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▼第七章 『初陣〈その1〉とWho will know』


▼第七章 『初陣〈その1〉』



 他所の学校では知らないけれど、我が斗南高校では7月半ばにいわゆる〈体育祭〉が行われることになっていた。

 私の認識で言えば高校版の運動会だ。

 ただ我が校は紅白に別れて戦うにはちと生徒数が多いので、各学年にある五つのクラスを、五色のチームに分けて競わせるというスタイルになっていた。

 だがこれは今はどうでもいい話だ。

 東北の雪国と言えど、我が県でも夏はちゃんと暑いのだが、7月の夏休みが始まる直前ならば、我が県より南で警戒されるような熱中症の心配を辛うじて我慢して、一学期最後の一大イベントとして、我が校では〈体育祭〉が行われる‥‥‥のだそうな。

 そして我が〈殺陣部〉は、その昼休みにエキシビションとして、毎年何かしらの殺陣の剣舞を披露してきているのだという。


 私が入部してから瞬く間に三か月が経過し、私はこのエキシビションで、練習では無い初めての殺陣の〈本番〉を迎えることとなった。



 幸い〈体育祭〉当日は微風あれど快晴。

 水分補給を怠らなければ熱中症になることはまずない。

 実に私の初陣日和である。

 

 入部した時は、いきなりこんな形で本番を迎えるとは思わなかった。

 私が何かの本番を迎える機会があるとしたら、それは〈文化祭〉でやる何かだろうと思っていたのだが、それとは別に、〈殺陣部〉の活動発表の機会はちょいちょいあるらしい。


 中でもこの〈体育祭〉の最中に行われるエキシビションでの剣舞は、十年ほど前にどこかの高校にある〈殺陣〉を行う何とか言う部活動が行い、その際の動画がネット経由でちょっとした評判となり、私の知らないところで日本各地の学校の〈殺陣部〉やその手の部活で流行りだしていたのだそうな。

 我が〈殺陣部〉もそのウェーブに情け容赦無く乗っかり、こうして〈体育祭〉の度に何か披露しているのだ。

 だって何かしら活動しないと、部費がもらえないどころか部活として認めてもらえないから!! ‥‥‥と貫胴部長やツバサ副部長は切実に私達にうったえた。


 そしてこのエキシビションの参加が私のデビュー戦‥‥‥初陣となったわけなのだ。

 私は入部した翌日から、この日この時の為の練習に明け暮れることとなったのだ。


 ……とはいえ、我が校に存在する数多の部活動のパワーバランスやしがらみやらで、今回のエキシビションは我が〈殺陣部〉単独で行うわけではない。

 〈殺陣部〉主導ではあるが、人数合わせの関係で、〈演劇部〉と〈ダンス部〉も参加しているし、〈映研〉も撮影で協力している。

 校庭を広々と使ってエキシビションをやるには、たった10人の〈殺陣部〉ではちょっと人手不足であったことと、〈演劇部〉と〈ダンス部〉もこういう機会に活動実績を稼いでおきたかったという利害の事情があるらしい。




 午前中の演目が終わり、校庭の周囲でレジャーシートを敷いて昼食を摂る生徒とその家族という、今のご時世なかなか見られない光景が、斗南高校の校庭では広がっていた。

 数年前に日本を席巻したパンデミックが去り、限定的ではあるが我が校では生徒の保護者の〈体育祭〉の観覧が可能になっているのだ。

 私は午前の部で、観客エリアにいる祖母と母を確認してもう充分顔を真っ赤にし、羞恥心による動揺は過ぎ去っていた。

 本当は妹に来て欲しかったが、妹は情け容赦無く今日、日曜日を私用にあてていた。



 この日この瞬間の為に、役三か月間練習と諸々の準備を重ねていた私は、準備万端整えた状態で、校庭の縁、校舎との間に設営されたスタッフ用テント内のスタンバイ位置に着き、その時を待っていた。

 そしてピンポンパンポン~というベタな校内放送のベルが鳴り響き、私はビクリとなった。



〈みなさまにお知らせ致します……

 今から五分後に……本校第一校庭、特設ステージにおきまして……斗南高校〈殺陣部〉プロデュース……協力……〈演劇部〉および〈ダンス部〉による、エキシビション・パフォーマンス……タイトル〈偽りの再生とその続き〉が開始されます。

