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第四四章 二月へ向けての肉体改造

台湾出身の陸坡と申します。


この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。

藤田ふじた、ストップ」


マウンドで投球モーションに入ろうとした藤田を、捕手キャッチャー佐久間さくまが引き留めた。藤田が動きを止めると、佐久間はネット裏で投球を記録している日下尚人くさか なおとに声をかけた。


「球速はともかく、ちょっと低めに外れすぎじゃないか? 日下、どう見てる?」


「球速は……」日下はスピードガンを下ろし、記録表に目を落とした。

「フォークの最速が140キロ、インコースのショートスライダーは136キロ出てる。ただ、あのスライダー、ストライクゾーンの隅を掠めてはいるけど、かなり際どいな。白井しらい先生も片岡かたおか先生も『判定に迷う球は、すべてボール球としてカウントしろ』って言ってた。審判によってストライク・ボールの判定にブレがあるのは避けられないからな」


「藤田、ちょっとこっち来てみろ!」


佐久間の呼びかけに、藤田はすぐさま二人のもとへ駆け寄った。佐久間は日下の記録表を指差し、ストライク・ボールの判定が微妙な球が、ほとんど「インコースのスライダー」に集中していることを指摘した。


藤田はその記録を見つめながら呟いた。

「……70球を超えたあたりから、球がうわずり始めてるのか」


「明らかに練習量不足だな。痛っ!」


藤田が自己分析で反省の弁を述べている最中、佐久間がキャッチャーミットで藤田の頭を軽く叩いた。

「お前はアホか。練習量どうこうの前に、どうして球が低めにばらつくのか、その原因から考えろ」


野球部全体を見回しても、藤田の頭をこうして容赦なく叩けるのは佐久間くらいのものだろうな、と日下は心の中で苦笑した。


正直なところ、日下はこの「記録員」の仕事を片岡先生から頼まれたとき、あまり気乗りしていなかった。藤田先輩は良い人だし、佐久間先輩も最近は丸くなったが、それでも先輩の投球記録を取る暇があるなら、自分のキャッチボールや打撃練習の時間を増やしたいというのが本音だった。


とりわけ、打撃は日下の泣き所である。守備や捕球の堅実さなら、今の阪海工はんかいこうでも間違いなく一番安定している自信はある。しかしバッティングに関しては、中西なかにし先輩や木村きむら先輩をはじめ、部内のほとんどの人間が自分より上手い。


日下がこの悩みを片岡先生に相談したとき、彼女はしばらく考えた後、微笑んでこう言ったのだ。


「日下、あなたは『打撃の想像力』が欠けているんじゃない?」


打撃の想像力? 片岡先生の意図が全く掴めず、日下はその言葉を理不尽だとさえ思った。そしてその直後、打撃練習の代わりに藤田と佐久間というバッテリーの記録係を命じられたのだ。

「打撃が良かろうが悪かろうが、今の自分にはチームを勝たせる能力がないと言われているのか?」


最初はそう思い込み、塞ぎ込んでいた。昔から「思いつめすぎる」のが自分の欠点だと高橋たかはし元監督にも指摘されていたからだ。しかし驚くべきことに、元監督も白井先生も、彼の「思いつめすぎる考え方」自体を否定することはなかった。


そしてこの数日、日下は片岡先生がなぜ自分に藤田の投球記録を取らせたのか、ようやくその真意を理解し始めていた。


(藤田の球が外れた)

(うわ、あの変化球はエグいな)

(でも、今のスライダーは少し甘い気がする)

(……あの球なら、俺でも打てるんじゃないか?)


そう。事細かに記録を取りながら藤田の球を分析しているうちに、日下の中で「この球なら自分でも打てる」という具体的なビジョンが生まれつつあったのだ。


これこそが、片岡先生が言っていた『打撃の想像力』なのかもしれない。


バッターボックスに入る前から「打てない」と決めつけてしまうのではなく、「これなら打てる」と視点を変えてみる。最悪の結果(三振)を想定するよりも、球を綺麗に打ち返す姿を思い描くこと。


結局のところ、野球には「自分は打てる」と信じ込む力が必要なのだ。


「俺の頭の中にあるストライクの九宮格ナイングリッドで言えば、藤田先輩の球はどれもストライクに入っている。でも、このインコースの数球は、もし審判にボールと判定されても文句は言えないレベルだね」


