四話『本気のプロボーズ』
◆ノワール・ブランシュ・ハイラキア視点◆
――それから、数日が経った。
異世界の生活リズムに触れ、手配された教師による再教育も順調に進んでいる。
最も順調だったのは、礼儀作法と読み書き計算だ。
計算であれば元から問題なくこなせて、礼儀作法も現代日本で育っただけあって下地は申し分ない。この世界独自のものをおさらいするだけで事足りたのである。
読み書きについては、絵本を読んだ時に感じた〝引っかかり〟がいい働きをしてくれた。どうも、引き出せないだけである程度この身体に知識や経験が残っているようで、少し教わるだけでするすると書けるようになったのだ。
苦労したのは、この国の歴史や仕組み、現在の立ち位置など。こちらはあまり関係がないので省略するが、これからまた数日かけて教わる手筈になっている。
――そして、二日ほど最低限の読み書き計算を教わった、その直後のことである。
「ノワール、もう読み書きは問題ないってな? それならちょっと、俺んとこの書類手伝えよ」……と。
エルネスト兄上がそう言って、俺のスケジュールに干渉してきた。午前中を勉強に、午後を書類仕事の手伝いに、という具合である。
元々、エルネスト兄上の仕事を手伝う、という話は聞かされていたので、それについては文句はない。だがもうしばらくは勉強に集中できると思っていただけに、そこが少し不満だ。
それに、兄上の態度からはあからさまに「これでやっと苦手な書類仕事を丸投げできる奴が来てくれた!」という意思を感じるため、それもそれで腹立たしい。
拒否権がないので従うしかなく、そのため今日もこうして書類と格闘しているのだが。かれこれこの書類仕事も三日目で、密度がすごすぎるせいかだいぶ仕事に慣れ始めていた。
「――兄上、まとめといたのでこれ全部目を通しておいてください」
紙の山を一山、兄上の前に置いて。
「あとこの報告書を書いたのはどこの馬鹿ですか。呼び出して兄上から叱ってください。他の報告書にも不備が目立ちます。報告書の書き方に定型文を作るか、教育を徹底させてください。俺も手伝うので」
紙を一束、兄上の目の前に叩きつけて、続け様に文句を言って。
「それから以前から上がっている要望について、細い部分を相談したいんですけど、これは誰に話せばいいんです? 兄上の管轄じゃないですよね? 責任者は一応兄上なんで兄上から話してくださいよ?」
そしてもう一束、これは丁寧に兄上へ差し出す。
俺が矢継ぎ早に兄上へ告げた言葉に、返ってきた彼の返答は、
「………お前、ほんと優秀だなぁ」
いかにも「書類仕事したくない」と顔に書いてある、嫌そうな反応だった。口の上では褒め言葉を言っている分、遠回しな意思表示になっているというのもイラッとする。
「ありがとうございます。して、お返事は?」
「……わかった」
重苦しくではあるものの了承を聞けたので、俺は満足して兄上の前から去る。割り当てられた席に座りつつ、それでも残った書類に少しだけため息。
俺もさすがにうんざりしてきたので、気分転換を挟もうかとポツリと呟く。
「……そろそろ休憩にしますか」
「そうだな」
耳聡く兄上が同意してきて、それにもため息を吐きたくなりながらもなんとか堪える俺。我ながら、地味に苦労性な気がする。
――鈴を鳴らして使用人を呼び、二人分の紅茶を淹れるよう頼むと、俺はここ三日間の自身の仕事を振り返った。
エルネスト兄上の仕事の手伝いとは、簡単に言ってしまえば〝エルネスト兄上管轄の書類仕事全般〟であった。
なんでも、エルネスト兄上は軍事関連の要職を務めており、将来は将軍になれるであろう人物だそうで、今でもそれなりの権力があって部下も大勢いる。
言わば武官連中の幹部だ。そこに回ってくる書類とは、部下たちの治安維持の報告書や、どこそこに怪物が現れてそれを討伐したといった旨の報告書、備品の武器を新調したいという嘆願書や、果ては転属願いも。
それらに目を通して吟味し、然るべき対処を下す――言うのは簡単だが、部下の数が多いだけあってめっちゃくちゃ大変だった。武官が認めた文書だけあって、難解な代物も多い。
もっと人員を増やすとか、いっそそれ専門の部署でも作ってしまえばいいのにと言いたくなるような量である。これを今までエルネスト兄上だけで行ってきたとなると、彼の嫌そうな反応もわかろうというものだ。
「――どうぞ」
「うん、ありがとう。茶葉はなにを使ったのかな?」
「こちらはグレイミルの茶葉になります」
給仕をしてくれた俺の付き人、ローズの言葉を聞きながら、紅茶を一口飲んでみる。地球で言うところのアールグレイみたいなものなのだろうか。ハーブのような風味の紅茶だ。
