第五章 最初の協力者
信濃町から徒歩三分ほどの雑居ビルの中にある中西法律事務所。
ここは田所建設の顧問弁護士の事務所だった。
ガラス張りの入口をくぐると、外の喧騒とは別世界のような静けさが広がる。
整然とした受付カウンターに向かい、雄三は少しだけ緊張した面持ちで口を開いた。
「田所と申しますが中西弁護士にお会いしたいんですが……」
受付の女性が丁寧に応じる。
「お約束は御座いますでしょうか?」
「いえ。田所建設の田所源蔵の息子だと言って頂ければ分かると思いますが……」
その名前に、受付の表情がわずかに変わる。
「かしこまりました。少々お待ちください」
奥へと姿を消す受付を見送りながら、雄三は室内を見渡した。
無駄のない配置、整えられた書類、静かな空気――自分のこれまでとは対極にある場所だ。
ほどなくして、年配の男性が姿を現した。
「源蔵さんの息子だというから正和君かと思ったら雄三君か。随分、大きくなったね。縦にも横にも」
(デジャヴだ……)
心の中でそう呟きながら、雄三は軽く頭を下げる。
「お久しぶりです」
「お父さんの件、お悔やみ申し上げます」
その一言は形式的でありながら、どこか実感のこもった響きがあった。
「それで、どうしたんだい?雄三君が訪ねてくるなんて。遺産のトラブルかい?」
「いえ。会社は弟が継ぎますし、僕の方はそれなりの現金を受け取りましたから。実はそれを元手に探偵事務所を始めようと思いまして、何か法律がらみの事があったらご相談に乗って頂けないかと……」
中西は一瞬、興味深そうに雄三を見つめた。
「全然かまわないよ。ただ私は企業案件が専門で、それ以外の事はあんまり得意ではないんだよ」
「そうですか……」
わずかに落胆の色を見せる雄三。
その様子を見て、中西がぽんと手を打った。
「そうだ!」
「ちょっと、松元君呼んできて」
「分かりました」
受付が再び奥へと向かう。
少しして、壮年の男性が現れた。無駄のない動きと落ち着いた表情が印象的だった。
「松元君ちょっとこっちへ。こちらは田所建設の源蔵さんの息子さんで雄三君」
「田所雄三です」
「弁護士の松元敬輔です」
穏やかな声だったが、その奥に確かな芯が感じられる。
「松元君。雄三君が探偵事務所を始めるにあたって法律関係の問題が出てきた時に相談に乗って欲しいそうなんだ。どうかね?」
松元は一度だけ雄三を見てから、迷いなく答えた。
「中西先生がお世話になった方の御子息という事であれば全面的に協力させていただきますよ」
「そうか!それは良かった」
中西が満足そうに頷く。
「実は私は来年、独立させてもらう予定なんだ」
「そうなんですか?」
「私も来年七十になるし、そろそろ引退しようと思ってて。まあ、完全に閉めるわけじゃないから田所建設さんの顧問は引き続きさせてもらうがね」
中西が肩をすくめる。
「私は企業案件より、浮気や不倫、離婚問題が専門だし、刑事事件にも精通してるから探偵の相談役としては向いていると思いますよ」
松元の言葉は控えめながらも、自信に満ちていた。
「それは、有難いです」
雄三は素直に頭を下げる。
「独立したら費用は結構だから、そう言った案件があったら優先的にこちらへ回してくれれば構いません」
「良いんですか?」
「中西先生のお世話になった方の身内ですし、独立したら新事務所になりますから数多くの案件をこなして事務所の知名度と信用を上げたいんですよ」
「なるほど。こちらとしては願っても無いことです。宜しくお願い致します」
松元が静かに手を差し出す。
雄三はその手をしっかりと握り返した。
その瞬間――。
まだ何者でもない一人の男に、初めて“仕事としての繋がり”が生まれた。
探偵としての基盤は、こうして少しずつ形になり始めていた。