日下が二人の議論に加わって言った。


「お前、藤田に甘すぎないか? インコースだけじゃない。このアウトコースの球も、このシンカー気味の変化球も、俺が審判なら迷わず低めのボール球と判定するぜ」


佐久間が厳しく指摘した。


「白井先生は『大抵の審判は打者の身長に合わせてストライクゾーンを調整する』って言ってたけど、それって言い換えれば『絶対的な基準はない』ってことだ。こういう際どい球をストライク計算に入れちゃダメなんだよ」


アメリカのメジャーリーグで導入が検討されているような、コンピュータで投球を判定する「電子ストライクゾーン」とは違い、日本の高校野球は今も主審の肉眼による判定が絶対だ。当然、審判ごとに好みのストライクゾーンがあるし、主観も混ざる。


一般的なストライクゾーンは「胸からベルトの間、低めは膝の下のライン」とされている。だが、インコースのスライダーのように、打者の手元で鋭く曲がり落ちる球は、どうしても判定が曖昧になりやすい。


この際どい球をいかに「ストライク」に見せるか。


佐久間はそのために、捕球時のキャッチャーミットの角度を微調整し、藤田のインコースのスライダーを少しでもストライクゾーンに近づけようとしている。捕球と同時にミットをわずかに動かし、球がゾーン内に収まっているように見せかける技術だ。


これは日本の野球で『フレーミング(接捕技術)』と呼ばれる、多くの捕手が使うテクニックである。


しかし近年では、この小手先の技術が通用する確率は低くなっている。審判の目をそう簡単に誤魔化せるなら、佐久間もわざわざ練習を中断して日下の意見を求めたりはしない。三人は、藤田の変化球がいかに「ボール球として判定されるリスクを孕んでいるか」を深刻に話し合っていたのだ。


「おや? 普段はマウンドから降りない『藤田組長』が、俺みたいにサボりの相談かい? やれやれ、冬だっていうのに、マウンドは夏みたいに暑苦しいな」


ブルペンを通りかかった村瀬智也むらせ ともやが、左手にグローブを提げ、右手をポケットに突っ込んだまま、気だるそうに声をかけてきた。


「おお、村瀬」


藤田がのんびりとした態度で近づいてくる村瀬を見た。日下は村瀬を一瞥し、村瀬も日下をチラリと見たが、二人は一言も言葉を交わそうとしなかった。


その気まずい沈黙を破ったのは、佐久間だった。


「どうせもうすぐ休憩時間だ。高橋元監督がおにぎりの差し入れを持ってくる頃だから、詳しい話は飯食いながらでもいい。日下、今日のピッチングレポート、片岡先生に出しといてくれ。それと、村瀬……」


佐久間は村瀬に向かって手を差し出し、顎でしゃくった。


「お前の分のレポートも、一緒に提出しといてやるよ」


「おおっ、『極妻(極道の妻)』がパシリをやってくれるなんて。まさか痴情のもつれで刺されたりしないよな?」


「つまらん冗談言ってないで、さっさと出せ」


村瀬の軽口をピシャリと一蹴する佐久間。村瀬は大げさに「うわ、こえー」と怯えたフリをして、自分のピッチングレポートを手渡した。


「助かるよ」


村瀬は、連れ立って立ち去る佐久間と日下の背中を見送った。

(やっぱり、この前俺と日下がモメたこと、佐久間にはバレてたか。地獄耳だな)


村瀬と日下の仲の悪さは、阪海工野球部なら誰もが知っている公然の秘密だ。この二人を同じ練習グループに放り込むなんて、赴任して間もない片岡先生くらいしかやらないだろう。


「村瀬、日下も根は良い奴なんだぞ」

藤田が静かに言った。


「組長、それ以上言わないでくれ。人には相性ってものがあるんだ」村瀬はそう言って話を遮り、「それより、俺はあんたのピッチングが気になって来たんだが。さっきは何を話してたんだ?」と話題を変えた。


藤田は、自分のインコースのスライダーが試合後半にボール判定されやすくなるリスクについて、中継ぎ投手である村瀬に打ち明けた。


村瀬は少し考え込み、藤田の体力面や投球時のクセについていくつか質問をした後、突然手を伸ばし、藤田の腕や肩の筋肉の張りを直接触って確かめ始めた。


「あんたみたいな練習の鬼が、スタミナ切れを起こすとは思えない。球の威力が落ちてコントロールが乱れる原因……たぶん、腕の筋肉の疲労のせいだ。踏み込んだりボールを離す瞬間に、無意識に疲労感を誤魔化そうとして、力の入るポイントがズレてるんじゃないか? 組長、練習しすぎて肩を壊さないでくれよ」


