お邪魔虫になった王子
何なんだ、この状況は。
全てがひっくり返った世界に、俺は立ち尽くすしかなかった。
俺は栄えある王家の第三王子として生まれた。
第三王子という立場は微妙だ。
第二王子であれば、まだ第一王子の予備という立場がある。
だが、第三王子にはあくまで念のための予備という立場しかない。
加えて、俺は上の二人とは違って出来がよくなかった。
勉強では第一王子に敵わず、戦闘でも第二王子に敵わない。
ひねくれていく日々の中で、心に強く残る出会いがあった。
屋外で開かれた王妃のお茶会で、とある令嬢と出会ったのだ。
退屈で抜け出した庭園でぼーっとしていると、今にも泣き出しそうな令嬢が歩いてきた。
何となく気になって声をかけたら、道に迷ってしまったという。
俺は令嬢を励ましながら、お茶会の会場へ連れていった。
会場に着くと、令嬢はありがとうございますと花のように笑った。
離れていく令嬢の後ろ姿を目で追いながら思う。
もう一度あの笑顔が見たい。
翌日から俺は、こっそりあの令嬢のことを調べた。
あの令嬢は領地で薬を作っている伯爵家の一人娘で、隣の領地を治める侯爵家の次男と婚約しているらしい。
それを知った俺は、自分ではどうにも出来ないことを悟った。
どうにかするためには、最低でも第一王子ぐらいの権力がいる。
出来の悪い俺では、令嬢のことはあきらめるしかない。
お茶会や夜会で令嬢の笑顔を見かける度、どうして自分には向けられないと苛立って。
令嬢が特別な笑顔を向ける相手が目に入る度に、存在を消してやりたくなる。
俺は年々増していく鬱屈とした感情をもて余していた。
令嬢とその婚約者との結婚が近くなってきた時、大神官に女神からの神託が下った。
「瘴気が溢れたこの世界を浄化するために、異世界から神子を招く。神子が瘴気の発生する地で祈れば、世界は救われるだろう。その暁に、神子は褒美として一つだけ願いを望む。その願いを違えることは、女神に背くと同意である。必ず叶えよ」
大神官から伝えられたその報告に、慌てたのは王家だ。
自分達より権力のある女神の神子がやって来るだけでも問題なのに、一つだけとは言え何でも願いを叶えなくてはならない。
かつての言い伝えによると、女神に背くと壮絶な天罰が下るそうだ。
ならば、その神子には世界を救って貰い、気持ちよくお帰りいただく。
それが国の総意となった。
神子のお世話係には、王家にいる王子の中で唯一婚約者のいない俺に白羽の矢が立った。
万が一、神子がこの世界に残る場合は俺が責任を取れという意味もあるのだろう。
お世話係の最初の仕事は、瘴気の発生場所を巡る旅のメンバーの候補選びだった。
女神に招かれたという神子は、特にこれといった特徴のない平凡な女だった。
強いて言うなら、可愛らしいと言えなくもない程度の顔か。
比較的整った顔の俺を見て頬を赤くする辺り、そこらにいる女と何ら変わらないようだ。
共に旅をするメンバーは神子に選ばせる。
こちらが用意した人材で、後から苦情が来ても困るからな。
神子が選んだメンバーは、見事に見た目の良い男達だけだ。
その中に自分が入っていて助かった。無理に着いていくよりは神子の好感度も高いだろう。
そして何より、神子は旅のメンバーに令嬢の婚約者を選んだのだ。
魔法の腕が確かと聞いていたから、あわよくばと候補に入れた甲斐があったな。
旅立つ前日、俺は騎士、神官、商人、令嬢の婚約者である魔法使いを個別に呼び出した。
騎士、神官、商人には、神子にはお帰りいただくという国の思惑を伝える。そして、もしも神子がこの世界に残る場合はこの旅のメンバーの誰かが娶らなくてはいけない可能性もあると。
騎士は褒美として更なる爵位が貰えるならと承諾し、神官は神子が望まれるのならと納得し、商人はそれなら異世界の知識をいくらでも得られるから問題ないとはりきっていた。
しかし、俺は魔法使いにだけは何も伝えなかった。
