窓枠のカビ
部屋の窓の枠は黒ずんでいた。鍵も取っ手も、清潔とはいえない状態だったが、我慢した。
嫌な風が吹いている。自分の声は外にどれくらい響くのだろうか。窓の上部には網戸よりもさらに細かい網目状の部分があり、そこから空気も音も漏れるはずだ。
一軒家とはいえ、自由に叫び声をあげたりはできない。当然のことだが、僕らは自由じゃないのだ。たとえ経済的自立を勝ち取ったとしても、その経済的自立を維持するためには、この世界の倫理や常識と言ったものに縛られ続けなくてはならない。
他者は脅威だから。お互いを縛ることによって、最低限の自由を確保する。アナーキズムの先にある世界にあるのは、自由というよりも、必死になって生きる動物たちだ。動物たちが、人間よりも自由であるといえる道理はどこにあるだろうか。彼らのほとんどは現在、人間たちに追いやられ絶滅寸前。人間と同じかそれ以上に自由を持たない愛玩動物や家畜だけが繁栄している。
終わってる。
若者たちの間でよく使われる、おかしな表現が自然と自分の頭に湧いてくる。昔はこの言葉には違和感と反感を覚えたものだが、今や自分の口から自然に飛び出たりする。
いったい何が終了したというのだろう。おそらくは、「もう手遅れ」というニュアンスが変化したものではないかと思われる。「匙を投げる」という語とも近い関係にありそうだ。
嫌な風が吹いている。
父親がリビングで、日本と中国の対立をあおるようなyoutubeの動画を見ていた。機械音声で作られたおなじみの形式だ。
今でも嫌な気分にはなるが、慣れてはきた。早めにその場を立ち去るのが吉だ。夕食を食べ終えて、機嫌が悪くならないうちに部屋に引きこもった。
社会と自分の関係も似たようなものだ。自分の機嫌が損なわれてしまう前に身を引いた結果、僕は不適合の烙印を押された。自分でも、自分を不適合だと思うようになった。
でも僕は、自分が優れていると思っているんだ。何に対して? わからない。でも。
きっと、この社会が要求している「人間像」に対して。
野心的で、人当たりがよく、ものごとを構造的かつ多面的に捉えられて、外見は清潔で、愚直なところのある、努力を好む人物。
こう書いてみると、最近店を畳んで近場に引っ越してきた祖父がそれに近い人物像だ。あの人は頭はよくないが、それ以外の部分はまさに社会が求める人物像であり、しかもわかりやすい成功者でもあった。
しかし祖父は時代に置いていかれた。バブルは何とか乗り越えたものの、損失は少なくなかった。卑怯な証券会社や不動産会社にどれだけの資産が奪われたかは、誰も把握していない。それを直視できるほど心の強い人間は、親族にひとりもいなかったから。
でも祖父は、今の生活に、それなりに満足しているように見える。時々娘や孫たちと食事に行って、仲良く世間話に花を咲かせたり、本当にどうでもいいことで喧嘩をしたりする。もう八十が近く、持病も多いが、あと二十年くらいは生きそうだと思っている。
二十年後、僕はもう中年のど真ん中。両親はもう老人となり、働くことができるほどの体力はない。
妹は何とか結婚できていればいいが、もし結婚できていなければ、僕があの子の精神面をケアしてやる必要があるかもしれない。
僕はずっと孤独だろう。それでいい。そういう人生を選んだのだから。
体が健康であれば嬉しい。他のことは二の次だ。苦しんでいてもいい。不幸でもいい。迫害されていたっていいし、冤罪で捕まっていてもいい。
健康で、自分の頭でものを考えられるままでいられたら。
生き残れなくたっていい。というか、もしかするとそれが一番いいかもしれない。
何か不運なことがあって、死んでしまえたとしたら、それが一番幸運で幸福なことかもしれない。
いわゆる「普通」の範囲で生きていられない人というのは、別にこの時代珍しくないし、むしろ増加傾向にあるらしい。