かつて肩と肘を酷使したせいでトラウマを抱え、ようやくマウンドに復帰した過去を持つ村瀬だからこそ、藤田の腕の状態に対する指摘には真剣さが滲み出ていた。普段の気だるげな「サボり魔」の村瀬からは想像もつかないような顔つきだった。


「お前が俺の心配をしてくれるなんて、なんか慣れないな」

藤田が思わず本音を漏らした。


「おいおい、キャプテンが部員に向かって言う台詞かよ」村瀬は苦笑した。「……でもな、もう一度マウンドに立って投げてみて、やっと分かったよ。藤田、よくお前、あんなすさまじいプレッシャーの中でずっと投げ続けられるな。マウンドの上の重圧なんて、普通じゃないぜ」


「そうか? あまりプレッシャーとか考えたことなかったな」


「真面目な話、迅真しんま。お前、マウンドで投げる時、何を考えてるんだ?」


「佐久間が俺の球を待ってるな、って」


「ははっ、俺に合わせてそんな冗談……」


村瀬は藤田の顔をまじまじと見つめた。

「……マジで言ってんのか?」


「ああ。マウンドに立つと、いつも佐久間を見てる。あいつが俺の球を待ってるんだって思うんだ。俺の投げた球が、誰にも打たれずに、あいつのミットに真っ直ぐ収まればいいって。俺が投げる一球一球は、すべて……」


佐久間圭一さくま けいいちのミットに収まるためにあり、他の誰にも触らせない』


「……それ、考え方が変態すぎないか?」


「佐久間にもそう言われた。でも、あいつは『お前は根っからの野球バカだからな』って言って、俺のその考えを受け入れてくれてる」


「ああ……。あんたの『女房役キャッチャー』を務める奴も、相当苦労してるんだな」


村瀬は呆れたように大きくため息をつき、そして笑った。



※※※※



佐久間さくまがなぜ、自分と仲の悪い村瀬むらせを引き離すように自分を連れ出したのか、日下くさかには分かっていた。だが、その後の佐久間の行動は解せなかった。


佐久間は、村瀬智也のピッチングレポートを日下に差し出して言った。


「見るか?」


「俺が見ると思うか?」日下は冷たく問い返した。


「どんなに気に食わなくても、村瀬はチームメイトだ。キャッチャーとして、他の人間が村瀬の球をどう見ているか知りたいのは当然だろ? ……それに、今ここには日下しかいないんだしな」


「……分かったよ。見ればいいんだろ」


まんまと佐久間の口車に乗せられたような気がして、日下は渋々村瀬のレポートを受け取った。


目を凝らすと、記録員の字はひどく汚かった。これほど癖のある汚い字を書くのは、同室の大河たいがくらいしかいない。


そういえば、想像力が足りないと指摘された自分とは対照的に、大河はよく白井しらい先生から「白昼夢なんか見てないで体を動かせ!」と叱られている。

(打席での自分をリアルに想像できない俺と違って、大河は『自分の打つ姿』を妄想しすぎているのか? ……本当にあいつらしいな)


日下は、脳内で大河の顔を思い浮かべることで、村瀬に対する嫌悪感を少しでも打ち消そうとした。しかし、レポートに書かれた村瀬の投球内容には、意外にも考えさせられるものがあった。


「どうだ?」佐久間が尋ねた。


「どうってこともない。普通だ」

日下は短く答え、レポートを佐久間に突き返した。


「そうか? 藤田ふじたの球と比べたらどうだ」


「長らくマウンドから遠ざかってた投手と、チームのエースを比較してどうなるんだ?」

日下は冷淡に言い放ち、先ほどまでいたブルペンの方向をチラリと見た。


「感覚を取り戻すのは、そう簡単じゃないな、藤田」


村瀬はそう言いながら、藤田のいかつい顔を両手で挟み、指で無理やり笑顔を作らせようと遊んでいた。


頬を引っ張られて歪んだ笑顔のまま、藤田が言った。

「……俺は、村瀬の球はすごくいいと思うぞ。ミットに収まる時の音が、すごくいい」


「お褒めにあずかり光栄だね、エース殿」村瀬はさらに藤田の口を横に引っ張った。


「や、やめろって! 村瀬」

藤田がようやく降参した。


練習の合間にじゃれ合う二人を、レポートを提出し終えて戻ってきた日下は、苛立たしげに睨みつけていた。


(百球だと? あいつ、本気なのか?)