実は苦手な味である。やんわり伝えて次から別のものにしてもらおう。この間飲んだ、ウェルシズとかいうのをミルクティーにしたものがお気に入りである。
「……うーん、少し苦手な味だな。次からはできれば別のものにしてもらえるかい?」
「はい、かしこまりました。よろしければ、今お飲みになられているものも淹れ直しましょうか?」
「いや、これはこのまま飲むよ。気遣いありがとう」
「……もったいなきお言葉」
へりくだるローズに苦笑することで会話を終了させ、紅茶に集中する。ハーブ系は苦手ではあるが、飲めないほどではない。嫌いは嫌いだが、たまにはいいだろう。俺の好みに合わないだけで、不味いわけではないのだから。
「…………」
そんなやり取りの横で、エルネスト兄上は無言で紅茶を飲みながら書類に目を落としていた。彼の方は慣れたもので、使用人との会話はしないらしい。
いや、書類仕事が文字通り山積みなせいで、紅茶と共に会話を楽しむ余裕さえないのだろうか。
……俺も仕事をしよう。
と、俺が気を取り直した時。
――コンコンコン、と、扉がノックされた。
「入れ」
ここはエルネスト兄上の執務室なため、彼が来客を招き入れる。いつの間にか書類も紅茶も置いていて、先ほどまで書類に嫌な顔をしていた人物とは思えない。
俺も倣ってカップをソーサーに置き、開かれる扉の方を見やる。この部屋に来客が来るのも珍しい。誰なのだろう。
――などと呑気に考えた俺は、来客の姿を見た瞬間に無様に固まることになった。
「――特務小隊隊長、ノエル・イノセンス。入室致します」
なにせ来客は、俺の想い人であったのだから。
「……来たか。そういえばそんな時間だったな」
一拍開けて、エルネスト兄上がそう口にした。固まっていた俺はその意味を理解し、驚きのまま勢いよく兄上の方を向く。
「来たか」と言うとは、つまり事前に約束していたのだろうか。なのに「そういえば」とか、忘れていたということか。
あれきりノエルと会えていない俺を差し置いて彼女との時間を確保したばかりか、それを軽視して忘れるなど、いくら上司かつ兄上と言えど許さない。
……と本気でそう思ったのは事実だが、直後に我に返って俺は冷静になった。ふつふつと嫉妬心が湧き上がるのを堪えながら、ノエルの目的は兄上なのだからと俺は気配を消すことに。
――したのだが、どうも俺の思ったものとは違ったらしい。
「――ノワール、俺は少し席を外す。ノエル・イノセンスとはお前が話せ」
「……はい?」
「お前たちも下がれ」
エルネスト兄上が、椅子から立ち上がりながらそう言ってきたのだ。俺が呆けるのも構わず、使用人に指示を出して勝手に下がらせようとする始末。
「い、いや、待ってください。なんの話ですか?」
慌てて引き止める俺に、エルネスト兄上はこともなげに言い放った。
「ノエル・イノセンスはお前に用があるんだよ」
「聞いてませんけど!?」
「そういう重要なことは事前に言っとけ」、「しかも忘れてたとかどういうことだ」と、そういった意図を込めて俺が抗議するも、エルネスト兄上は取り合ってくれなかった。
「そうだったな。……ここでなら、〝なんでも〟話していいからな」
意味不明な言葉を残し、エルネスト兄上は使用人の退室も待たず、さっさとノエルの横を通って部屋から去っていった。
使用人たちも地味に困惑気味である。エルネスト兄上、紅茶も飲みかけのまま出ていったのだ。……書類仕事もほっぽり出している。これが目的ではないだろうな。
……仕方がない。彼女たちには俺から指示を出そう。
「……兄上の紅茶はもう片付けてくれるかな? それと、彼女にも紅茶を淹れてくれ」
「は、はい。かしこまりました」
俺の一声で、ぎこちない動作ではあるが使用人たちが活動を再開した。そうなると、あとは放置されていた俺の想い人への対応のみである。
……まずは落ち着け。それから、無様な姿は見せないように。女性に対しての礼節と、敬意を忘れないように……。
「――レディ・ノエル、兄上の不手際で騒がしくしてしまって申し訳ない。大したもてなしもできず……」
――ノエルの方に向き直って、彼女の姿に言い様のない違和感を覚え、俺は言葉を途切れさせた。
なんだか、ノエルの姿がおかしい……ような。いや、初めて会った時のような鎧がないだけの、きちんとした騎士服を着ている、変なところなどなにもない普通の――否、かっこよくて可愛らしい美人さんなのだが。
……なんだろう、この形容し難い違和感は。なんとなく、ノエルの左肩と背後に、その違和感が集中しているような気がするのだが……?
