09. 生きていて
グランツ卿が荷物を運んでいる間に、部屋を見て回った。
一階には、玄関を入ってすぐに応接室を兼ねた暖炉付きの居間があり、他に客室と使用人用と思われる小さめの部屋があった。客室は恐らく、伯父様達が遊びに来る前提で作られたのだろう。少し大きめのベッドに、壁には狩猟で獲ったと思われる鹿の頭部の飾り物。伯母様の好きそうな飾りが置かれている。流石、抜け目ないなと思ってしまった。
食糧庫には当分買い出しに行かなくてもいいようなベーコンやハム、加えて日持ちする野菜類が貯蔵されている。その箱に描かれた商会のマークを見て、思わず微笑んだ。私の友人は、商家の伯爵令嬢だった。彼女め、伯父様相手に上手く商売が出来たようだ。
キッチンは火を使わない魔石を埋め込んだ三口のコンロに、横にあるシンクは水の魔石に触れれば蛇口から水が出る仕組みだ。水を汲みに行かなくていいのは大変ありがたい。
風呂場は覗いた瞬間に目を見開いた。魔石が二つ埋め込まれた、最新式の湯船だ。火の魔石と水の魔石が埋め込まれているから、温かい湯が水を汲まなくても出てくるようになっているのだろう。しかもシャワー付きだ。
暖炉の横から二階に上がれるようになっていて、登った先は私の私室として用意されていた。外から見た塔の部分だろう。高い天井に、吊るされた灯り。大きめのベッドに本棚、窓を開ければ辺境の山が一望出来た。
現代日本で言うなら、古民家を丸ごと改装して最新家電まで一式揃えたようなものだろう。……これ、いくら掛かっているんだろうな、と内心思ってしまう。今は公爵令嬢でも、中身は現代日本を生きていた社会人だ。貴族は金銭感覚が違いすぎてすごいなー、と前々から思っていたが、流石に、これは貴族の中でもかなり高額なお金の使い方だろう。公爵令嬢として暮らしている私ですら、遠い目になってしまう。しかも王都からかなり離れているこの辺境に用意したとするなら、だ。
……うん、考えるのをやめよう。使ったお金が市場に流れて働く人の懐が潤うのなら、それはきっといいお金の使い方だ。うん。
部屋の片付けをしなければ。
「ルヴェリア嬢、少しよろしいですか?」
一階から持ってきてもらった荷物を片付けていると、ドアがノックされた。どうぞ、と言うとそっとドアが開かれ、遠慮がちにグランツ卿が顔を覗かせる。
「どうしました?」
「一緒に見てもらいたい物があるのですが、よろしいですか?」
「ええ。何かあったの?」
「……ルヴェリア公爵家から持ち込まれた荷物に、気になる物がありまして」
おずおず、とそう言う彼に疑問符を浮かべる。彼に従って階下に向かうと、その原因はすぐに分かった。
「あら、まぁ」
公爵家から食料として持ち込んだじゃがいもが、全て緑になり芽が出ていた。
「どう思います?」
「皮を厚めに剥いて、芽を取れば何とか食べられ……いえ、萎びてきているしこの量は中々……」
箱の下まで確認したが、本当に全て緑色になっている。食べられるような状況ではないし、二人で消費するにしてもこの量を一気に食べることは難しいだろう。
「旅程が想定より長かったから、その影響かしら?」
「ずっと箱に入れて馬車に載せていたので、光には当たっていないはずです。それに、この状況からすると、恐らく最初からだと」
「……なるほどね」
じゃがいもを一つ持ち、眺めながら目を細める。じゃがいもは、芽が出て皮が緑色になると毒を持つ。食べると腹を下すと言われているが……真緑になってしっかりと芽が出ているそれを見る限り、腹を下すだけで済めば良い方かもしれない。
単純な嫌がらせだろうか。父に連絡して確認と使用人の調査を伝えなくては。しかしどうやって? 伯父様との通信珠を使って伯父様伝いで報告するしかないかしら? でもそれだと公爵家の内情が北部侯爵家にも伝わるから気が引ける。手紙を送っても届くまでに時間が掛かれば、父に危険が及ぶ可能性も……。
「……申し訳ございません」