日下は先ほどの村瀬のレポートを思い出していた。今日の投球練習で、村瀬は百球も投げ込んでいたのだ。あの万年サボり魔の村瀬がそんなに投げ込むなど信じられなかったが、記録を取った大河が村瀬のために数字を誤魔化す理由もない。


(あいつ、わざと自分の肩を壊そうとしてるのか? 試合で投げずに済むように? ……いや、いくら嫌いな相手でも、それは違う。村瀬はそういう汚い真似をする奴じゃない)


考えても、考えても、分からない。


(ああもう、分からん! 腹立つ! 村瀬のクソ野郎!)


村瀬の不可解な行動のせいで思考がショートした日下は、最終的に「理解できないことへのイラ立ち」を「村瀬への嫌悪感」にすべてすり替え、怒ったように一人で足早に立ち去ってしまった。


その様子を、隣にいた佐久間はただ静かに見つめていた。


(ちょっとお節介が過ぎたかもしれないな)


だが、佐久間は自分がそうしなければならないと感じていた。

村瀬は村瀬で、日下のことを快く思っていないだろうし、自分の行動についていちいち日下に弁明するつもりもないだろう。


だが、もしこの二人のギスギスした関係がチーム全体に波及し、そのせいで迅真(藤田)が勝てなくなるようなことがあれば、それはキャッチャーである自分にとって最も避けたい事態だ。


(もし負けたら、俺がこいつらを憎むことになってしまうかもしれないからな)


「負けた時の責任を誰かに押し付けて、チームメイトを嫌いになる」という最悪の未来を回避するために。だからこそ、佐久間は自ら進んで、この厄介なチームメイトの人間関係に介入しているのだった。


2020年から導入された高校野球の投球数制限により、日本高野連は公式戦において高校生投手に「1週間で500球以内」という制限を設けた。これによって優秀な投手が学生時代に腕を消耗し尽くしてしまうのを防ぐのが主な目的であり、現代の多くの指導者もこの規定に基づいて投手の練習方法を調整している。


通常のブルペンでの投球練習は、フォームや球速、配球の調整を主として上限50球程度。実戦形式の打撃練習でようやく80球程度を投げるのが一般的だ。


しかし、片岡かたおか先生は村瀬むらせに対し、現在の最大の目標は球数制限ではなく、基礎体力の強化と投球感覚を取り戻すことだと言い渡した。そして、その感覚を取り戻すには、ひたすら投げて体を慣らす以外に道はない、と。


だが、白井しらい先生も村瀬の1日の投球数を100球までに制限し、全力投球は完全に禁止とした。「1日投げて1日休む」ペースを守らせ、村瀬の腕が再び過度に消耗しないよう配慮し、当然ながら高野連が定める「1週間で500球以内」という制限も厳守させた。


一方、練習の虫である藤田ふじたに対しては、白井先生は直接「2日休んで1日投げる」ペースを課し、捕手の佐久間さくまに藤田の投球数を直接管理させ、絶対に80球を超えないよう厳命した。さらに、藤田の遠投練習も完全に禁止とした。


南極なんきょく──ボール投げてくれ!」


その時、佐久間、藤田、村瀬の三人は、外で一年生の誰かが南極に向かってボールを投げるよう叫んでいるのを聞いた。そろそろ休憩の時間でもあり、三人がブルペンから出て様子を見ると、遠くで一人の部員が南極に向かって手を振っていた。どうやら今日の練習で使ったボールを回収しているらしく、手っ取り早く近くにあるボールを投げてくれと頼んでいるようだ。


「一年生は元気だな……」

村瀬があくびをしながら言った。


「南極にボールを投げろって言ってるの……田中たなかか?」

佐久間が遠くを見やりながら言った。


「よくあんな遠くから誰か分かるな。あそこ、もう外野の距離だぞ」

村瀬が感心する。


「キャッチャーの視力を舐めるなよ」

佐久間が答える。


「オーライ──!」


そして三人は、自分たちからそう遠くないホームベースのファウルラインの外側にいた南極が叫ぶのを見た。南極が力強く腕を振ってボールを大遠投すると、距離を見誤ったのか、ボールは田中を越えてさらに数歩後ろ、危うくグラウンドの外へ飛び出しそうなところまで飛んでいった。