ただ、令嬢との結婚式前なのに巻き込んでしまってすまないと謝っておいた。
神子との旅は、遅々としてなかなか進まなかった。
原因は神子がひ弱だったからだ。
まさか、あんなにひ弱だったとはな。今まで一体どんな生活をしていたのやら。
呆れる内心を隠し、毎日疲れた様子の神子を気遣う。
魔法使い以外は、ことさら神子に優しく接するようになった。
神子は俺らに持ち上げられて、満足そうに笑う。
その裏側など何も知らない哀れな女。
やがて神子の興味は、距離を置く魔法使いへと移った。
何かに付け、魔法使いに話しかける。
国の思惑など知らない魔法使いは、婚約者がいるからと神子を遠ざけるだけだ。
神子が魔法使いを望めば、俺があの令嬢を手に入れることも不可能ではない。
そのためには、神子をもっと魔法使いに近付けなくては。
どうしたものかと思案していた時、神子が魔法使いに言った。
魔法使いの婚約者のことが知りたいと。
俺は断ろうとした魔法使いに話すよう命じる。
魔法使いの語ったことは、俺が知りたくてたまらないことだった。
そして、旅は終わった。
俺は国王を始めとする上層部に、神子が帰還しない場合は魔法使いを望む可能性が高いと報告する。
魔法使いに婚約者がいること、神子を王家に取り込めないことに難色を示す上層部。
そんな上層部に対して、俺は神子の願いは女神の意向である、別れさせられた婚約者は責任を持って俺が娶ると説得した。
女神の天罰を恐れているのか、上層部は折れた。
国王へ帰還を報告する場で、神子が望んだのは魔法使いとの婚姻。
魔法使いは否を唱えるが、国王の一喝で受け入れたようだった。
しかし、その目はあきらめていなかった。
何かしでかすと踏んだ俺は、神子との結婚式の準備のためという名目で魔法使いを城から出られないようにしておいた。
令嬢と会わせてなどやるものか。
仕方なしに手紙のやりとりは許したが、中身は見させてもらう。
式の準備を慌ただしくしているはずの神子が令嬢に会って謝罪したいと言い出した。
大人しくしていればいいものを。
上手く断る理由もなく、神子と令嬢の二人だけの場を用意した。
神子は最初こそしおらしく謝っていたが、無言で俯く令嬢に気を大きくしたのか、最終的には令嬢を苛めているようにしか見えなかった。
落ち込んだ様子の令嬢を送っていこうとすれば、神子が俺の方へ近寄ってくる。
神子を放置するわけにもいかず部屋まで送る間に、令嬢は帰っていったと報告があった。
俺の邪魔しかしないのか、あの神子は。
神子と令嬢が会った件は、程なくして魔法使いの耳にも入ったようだった。
あれほど会いもしなかった神子へわざわざ会いに行ったという。
それから魔法使いは神子との離婚へ向けて動き始めたらしい。
この国の法律では、三年間清いまま、白い結婚であれば、離婚も認められる。
その旨を令嬢と令嬢の父親へ手紙を送っていた。
中身を読むなり、俺は即座にその手紙を燃やした。
神子との離婚も許すつもりはないのに、令嬢との結婚なんか尚更させるわけがない。
腹が立った俺は神子にこの情報を教えた。
怒った神子は魔法使いのところへ行ったかと思いきや、またすぐ戻ってきた。
魔法使いと令嬢が絶対結婚できないように、令嬢を遠くへ追いやって欲しい。
結婚式を滅茶苦茶にされたくないから、令嬢を結婚式に参列させないで。
そう訴えてくる神子の様子は明らかにおかしかった。
だが、願いを断わっても厄介なことになりかねない。
神子に結婚式の件は了承し、令嬢を隣の国へ嫁がせることを提案すれば、ようやく様子が落ち着いた。
上層部に神子の言動を報告して、神子の要望を叶えたように見せかけることの許可を得た。
一部の者からは、ここまで神子のわがままを聞く必要があるのかと声が上がる。
もし結婚式が失敗して、神子が願いは無効だと騒いだら、お前はどうやって責任を取る?と切り返したら、向こうは黙り込んだ。
