今日から奥様
下級聖女の朝は早い。
聖女の勤めは、愛の女神を讃える歌を歌い、祈りを捧げることだと定められているが、聖職者も人の子。祈るだけでは神殿の生活は回らない。聖女の中でも後ろ盾のない、庶民出身の下級聖女が日々を整えるのが慣例だ。
夜明け前から起き出して、まずは厨房の掃除。かまどに火をいれて食事の支度をしたら、他の高位神官たちへ配膳、給仕。彼らの食事が終わったあとにやっと朝ごはんを食べ、それから神殿中の掃除をして洗濯をして、参拝者に歌を披露したあとは書類整理に帳簿つけに内職にと一日中忙しい。『聖女』という清らかな名前がついてはいるものの、要は聖職者の都合のいい小間使いである。
それでも一旦神殿入りすれば、聖職者として世間一般からは丁重に扱われるし、礼拝のために読み書きや礼儀作法も仕込んでもらえる。運がよければ貴族と接点を持つことさえできる。職業選択の幅の狭い庶民女子にとっては、人気の職場のひとつだ。
聖女の中には上流階級出身の『上級聖女』も存在するけど、ご令嬢としての箔づけと行儀見習いのために神殿入りした彼女たちの仕事は、主に歌と祈り、そして賓客のもてなしである。
孤児院育ちで身よりのない私の振り分けはもちろん『下級聖女』。
今日も仕事が山とある。
さっさと起きて働かなくちゃ。
もうこんなに部屋が明るくなってるし。
「起きて……ん……?」
窓から差し込む陽の光の明るさを感じて、私はぎょっとした。
明るい。
明るすぎる。
こんな陽の高さ、夜明けをとっくに過ぎている。
「やばい!」
私は反射的に体を起こした。
厨房の準備をしなければ、食事が作れない。寝坊なんかした日には、朝食がないことに気づいた高位神官や上級聖女たちから文句を……!
「あれ?」
どこ、ここ。
私の目の前には見たことのない光景が広がっていた。
真っ白なシーツに、ふかふかのベッド。広い部屋には、上品な家具が並べられている。よくわからないけど、たぶんきっと高いやつ。神殿のおんぼろ聖女寮の家具とは格が違う。
「……どこ、ここ」
神殿ではない。
歴史が古いばかりで雰囲気の暗いあそこに、こんなセンスのいい部屋は存在しない。
どこかお金持ちのお屋敷なのでは、とは思うけど、心当たりはなかった。
「いや……それ以前に……」
私、どうやってここに?
昨日は年に一度の大礼拝の日で、儀式の最中にうっかり大燭台を倒して、壊しちゃって……、その後、私は。
「失礼します」
「ひゃいっ!?」
軽いノックの音がして、エプロンドレス姿の女性が部屋に入ってきた。歳は四十代くらいだろうか。地味なその服装は、お屋敷の使用人がよく着ているタイプのものだ。いわゆるメイドさんというやつだと思う。
きちんと髪を結い上げたメイドさん? はおっとりと上品にほほ笑んだ。
「おはようございます。お目覚めになられたのですね、奥様」
「……おくさま?」
一体何の話だろう。
こんな上品なメイドさんに『奥様』なんて呼ばれる覚えはない。私は神殿の下級聖女だしそもそも独身だし。
しかしメイドさんはころころと笑う。
「昨日、わが主カイル様とご結婚されたではありませんか、シーラ奥様」
「はっ……!」
言われて、やっと思考が昨日の出来事に行きあたる。
そうだ、そうだった。
壊した大燭台を弁償しろと迫られた私と結婚して、その場で金貨を寄付した青年がいたじゃないか。
さあっと頭から血の気がひいていく。
「えっと……じゃあ、ここって……」
「アシュトン家の屋敷になります。申し遅れました、私は当家に仕えるメイドのディアンです」
「そう……ですか……」
そこでやっと部屋の豪華さに納得する。
金貨をポンと出せるくらいのお金持ちだ。住んでる家も当然お金持ち仕様に決まってる。
「よほどお疲れになっていたんでしょう。こちらに向かう馬車の中で眠り込んでしまわれていたので、旦那様がお部屋にお運びしました」
「だっ……運ば……っ!?」
え。
もしかして、あのあとまた抱っこで運ばれたの?
なにそれ恥ずかしすぎる。
「ちなみに清拭とお着換えは私どもメイドが行いました。旦那様はお運びしただけですから、ご安心ください」
「ご安心って!」
いや確かに知らない間に男に着替えさせられるのは嫌だけど!
余計に恥ずかしさが増したのは、気のせいじゃないと思う。
「ご気分はいかがですか? 痛いところやおつらいところは、ありませんか?」
「あー……いや、ありません」
私は自分の体を確認しながら応える。
大きな不調は感じられなかった。むしろたっぷり朝寝をしてしまった分、頭が軽い。
あとは……。
「何か、食べるものがほしいです」
はしたない気はしたが、取り繕っても始まらない。いつもなら高位神官たちへの給仕を追えてやっと食事をとってる時間帯だ。感じた欲求を口にすると、ディアンはほほえんだ。
「昨日の夜から何も召し上がってませんからね。でしたら、身支度を整えて食堂に参りましょう。ちょうど旦那様が朝食を取られているころです」
「……わかりました」
とくん、と小さく鼓動が跳ねる。
旦那様。
勢いのままに決断して行動した私は、いまさらやっと、自分が結婚した事実を受けとめたのだった。