「何やってんだよ! 南極」

田中の文句を言う声が響く。


「あああ! ごめん!」

南極は慌てて謝罪のポーズをとった。


二年生の三人はその光景を見て息を呑んだ。まさかホームベースからグラウンドを越えるような大遠投を見せられるとは思ってもみなかったのだ。


日本の高校で、専用の野球場を持っている学校は実はそれほど多くなく、全体の約三割程度だ。阪海工はんかいこうにはこの「潮風グラウンド」があるとはいえ、実際には正規の球場の広さではなく、中腹の空き地を利用して作られたものだ。厳密に言えば、実際の球場より少しだけ奥行きが長く、幅が少し狭い長方形の形をしている。


「さすがは148キロ近い球を投げる怪物ルーキーだな」

村瀬が感心して言った。


「ピッチャーより、外野手をやらせた方がよっぽどマシだろ」

佐久間は冷ややかな目で南極の投球を見ていた。どうやら、散々ボール球を投げさせられたことをまだ根に持っているようだ。


「あ、先輩たち、練習終わったんですか?」


その時、声を聞いて三人が振り返ると、小柄な友達ヨウダがバットケースのカートを押しながら歩いてきた。丸一ヶ月に及ぶ頻繁な筋力トレーニングの成果か、友達は以前より少しガタイが良くなったようで、特に上半身の腕の筋肉が目立っていた。


新しく坊主頭にしたばかりで、全体的に丸っこいフォルムの友達は、三人の先輩たちの目には瞬時に「子熊、タヌキ、アライグマ」といった小動物のイメージと重なった。平均身長180cmの野球部の中で、身長164cmの友達は確かにかなり小柄だ。


中西なかにしが友達を構いたがるわけだ」村瀬が言った。中西は可愛い小動物の画像を集めるのが大好きで、スマホの中は犬や猫の写真で溢れているのだ。


「友達、ガッチリしてきたな」


藤田先輩がそう言って友達の肩を掴むと、はっきりと隆起した筋肉の感触が伝わってきた。そのまま胸筋まで撫で下ろし、無意識に揉みながら言った。


「おお、いいじゃないか」


「マジで? 俺も触らせて」


藤田が友達の筋肉を触って褒めているのを見て、村瀬も突然触ってみたくなり、友達の胸筋を掴んだ。その筋肉の張りと柔らかさを感じ取ると、「おおっ」と奇声を上げ、藤田と同じように言った。


「本当だ、いい筋肉してる。弾力があるな」


「尻はどうだろうな?」村瀬が提案する。

「俺も気になってたんだ──」藤田も頷く。


二人は再び魔の手を友達の臀部の筋肉へと伸ばした。胸筋以上に、友達の臀部の筋肉は昔から厚みがあった。佐久間ですら、ユニフォームのパンツ越しに分かるそのはっきりとしたお尻の曲線を、ついじっと見てしまうほどだった。


「せ、先輩たち、もう触らないでくださいよ!」


あちこち触られまくって、友達は驚いて後ずさりした。ここでようやく、藤田たちは自分たちが少し羽目を外しすぎたことに気づいた。藤田は友達に謝った。


「すまん。たった一ヶ月くらいで、友達の筋肉がこんなに変わるなんて思わなくてな」


「白井先生も驚いてました。こんなに早く筋肉がつくなんて思わなかったって」友達が言う。


「台湾人だからかな? 筋肉のつき方は遺伝に関係するって本で読んだことがある」

藤田が考え込むように言ったが、改めて友達を見て首を傾げた。

「でも、台湾人と日本人で、筋肉のつき方なんてそんなに違うか?」


「もしかして、友達が『原住民げんじゅうみん』だからじゃないか?」村瀬が言う。

「げんじゅうみん? 何それ? 南極」村瀬は初めて聞く言葉だった。

「友達は『げんじゅうみん(台湾原住民族)』なんだよ」南極が説明する。

「それ、説明になってないだろ」佐久間がツッコミを入れた。


「休憩時間とはいえ、時間は限られてるぞ」


「あっ! すみません、高橋たかはし監督!」


背後から突然かけられた老監督の声に、雑談で盛り上がっていた男子部員たちは驚き、条件反射のように直立して頭を下げた。高橋元監督は彼らに労いのおにぎりを押し付けながら、笑って言った。