聞こえてきた謝罪に顔を上げると、グランツ卿が俯いている。
「公爵家からの荷物を確認しなかったのは我々の責任です。載せる前に検品しておけばこんなことには……」
「いいえ。あなた方の問題ではないわ。公爵家からの直接運ばれた荷物で、私物も一緒だったのだから、信頼性があると考えて当然です。どうかお気になさらず」
「……気遣い感謝します。これはどうしましょう。処分しますか?」
「そうね……」
じゃがいもを見ながら考える。証拠品にしても、ルヴェリア公爵家からこの辺境の屋敷までは遠い。送るにしても時間が掛かる。この状態を維持して保管しておくのは不可能だ。……だったら。
「勿体無いから植えましょうか」
グランツ卿がは? と声をあげる。
「確か畑があったでしょう? 全部は無理ですが、いくつか植えておけばわざわざ買いに行く手間もなくなるはずよ。食糧庫に侯爵家から送られた物に綺麗な物があったから、こちらは無理して食べなくてもいいわね」
「お待ちください。これは毒を仕込まれたと同じような物では?」
「そうねぇ……確認不足や嫌がらせかまだ確定出来ないけれど、伯父様を通すか何らかの方法で父に報告するわ。何も知らなければ食べていたかもしれないけれど、食べなければ何も問題はないわ」
「しかし」
「これは公爵家の問題よ。近衛が口を出す話ではないわ」
そう言って、私は立ち上がる。視界が一瞬にして暗くなった。立ちくらみに何とか足を踏ん張るのと同時に、グランツ卿が側に来て私の身体を支える。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫。ただの立ちくらみよ。外に納屋はあったかしら?」
「ありました」
「ではこれはそちらに。今日は流石に無理ですが、明日以降に植えましょう。重たいですが運べますか?」
「運べます。……どうしてそんな冷静に」
「貴族だもの。慣れていてよ?」
グランツ卿が、固まる。
「王太子殿下の婚約者だったから、反対する者や嫌う者、私を蹴落として自分の娘を王太子妃にしたい者は少なからずいるの。ここ数年は私が王太子妃に相応しくないと仰る方々が多かったのは、あなたもご存知でしょう?」
私の言葉に、グランツ卿は目を見開いた後、ゆっくりと首を振る。
「陛下の側で仕えていましたが、そんな話は一度も……」
「そう。学園ではよく言われていたけれど、陛下の耳には届いていなかったのね。良かったわ」
「……よく、言われていた?」
「ええ、まぁね」
息を吐いて、再び芋の入った箱を見る。まるで早くこの世を去れと言われているようだ。
「……放っておいても、どうせいなくなるのにね」
ぽつりと呟いた後、目を閉じて気持ちを入れ替える。——弱い所を人に見せてはいけない。
「では、これは納屋にお願いね。私は上の片付けに戻るわ」
「……畏まりました」
にこやかに微笑んで、自室の階段を上がる。……階段を登るだけで、息が上がる。登り切った所で目眩と立ちくらみに耐えてから、自室へと入った。
服を片付けている途中だった。明日から生活出来るようにトランクから出した服を備え付けの衣装箪笥にしまう。
これはここ、これはここ、これはここ……と繰り返していたが、手が止まってしまった。
「……………………」
身体が、動かなくなった。緑色のじゃがいもが、頭から離れてくれない。
殺されかけることは今に始まったことではない。幼少期は母が亡くなった直後に当時の侍女長に餓死を望まれて閉じ込められた。お茶会で毒を盛られたことだってある。
だから、死んで欲しいと望まれるのは当たり前だった。慣れたはずだった。
慣れた、はずだ。
「……………………」
天井を見上げる。やる気が、なくなってしまった。床に座ったまま、ベッドを背に凭れる。
今に始まったことではないと頭では理解しているが、身体と心が理解してくれない。正直、何もかも放り出してこのまま不貞寝したい気分だ。
何だったら、このまま目が覚めなくなって、私は構わないのに。
