接点
アドニスは怪我をしているグルナードのことを考慮し、移動中負担が少ない最新鋭の豪華な馬車まで用意してくれたらしく、座席の乗り心地がすこぶる良かった。
以前馬車に乗った時には尻が痛く、騎乗より時間もかかったので二度と乗りたくないと思っていたグルナードだったが、馬車の認識を検める。
何事も多方面から見なければ本質はわからないのだと改めて考えさせられながら、隣に座ったシスルへ話しかけた。
「シスル、俺の介護ばかりで疲れただろう。男爵家へ戻ったら俺の介護は使用人に任せて少し羽を伸ばすといい」
王太子の凶行による精神的負担とここ数日の介護疲れからか、シスルは半分まどろみながら馬車に揺られていたが、グルナードの言葉にハッとしたように顔を上げる。
「私は平気です。だからそんな寂しいことは仰らないでください」
「シスル、俺は君が心配なんだ。シスルにはずっと笑顔でいてほしいから」
いつものようにグルナードはシスルの空色の髪を撫でる。一緒に馬車へ乗り込んでいたアドニスは、そんな二人の様子を見て笑みを浮かべた。
「ブラックサレナ将軍は本当に娘を大切に想ってくださっているのですね。喜ばしいことです」
アドニスは礼を言うと笑顔のまま溜息を吐く。
「王太子殿下の勝手な思い込みの末の蛮行とはいえ、巻き込まれた娘の醜聞は酷いものでした。真相を知っていても下位貴族の私では命じられるまま慰謝料を支払い、媚び諂うことしかできませんでした。しかし王命で結婚が決まり、お相手がブラックサレナ将軍だと伺った時は安堵したのですよ。英雄と呼ばれた将軍であれば無体なこともしないでしょうからね」
一瞬アドニスの笑顔の中の瞳が鋭くなったような気がしたが、グルナードは男爵の話した内容の方が気になり首を傾げた。
「俺のことをご存じだったのですか? そういえばシスルも結婚した日に自分の妻になるのが夢だと言っていたので不思議だったのです。なにせ俺が将軍として活躍していたのは15年も前の話ですし、失礼ながら男爵にもシスルにも会った覚えがないので」
訝るように眉を寄せグルナードが、ずっと疑問に思っていたことを口にすれば、アドニスは浮かべていた笑みを深くする。
「私達親子はその15年前の戦争で将軍と縁があるんです。実は私がこうしてこの国で財を成せたのも将軍のおかげと言っても過言ではない位なのですよ」
縁があると言われ何とか思い出そうとアドニスの顔を観察してみるが、笑顔を深めたため、すっかり細められてしまった瞳にも顔立ちにも、グルナードは全く心当たりがなかった。
「そうなのですか? すみません、心当たりが全く思い出せません」
「お父様、グルナード将軍が困っていらっしゃいますわ。英雄とも呼ばれるお方が、いちいち私達のような者を覚えているはずありませんわよ。それに私達が将軍とお会いしたのは蛮族と呼ばれた国でのことでしたし」
素直に謝罪したグルナードに、隣に座っていたシスルが父親を嗜めるように口を挟む。
しかしグルナードはシスルの言葉を耳にすると、反射的に聞き返していた。
「え? シスルはあの国にいたのか?」
「ええ……いましたわ」
きっぱりと言い切ったシスルにグルナードは驚きの表情を隠せない。
何故なら蛮族と呼ばれた隣国は15年前の戦争によって国土の全てが蹂躙されていたからだ。
グルナードが隣国にいたのはまさにその戦時中の時であり、隣国の者は難民として各国へ逃げ切った者もいたようだが、大多数は虐殺されていた。他ならぬグルナードの指示によって、だ。
目の前にいる二人が、どうやってあの弾圧の中から生き延びられたのか、アドニスの言によればグルナードのお陰で生き延びられたというような物言いだが、全くその記憶はない。
考え込んでしまったグルナードを見つめるシスルの瑠璃色の瞳が細められた時、馬車がゆっくりと停車した。
「積もる話もあるでしょうが馬車が我が家へ到着したようです。ようこそ、ブラックサレナ将軍。クローバー男爵家をあげて貴殿を持て成しますよ」
馬車の窓から外を確認したアドニスの言葉に、グルナードは頭を下げる。
屋敷の前で待機していた使用人により扉が開かれ、シスルに支えられながら馬車を降りたグルナードは、エントランスで出迎えたクローバー男爵邸に仕える使用人の多さに内心驚きながら、案内された部屋までやってくるとソファへ腰を下ろした。
「あんなに使用人がいるなんて、本当に裕福なんだな」
ポツリと零せば、シスルが困ったように笑う。
しかし何と返事をしても角が立つか嫌味になってしまうと考えたのか、シスルはグルナードの問いかけには黙ったまま、お茶の準備を始めた。
「どうぞ」
馬車に揺られ少し喉が渇いていたグルナードは、シスルに促されるまま差し出されたお茶に口づける。
いつもと少し味が違う気がしたが、他家へ来たのだから置いてある茶葉が自宅と違うのは当たり前だろうと深く考えるのはやめて、お茶を一気に飲み干した。
夕食は男爵と一緒に摂る予定だと聞かされていたが、まだ時間があるようだった。
シスルはあまり喉が渇いていなかったのか、まだ自分のカップに口をつけていなかったが、グルナードのカップが空になったのを見て、二杯目のお茶を準備しようとしていた。
それを制して、グルナードはシスルを見つめて口を開く。
「シスル、馬車の中でも話したが、私は君の笑顔が見たい。それと……今更だが結婚してから数ヶ月のことは済まなかった。シスルはずっと私を慕ってくれていたというのに冷たい態度をとり続けた。これから沢山甘えさせたいと思っていたのに、こんな体になってしまって……」
己の身体へ視線を落としたグルナードに、シスルはフルフルと首を横に振ると笑みを浮かべた。
「謝罪などいいのです。私にはグルナード将軍が生きていてくださったことの方が大切ですから」
いじらしい妻の言葉に、グルナードの劣情が這い上がる。腹部の怪我のせいで、すぐに抱き寄せられない身体が恨めしい。
だが今はどうしてもシスルを抱きたくて、彼女を引き寄せようと手を伸ばしたところで、勢いよくシスルが立ち上がった。
「そういえばまだグルナード将軍に我が家の使用人を紹介しておりませんでしたわ。多すぎて全員を紹介することはできませんので、当面の間お世話する者達だけですけれど、ご挨拶させますね」
「え? 今かい?」
伸ばした手と昂った情欲の行き場を無くしたグルナードは、素っ頓狂な声を出してしまう。
しかしシスルはグルナードの困惑などお構いなしに両手を打ち合わせると、その合図とともに扉が開かれた。