令嬢の父親には、令嬢を隣の国へ嫁がせるように見せかけるが、俺が責任を持って娶ることを伝える。
令嬢にもそのことを伝えるか悩んだが、魔法使いに情報が漏れても困るから隠しておくことにした。
待ちに待った神子と魔法使いの結婚式。
王族に連なる血筋しか使えない大聖堂を特別に使って行われた式は、女神の招いた神子に相応しい式であったと言えよう。
祝福を告げる鐘の音は、俺のこれからの幸せを祝福しているようでもあった。
だが、事態が急変したのはその日の夕方。
令嬢が魔法使いと結ばれないことを儚んで、自ら命を絶ったと報告がきたのだ。
その日の夜遅くには、後を追うように魔法使いもまた自ら命を絶ったという報告も。
立て続けの報告に急ぎ、残された神子のいる魔法使いの屋敷へ向かう。
二人が残した遺書に目を通す。
どうすれば、こちらへの被害を最小限に抑えられるか。
二人の貴族が死んだのだ。俺への責任追及は免れないだろう。
ならば、今まで散々甘い思いをしてきた神子も道連れにしてやろう。
いや、神子を主犯にしてしまえば、まだ何とかなるかもしれない。
魔法使いが部屋に閉じ込めていた神子を部屋から出させる。
神子に二人の遺書を読ませれば、知らなかったと泣き出した。
俺は神子に、神殿にて残りの人生を過ごしていただくと告げた後、神子を神殿へ連れて行かせた。
城へ戻って上層部に一部始終を報告する。
俺の神子への対応に疑問を呈していた者共が騒ぎ出す。
その場を落ち着かせたのは、国王だった。
「神子の望む結婚式を行ってやったのだ。その相手が死んだとなれば、神子が余生を悼んで過ごすのは当然のことであろう」
国王の俺を擁護する発言に、騒いでいた者共は一斉に口を閉じた。
だが、二人の貴族を死なせたことは問題視され、しばらくの謹慎処分が下った。
令嬢が、手に入れたはずの幸せがすり抜けていった。
魔法使いからようやく奪い取ったと思ったら、また奪い返された。
俺とは違い、ぬくぬくとした環境で令嬢と共に幸せに育った魔法使い。
何をやらせても中途半端な俺に周囲は冷たく、下心なく純粋に笑いかけてくれたのはあの令嬢しかいなかった。
初めて欲しいと思った存在だった。
謹慎が解け、外に出ることが許された。
いざ外に出てみると、周囲からの視線が厳しい。
聞けば、増長する神子を諫めずに好き放題させた挙げ句に幽閉したこと、婚約していた二人を引き裂いて死に追いやったことなど、城内どころか王都内でも俺の悪い噂で持ち切りだった。
さらに追い討ちをかけるかの如く、今年の作物が近年稀に見る不作となった。
日増しに増えていく、女神が招いた神子を幽閉したせいだという声。
慌てて幽閉していた神子を部屋から出したらしいが、神子は衰弱していて帰りたいと言い残して死んだという。
「聞け、この世界に住まう者よ」
神子を死に追いやった俺に対する責任追及の場で、厳かな声が響き渡る。
「今までこの世界を支配していた女神と名乗る者の正体は邪神であった。邪神は自らの欲望のため、世界を危機に陥れたのだ。新たなる女神である私は、この世界を守るため力を尽くし、ついに邪神を倒した。今まで悪しき者共がのさばっていたのは、全て邪神の仕業である。これからは善き心を持った正しき民が幸せになるであろう。悪しき者共よ、報いを受けよ」
その言葉が終わると同時に、突然この場にいる全員の体が光り出した。
光が収まった時、そこはおぞましい場になっていた。
何故なら、全員の姿が人間以外の害虫に変えられていたからだ。
俺は素早く動き回り、羽根を使って跳べる虫になっていた。
殺気を感じて急いで逃げれば、後ろから大量の脚を動かす細長い虫が迫ってくる。
命からがら逃げ出した先でも、大きな叩く物で攻撃された。
ようやく逃げ込めた狭く薄暗い場所で休憩する。
俺の何がいけなかったのか。
頼む、悪い夢なら覚めてくれ。