おそらくその半分は、普通に届かない人だろうと思う。もう半分は、普通を超え出てしまって、二度と戻りたくない人。僕はどちらかと言えば後者だと思う。もし悪魔や神が「あなたを普通の人間に戻してあげますよ」と言ってきたとしても、僕は笑って「余計なことをしないでください」と断ると思う。
普通の人間の普通の生き方は、どう考えてもよいものとは思えない。必然的に生じる苦しみを酒や薬でごまかし続けて、まるで自分は苦しんでいないかのようにふるまい続けることに他ならないのだから。
あぁ、それは僕の父親のことなのだ。父は、人よりある能力では突出していて、ある能力ではひどく劣っているような人だった。でも人間としてのバランスは決して狂っておらず、もし世界が父のような人間ばかりであったとしたら、この世界はもっとよいものであっただろうと確信できるような人だった。
そんな父親は、いわゆるこの社会における「普通」の中での最上層に位置している人間だった。社会全体で見れば、中の上、もしくは上の下。申し分ない学歴に、専門的な知識を持ち、素晴らしい頭脳と作業能力も兼ね備えている。有名企業の最先端の電子機器類の開発に約四十年間、現場の人間として貢献し続けた。
その父の生き方は、父にとっては最善であったのは間違いないと僕も思う。父は限られた選択肢の中で、一番マシなものを選んできた。その結果として、いわゆる「普通」よりもよい家庭を作り出し、「普通」よりも優秀な子供を育てた。ふたりも。
六十を過ぎた今も、会社で働いている。父の能力が必要とされているからだ。事実、父は他の若い社員よりも多くの仕事をこなし、同時にプロジェクトのもっとも重要な部分を任されている。父は、そんな状況にいつも不満を言っている。この年になって、なんでそんなにたくさんの仕事をしなければいけないのか、ということを。
父は長く不眠症で、薬がないと眠れなくなっている。白内障にもかかり、糖尿病も患っている。だいたい一か月に一回か二回出張に行くし、休みの日も家で仕事をしていることは珍しくない。
僕は父を尊敬はしているが、誇りには思っていない。そんな生き方が、最善の生き方だとしたら、僕は、自分は今すぐ死んだほうがいいと思う。あるいは、あえて最悪を選んだほうがいいと思ったのだ。
父は僕を尊重してくれているが、とはいえ父は他人に興味をあまり持たない人間だから、僕がどういう人間かよく知らないし、知る気もない。僕がどのように生きたっていいと思っていて、僕の現状を深刻には捉えていない。そのくせ、僕が幼少期に学校で受けた理不尽な仕打ちに対して、僕以上に憤っており、恨みを口にすることもある。
僕が、想像もつかないほど深く傷ついてきたことに対して、父は多少負い目を感じている。自分が、息子に対して、義務はちゃんと果たしていたが、精神的な意味で助けてやれなかったという事実に対して。
でもはっきり僕は言うが、僕は父に対してそんな役割を求めたことは一度もなかった。僕は、母に自分のことをわかってほしかった。でも母は一度も僕を理解しなかったし、そのくせ自分は息子の一番の理解者だと思い、自分が間違っているとは露にも思わない人だった。
端的に言えば、活発で優秀な女子中学生が、そのまま大人になり、子供を作り、子供を育て終えたような人なのだ。元気で、感情的で、衝動的で、正義感が強くて、自分を客観的に見れなくて、人当たりがよくて、自分勝手で、善意に満ちている、そういう、ある意味では罪がなく、ある意味では罪深い人なのだ。
もし罪が、その人がどれだけ他者を傷つけてきたかということによって決定されるなら、母は罪人だ。その罪を自覚していないことがさらに大きな罪になるというのなら、母は大罪人だ。
