その女は、魔女だった。
弓を引く音が森に響く。次の瞬間弓から放たれた矢が一直線を描いて森を駆ける獲物を貫いた。即死して倒れた獲物を見る弓を持つ男……森の狩猟団の長は獲物に近づくと過食部位と毛皮を剥ぎ取って回収した。今日は狩猟団の団員と狩りに出ており、長はこれで12匹目だった。相変わらず仲間が長狩りの技術に驚いている中で彼はいつも通りの手つきで毛皮と獣肉をしまった。彼にとって狩りとは生業であり、20年以上この日々を送っていた。
「誰か……」
今日の狩りも終えて帰ろうとした時だった。森のどこかで声が聞こえてきた。
「助けて……」
一同は空耳かと思ったが、確かに聞こえた。
「向こうから聞こえるな。」
長は耳を澄ましながら南の方角を見た。仲間達も耳を澄ませて頷く。
「もしかしたら魔物の囁き声じゃ…」
仲間の一人が怯えた声で言った。
「行くぞ。」
しかし長は迷わず南へと進む。仲間達も何人かはその場に残して後は長に続いた。声は段々と近くなってきたが、同時に辺りも暗くなり始めた。しかし数分前の太陽の位置を思い出す限りまだ午後に入ったばかりのはずだった。
「人だ。」
長は木にもたれている女性を見つけた。女性は右足に大きい擦り傷があり、一人では立てない状態なのが分かった。
「じっとしていろ。」
長は女性に近づくと包帯や薬草を取り出すと女性の足に応急手当を施した。
「家はどこだ?手当てしたとはいえ、その足では辛いだろう。」
「……送ってくれるの?」
長が聞くと女性は顔を上げてきた。金色の前髪の間から鮮やかな緑色の瞳が覗いてきた。
「大丈夫だ、問題ない。」
その瞳に心を奪われそうになりながらも、長は女性を抱き抱えた。
「……あの赤い木を右に曲がったらまっすぐ……その先に家がある。」
女性は長が信頼できる人間であると思ったのか赤い木を指差した。長は指差した先を歩き、付いてきた仲間も後を追いかけた。しかしこの時から異変が起きている事に長は気付いていなかった。
「なあ長。ここは本当に人が通る道なのか?」
仲間が不安そうに長に聞いた。最初は普通に女性が示した道を歩いていた。だが森の奥へ進むにつれて、仲間の目には薄暗い森が映っていた。しかし長の目には映っていないのか彼は女性を抱き抱えたまま不気味な道を歩いていた。そしてもう一人がしびれを切らしたのか立ち止まった。
「ダメだ長!そっちは王国の兵でも進んだ事が……」
「なんだって?」
仲間の声を焦る声を聞いた長は一度後ろを向いたが仲間の姿は突然立ち込めた霧の中に消え、声も段々と遠ざかっていた。
「大丈夫。まっすぐ進んで。」
女性は緑色の瞳で長を見つめて言った。仲間の事も心配だった長だが、この霧の中下手に違う方向に進めばかえって迷う危険もあると考えてそのまま女性の示す方向を歩き続けた。
(それにしても霧が濃いな。今は乾期だから霧はそんなに出ないはずだが……)
冷たい霧の中で違和感を覚えながらも長は歩き続けている。だが地面を見ると、落ち葉や小石の感触が薄れて土の道が石畳へと変わっていた。
(……石畳?森の奥にこんな道があるはずがない。)
耳を澄ますと、遠くから鐘のような音がかすかに響いてきた。
一度は風の音かと思ったが、どうにも規則的に鳴っている。
「なあ、今のは家が近くに……は?」
女性に問いかけようとした長は途中で言葉が途切れた。今まで抱き抱えていたはずの女性の姿がどこにもなかった。彼が戸惑っていると濃かった霧が消え始めて建物らしき影が見えてきた。
(建物?こんな森の中にか?)
