『松下浩史(夫婦)』 1
『神隠し』の被害者、松下榛菜さんの夫にスポットが当たる章が始まります。
要所要所で顔を出す重要人物なのですが、本当の姿とはどうなのでしょうか?
そして葉瑠菜三人とはどうなるのでしょうか?
平成21年もあと二時間半で暮れようとしていた。
松下家のリビングでは男性歌手の歌声が響いていた。松下家全員がソファのそれぞれお気に入りの場所に座って、紅白歌合戦か格闘番組を見ていた。一樹と菜々の二人以外は紅白歌合戦を見ている。松下家では9時まで自室にこもる事は、『神隠し』に巻き込まれる前から母親の榛菜の方針でご法度だった。
一家の視線の先には、店舗で使うような什器を使って2台の42型液晶テレビが上下に並べられていた。6人家族のチャンネル争いを回避する為の知恵だった。各自専用のハイビジョン対応のブルーレイレコーダー4台もその什器に収まっていた。
この家の父親の松下浩史はあまり無駄使いをしない人間だった。
タバコも吸わないし、賭け事もしない。外に飲みに行く事もほとんど無かった。マイカーも持たないし、家も持ち家だったので家計の固定費が少なくて済んでいる。給料も企業規模に比べて高給だった事もあって、5人の子供が居ながら松下家の家計は苦しくはなかった。
更に妻が絵本作家として稼いだ収入も有った。神隠しに巻き込まれて有名になった為に、むしろ増えた印税が一家の口座に振り込まれているので、その気になればかなりの贅沢が出来るほどだった。
彼が無駄使いをするのは、テレビなどの映像機器を買う時に一番グレードの高いモデルを選んでしまう事と、たまにアニメのDVDを買う事だった。それも以前は妻の榛菜の許可を得てから買っていたから、金額にすれば可愛いものだった。
可愛いと言えば、これだけは止められなかった毎晩の晩酌は、発泡酒の350cc缶1本だけだった。今日は大晦日という事もあり、特別に本物のビールで一番高いブランドの500cc缶を陽菜から許されていた。浩史は久し振りに味わう美味しいビールを飲みながら紅白歌合戦を映す画面を見ていた。
今歌っている歌手は長い下積みを経て、作風が変った去年の後半から徐々に人気が出てきて、今年の夏前に出したバラード曲があれよあれよという間にミリオンセラーに輝いた男性歌手だった。下積みが長かった為か、歌唱力は確かで、このバラード曲は今年を代表するヒット曲になっていた。
普段はあまり歌謡曲に興味を示さない浩史もこの曲は気に入っていた。
なんと言っても歌詞が意味深だった。男女の別れ歌のようでありながら、取りようによっては葉瑠菜達の事を指す歌詞とも言えた。シンガーソングライターの彼は歌詞の由来を明かさずに、本当の事は聴く人に任せると言っていたので真相は不明のままだった。
そして誰が買って来たのか、家に彼のアルバムCD2枚が有ったので浩史も時々聴いたりしていた。
その歌手が歌い終わって、盛大な拍手を受けている時に瑠菜が葉菜に向かってポツリと言った。
「こんなに売れるなら作詞者として、いくらか入るようにしとけば良かったね、葉菜?」
「でも取材がうるさいから、これで良かったで」
「まあね。自分の歌が売れる経験を味わえただけで良しとするか」
何気無く交わされた会話に浩史も驚いたが、一番反応したのは陽菜だった。
「えー! なんで早く言ってくれないの? 知り合いなら早く言ってよ。クラスのみんなに自慢できるのに!」
「陽菜、突っ込み所を間違えている。なぜ二人が作詞したのかを訊いた方がいいと思うぞ」
浩史がそう突っ込むと陽菜が改めて声を上げた。
「そうそう、なんであんた達が作詞したの? 知っていたらクラスのみんなに自慢できたのに!」
「おーい、陽菜。悪いが今のお前は頭の悪い子みたいだぞ。それにそんなに大きな声で言わなくても聞こえる」
「ご、ごめん。驚き過ぎて、人間じゃなくなっていたみたい。でも内緒にしておくなんて卑怯だと思わない、父さん?」