「殿下? どうされました?」
「っ、し、失礼致しました。不躾でしたね」
「いえ、それは構いませんが……」
目を細め、ノエルの左肩の辺りを睨んでいる俺を不思議に思ったのだろう。ノエルが怪訝な顔をしながら聞いてきて、ハッとした俺は少し焦りながら取り繕った。
ノエルがまだ立ちっぱなしだったことにもそこで気がついて、執務室の来客用ソファを勧める。彼女が腰掛けると同時に、ローズたちによる給仕が行われた。
俺の方にも新しく紅茶を淹れてくれたようで、そちらには「ありがとう」と言っておく。
と、そこでエルネスト兄上が使用人を下げようとしていたことを思い出し、微かに逡巡してから、俺もそれに倣うことにした。
エルネスト兄上がどんな思惑で使用人を下げようとしたのかは知らないが、俺としては初めてのノエルとの一対一の対面だ。第三者はいない方がいい。
「君たちはもう下がってくれ。なにか用があれば呼ぶから」
「かしこまりました。失礼致します」
ローズたちは最後に一礼し、足音を立てずに素早く退室していった。気配の消し方や紅茶を淹れる時の物音などなど、メイドのスキルには時々驚かされる。
そういえば、俺が公爵となるに当たり、屋敷で雇う使用人や執事については自分で手配しないといけないのだった。伝手などないが、俺の付き人をやってくれているローズや彼女と親しい使用人など、引き抜けるのなら引き抜いてしまいたい。
――脇道に逸れた思考を振り払って、眼前のノエルに意識を集中する。
「それで、今日はどういったご用件で?」
◆ノエル・イノセンス視点◆
謎のプロボーズの翌日、私は問題のノワール殿下へと謁見を試みていた。
というのも、もちろん彼の行動が意味不明で問題だらけだったためである。精霊魔法使いとしての発言力の甲斐あってか、すぐに会えることにはなった。
――がしかし、なぜか第二王子のエルネスト殿下が出てきて、こう言ってきたのである。
「じき正式に広まることだが、お前には事前に言っておく。ノワールは大病を患って記憶喪失になった、ということになっている。今は会わせられないが、四日後に俺の執務室へ来い。そこでなら話をさせてやる」……と。
変な物言いしかなく、ノワール殿下の行動と同じく意味不明な言葉だったが、王子の意向に文句は言えない。苦々しい感情を飲み込んで、私はその通りにした。
――言われた通りの日にエルネスト殿下の執務室を訪ねると、ノワール殿下がいた。
が、なにやら向こうの段取りが不充分だったらしい。平民の騎士相手だからと言えばそうなのだろうが、些か不親切な対応である。
それを申し訳なく思っているらしいノワール殿下が謝罪をしてきたが、それはそれで王族の態度として不自然なのでそちらも気持ち悪い。
それに、私の左肩の辺りをなぜか睨んできた。なんなのだろう、以前会った時はそのようなことはなかったというのに。
「それで、今日はどういったご用件で?」
……まあいい。
給仕をしてくれた使用人を殿下が下げ、彼は本題を急かしてきた。こういった場面では雑談もしなくてはならないのだろうか、なんて変に気を回していたのだが、ノワール殿下は無駄話をしない方なのだろうか。
いや、それもどうでもいい。ここへ来た用件だったな。
今回ここへ来た目的は二つ。一つは、
「……先日の、飛竜討伐の場に殿下がお越しになられた件について」
「あぁ……その節は申し訳ありませんでした。軽率な行動だったと、反省しています」
「…………」
彼の問題行動を指摘して、形だけでも抗議しておく……だったのだけれど。
ティファニー曰く、「あのバカ王子ならぜったい自分の非とか認めませんよ! ぜったいです! あの手この手でこっちに責任被せてきます!」なのだが、普通に謝られてしまった。
やはり、ティファニーが言うような人柄ではない気がする。……猫を被っているのかどうかは、もう一つの目的の方で明らかにできるだろう。
「いえ、大事にはなりませんでしたから。……それで、一つお聞きしたいことがあるのですが」
「はい、なんでしょうか?」
一つ目の目的を片付け、続く二つ目。ノワール殿下の目を見据えて、頭の中で質問を確認する。
――どうして、私と結婚しようだなんて、思えたんですか?