長が気付いた時には霧は裂けるように晴れ、崩れかけの石造りの町が彼の視界に広がった。ここはどこなのかと辺りを見渡していると一つの看板を見つけた。看板にはこの場所の名前と思わしき文字が記されていた。
「ロストタウン?」
長は思わず看板に手を伸ばした。だが木製のはずの板は、触れた瞬間すっと霧のように消え、次の瞬間にはまた同じ位置に現れている。
(……幻か?それとも……)
足音を立てないよう慎重に進むと、建物の窓からかすかに灯りが漏れているのが見えた。だが近づこうとすると、灯りはふっと消え、別の家の窓に灯る。あたかも誰かが彼を“街の奥へ誘導している”ように。そして長も誘われるように一歩、また一歩と街の奥へ足を踏み入れた。気づけば通りの両脇に古びた建物が並び、ずっと何かが窓や隙間からこちらを覗いている気配を感じ始めていた。すると今度は頭上で子供の笑い声が聞こえてきた。
「誰か居るのか?」
長は危険を察して弓を構えた。だが辺りを再度見渡しても誰も居なかった。
「一体ここは何なんだ?」
長は構えを解かずに警戒した。しかし何かが出てくることもなく子供の笑い声もピタリと止まり、辺りは静まり返った。
「……気のせいか?」
長は弓を構え直し、街路の闇に目を凝らした。
すると、不意に石畳の下から「コトン……コトン……」と乾いた音が響き始めた。
次の瞬間、町の広場前の家の扉がひとりでに開き、中から古びた木の人形がカタカタと歩み出てきた。
その人形は裂けたシルクハットと埃まみれの燕尾服を着ていた。顔は木で彫られているはずなのに、その瞳の奥に微かな光が揺れており、長に気付くとお辞儀をしてきた。
「ようこそお!ロストタウンへ!」
ぎこちない首の回転とともに、太い声が町中に響く。
それが合図のように、町中の窓や戸口が次々と開き、半透明の人々達が現れ始めて長は自分の目を疑った。宙に浮かぶ眼球、煙のように体を揺らめかせる老婆、半透明の子供たち。皆が笑い声や囁き声を上げながら、まるで祝祭のように長を取り囲む。
「おい、見ろよ!人間だ!」
「この町来るのは始めてかい?」
古びた街並みは、死者たちの舞台へと一変していた。 足音、笑い声、どこか楽しげな旋律が重なり合い、この不気味な街は奇怪な賑わいを帯びてゆく。
「まさか本当に幽霊なのか?」
長が気になる間もなく、祭りは最高潮に達していた。骸骨の楽団が狂ったように音を重ね、子供の幽霊が灰を撒き散らし、通りは白い霞で覆われていく。老婆の煙の身体は宙に広がり、花火のように弾けた。
「久しぶりの人間ねえ。」
突然紙吹雪に紛れて女性の声が聞こえてきた。その瞬間、音が途切れた。楽団の最後の和音が長く尾を引いて消えて、残されたのは舞い続ける紙吹雪の灰だけ。
「……?」
長が不思議に思ったと同時に冷たい風が通りを駆け抜けた。風は渦を巻き、紙吹雪の灰と影を飲み込みながら一点へ収束していく。群衆はその一点を見つめた。 するとその渦の中にから一人の女性が現れた。
「シャルドネだ!」
「僕らのヒロインだ!」
女性を見た幽霊達は歓喜の声を上げ、狂おしいほどの拍手をシャルドネに送った。黒いヴェールが風で揺れ、白い肌が照らされるその姿に長は既視感を覚えた。
「あんたは、まさか……」
「そう。あなたを欺いていたのはこの私よ。」
シャルドネは包帯を巻いた足を見せながら妖しい笑みを浮かべた。しかしその足は最初から怪我などしていないかのように動いていた。