「ルヴェリア嬢、よろしいですか?」
「……はい」
階段を上がってくる音がドアの向こうから聞こえてきた。顔を上げると、ノックの音と共にグランツ卿の声が向こうから聞こえてくる。
「水とタオルをお持ちしました。顔は見ませんので、少しだけ扉を開けていただけませんか?」
グランツ卿の言葉に目を丸くする。泣いていると思われたのか。
「必要ないわ。大丈夫」
「……大丈夫ではない時ほど、あなた様はそうおっしゃるようなので」
確かに、大丈夫ではないがまだ薬を飲むほどではない。訝しみながらドアに近付き、そっと開ける。
目の前には、逞しい腕に載せられたトレーだけがそこにあった。覗き込めば本当に見えない位置にグランツ卿が立っていて、こちらを見ないようにしている。
「どうぞ」
「……ありがとう」
「任務に赴く前に、魔力過多症について調べました。感情の波や心の負荷は、症状を悪化させることがあるそうですね」
「……それで?」
トレーに視線を向けたまま聞くが、グランツ卿は顔をこちらに向けない。
「すぐに用意出来るのがこれでしたので、まずは水を飲んで休まれてください。居間は暖めておきますので、落ち着かれたら。牛乳や蜂蜜がありましたので、後でお持ちしましょうか?」
「……どうして」
目の前の優しさに、ぽつりと言葉が出る。
「どうして、そこまでするの?」
「何が、ですか?」
「もうじき死ぬ人間に優しくしたって、何の意味もないわ」
ドアを開けている指先に力が入って、白くなる。目の前の視界が、滲む。こんなこと、本当は言いたくない。
「あなただって、私が早くいなくなれば、それだけ王都に早く帰れるでしょう? ……他の騎士のように護衛だけしていればそれでいいのに、どうして」
返事は、すぐにはなかった。トレーを持ったままのグランツ卿は身体の向きを変えず、少しだけ息を吐く。
「少なくとも俺は、あなた様に死んでほしいとはこれっぽっちも思っていません。生きていて欲しいと、思っています」
視線をゆっくりと、上げる。グランツ卿は正反対の方向を見ていて、こちらを見ない。
「先程は陛下の耳に届かなくて良かったと仰いましたが、俺は違います。……苦しんでいたのに気付かず、申し訳ありません。本来副団長は王妃様や王太子妃様をお守りするのが業務なのに、怠っておりました」
歯軋りが聞こえてきそうなほど悔しそうな顔をするグランツ卿に、ゆっくり目を瞬かせる。
「別にあなたの所為ではないのに……」
「知ろうとしませんでした」
「……婚約はしていたけど、王太子妃ではなかったから、まだあなたの管轄ではないわ」
「それでも、です」
「……もう違うでしょ」
「今は、エリシア様の護衛です」
グランツ卿が身体をこちらに向けて、トレーを持ったまま一礼した。
「だから俺は挽回します。行動で示します」
「……どうして」
「あなた様の人となりに触れたからです」
トレーを差し出されて、素直に受け取った。
「俺以外にも、カイルやオスカー、侯爵閣下もきっと同じでしょう。少なくとも俺は、あなた様に一日でも長く生きていてほしいと思っています」
「……帰るのが遅くなるのに」
「その時は、その時です」
そう言って、グランツ卿は頭を下げた。
「俺は下に戻ります。夕食は俺が用意しますので、降りられるようになったらどうぞ。難しいようでしたらこのままお休みください。後でお持ちします。それでは」
言うだけ言って、グランツ卿は階段を降りて行ってしまった。
ドアを閉め、トレーを持ってベッドへと向かう。ベッドの横の台にそれを置くと、タオルを手に取る。
固めに絞られたそれは、冷たい。井戸の水を汲んで濡らしたのだろう。
「……………………」
無言で目元に当てる。視界が隠されたのと火照った瞼を冷やす温度が、感情を緩ませる。
「……馬鹿」
誰に向けた言葉なのか、自分でもよく分からなかった。
ただ、タオルに触れた目元から、ようやく一粒だけ涙が零れた。
2026/8/11 加筆修正済み