 お時間のある方は……是非とも……校庭周囲の観客エリアにてお楽しみ……下さい〉



 ……ピンポンパンポン~と、放送終了を示すベル音がなり終えると、私の緊張は最高潮を迎えんとしていた。

 あ~あのベルをもっと引き延ばしてもらえないだろうか、ゆ~っくり今の十倍くらいの長さにして交響曲みたいにしてくれても良い……。

 だって、私がこのレベルで人前に立つ出し物に参加するのは、人生で初めてだ。

 喘息の関係で、いつ病欠するか分からん小・中学校時代の文化祭的なイベントでの私は、半自動的にずっと裏方配置だった。

 だから私の緊張は、本番直前となって急激に増大していた。

 あ~……私はなんで〈殺陣部〉なんぞに入部し、こんな大恥かきかねないことに挑戦しているのか?

 緊張は恐怖に、恐怖は後悔にジワリと変ってゆく。


 だが、こういう時の心得を、貫胴部長をはじめツッキー先輩などが事前に私に教えてくれていた。

 部長たちいわく…………。


『殺陣に限らず、舞台だのダンスだのの何かの本番で、緊張した時は……本番の一番最初に何をすべきかを思い出すといいよ』


 私は緊張の中、辛うじてその内容を思い出すことができた。


 問題は“一番最初にすべきこと”を思い出す為に、もっともっと昔、まだ〈殺陣〉なるものをはじめたばかりの頃まで遡らねばならなかったことだ…………。





 そう……それは今から三か月前……。




 人生初の部活動第一日を体験した翌朝は、貫胴部長に言われた通り早めに就寝したにも関わらず、目覚めるなりこの世の終わりみたいな筋肉痛で起き上がれなくなり、妹に無理矢理叩き起こされたものだった。

 が、さらに三日もその生活が続くと不思議と慣れてきた。

 父母やお婆ちゃんは何故か『これが若さか』とそれを褒め称えた。

 そして繰り返される放課後の部活動では、飛んでもない勢いで〈殺陣〉のイロハが叩き込まれた。

 

 放課後になれば、運動着に着替えてその日の活動場所に向い、まずは入念なストレッチとウォームアップ。

 殺陣式挨拶で部活が始まると、〈殺陣における安全を守る為の五つルール〉クイズを貫胴部長にランダムに当てられて復唱させられる。

 そしたら〈抜刀・正眼〉からの〈大上段〉~〈真っまっこう〉~〈血ぶり・納刀〉~〈自然体〉を一通り復習し、各員のフォームのチェックが先輩方によって‥‥‥あるいは互いに行われると、恐怖の〈素振り〉タイムである。

 

 だがもちろん〈素振り〉は終わりではなく、殺陣の練習メニューの始まりに過ぎない。

 一日目では教えることが多すぎて、〈素振り〉まで教わるところで部活の終了時間が来てしまったが、二日目以後は恐ろしくスムーズに〈素振り〉までのメニューが終わり、空いた時間で次々と〈殺陣部〉で教わるべきことを叩き込まれた。



 二日目は殺陣式の〈歩き方〉を教わった。

 いわゆる〈ナンバ歩き〉のすり足バージョンというヤツであった。


 殺陣では〈抜刀・正眼〉を教わった段階でも言われたことだが『腰を落とす』という概念がとても重要になってくるのだという。

 前後に足を開き、前に出した方の脚の膝を曲げれば、一応自動的に腰を落としたことになるのだが、実際はそう単純ではない。

 これは前進したことによる運動エネルギーを敵に叩きつけることが格闘技全般における〈攻撃〉あるいは〈打撃〉というものならば、同じ体格と体重の人間同士が互いに〈攻撃〉をぶつけ合った場合、勝つのは重心を低くした者の方である。

 故に『腰を落とす』が必要になってくるのだ。

 たとえば『相撲』の試合で、棒立ちで挑んだ人間がハッケヨイの体制になっている人間に勝てる光景は想像できないように、格闘技ふくむ人同士の戦いは重心を低く、『腰を落とす』ことが肝心になってくるのだ。