「ふふふ。驚いているわね。あなたはまんまと私達のトリック・オア・トリックに引っ掛かったのよ。」
シャルドネの声に応じるように、群衆の幽霊たちがざわめいた。 笑い声が次第に歪み、甲高い叫びや不気味な嗤いへと変わっていく。 骸骨楽団が弦をかき鳴らすと旋律は不協和音に崩れ、通り全体が不気味に震えた。
「さあ……余興の始まりよ。」
シャルドネが片手を掲げると紙吹雪の灰が黒い炎へと変わり、長の周囲に降り注ぐ。
「おお!火の雨だ!」
「やっぱ最高よシャルドネ!」
恐怖の火の雨ショーを見て歓喜の声を上げる幽霊達。
「火か。それじゃ…」
だが幽霊達とは反対に長は平静に水の入った瓶の蓋を開けた。
「は?ちょ!そんな事したら!」
シャルドネは何かを察したが長は既に瓶の中身を空中にばらまいた。そして火の雨はたちまちただの雨となって落ちてきた。
「そんな……私のトリックが……」
火の雨が消えていき、シャルドネも幽霊達も落胆していた。
「も、もしかしてこいつも幽霊か!?」
「そうでなきゃシャルドネのショーを止めれるわけが無い!」
抗議する子供の幽霊達に長は動じず答えた。
「そりゃあんな小さい火の粉なんだから、水ばらまけば消える事ぐらい分かるだろ。」
「何ですって……」
おちょくられたシャルドネは腕をプルプルと震わせた。
「まさかと思うが俺一人を驚かせるためだけにこんな事をしたのか?そんなに人恋しかったのか?」
「は、はぁっ!?」
シャルドネは顔を赤くし、言葉を詰まらせた。
その様子を見ていた子供の幽霊が、悪戯っぽく声を上げる。
「そうだよ!僕達は人間が好きなんだ!」
「僕たちもそう!人間の驚く顔を見るのは大好き!」
群衆がどっと笑いに包まれる。拍手と冷やかしが飛び交い、威厳あるはずのシャルドネはたちまち居心地を失った。
「ち、違う!私はただ…その……!」
シャルドネは反論しようとするが、言葉が出てこない。
そんな中、長は腕を組んだまま淡々と呟いた。
「なるほど。ではお前は、コイツらの中でも特に寂しがりやなんだな。」
「違う!私は好きでやってるのよ!怖がらせるのが楽しいの!……そうよね、みんな!?」
シャルドネは群衆を振り返った。
すると、あちこちからくすくすと笑い声が漏れ始めた。
「そうそう、怖がらせるのって最高だよな!」
「でもさ、今のシャルドネ、ちょっと可愛かったかも!」
「ねぇ見た?顔真っ赤!」
幽霊たちは悪気なく、むしろ楽しげに笑っていた。
彼らにとってそれはいつもの冗談の延長でしかない。
だが、シャルドネの表情は凍りついていた。
「……な、なによ……何がおかしいのよ……」
シャルドネは声が震える。黒いヴェールの下で、彼女の瞳はかすかに揺れていた。
「これ以上なにもないなら、俺は帰るぞ。」
長は小さく息をつくと背を向けた。
「ちょ、ちょっと!待ちなさいよ!」
シャルドネは呼ぶが、長は振り向かず足音が遠ざかっていく。
「覚えてなさいよ!次会ったらショック死するくらい怖がらせてあげるからね!!」
「はいはい。約束するよ。」
手を振って去って行く長にシャルドネは負け惜しみを叫ぶ。そして長の後ろ姿は足音と共に消えていった。残されたのは来年のハロウィンの事を考える人形や幽霊達と怒りに震えるシャルドネだけだった。
「来年のハロウィン覚悟しておきなさいよ…人間!」
長の姿はもう見えない。だが来年こそは必ず一泡ふかせるとシャルドネは決意するのだった。だが彼女が長と会うのは、これが最初で最後となった。