「腹ごしらえしなきゃ、力が出ないだろう」


「はい! ありがとうございます、監督!」

部員たちは慌てておにぎりを抱え、それぞれの休憩場所へと散っていった。


林友達リン・ヨウダ


高橋元監督が突然声をかけた。友達は振り返り、手にしたおにぎりを急いでズボンのポケットにねじ込むと、駆け寄った。


すると驚いたことに、高橋元監督も藤田ふじた先輩たちと同じように、友達の肩や腕を撫でたり押したりして筋肉を確かめ始め、最後に深く頷いて言った。


「本当に、随分とガッチリしたな……」


「あ、いえ、そんなことないです。先輩たちに比べたら全然……」


友達が謙遜すると、高橋元監督は遠くを見つめるような目をして語り出した。


「俺がまだ学生だった頃、当時の野球部の監督から『能高団のうこうだん』の話を聞いたことがあってな。その時監督が言った言葉を、今でもはっきりと覚えているんだ……」


「『高砂たかさご野球団の選手たちは、日本人に比べて筋肉がより発達しており、下半身も非常に安定していたため、当時の日本の学校(野球界)に大きな衝撃を与える存在でした』」


「林友達、君は故郷でその名前を聞いたことがあるか? 高砂野球団、という名を」

高橋元監督が尋ねた。


「……すみません、高橋監督。僕はそのことを知りません」

自分が知らない話題を振られ、友達は少し申し訳なさそうに慌てて答えた。


「そうか。呼び止めてすまなかったな。そんなに緊張しなくていい」


高橋元監督はそう言って友達の頭をポンと撫で、休むように促した。友達が野球部の集まっている休憩スペースへ向かって歩き出した、その数秒後のことだった。


遠くの方から田中廉太たなか れんたの声が響いた。

「ボールが一個足りない! 誰か見なかったかー?」


「廉太、先に戻って休め! ボールは後で探せばいい」

遠くから男性の声(おそらく先輩か白井先生だろう)が聞こえた。


その時、友達の目に、ブルペンの隅に転がっている土まみれの白いボールが飛び込んできた。彼はそれを拾い上げ、グラウンドの遠くにいる廉太に向かって大声で叫んだ。


「ボール、あったよー!」


そして友達は大きく一歩を踏み出し、体を弓のように反らせ、腕を大きくしならせてボールを放り投げた。


その動作は、速く、そして美しく流麗だった。


少し離れた場所にいた高橋元監督だけでなく、二年生の捕手である佐久間さくま、そして大きなおにぎりを頬張っていた南極なんきょくも、友達のその完璧な「大遠投」のフォームに目を奪われていた。


「おおっ!」

遠くにいた田中廉太は、自分の目掛けて真っ直ぐに飛んでくる白球を見てミットを構えた。ボールは少しのズレもなく、スパーンと音を立ててミットに収まった。廉太は手を上げ、ずっと探していたボールを的確に投げ返してくれた友達に感謝の合図を送った。


「先輩! 友達、すごいですよね!」

南極が自分のことのように鼻高々で自慢した。


「お前が投げたわけでもないのに、何でそんなに嬉しそうなんだよ」

佐久間が呆れたように言い、すかさず毒を吐いた。

「お前はピッチングがノーコンなだけじゃなく、遠投でも目標を見ずにデタラメに投げるもんな、南極」


「うぅ……すみません、もっと練習します」


(やっぱり、友達ヨウダは俺が最初に見た時と同じだ)

佐久間は内心でそう思いながら、隣で五個目のおにぎりを平らげている藤田に尋ねた。


「藤田、お前は友達がこの先、どうなる(どのポジションに就く)と思う?」


「どうって? 友達はピッチャー志望だろ。俺も、あいつがマウンドで投げる姿を見るのを楽しみにしているよ」

藤田は素直にそう答えた。


「そうか……」佐久間は意味ありげに呟いた。「俺とお前とじゃ、見えているモノが違うみたいだな」


『日本人がいなければ、彼ら「蕃人」が野球をすることは不可能だっただろう。高砂族の野球は確かに素晴らしかったが、日本人が去った後、彼らの野球は終焉を迎えたのだ』


高橋城之たかはし しろゆき元監督は、学生時代に恩師が放ったその言葉を鮮明に覚えていた。それは時代を反映した偏見に満ちた言葉だったが、当時まだ学生だった自分は、その言葉を疑うことなく信じ込んでいた。


「野球は日本人が台湾の高砂族に教えたものだ。だから、日本人がいなくなれば、台湾の原住民は野球において何者でもなくなる」と。


しかし、戦争が終わり日本が台湾から去った後も、台湾の人々は日本人と同じように野球を愛し、プレーし続けた。「高砂族」という日本側の呼称ではなく、「台湾原住民族」という誇り高きアイデンティティを持って。そして唯一変わらないのは、アミ族(阿美族)は昔も今も、アミ族のままだということだ。