 そして『腰を落とす』を維持しつつ移動しようと思った場合、自動的にすり足で歩くことになるのだ。

 足を地面から浮かし過ぎたら、その分だけ重心が上がっちゃうし、地面との踏ん張りも効かなくなっちゃうもんね。




 だが守るべきルールは他にもあった。

 これは主な〈殺陣〉が行われる際の時代設定が、江戸時代や戦国時代であり、その時代の日本の人々の歩き方の問題である。


 何故かは知らないが、その時代の人々は今の私達のように、歩く時、走る時に、腕の振り方が違うのだそうな。

 右足出す時は左腕、左足出す時は右腕を出して現代の人々は普通歩くし走る。

 だが、当該時代の人々は、歩く走る時に腕を振らないのだそうな。

 もっと言えば、上半身をねじって歩いたり走ったりしないのだそうな。

 だから私達は、殺陣中は腰をねじらないようにすり足で歩き、走らねばならなかった。


 ※一般的なナンバ歩きとは右腕右脚、左腕左足を交互に出して歩く歩き方のことだが、ここで言う殺陣式のナンバ歩きは、あくまで上半身を正面に向けたまま歩くことをいう。


 正直「‥‥‥なんでだよ!?」と思う案件であったが、『そういうもんだから!』と答えられたら反論はできなかった。

 それにやや釈然としていない私達一年に、顧問の柳先生が貸してくれた亜鉛合金だかで出来ているという模造の日本刀を、一年生達で交代で腰に差して歩いて見たことで、私達は『腰を落とす』を維持して〈ナンバ歩き〉のすり足せねばならない理由の一端を実感することができた。

 重さ1キロを超えるという本物の刀に近い重さの模造刀を、腰に差して歩いてみる時、『腰を落とす』を維持して〈ナンバ歩き〉のすり足‥‥‥以外の歩き方をすると、腰の重たい模造刀が大暴れして、痛いし怖いし危ないのだ。

 腰の横で1キロの刀を暴れさせずに歩くには、腰を上下させずにすり足で、腰を左右に捻らず、正面に向けたままナンバ歩きで移動する必要があるのだ。

 つまり殺陣式の〈歩き方〉は、重さ1キロ超えの刀を腰に差して歩く以上は、必然の歩き方だったのだ。

 歩き方の正しさ以前に、私は本物の刀に近いという模造刀のすんごい重さにドン引きもしたんだけどね‥‥‥。

 私は帯の左腰に差した刀の重さで、左へ左へ倒れそうになりながら、殺陣式の〈歩き方〉の必要性を理解した。




 問題は、その殺陣式の〈歩き方〉の習得方法だった。

 私達はその日の活動場所の端に横一列に並ぶと、まず〈気を付け〉の態勢から、かかとが浮かないレベルまで膝を曲げ上体を下ろし、肘を左右に張った状態で、指を伸ばした両手を左右の骨盤に当てた態勢で、この『腰を落とす』を維持しつつ〈ナンバ歩き〉のすり足を、まずはユ~ックリと行うのだ。

 それはもう早朝の公園でお爺ちゃんお婆ちゃんがやってる“太極拳”のごとくユ~ックリにである。

 もちろん実際の殺陣中にこの速度で歩くわけではない。

 まず正しいフォームを覚えるためにユ~ックリとすり足で歩くのだ。


 貫胴部長はニコニコしながら、スマホで映画『シ〇・〇ジラ』のサントラから『Who will know』というBGMとして流し、我々の目の前で率先して正しい殺陣式の〈歩き方〉のお手本を見せた。

 それはもう夜の東京の街を、放射線流で燃やし尽くす〇ン・ゴ〇ラの如くユ~ックリと歩きながら‥‥‥。

 私は物悲しいBGMと共に、黒い浴衣と袴姿でユ~ックリとすり足前進する貫胴部長の姿に、東京を紅蓮の炎で焼き尽くす〇ン・ゴ〇ラの姿を幻視した。

 

 このユ~ックリの殺陣式の〈歩き方〉がまたしんどいのである。

 私は太極拳とかやっている人を舐めてたことを認識した。

 太ももがめっちゃ辛い。

 前進する時は前に出した足に体重を掛けるという殺陣の姿勢のルールが、私の足にさらなる負荷を掛けるのだ。

 この辛さから逃れるために、ちゃっちゃと動きたくてたまらなくなった。 

 だがこの早く歩きたくなる誘惑に耐えてゆっくり歩く辛さこそが、下半身を鍛えるのに効いていることもよく分かった。


 物悲しいスローテンポな曲である『Who will know』と共に、皆が横一列になって貫胴部長の後に続いてすり足で前進する光景は、控えめに言ってもシュール極まりないであろう‥‥‥。

