を淹れない。侍女や使用人に淹れてもらうものだ。前世の私がコーヒーや紅茶が好きだったから淹れられるのだが……まぁ、いいや。趣味ってことにしておこう。


「おすすめは?」

「紅茶は茶葉の種類にもよるけれど……食中に飲むのなら、私はベーコンが脂っこいからコーヒーが好きかしら。目覚ましにもなるから朝のコーヒーは好きよ。食後の紅茶もそれはそれでいいと思うわ」

「では、コーヒーで」

「分かったわ。戻ってきたら淹れるからお湯を沸かすのをお願いできる?」

「かしこまりました」


 スキップしたい気分で洗面所へと向かう。ごはんも作ってもらえるし、朝から自分で好きに出来るなんて、なんて最高なんだ!

 浮かれ気分で歯を磨いて顔を洗い、髪を簡単にまとめてから再びキッチンに戻る。


「エリシア様、ベーコンは何枚ですか?」

「どれくらいの大きさ?」


 流し台に立つグランツ卿の後ろから手元を覗き込む。……ううん、ベーコンが良い物だからか大きくて横幅があるのよ。


「一枚、気持ち薄めで」

「かしこまりました。卵は?」

「一つで!」


 グランツ卿が手を止めてこちらを見る。


「今日はよく食べますね。無理していませんか?」

「違うわ。昨日簡単に済ませたからお腹が減ったみたい」


 そう答えてキッチンの上の棚を確認する。私の友人の所でコーヒーの豆と器具を買ったことがあるから、それを元に用意してくれたらしい。お気に入りの豆を三種類、それに器具はミルにペーパードリップ、直火のエスプレッソ・メーカーが置かれている。……ミルが、私が買ったものより数段上の物だ。このエスプレッソ・メーカーも異国のものだったから高かったはずだけれど。まぁいいか。


「コーヒーは飲んだことは?」

「ありません」

「濃いのがいいとか薄いのがいいとか……飲んだことないなら分からないわよね」


 棚を見ながら右手を顎に当てて考える。私の好みは苦味が強くない浅煎り寄りの中煎り。エスプレッソはアメリカーノにするかカフェラテで飲んでいる。すっきり飲むならアメリカーノだが……初心者ならまずはペーパードリップにするか。

 (はかり)を取り出してテーブルの上に置き、豆を開封する。開けたてのとてもいい匂いが鼻をくすぐった。うん、これだけで幸せな気持ちになる。二人分の豆を測ってからミルに入れ、ハンドルを回して豆を挽き、コーヒーポットの上にドリッパーを載せ、フィルターをセットしてお湯で一度洗う。豆をフィルターに入れて均し、壁に掛けられた時計の針を確認し、ゼロになった所でお湯を注ぎ始めた。最初は、豆を膨らますようにゆっくりと、時間毎に規定量のお湯を注いでいく。

 こんな面倒な作業、使用人にやってもらえばいいじゃないと、同じく上位貴族の友達は言った。違うのだ。自分で黙々とやるのが、瞑想と同じでとてもいいのだ。


「はい、どうぞ。濃かったらお湯で薄めてね。苦かったら砂糖や蜂蜜を入れてもいいし、ミルクを注いでもいいわ」


 そう言って、コーヒーの入ったカップを、昨日食事のために私が座った場所と同じ所に、もう一つを対面のグランツ卿が座るであろう場所に置いた。

 え? とグランツ卿が目を見開いてこちらを見る。


「あら、あなた、食事は?」


 見ればテーブルの上には私の分のスープとベーコンエッグとパンしか置かれていない。


「……同席しません」

「どうして?」

「身分が違います」


 目を細め、椅子に座り、テーブルの上に肘を突いて彼を見る。


「アルベルト・グランツ卿。この屋敷の主人は誰だったかしら?」

「はっ、エリシア・フォン・ルヴェリア公爵令嬢です」

「そう。それならば、私がルールってことで、よろしいわよね?」


 そう言って、茶目っ気を込めて眉尻を上げると、グランツ卿が息を吐いた。


「わざわざ悪役振らなくても」

「それだけ無理難題を言うのだもの。横暴な方がいいでしょう?」


 くすりと笑ってコーヒーを手に取る。


「ご自分の分も作ってお座りになって? 私はコーヒー飲みながら待っているわ」

「かしこまりました。しかし、冷めてしまうので先に食べていてください」


 グランツ卿に言われてちょっとだけ考える。


「そうね。せっかく作ってくれたのだから、温かいうちにいただくわ。次からは二人分用意してテーブルに並べてちょうだい」

「いいのですか? 本当に?」

「私は気にしないわ。一人で食べるよりずっといいもの。あ、そうだ。お湯が残っているから別のカップに湯を注いでくださらない? 薬を飲むのに使うわ」

「かしこまりました」

 

 棚から取り出したカップに湯を注いでもらい、渡されたのをありがとうと言って体を向けて両手で受け取る。

 まずは食事だ。心の中で小さくいただきますと呟いてから、スープをいただく。ベーコンとじゃがいも、人参、玉ねぎを小さく切って作られた、ミルクスープだ。ひょっとしたら私の体調に考慮して作ってくれたものかもしれない。


「味はどうですか? 口に合います?」

「……美味しい」


 素朴な、だけど優しい味。公爵邸の料理はそれは美味しかった。一級品の素材に、一流のシェフの調理、毎食テーブルには数多くの色とりどりな皿が載った。しかし、父が忙しくて殆ど屋敷に帰らなかったから、ずっとひとりだった。使用人も静かに待機しているから、ずっと息苦しさを抱えながら何とか胃に食事を押し込んでいたのだ。

 今、ベーコンと卵の焼ける音を聞きながら、暖炉の薪が鳴る音、背後で生活を共にする人が料理をしている。前世の私が気付くことが出来なかった、今の私がずっと懐かしんでいた、贅沢な時間だ。


「……こういうのがいい」


 ぽつりと呟いた言葉を、グランツ卿は拾ったようだ。


「お気に召しましたか?」

「ええ。とても。作ってくれてありがとう」


 少し目が潤んでしまったけど、微笑んでそう言えば、グランツ卿が少し目を見開いてから、深い灰色の瞳を柔和に細める。


「それは良かった。あなた様の作ってくれたコーヒーが冷める前に、すぐに用意します」

「焦って焦がさないでね」

「気をつけます」


 フライパンに向かうグランツ卿の後ろ姿にふふ、と微笑みながら、スープをさらに口にして、ナイフとフォークでベーコンエッグに取り掛かる。

 辺境での一日が、ゆっくり始まろうとしていた。

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