おはようございます、旦那様
「食堂はこちらです」
ディアンに着替えを手伝ってもらったあと、私は食堂へと移動した。
寝室の豪華さから想像していた以上に、アシュトン家の屋敷は豪華だった。長い廊下にいくつも並ぶ部屋。あちこちに花や美術品が飾られ、そのどれもが丁寧に手入れされている。
しかもこれだけ物があるというのに、くどさはまったく感じられない。
どれもセンスよく整えられ上品に調和していた。
こんな芸当、並のお金持ちにはできない。
そして今、私が着ている衣装もなかなかにやばかった。
デザインは普段着らしくシンプルだけど、生地は柔らかで肌触りがよく、びっくりするくらい仕立てがいい。こんな縫い目に乱れのない綺麗な縫製は初めて見た。市井に出回っている衣類とは格が違う。間違いなく第一級の職人が作ったものだ。
普段着ごときを職人に作らせるって、どんな金銭感覚してるの。
間違いない。
私が結婚した相手はとんでもない富豪だ。
軽くパニックになりながら、ディアンの後ろについていく。彼女はドアのひとつの前でぴたりと足を止めた。軽くドアをノックする。
「旦那様、奥様をお連れしました」
低い声がドアごしに返事をする。
ディアンはそっとドアを開けると、私に道を譲った。
入れ、ということらしい。
「おはようございます……?」
私はおそるおそる、食堂に入った。
「……」
そこにいたのは、黒髪の青年だった。
確か、名前はカイルだったはず。
自宅での朝食というタイミングのせいだろう。昨日見た豪華な外套は身に着けず、ラフなシャツとズボン姿だ。
整った顔立ちに、澄んだ青い瞳。あの時はあわてていて気付かなかったけど、思ったより若々しく、美しい青年だったらしい。
こんなに綺麗な人にプロポーズしてもらって、結婚したの?
いくらピンチだったからって、思い切りよすぎないか、私。
「こほん!」
ディアンの咳払いで、我に返った。
思わずカイルにみとれてしまっていたらしい。
ふい、と彼のほうも私から目をそらす。
「……おはよう」
低い声が挨拶を口にした。
美しい青年は声まで美しいらしい。ぼそっとした一言だったのに、聞き心地がよかった。
カイルの青い瞳が改めてこちらを見る。
「昨日は、よく休めたか?」
「あ、はい。おかげさまでぐっすりと。あっ、すいません!」
「うん?」
「こんな遅い時間まで長々と寝入ってしまって。こんな遅いタイミングでのご挨拶になるなんて失礼でしたよね。でも、いつもはもっと早くに起きるんですよ。それで……」
「落ち着け」
あわあわと言葉を並べる私を、低い声が遮った。
「お前が自然に起きるまで寝かせておけと指示を出したのは、俺だ。しっかり休めたのなら、それでいい」
「そう……ですか……?」
いやでも働く大人として過度な朝寝はどうかと思う。
のんびりしてたら一日の仕事が終わらなくて……ああ、そういえば、その仕事もなくなったんだっけ。
「朝食もまだだろう。誰か、俺と同じものを彼女に」
「あ」
食事を指示した彼に、思わず声をあげてしまった。カイルはきょとんとした顔でこちらを見る。
「何か食べられないものでもあったか?」
「いえ、好き嫌いはないのですが……同じものだと、全部は食べられそうに……なくて」
豪華なお屋敷は、食事も豪華だった。
彼のお皿には卵料理とチーズとパン。さらにサラダやスープなどの副菜がいくつも添えられている。チーズとパンが一かけあればラッキーな下級聖女の食生活とは雲泥の差だ。
おいしそうだとは思うけど、こんな豪華なもの胃が受け付けそうになかった。
せっかく食事を出してくれるっていうのに、注文をつけるのは我ながらどうかと思う。
とはいえ、食べられないものを出させて、食材を無駄にするのも気が引ける。
カイルは特に気分を害した様子もなく、うなずいた。
「ああ、これだと多いのか。昨日から食べてないわけだし……ディアン」
「消化によいものをお持ちしますね」
軽くお辞儀してディアンは退室していった。すぐに湯気の立ったお皿を持って、戻ってくる。ダイニングテーブルにつかされた私の前に置かれたのは、消化によさそうなスープと、ふわふわのパンだった。
何をどう煮込んだのかよくわからないけど、超絶にいいにおいがする。
「これなら食べられるか?」
「……はい、ありがとうございます」
促されて口をつける。
おいしそう、と思ったスープは予想以上においしかった。
「口にあったようだな」
「はい。ありやとうございます」
噛んだ。
いやでもこんなおいしいもの食べて、口が緩まない人間いないから!
カイルは私から目をそらして、口に手をあてている。
素直に笑っていいんですよ? 無作法なのは自分でもわかってるから!
ややあってから、カイルはごほっと咳払いした。
「んんっ……食べながらでいいから、少し話をしよう」
「あ、はい」
「……まずはそうだな。改めて自己紹介しておこうか。俺の名前はカイル・アシュトンだ」
「元下級聖女の、シーラです」
カイルと違って、私には名乗る家名はない。
もともと孤児院育ちの孤児だからだ。
「うちは代々商会を営んでいる。アシュトン商会の名前を聞いたことはないか?」
「アシュトン……商会?」
商会、と言われて思い出した。その名前には聞き覚えがある。
「もしかして、神殿や王宮に食材を納入している、あのアシュトン商会のことですか?」
「食材以外にも、流通できるものは何でも扱っているが、そうだな。そのアシュトン商会であってる」
「王室御用達の老舗商会じゃないですか!」