 だがこのユ~ックリな殺陣式の〈歩き方〉の練習をするのに、このBGMは無駄に合っていた。

 この曲を聞きながらならば、早く動こうという気分にはなかなかならなかったからだ。

 そして部員全員で横に並びながらユ~ックリとすり足前進する光景は、『シ〇・ゴジ』というより、『火の七日間』の巨〇兵のぽいかもと微かに思ったのだった。



 そのようにして、『Who will know』一曲が終わるまで、その日の活動場所の端から端までを、我々は放射線流で焼き尽くしながらゆっくり往復すると、今度はスピードアップしてすり足移動をしてゆく。

 最初は普通に歩く程度の速度で、さらにスピードアップして、フォームを崩さずに移動できる最大限の速度ですり足移動を試み、殺陣の最中に実際に行われる速度を目指す。


 その時のBGMは、ハイテンポの映画やアニメの戦闘シーンと思しき曲に変っていた。


 この時、活動場所が体育館だったこともあり、部長の指示により、我々は全員裸足でこの練習を行っていた。

 実際に殺陣を行う際は、足袋もしくは地下足袋、レアケースで草履を履く場合が多いそうなのだが、練習の間はこうして裸足になり

足の裏を鍛えると同時に、足の裏の感覚を研ぎ澄ませておいた方が良いそうな。

 私はその理屈に納得はしたけれど、すり足移動の速度を上げるのつれ、足の裏が燃え上がるかと思った。


「みな気を付けてね~、上手くすり足しないと、昔わたしがやったみたいに足の裏の指の皮ベロ~ンでやっちゃうわよ~」


 ツバサ副部長が朗らかにそう言い、私は真っ青になった。







 ‥‥‥とはいえ、ただまっすぐに歩くことができただけでは、殺陣は行えない。

 当たり前だが、殺陣は振り付けに応じて左右に方向転換する必要がある‥‥‥この殺陣式の〈歩き方〉の諸々のルールを守った上でだ。

 〈殺陣部〉の練習メニューには、ちゃんとこの殺陣式の〈歩き方〉を維持しつつ方向転換をす練習の方法も存在していた。

 


 さっき行った『シ〇・〇ジラ』式歩き方の練習のスタート時と同じ様に、まず我々は練習場所の端で横一列に並ぶと、指を伸ばした手を両の骨盤にあて、両肘を張り、気を付けの状態からかかとが床から上がらないギリギリの位置まで膝を曲げ、上体を下げスタンバイ態勢となった。

 

「右足一歩前へ!」


 我々の前で背を向けて立つ部長の声に合わせ、我々は言われるがままにまず右足をすり足で一歩出す。

 ここまでは良い‥‥‥簡単だ。


「回れ左! 左足下げる!」


 続く部長の掛け声に、私は0.5秒くらいの思考時間を要しながらギリギリでついてゆく。

 私は右足を一歩前に出した状態から左へ180度回転し、真後ろを向くと、私にとって前に一歩出した状態となった左足を一歩引いた。


「ハイもう一回回れ左!」


 すかさず続く部長の声。

 私は言われるがままにまた反時計回りに180度回転すると、私の身体は再び進行方向を向いた。


「ハイそしたら二歩歩く!」

「‥‥!」

  

 私はそろそろ自分で何をやってるのか分からなくなりながら、言われるがままに、左足を前に出した状態から二歩進んだ。

 つまり引いていた右足を出し、次に左足を出した。


「次は回れ右! 右足ひく!」

「うぉおおお‥‥‥」


 このあたりで私ふくめた一年生組は半分くらい何言ってるか分からなくなって挫折していた。

 大半は〈回れ右〉〈回れ左〉を間違えたり、動かす足を間違えた結果だ。


「ようするに、すり足でひたすら一歩ずつ前進しながら、180度回転を左右で二回ずつ繰り返してるだけなんだよ。

 ずっと同じ方向への回転してたら目が回っちゃうんで、間に一歩いれて、一回転毎に回転方向を逆にしてるわけ」


 貫胴部長はサラっとそういうが、そう言われてサクッと理解して実行できれば苦労はしない。

 要するに殺陣式の〈歩き方〉をしながらすり足で回れ右・回れ左をすることで方向転換を可能にする為の練習なのだろう。


 以後数週間、私はこのすり足で腰を落としたまま移動する殺陣式の〈歩き方〉の練習に苦戦することとなる……。



 そうだ! すり足移動だ!!



 私が無駄に遡り過ぎた回想が、思い出すべきところまで来た瞬間、盛大な音量で演舞の音楽の前奏が流れ始めた。


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