「先日殿下からしていただいた……その、求婚の件なのですが」
「はい」
ノワール殿下は、私と目を合わせたまま逸らさない。動揺がなく、瞳に悪意も見当たらない。
――どうして、私の手を取れたんですか?
「……疑うわけではありません。殿下から求婚していただけるなんて、私の身には余るほどの栄誉です」
「……いえ、そんなことは」
私の言いたいことを察したのだろうか。殿下は声の調子を少し落とし、控えめに謙遜をした。
謙遜への謙遜は話が進まない、と、私は殿下の言葉を流して用件を告げてしまうことにする。
曰く――あなたは私を恐ろしく思ったはずだ、ならばなぜ、と。
「……ですが、その……」
頭の中の考えを、敬語に直して言葉にするのが難しい。どう言い直そうと失礼な言い方になってしまう。
言い淀む私を前に、それでも視線は逸らさずに待ってくれるノワール殿下。猫を被っているのかはわからないが、信用してもいいような気がしてくる。
……ああ、もう。どう言い直しても変わらないのなら、いっそ言ってしまえ。不敬罪で首を刎ねられたりはしないだろう。なにせ精霊魔法使いだ。
「……殿下は、私が、怖くは……ないの、ですか……?」
――言い切った瞬間、嫌な汗が吹き出した。
この質問が、私のトラウマに触れるもの故に。
殿下の答えを聞くのが、身を切るよりもなお、恐ろしいが故に。
……左肩から二の腕にかけて、そこに寄り添ってくれているフラムが、気遣うように身を寄せてきた。彼も私の気持ちを察したのだろう。
――ノワール殿下が、私から目を逸らさないまま口を開いた。
「……ノエルさん」
空気が、変わったような気がした。
……貴族特有の、小洒落た言い方で私のことを呼んではいなかっただろうか。たしか、「レディ・ノエル」とかなんとか。
「あなたのことは、怖くありませんよ」
――少し驚いたところに、信じられないことを言われたものだから。
私は、殿下の返答へ抱いていた恐ろしさまで、驚いて手放してしまった。
「ノエルさん、あなたはとても可憐で美しい女性です。俺が一目惚れと言ったのは嘘ではないんです。ですから、あなたのことは怖くありません」
続け様に言われ、私の混乱に油が注がれる。そんなわけはない、と、胸中に浮かんだ否定の言葉は力強かった。
「なっ……そ、そんなっ。……い、いえ、ええと」
無様に言葉を荒らげてしまう私。ノワール殿下は俯き、小声で「ああ、兄上の言っていたのはこういう……」と呟き、再び真剣な顔で私を見る。
「ノエルさん、きっと俺の言葉を信じられないのだと思います。ですのでまずは、俺を信じてもらえるように、俺のことをお話したいと思います」
「え、は……?」
話がガラリと変わる気配。数々の私の無礼になにも言わないノワール殿下が、更に無礼を積み重ねている私に、身の上話をしようと言う。
「俺は、対外的には〝記憶喪失〟という扱いになっているそうですが……」
と、ノワール殿下が初めに切り出して、思い当たることがすぐに浮かんだ。四日前、エルネスト殿下に言われた言葉である。
「記憶喪失ということになっている」、と。
「……実を言うと、魂だけ異世界から召喚された異世界人です」
――続いて告げられた言葉は、荒唐無稽なものだった。
「大病を患った第三王子が死に、そこに魂だけの俺が憑依しました。……なので、俺は異世界人なんです。この世界の人間がどれだけあなたを怖がろうとも、俺にはその恐怖心が理解できません」
……つまり、「異世界人だから精霊魔法使いでも怖くない」、と。
あまりにも荒唐無稽。真実であるとするよりも、嘘であるとした方が筋の通る話だ。口から出任せなのだと、そう結論づけることの方が簡単だ。
……だが、ティファニーの言う人柄と今の殿下が違う理由が、もしそれなのだとしたら。
