粉砕された未来
がっしゃあああん!
けたたましい音をたてて燭台が砕けた瞬間、私の人生も砕け散った。
「聖女シーラ、あなたなんてことを!」
上級聖女ユリアナの甲高い叫び声が、聖堂に響き渡る。その場にいた信者全員の視線が、いっせいに私に集まった。
砕けた大燭台のそばにいるのは私ひとり。
破壊したのが誰なのか、火を見るより明らかな状況だった。
少し離れたところに立っていたユリアナが、わざわざこちらまでやってきて糾弾を始める。
「よりにもよって、年に一度の大礼拝でこんな失態を犯すなんて最低。大勢のお客様と、神殿中の神官が集まる大事な儀式中なのよ? 滅多にご出席なさらない神官長様までいらっしゃっているのに」
これが大失態だってことは私が一番わかってる。
今日のこのイベントのために、備品の調達や人員の調整で奔走していたのは、他ならない私なんだから。ちらりと視線を移すと、神官席の最上段に老齢の神官長様が座っているのが見えた。孫のようにかわいがっていただいた神官長の前で、儀式を台無しにするなんて情けない。
言い訳もできず黙っていると、壮年の神官のひとりがこちらに歩いてきた。神官長様に次ぐ神殿の実力者、筆頭補佐官のロクスだ。
ロクスは燭台の破片を拾い上げると、嫌味たっぷりにこちらを見てきた。
「これではもう使い物になりませんね。この燭台がどれほどの価値のあるものか、忘れたとは言わせませんよ」
価値なんか、知ってる。
毎日毎日、ロクスが長々と自慢げに語っていたから。
「あなたには、償ってもらわなくては」
償い、と聞いて私はやっと自分の立っている窮地に気が付いた。
大燭台は聖堂の重要な設備のひとつだ。これに火を灯さなければ、礼拝は始まらない。
神殿は早急に代わりの燭台を用意しなければならない。
その購入費を出さなくてはならないのは、弁償の責任を負うのは。
壊した張本人。
私だ。
「あ……っ」
ぞっと背筋を悪寒が走る。
貴族令嬢で構成されている上級聖女ならともかく、庶民出の下っ端聖女の給金なんてたかが知れている。すでに孤児院の修繕費用のために借金をしているのに、その上燭台の弁償金なんて、一生かかっても払いきれない。それに給金がすべて借金返済にあてられてしまったら、孤児院へ仕送りするお金はどうしたら。内職を増やすか、仕事の肩代わりを増やすか。今でも寝ずに仕事をしていて手一杯なのに、これ以上の仕事なんて。
ああ、頭が回らない。
「大丈夫ですよ」
ロクスの猫なで声が近づいてくる。
「あなたが従順にお勤めをはたせば、きっと償いきれます」
フォローをしているようだけど、そうじゃない。
生かさず殺さず、物言わぬ奴隷として使ってやるという宣言だ。
それを見て上級聖女ユリアナがふふっ、と笑った。
「あなた真面目だもの。がんばれば一生のうちには払いきれるんじゃない?」
飼い殺し。
一生。
それは死刑宣告よりも残酷な言葉だった。
ロクスとユリアナから、そろって嘲笑混じりの視線を向けられて、背中にどっと嫌な汗が噴き出てくる。
嫌だ。
逃げたい。
でも、どこへ?
孤児の私に逃げ場なんて、ないのに。
へたっとその場に座り込んだ時だった。
「その燭台、私が都合しましょう」
凛とした声が、割って入った。
礼拝に集まった信者たちの中から、男がひとり立ち上がった。彼はそのまま悠然とこちらへ歩いてくる。
綺麗な青年だった。
艶のある黒髪に青い瞳。仕立ての良い藍色の外套を纏った姿は、彼が上流階級に属することを示していた。
「都合、とは?」
ロクスが目を丸くしたまま、青年に問い返した。
「そのままの意味です。勤勉な聖女が燭台ひとつで人生を失うのは忍びない。私が新たな燭台の購入費を寄付いたしましょう。それなら神殿に損はないはずです」
砕けた燭台の代金の寄付。
神殿には得しかない提案だ。
突然の提案に、ロクスは目を泳がせる。
「しかし……、これは聖女シーラの罪です。関係のない信徒に償いをさせるわけには」
「関係があればいいんですか?」
「えっ」
「私が彼女の罪を肩代わりするだけの理由が、あればいいんですね」
ロクスに向かっていた青年は、くるりとこちらを向いた。
座り込んでいた私の前まできて跪く。
「結婚してください」
「ひゃっ……?」
喉から変な声が出た。
何を、どうしてほしいって?
