お別れ、そして約束
一方その頃、ロストタウンではウロクを始めとした幽霊達がシャルドネ達の帰りを今か今かと待っていた。
「ねえ、シャルドネも人間も大丈夫かな?」
「もしデスペラに食べられてたらどうしよう……」
小さな幽霊や吸血鬼がそわそわしながら心配したり、悪い予感を感じている中、ウロクは町の街灯に乗って教会跡の方角をずっと見ていた。教会の方角には、先程まで黒い雲が渦巻いて、雷のような光がちらついていたが、その光もついさっきパタリと消えた。
「静かになった。」
呟くウロクの声に、幽霊達も息を飲んだ。
「まさか……食べられたなんてこと……」
吸血鬼の一人が震える声で言いかけたその時、一筋の光が教会までの一本道に見えた。
「あれは!」
それはまるで、帰り道を示す灯火のように瞬いていた。
「皆見て!帰ってきたよ!」
ウロクが幽霊達に大声で伝えたると、彼らは一斉に飛び上がり、ウロク自身も麻袋の奥の瞳に、確かな安堵の光が宿っていた。町中もざわめきに包まれた。家々の窓から光が溢れ、通りに幽霊たちが次々と飛び出してくる。そうして町へと歩いてくる三人の姿が見えてきた。若者は肩で息をしながらも帽子を押さえ、シャルドネは疲労を隠せぬまま、それでも優しく笑っていた。その後ろから解放されたサファイア姫も居た。幽霊たちの歓声が響き渡り、ロストタウンの夜が少しだけ明るくなった。ウロクも大喜びで街灯を器用に降りて三人の前へ駆け寄った。
「シャルドネ!それに人間も!無事だってことは……」
「ええ。彼がデスペラを葬ってくれたわ。」
シャルドネが話すと、ウロク達は一瞬だけ言葉を失った。だが次の瞬間、ウロクは麻袋の奥でパッと光が弾けるように揺れた。
「やったんだね……本当にやっつけてくれたんだね!」
ウロクは嬉しさのあまり宙を跳ね、くるくると何度も回った。その様子を見て、周りの幽霊たちも歓声を上げながら三人のまわりに集まっていく。
「よくやった!」
「すごいぞ人間!」
「シャルドネも無事でよかった!」
冷たい夜風が通り抜ける中、町のあちこちで灯りがともり、まるでロストタウン全体が彼らの帰還を祝っているようだった。シャルドネはそんな光景を見ながら、静かに息をついた。けれど次の瞬間、その微笑をほんの少し曇らせると、一歩前に出て幽霊たちの方を向いた。
「……みんな。本当にごめんなさい。」
その声に、賑やかだった広場が静まり返る。
「デスペラを封印……あの封印を解いてしまったのは、このわたしなの。」
夜風が、彼女の髪をふわりと揺らした。
「愚かな好奇心だった。一人の人間を怖がらせたいが為の、愚かな好奇心……でも、みんなにまた恐ろしい思いをさせてしまったこと、心から謝る。」
そして数十秒の沈黙。だがその沈黙をウロクが破るように前に出た。
「もういいよ、シャルドネ。君が悪かったとしても、君や人間が居たから助かったんだ。二人が居たからこそあの恐怖は居なくなったんじゃないか。」
「そうだよ!謝ることなんかない!」
幽霊たちの声が次々に上がり、いつの間にか広場は再び温かなざわめきに包まれていった。シャルドネは驚いたように皆を見つめ、そして小さく笑った。
「……ありがとう、みんな。」
「良かったね。それじゃ……」
ざわめきが落ち着くと、若者はそっと背後を振り返った。夜明け前の空が、かすかに白み始めている。
「……そろそろ、行かないと。」
サファイア姫もその言葉に頷いた。
「はい。王都のみんなが待っているもの。」
シャルドネは二人を見つめ、少し寂しそうに微笑んだ。
「そうね……あなたたちが戻れば、世界はまた動き出すわ。」
そう言いながら、彼女はふと若者の顔をまっすぐ見つめた。
「ねえ、最後にあなたの名前を教えてくれない?」
若者は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに帽子を軽く押さえ、静かに答えた。
「僕はレオン。狩人の長の孫であり、ただの人間だ。」
その名を聞いたシャルドネは、まるで心に灯がともったように微笑んだ。
「レオン……いい名前ね。きっと貴方なら、どんな闇にも負けないわ。」
「そんな大層なものじゃない。幽霊は怖いけど、勇気をふり絞っただけだ。」
レオンは照れくさそうに肩をすくめた。だがその口調には、どこか確かな自信が宿っていた。
「ねえレオン。」
シャルドネが前に出て、少し名残惜しそうに言う。
「約束して。また来年も遊びに来るって。私、あの狩人と再会できなかった分も、貴方の」
「もちろん。でもそのときは、もうちょっと明るい時間にね。」
そう言って、彼はサファイア姫と共に夜明けの道を歩き出した。その背を見送りながら、シャルドネはそっとつぶやいた。
「ありがとう、あの日の狩人。そして、レオン……」
夜明けと共に流れる白い光が、遠ざかる二人の背をやさしく包んでいった。
◇
「どう?見つかりそう?」
「全然。全くどこまで行ったんだ?」
その頃城下町外れの森の中で双刀の男と女狩人は姿を消してしまった姫君と若者を探していた。
「それにしても、空気が違うな。昨日までのこの森……もっと、重かった。」
「ええ。まるで……何かの呪いが、解けたみたい。」
二人は互いに視線を交わしながら捜索を続けた。その時、遠くの木々の間から小さな影が二つゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えた。女狩人は目を細めて木々の向こうを指さした。
