第2話 歪な関係
月曜日の朝、俺はいつもと変わらず凛と一緒に登校していた。
五月も下旬へと差し掛かり、朝のひんやりとした空気の中にもほのかな夏の気配が混じり始めている。
暖かな日差しが降り注いでいるが、歩いていても汗ばむほどではない絶好の気候だ。
今日は凛に誕生日の放課後の約束を取り付ける。
まだ当日までは時間がある。
……今からなら予定が空いていないなんてことはないはずだ。
「ねえねえ蒼、なんか良いことあった?」
思考を巡らせていると、隣を歩く凛がひょっこりと顔を覗き込んできた。
(……やべ、顔に出てたか?)
それにしても、間近で見ると相変わらず可愛いな。
俺は悟られないように落ち着いて返事した。
「ん? 何もないよ?」
「うっそだ~」
「ほんとほんと」
内心の動揺を隠し、努めて落ち着いたトーンで返す。
(……よし、ここで切り出してみるか)
「それよりさ、来月の15日って凛の誕生日だよね? 放課後って時間空いてたりする?」
「来月ならまだ予定入れてないし空いてると思う! なんで?」
(おお……これいける……!?)
「あー久しぶりに、二人で遊びたいなー的な?」
「そうなんだ? いいよ、遊ぼ!」
「ほんと? なら決まりで!」
拍子抜けするほどあっさりと約束が取り付けられた。
胸を撫でおろしかけた、その時だ。
「それよりさ! 昨日いつメンでホーリーランド行ったんだー! 見て見て、青春っぽくて良くない!?」
テンション高めに差し出されたスマホの画面には、猫耳のカチューシャをつけてはしゃぐ制服姿の男女グループが写っていた。
中央で弾けるような笑顔を見せる凛のすぐ隣には神宮寺の姿。
(うわあ……こうして並んでいると、やっぱりお似合いのカップルに見える……)
正直、こういう写真は見たくない。
凛は一体どういう意図でこれを見せてきたのだろうか?
俺に嫉妬してほしいの?
それとも友達の少ない俺を暗に煽っている?
――そんなドロドロとした醜い考えが脳裏をよぎる。
しかしそれを表に出しても、何も良いことはない。
凛は純粋に、楽しかった出来事を俺に共有したいだけなのかもしれない。
そもそも凛は俺の好意に気づいていない可能性が高いのだ。
ここで変に邪推して感情的になれば、二人の関係がこじれるだけ。
なら、ここは笑ってやり過ごすのが正解。
「おお、いいじゃん!」
「えっへん! 華のJKだからね! 毎日楽しまなきゃ、あっという間に終わっちゃうから!」
「ハハ……そうだね。確かに」
はあ……なんだかなあ。
本来は楽しそうに笑う凛の姿を見て素直に喜ぶべきなのに。
学校への道のりがちょうど半分に差し掛かったあたりで、凛がくるりと振り返って口を開いた。
「じゃ、私先に行くね? 蒼は少し時間を置いてから来てね! ……その、いつもごめんね?」
申し訳なさそうに小首をかしげ、ぺこりと頭を下げて手を合わせる凛。
「ははは……良いって。いってらっしゃい」
苦笑混じりに手を振ると、凛はどこか安堵した表情を浮かべ軽やかな足取りで一足先に学校の方へと歩み去っていった。
「……はあ」
一人残された俺は重たい溜め息を吐き出すと、近くの公園にある見慣れたベンチへと向かった。
ブランコが風に揺れる音を聞きながら、スマホを取り出して時間を潰す。
いつからか、これが俺の朝の日課になっていた。
◇ 伊藤葉月 視点
同じ時刻、通学路を一人で歩く少女がいた。
ふと視線を横の公園に向けると、見覚えのある人影が目に飛び込んできた。
(えっ、左条くん!? なんでこんなところに……?)
左条くんがポツンとベンチに座り、一人でスマホを眺めている。
誰かを待っているのだろうか。
彼の姿を目で追いながら歩いていると――
――ドゴッ!!
鈍い衝撃が頭に走り、視界が一瞬で真っ白に弾けた。
ワンテンポ遅れて左頬を襲う猛烈な痛み。
どうやら電柱に顔面から激突してしまったらしい。
「あでっ!? ……いったたたた」
なさけない悲鳴を上げてその場にへたり込み、涙目で頬を押さえる。
「……伊藤さん!?」
顔を上げると、驚いた表情の左条くんが慌てた様子で駆け寄ってくるところだった。
「どうしたの!? 大丈夫?」
左条くんが心配そうに右手を差し出してくれた。
(うう……。恥ずかしいところを見られちゃった……)
「あはは、大丈夫だよ~! ありがとう……っ」
差し出された大きな手を取り、立ち上がる。
彼の手の温もりが伝わった瞬間……胸の奥がトクンと跳ねたが、必死に意識から逸らした。
「左条くんは誰かと待ち合わせ?」
「……いや、別に」
「そうなの……!? じゃあ、茜ちゃんと喧嘩して頭を冷やしてたとか?」
「茜とは喧嘩してないけど。まあ、ちょっとね……」
そう答えた左条くんの横顔が、どこか切なげに見えた。
「……なんか、元気ないね?」
「そうかな?」
「うん。……とりあえず行こっか」
二人で並んで通学路を歩き出す。
彼と一緒に登校するのはこれが初めてで、なんだかソワソワして落ち着かない。
「朝はよくあの公園にいるの?」
「そうだなー。 毎日いるかも」
「毎日!?」
「うん」
私は少し思い切り、『じゃあさ』と前置きをしてから言葉を続けた。
「明日からあの公園で待ち合わせして一緒に登校しない? ……嫌なら断ってくれて全然良いんだけど」
数秒の沈黙が流れる。
「いいよ。この時間にあのベンチで待ってれば良い?」
「……うん!」
明日から、左条くんと一緒に登校することが決まった。
ただ一緒に登校するだけ。
別に特別な意味なんてないからいい……よね?