プロであれアマチュアであれ、台湾の球児たちは常に手強いチャレンジャーとして日本の前に立ち塞がってきた。


(先生、やはりあなたは間違っていました。時代がどう変わろうとも、台湾人は今でも日本人と同じように、この土地で白球を追いかけていますよ……)


「ああっ! 俺のおにぎりが……」


ポケットからおにぎりを取り出した友達は、それが無残にペチャンコに潰れているのを発見して、ひどく落ち込んだ顔をした。


「先生ー! 友達がおにぎりを潰しましたー!」

「先生ー! 友達が食べ物で遊んでまーす!」


すかさず流星りゅうせいれんがチクリを入れる。


「遊んでないよ!」友達がムキになって反論する。


「子供みたいな真似はよせ。おにぎりはまだあるから、別のを取ってこい。友達、その潰れたやつも……残さず食えよ」

白井先生が呆れ顔で言った。


「はい……」

友達はこくりと頷き、ラップの中で原型を留めていないおにぎりを悲しそうに見つめた。


(……いや、やっぱりまだ少し、子供っぽいところがあるな)


友達と他の部員たちの微笑ましいやり取りを見ながら、高橋元監督は苦笑いを浮かべた。


グラウンドの隅で地面に座り込んだ栄郎えいろうは、手元の握り飯をじっと見つめていた。


手を洗ってすぐにおにぎりにかぶりつく他の部員たちとは違い、今の彼には全く食欲がなかった。正直なところ、満面の笑みでおにぎりを差し出してくれた高橋たかはし元監督の奥さん(京子さん)を前にして、「食べられません」とはどうしても言えず、ただ「ありがとうございます」と受け取るしかなかったのだ。


「そのおにぎり、頂戴」


「え? 柴門さいもん……」


髪を下ろした柴門玉里さいもん たまりが栄郎の前にしゃがみ込み、彼の手元にあるおにぎりを指差した。


「食べないなら、はっきりそう言うべきよ。受け取っておいて食べないなんて、もったいないじゃない。どうせなら私によこしなさいよ」


「食べたくないわけじゃないんだけど、本当にお腹が空いてなくて」


「結局、最後は残すんでしょ?」


柴門のド直球な指摘に、栄郎は反論できなかった。柴門は彼の手からおにぎりを奪い取ると、ラップを剥がして一口かじった。


栄郎は、柴門が黙々とおにぎりを平らげていくのを見つめながら呟いた。

「俺も柴門や他のみんなみたいに、もっと食欲があればいいんだけどな」


「何言ってんの。私だって別に食欲なんかないわよ。どうせあと数時間もすれば夕食なんだから」


「えっ?」

柴門の言葉に、栄郎は驚いた。てっきり彼(彼女)はお腹が空いているからおにぎりを欲しがったのだと思っていたからだ。


「じゃあ、なんで俺のおにぎりまで食べるんだ?」


「私だって、あの女の子たちの服を着こなすために体型は維持しなきゃいけないわ。でも、野球にはエネルギーが必要でしょ?」


柴門はもぐもぐと咀嚼しながら説明した。

「私たちの体は、これまでの日常的な消費カロリーに慣れきってて、これくらい食べれば『満腹』だって脳が錯覚してるのよ。でも、今みたいにどんどん運動量が増えているのに、昔の『満腹感』に縛られたままじゃ、体格も体力も成長しない……私はそう思ってるわ」


柴門の持論を聞いて、栄郎は少しハッとした。そんな風に考えたことは一度もなかった。


監督たちが休憩時間に食事と水分を補給させるのには、当然そういった理由があるのだ。確かに自分は「今食べたら夕飯が食べられなくなる」と考えていたが……。


(もし、ただ食べるだけで少しでも体力が向上するなら……)

(俺も、無理してでも食べる努力をしてみるべきなのか?)