「あれって、まさか!」
「ああ。レオンだ。」
双刀の男が低く呟いた。声には安堵と驚きが入り混じっていた。やがて朝靄を割るようにして、レオンとサファイア姫の姿が現れた。二人とも服が汚れていたが、しっかりとした足取りでこちらへ歩いてくる。
「レオン!」
女狩人は思わず駆け寄った。
「無事だったのね……!一晩中探しても見つからなかったのよ!」
「すまない。迷惑をかけたな。」
レオンは苦笑して答えた。その声には疲労の中にも確かな達成感が宿っている。
「姫様もご無事で何よりです。」
双刀の男が頭を下げると、サファイア姫は静かに微笑んだ。
「それにしてもレオン。姫様をどこで保護できたんだ?」
「実は...」
「ちょっと迷子になったんだ。それで下手に動くのも危険だからキャンプを張って夜明けを待ってたところ、サファイア姫が迷っているのが見えたんだ。」
レオンがさらりと説明すると、サファイア姫は「え?」と目を瞬かせた。するとレオンがアイコンタクトを送ってくる。
「……ええ、そうでしたね。」
一拍置いて、姫はぎこちなく笑顔を作る。女狩人が半目で二人を見つめながら腕を組む。
「ふぅん……迷子ねぇ。姫様まで巻き込んで、ずいぶん仲良く迷子だったわけだ。」
「おいおい、そんな言い方やめろよ。」
レオンは苦笑しながら帽子をかぶり直す。
「ま、無事ならそれでいいさ。」
双刀の男が笑い、軽く肩を叩いた。
「それにしても……本当に空気が違うな。森が、静かだ。」
四人の間に少しの沈黙が流れる。レオンは朝の風を吸い込み、遠くの空を見上げた。デスペラの残滓も、もうどこにも感じられなかった。
「帰ろう。今度こそ、全部終わったんだ。」
レオンの言葉に皆が頷いた。しかしサファイア姫は立ち止まったままだった。
「あの。お探してもらって言うのもなんですが……お二方は先に戻ってもらえないでしょうか?」
「え?」
男と女狩人は意外な顔をした。
「それはまたどうして?」
「少し、お話したい事がありまして……」
「話?」
レオンは首を傾げた。女狩人は肩をすくめて頷いた。
「分かりました。二人とも気を付けて帰ってきてくださいね。」
「レオン。やましいことするなよ?」
「いやしないよ!」
双刀の男は一礼し、女狩人を連れて森の外へと帰って行った。
残ったのは緊張しているサファイア姫と何なのかさっぱりなレオン。鳥の声が静かに響き、夜明けの光が二人の足元を照らしていた。
「……レオン殿。」
「な、何でしょう?」
サファイア姫に初めて名前で呼ばれて、レオンは驚いて顔を横に向けた。女性の正体が姫と分かって尚更だった。
「本当に、ありがとうございます。一度にならず、二度までも助けてくださって。更には貴方の祖父と同じくこの国をあの悪霊から守ってくださって。」
それを聞いたレオンは照れくさそうに頬をかいた。
「いや……本当に大したことはしていません。というかあなた様がまさか、お姫様だったなんて……」
照れくさくするレオンにサファイア姫はそっと微笑んだ。そして彼の方に一歩近づく。
「ところで、なぜ先程嘘をつかれたのですか?」
その瞳には責める色などなく、ただ静かな疑問を思わせていた。レオンはその視線を受け止め、しばらく口を開けずにいた。やがて静かな風が木々を揺らす音に紛れるように答えた。
「もし自分達の話を信じた人達が居て、ロストタウンが物見遊山であの町に押し掛けて怖がらせるどころじゃなくなるよ。幽霊達もシャルドネも……ハロウィンの時以外は穏やかに暮らしているのに、それを壊したくなかったんです。だから僕らの胸の内にしまっておこうと思って。」
サファイア姫は息を飲んで、その言葉を聞いていた。思いやる穏やかな光が宿っていた。そして姫はまた微笑んだ。
「……お優しいのですね。レオン殿。」
「いいえ。僕は怖がりです。ただ爺ちゃんのように勇気を振り絞れただけで……それにもう、誰にもあの夜を味わってほしくなかったから。」
サファイア姫はその言葉に、そっとまぶたを伏せた。
夜明けの風がふたりの間を通り抜け、彼女の黒髪をやわらかく揺らしていた。
「……レオン殿。貴方のお祖父様も、きっと誇らしく思っておられますわ。」
レオンは少し俯きながら、照れくさそうに笑った。
「どうでしょうね。きっと“まだまだ未熟だ”って、笑われてますよ。」
そう言って顔を上げると、サファイアも微笑みを見せたままだった。遠くの空が淡い朝の色に染まり始めていた。
「あの、レオン殿。良ければ来年も、私も共にシャルドネ殿達に会いに行ってもよろしいでしょうか?」
「え?」
意外な頼みにレオンは戸惑ったが、サファイア姫の光輝く瞳を見て、やがて頷いた。
「分かりました。その時はしっかり守ります!」
「ふふ。頼もしいかぎりですね。」
そうして笑い合ったふたりは共に歩きだした。二人の足音が草を踏みしめ、やがて人々の居る町へと歩いて行った。冷たい夜がようやく終わり、雲の端から陽射しが森へと差し込んできた。その光を受けて歩くレオンの背はどこまでも真っ直ぐで、狩人の長そのものだった。
(来年のハロウィンは……シャルドネ殿にとられる前に、私の想いを目の前で伝えてみせます。レオン殿。)
姫がそう心に誓った瞬間、二人を朝の光がやさしく照らした。夜は終わり、新しい日が静かに始まろうとしていた。