「私、カイル・アシュトンはあなたのけなげな姿に一目ぼれしました。私と結婚してください」
わけがわからない。
燭台弁償の話がなぜ結婚の話に発展しているのか。
青年は青い瞳を細めて、にやりと笑った。
「妻の罪を共に背負うのは夫の勤め。私が燭台を買い取る正当な理由となるでしょう」
つまり、弁償の肩代わりのために結婚しろと。
「何をバカなことを! そんな理由で結婚など許されませんわ!」
上級聖女ユリアナが叫ぶ。
愛の女神を崇拝する神殿は、表向き政略結婚を否定している。裏にどんな思惑があったとしても、神の前で誓った婚姻はすべて愛によるものということになってる。
だから金のための結婚は否定される。
でもカイルはこう言った。『一目惚れしたから結婚しよう』と。
彼もまた愛を理由に求婚していた。
だったら、私が応えるべき言葉はこれしかない。
「私も、あなたに一目ぼれしました。……結婚してください」
どよ、と信者たちがどよめく。
ロクスが金切り声をあげた。
「そんなバカな話が通るか! 神殿はこんな結婚認めない!」
このプロポーズが茶番劇なことは私だってわかってる。
神に仕える聖女、神官は独身が条件だ。
話を受ければ、即還俗扱いで神殿から追放されるだろう。
でもだから何?
このまま黙ってたら借金を背負わされて一生神殿に飼い殺される。
出会ったばかりの男の妻になるほうが、まだマシだ。
「愛し合うふたりは、結ばれなくてはダメですよ」
のんびりとした声が響いた。
振り向くと、神官席の上座にいたはずの神官長が、私たちのそばにまで歩いてきていた。
いつの間にこんなところに。
齢八十を数える神官長は、もうずっと前から足腰が衰えていた。高齢を理由に、お勤めのほとんどを筆頭補佐官のロクスにまかせていた彼が、なぜ今になって。
老年の神官は皺だらけの手をそっと私たちに差し伸べる。右手で私の手を、左手でカイルの手を持つと、婚姻の祝詞を唱えた。
「あなたは聖女シーラを愛しますか?」
「はい」
「あなたはカイル・アシュトンを愛しますか?」
「……はい」
「では愛のもとに、ふたりを夫婦として認めます」
「神官長、なんてことを!!」
ロクスは叫ぶけど、婚姻の筋は通ってしまった。神に仕える彼はそれ以上追及できない。
神官長はにこりと笑う。
「聖女シーラ、婚姻を理由にあなたを神殿のお勤めから解放します」
「……はい」
カイルが懐から袋をひとつ取り出した。
中からちゃり、と金属音がする。多分中身は金貨だ。
「こちらをお受け取りください。妻が壊してしまった燭台の代金です」
「あなたの善意を受け入れましょう」
神官長がうやうやしく袋を受け取る。
これで、私の罪は清算された。
そして聖女としての役割も終わる。
カイルが私を抱き上げた。
「では失礼します」
ついさっき出会ったばかりの青年とともに、私は十年を過ごした神殿をあとにした。
mixi2のコミュ「異世界恋愛作家部」
愛が重いヒーロー企画参加作品です。
しれっとした顔でやってることはひたすらに鉛のよう重くて甘いヒーローのドロドロ溺愛と、恋愛的な感性が死滅ぎみのヒロインのデコボコ恋愛模様をお楽しみください。