「ごちそうさま」

柴門は栄郎のおにぎりを完食し、ペロリと舌をなめずった。そして何かを思い出したように言った。


「そうそう。正月の日本酒、うちの親が『良いお酒を紹介してくれてありがとう、とても美味しかった』って言ってたわよ」


「あ、いや、とんでもない! 俺のオススメを初めて試してくれた人が柴門の家族で、こっちこそすごく嬉しかったよ」


「……で? あんたも『味見』くらいはしたんじゃないの?」


「えっ、ええっ!? い、いやいや! 俺はまだ未成年だし、そんなこと絶対にしてないよ!」


「冗談よ」


柴門はそう言って少し身を屈め、栄郎の耳元に顔を近づけながら、背中に流した長い髪を再び一つに束ね始めた。そして、甘い吐息と共に囁いた。


「お酒は無理でも、次からはおにぎりくらい無理して食べなさいよ。少なくとも、お酒よりは飲み込みやすいはずだから」


「あ、はい。……え? 玉里たまり、今『お酒よりは飲み込みやすい』って……それどういう意味?」


「別に、深い意味なんてないわ」


栄郎はいつも、柴門玉里の言葉に振り回されてばかりだ。柴門は意味深な笑みを残し、くるりと背を向けて歩き去っていった。


少し離れた場所で、小林こばやしがおにぎりをかじりながら、小さな手帳に何かを熱心に書き込んでいた。柴門が近づいてくるのに気づき、顔を上げて言った。


「俺の気のせいか? それとも、最近お前の金井かないに対する態度が、昔より少し軟化してるのか?」


「そう? 私はそうは思わないけど。余計なお世話よ、小林」


柴門は冷たく返し、小林の視線がずっと南極と話している友達に向けられていることに気づいた。小林が何やらペンを走らせているのを見て、柴門は不快そうに眉をひそめた。


「あんたのその変態じみたストーカー趣味こそ、いつか林友達にバレないように気をつけなさいよ」


「お互い様だ。お前こそ余計なお世話だ」


小林はそう言い返し、手帳に新たな一文を書き加えた。


『友達は、梅干し入りよりも塩むすびの方を好んで食べる。』


そんな、奇妙で、全く重要ではない些細な情報を。


2月に入り、台湾は「旧正月(春節)」の時期を迎えていた。しかし、日本にいる友達ヨウダは、相変わらず毎日野球漬けの日々を送っていた。


阪海工はんかいこうは3月の「春のセンバツ(春季甲子園)」には出場しないが、監督たちは期末テストが終わった後の3月中旬、近隣の公立校野球部と合同合宿を行う予定を立てていた。高野連(日本高等学校野球連盟)が定める冬の対外試合禁止期間が明けるタイミングで、さっそく練習試合(オープン戦)を組むつもりなのだ。


いつも通り、野球と勉強に追われる忙しい一日を終え、友達はベッドにうつ伏せになっていた。床に寝転がってスマホをいじっている南極なんきょくを見下ろしていると、スマホ使用許可時間の残り数分というところで、台湾の友人からメッセージが届いた。


友達が台湾に帰ってこないことに腹を立てていたはずの馬耀マヨウたちだが、それでも彼らは地元の集落(部落)の写真に「あけましておめでとう」のスタンプを添えて送ってきてくれた。


あいつらはいつもそうだ。文句を言いながらも、ちゃんと新年の挨拶をしてくれて、自分たちが楽しんでいる写真を送りつけてくる。


友達も「あけましておめでとう」と返し、少し不本意ではあったが、日本での年越しを証明する一枚――姉に撮らされた着流し姿の写真――を添付して送信した。


「友達、今日は台湾のお正月なんだね」


下の床に寝転がっている南極が、なぜか台湾の旧正月について調べていた。彼のスマホの画面は、真っ赤に染まった台湾の正月の写真で埋め尽くされている。


(なんでそんなの調べてんだよ)と友達が尋ねようとした瞬間、南極が口を開いた。


「ゴン・シー・ファー・ツァイ(恭喜發財)」


あまりにも変なイントネーションだったので、友達は思わず吹き出してしまった。


「あはは! 誰に教わったんだよ、それ!」


「えっ? 違うの? ネットには『お金持ちになりますように』って意味のお祝いの言葉だって書いてあったけど。……ねえ、台湾には『野球が上手くなるように』っていう新年の挨拶はないの?」


南極はそう言いながら、スマホのAIにその質問を投げかけた。


(そんなのあるわけないだろ)

友達がそう思った矢先、南極が叫んだ。


「あった!」


「嘘だろ! 見せてみろよ」


友達はベッドから身を乗り出し、突然南極の顔のすぐ近くまで顔を寄せた。不意打ちの接近に南極は一瞬ドキッとしたが、友達の方から近づいてきてくれたことが嬉しくて、すぐにスマホの画面を友達の方へ向けた。


友達は、画面に表示された「台湾の野球に関する新年の挨拶」というAIの回答を見た。


そこにはこう書かれていた。


「タイワン・ション・ヨン(台湾尚勇)」

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