しかし、罪が、悪意を持って人に接することだというのならば、母ほど罪なき人はいない。完全なイノセントだ。母は一度も、僕を傷つけようとはしなかった。僕も当然、一度も母を望んで傷つけようとはしなかった。でも僕も母も、互いに傷つけあった。僕は大人になり、自分だけが傷つけばいいと思うようになった。その方が、自分自身の傷が浅く済むことに気づいたから。
だから意図的に母親のメンタルをケアするようになった。母親を、馬鹿な女子中学生のようなものだと思うようになってから、僕は母親が考えていることすべてが手に取るようにわかるようになったし、ある突発的な出来事によって、母親がどのような反応するか、ほぼ百パーセント予測できるようになった。だから先回りして、母親の精神的な健康にとってまずいものは遠ざけ、よいものを近づけるようになった。
別に珍しいことではない。早い場合だと、小学生くらいの子供が親に対してそういうことをし始めるものだ。僕は少し遅くて、二十を過ぎてからだった、というだけのことだ。
父は心の強い人だから、多少放っておいても問題なかった。母と妹は、女性だからか、不安定な気性だった。僕自身は、おそらくさらに不安定だったが、甘えられる相手はいなかったので、頭がおかしくなって、自分自身をその対象にするようになった。
悲しいことだ。でも、僕はやはり、僕自身に対して一番感謝をしているのだ。僕を救ったのは、他でもない僕自身だったのだから。
悲しいほどに、僕を助けてくれる他者はいなかった。だから、僕は他者を助けられるなら、必ず助けるようにしようと思った。思っている。
悲しいことだから。誰からも助けてもらえなくて、自分自身の幻影に助けを求めるということは。そしてその幻影が、他の誰よりも自分の助けとなってしまうということは。
僕はもう助かってしまったのだ。不本意ながら。本当は、他の人に助けてもらいたかった。でも、助けてもらえる期間はもう過ぎ去ってしまった。僕はもう危機を脱し、他人に期待したり、手を差し伸べられるのを待つようなことはしなくなった。
僕は、人というのものを大まかに理解し、自分が他の人とは明確に異なる資質を持っていることを学んだ。それを利用するすべも。
書物が、つまり、死んだ人の言葉が、僕をこの世に繋ぎ止めた。僕も、そのようでありたいと思った。
彼らの多くは、その根本的な苦悩という点において、誰からも助けられたりはしていなかったから。だからこそ、彼らは誰かを助けようとしたのだから、自分もまた、そうしなくてはならないと思った。
でもその能力はなかったのだ。僕はただ、身近な人間が、気分よく暮らせる小さな手助けをするので精一杯で、それ以上のことはできなかった。その程度の能力しか有していなかった。
でもそのことで苦しんだりはしなかった。僕は無能でもよかったのだ。
だって、能力があることとないこととでは、それ自体に、苦しみに差異はないのだから。能力の優劣で、苦しみの優劣が決まることなど、絶対にありえないのだから。
青春の痛みはまだ僕の胸に確かに残っている。それがわかっただけ、少し足元が、固くなったように感じた。
僕は他の人間よりも、この世界の構造や仕組みについて詳しい。人間という生き物についてもそうだし、人生という一連の流れについてもそうだ。歴史という、複数の人生の連なりからなるフィクションにも詳しいし、経済という意図せず互いの位置を決定する多重の桎梏のこともよく知っている。
これを読んでいる君たちは、それらのことをどれだけ知っているだろう。僕よりも、これらのことについて苦しみながら、その苦しみを肯定し、苦しみ続けることを選んだ人間が、果たしてどれだけいるだろうか。
君が僕より苦しんでいたら、僕は少しだけ悔しい気持ちになり、君を尊敬せざるを得なくなるだろう。僕らはそういう人種なのだ。でも僕と君は仲間じゃない。むしろ敵なのだ。
なぜなら、僕の考えていることと君の考えていることは、同じようで違うからだ。それらを一致させたいと僕らは思うのに、一致することはありえず、それがまた僕らを苦しめるからだ。