(登校するだけ……登校するだけ……登校するだけ……)
自分に言い聞かせながら、軽い足取りで歩く。
『一緒に行くだけ』と必死に平静を装ってみるものの、隣を歩く彼の気配を感じるだけで、抑えきれない喜びが足元から全身へと広がっていくのが分かった。
◇
翌朝。
私はいつもより格段に早く支度を済ませた。
「今日は早いわね♪ 何かあるの?」
「別に~」
母の鋭い追及を短くかわし、玄関で靴を履く。
「行ってきまーす」
「はーい、行ってらっしゃい♪」
マンションを出て、朝の涼しい風を感じながら待ち合わせの公園を目指す。
(……ちょっと早く出すぎちゃったかな?)
昨日遭遇した時間より15分ほど早い到着になりそう。
けれど、遅れるよりはいいよね。
公園に着くと、まだ左条くんの姿はなかった。
ベンチに腰掛け、スマホで時間を潰す。
5分ほど経った頃だろうか。
聞き覚えのある甲高い女の子の声が聞こえ、私は思わず顔を上げた。
(凛さん!? それに、左条くんも……)
どうして凛さんが?
今日は三人で登校することになるのかな?
……もしかして私、邪魔をしちゃったんじゃ……。
想定外の事態にしゅんと肩を落とした、その時――。
凛さんが申し訳なさそうに両手を合わせ、そのまま一人で行ってしまった。
(……どういうこと?)
それに左条くん、なんだか無理して笑っているような……。
凛さんの背中を見送った左条くんが、くるりと振り向いたところで私と目が合った。
彼は驚いたように目を丸くする。
「あれ、伊藤さんもう来てたの? もしかして待たせた?」
「ううん、ちょっと早く着いちゃっただけだから! ……それより、凛さんと一緒に来てたよね? 一緒に行かなくて良かったの?」
左条くんは少し考えた後に『まあいいか』と言って続けた。
「実は毎日一緒に登校してるんだけどさ、ここで別れてから別々で登校してるんだよね。俺は少し時間を潰してから登校してる」
「え、なんで?」
「なんでだろうね。俺と一緒にいるところを見られたくないとか?」」
――え? 何それ。
それじゃあまるで、左条くんのことを『自分の価値を下げる存在』扱いしているみたいじゃない……。
「そうなんだ。 嫌じゃないの?」
「普通に嫌だけど、凛がこのまま遠くなっていくのが怖いし……」
物憂げに語る左条くん。
正直、二人の関係は歪に見えた。
凛さんは、左条くんの真っ直ぐな一途さを軽視しすぎている。
我慢を重ねている左条くんの心境も理解できない。
……私が左条くんなら絶対に愛想を尽かす。
けれど同時に、すごく尊いとも思ってしまった。
あんな扱いを受けながらも、なお一筋に想い続けている。
……あんなに一生懸命になって、誕生日プレゼントまで選んで。
隣を歩く彼の横顔を思わずじっと凝視してしまう。
今日はなんだか、やけにかっこよく見える。
……左条くんのことを、もっと深く知りたい。
心からそう思った。
「どうしたの? 顔に何かついてる?」
「え!? あ、いや! なんでもない、ごめん!」
「ん?」
不思議そうに首をかしげる左条くん。
「でもさ、伊藤さんのおかげでなんか楽になったよ」
「……え、私なんかしたっけ?」
私は首をかしげる。
「伊藤さんがいなかったら、今日も一人でぼっちだったし。それに……いつもこの時間は憂鬱なんだけど、今日は伊藤さんと話せてすごく楽になった」
「そうなの? それなら良かった!」
私は何もできていないけれど、彼の心を少しでも軽くできたのならそれ以上に嬉しいことはない。
「ということで!」
左条くんは朗らかに言い放つと、もう一度こちらに視線を向けた。
いたずらっぽくニッコリと笑った顔に、胸の奥が跳ね上がる。
「明日からも一緒に登校、よろしくね! 伊藤さん!」
激しく高鳴る鼓動を隠すように、私は意識して明るい声を張った。
「うん! よろしくね、左条くん!」
返事をすると、彼は嬉しそうに頷いて前を向いた。
昨日の約束が現実になり、明日からも彼と一緒に登校できる。
胸の奥から溢れ出しそうな喜びを必死で押し殺し、緩んでしまいそうな口元を隠すように、私も前を向いて歩き出す。
油断するとスキップしてしまいそうな足取りで、私は彼の隣をしっかり並んで歩いたのだった。




