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自殺あれこれ

 タブーみたいに扱われているけれどさ、自殺は人類史において、殺人や処刑と同じくらいは普遍的に存在する行動なんだよね。

 死に方としては、ありふれている、といってもいい。


 命を賭けた運試し。ロシアンルーレット。多分、自殺者の何割かは、そういう風に死んだのだと思う。

 確実な未来よりも、不確実な未来の方を人間は愛する。もし人生を真に愛しているのなら、運命を心から愛しているのなら、一分の一で死ぬよりも、六分の一で死ぬ方がずっといい。


 あぁ、人はくだらない理由で自殺する。


 しかしどうしてだろう。僕は、人間はそうであってほしいと思う。人間が、簡単に自殺する生き物であれば、人間はもっと他者に対して思いやれるのではないか?

 誰かに意地悪をしたり、不利益をもたらしたりするときに、その相手が明日自殺する可能性が六分の一程度あるということを考えて、それでもその一歩を踏み出す人間だけが、そうすればいいと僕は思う。

 そういう覚悟を持った悪事には、きっとそれだけの意味と気高さがあるだろうから。


 思いやりと冷酷さは両立する。共感し、苦しみながら、合理的に選択する。

 そういう人間は美しい。


 正しく選択することの痛みを知っている人間しか愛したくない。

 選択には犠牲が必ず生じることを、知り尽くしている人間だけしか。


 追い詰められた人間が自殺するというのは、貧しい想像力から生まれた幻想であろう。

 自殺は基本的には主体的行動であり、様々な目的を有している。同時にそれはどうしようもない本能的行動でもあり、それは追い詰められているというよりも、ストレスが多すぎる状態が長期間継続されたことの結果であろう。

 自殺は人が思っているよりもずっと肉体的な行動であり、精神的な問題ではない。自殺を定めるのは精神ではなく肉体であり、もし精神が精神を殺すために自殺を試みるなら、それは自殺というよりも、また別の名で呼ばれるべきことであろう。

 喉が渇いて仕方がないから泥水を飲む場合と、すべてが満たされているのになお泥水を飲もうとする場合では、事情が異なるから。後者はきっと、喉を潤すのとは別の目的がある。つまるところ、その自殺は、死ぬこと以外の目的がある。

 死を求めるのはいつだって精神ではないのだ。それは肉体のストレスが生み出した、逃避行動。

 通常自殺というのは単に、猛獣に追われて、断崖に追い詰められ、そこから飛び降りたというだけに過ぎない。

 あるいは、稚拙な抗議活動。


 こんな世界で生きていたくない。しかしこの世界を変える力もない。

 現実から目を背ける能力が欠けている。あるいは、自らの意志を使って、目を背ける選択をしたくない。

 そんな人間だっているだろう。

 だとしてもそれが、自殺を選択する十分な理由にはならない。なぜか、関係がないからだ。

 お前がこの世界を嫌っていることが、お前が自らの命を絶つ理由にはならない。それが十分な理由になると考えているのは、肉体の力を軽んじているからだ。十分に、痛みや苦しみを経験してきていない体。

 命を絶つには理由がいる。ただそれは、どれだけくだらなくてもいい。パチンコで負けたとか、友達に悪口を言われたとか、頼っていた人に冷たくされたとか、そんなもので十分だ。少なくともそういった理由は、前述した哲学的理由なんかよりずっと肉体に悪影響を与えるから。

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