「まあ、卑怯かどうかはさておき、どうしてこの歌の作詞をしたのかを教えてくれるよね? 瑠菜、葉菜」
瑠菜の方が説明を始めた。
「この歌手はホームページのBBSに最初から書き込んでいた常連さんなの。その頃はまだ歌手とは知らなかったけど、書き込んでいる内容は温かいものがあったわ。なにしろ私が誘導用に自分達の悪口を書いたら、いつも反論をして来たの。彼女達はそんな悪い子じゃない、可哀想な子達だって。他の人が書いた悪口にもその都度私達を擁護する書き込みをしてくれるからちょっと可哀想になって、足が付かないようにしてメールを送って上げたの。菜々が言い出してね。それが去年の夏ごろの話」
瑠菜は一旦言葉を切って、葉菜が続きを引き取った。
「それで返ってきたメールが『本当び?』や。これだけを返信するのに2日掛かってんで。しかも誤字だし」
瑠菜が思い出し笑いをしながら、続きを語り始めた。
「さすがに返信メールを見た時は全員が笑い転げたよね。NとBを打ち間違えているのに、それに気づかないほど動転していたらしいけど」
「菜々なんて、『本当び?ってなんや? どこの方言や?』って翌日もニヤニヤしてたし」
「だから未公開の写真を一枚貼付して上げたの。次に来た返信は2000文字を越えていたのよね」
「それがまた、うちらがいかに素晴らしいのかをひたすら書いてたんで、菜々がまた突っ込んでた。『これってどこのアイドル?』って」
「それからは度々メールを交換したけど、段々悩み相談室みたいになったの。曲が売れない理由が分からないとか、歌詞が上手く書けないとかね。そこで一度、葉菜が作詞して上げて、曲を付けて送り返してもらう事にしたらこれがいい曲だったの」
ここで菜々が口を挟んだ。どうやら彼女が応援していた選手が勝ったようで、上機嫌だった。悪戯が成功した後のような楽しげな口ぶりだった。
「面白うなって、三人で何曲も書いて上げたんや。うちが書いたコメディソングも人気あるで。まあ、何にしろ売れっ子になって良かったで。陽菜ネェ、分かった?」
「分かったけど、どうして黙っていたの?」
「恥ずかしいやん。曲がりなりにもプロの歌手が歌うねんで。ブーイングされたら落ち込むで、うちみたいな繊細な女の子は」
「嘘や。菜々はただ単に変な歌を歌わせたかっただけや」
「ははは、本当はそうやねん。こういうのはこっそり楽しむ方がおもろいしな。だから内緒にしてたんや。ごめんやで、陽菜ネェ」
陽菜もさすがに追及を諦めたようだったが、まだ何かを言いたそうな顔をしていた。浩史は陽菜の代わりに瑠菜に頼んでみた。
「瑠菜、出来たら陽菜にサイン入りのCDをプレゼントして上げれないか? 陽菜もよくさっきの曲を聴いていたからね」
「はい、浩史さん。ロクちゃんも忙しいから何時になるか分からないけど。陽菜ネェ、それでいい?」
「うん、それでいい。あー、楽しみだあ」
浩史は気になった事を訊いてみた。
「どうして、ロクちゃんと呼ぶんだい?」
「BBSでは『ろくろっ首』て名乗っていたの。ヒット曲を待ち過ぎて首が伸びたって意味らしいけど」
「もう一つ、念の為に聞くけど、他には何か隠していないかい?」
三人の返事は無かった。
だが珍しく葉菜までもがニヤけた顔には『大有り』と書いていた。
浩史は嫌な予感がしたので、手を顔の前で振りながら言った。
「いや、返事を聞かなくても分かったような気がするから答えなくてもいいよ」
「うん、その方がええで。やっぱり浩史さんは話が分かるわ」
その時に一樹がやっとしゃべった。彼は菜々が応援していた選手の対戦相手を応援していたが、負けたショックから立ち直るのに時間が掛かっていた。
「俺にも一枚回してもらえないか? 美咲が熱狂的なファンなんだ」
「いいですよ。美咲さんになら」
こうして、葉瑠菜三人を交えた最後の大晦日は暮れていった。