嘘をつくにしたって、もう少しマシなものもあるのだし。
――なにより、それを告げるノワール殿下の瞳が、見惚れてしまうほどに真っ直ぐだったから。
彼が言った言葉は、紛れもない事実なのだろう、と。私は、根拠もなくそう思ってしまった。
「……その、俺とノエルさんの結婚に、政治的な理由があるのは確かです。でも、俺がノエルさんを好きになったのは本当で、政治的な理由があるというのは、俺にとっては〝都合がいい〟程度の話でですね……」
私が呆けて反応を返さないのに不安になったのか。ノワール殿下はアタフタと言葉を重ね、表情に焦りを浮かべた。
「ほ、本気で、ノエルさんが綺麗だと思ったんです。とても気高くて、美しい女性だと。そんな方と結婚できるのですから、それはもう嬉しかったと言いますか……ほ、ほんとですよ?」
あれこれと、ノワール殿下がどうして私を好きになったのか、どうして求婚したのかを、彼は語っていく。
「お、俺、ノエルさんが好きです。救世主とか、政治のことも、関係ありません。ノエルさんが好きなんです。今、こうしてあなたと話してみて、その想いも強くなりました」
……今更、ノワール殿下の一人称が、プロボーズの時は「私」だったのが今では「俺」であることに気がついた。
同時に、言葉遣いも小洒落たものでなく、彼本来のものであろう、敬意もなにもない素の口調に変わっていて。
そこまで気づいてから、ノワール殿下の顔が真っ赤になっていることにもようやく気がついた。
「で、ですのでノエルさん。俺と、結婚していただけないでしょうか?」
――ノワール殿下は、きちんと本音で話している。
疑いの余地なく、私はそれを信じることができた。これでもまだ猫を被っているのだとしたら、その演技力が見られたことの代価として私の身柄くらいあげてもいいと、そうも思えた。
――ならば私も、きちんと本音で、包み隠さず話そう。
「……えぇと、その、殿下。こういったことに経験がなくて、上手く言葉にできないのですが……」
たぶん、私もノワール殿下に負けず劣らずの赤面具合だろう。声も震えてしまって、口を開いた今でもなにを言っていいのか見当はついていない。
「い、いえ。むしろ経験がおありでしたらショックです。……あ、いや、そ、そうではなくてですね」
ノワール殿下も、羞恥心と緊張のあまり変なことを口走っていた。
なんとか、それに対しても返事をしていかなくては。
しかしなにを言えばいいのだろう。返事は「はい」だ、もちろん。いや、そもそも拒否権がない。だがしかしノワール殿下がこうして聞いてくれた以上、こちらも同等の誠意で答えなくては……。
……同等の誠意? ノワール殿下が語ってくれた言葉と、同じだけの重み……。
……それなら。
「……わ、私は、精霊魔法使いです。名だたる救世主の中でも、飛び抜けて強いのだと自負しています」
「は、はい。存じています」
「な、なので……今まで、出会ってきた人の中で、殿下のようなことを言う人は……いなかった、んです」
「……はい」
どうしても、私の声は沈んでしまう。これまで生きてきた18年間の、その痛みの記憶を語っているのだから。
ノワール殿下は、沈痛な声色でそれを受け止めた。……彼の表情を見る勇気は、今はない。私は俯いたまま、小さな声で続ける。
「……嬉しさは、もちろんあります。あるん、ですが……どうしても、怖い、んです」
「……はい」
――あなたは、私のことを怖がらないと言ってくれた。
実際、怖がってはいないようだ。
……けれど、そんな人間は今まで見たことがなかったから。
会う人全てが、私を恐れたから。
信じきることが、どうしてもできないのだ。
「……わた、わたしは……あなたの、ことを、信じても……いいん、ですか……?」
――あなたは私を怖がらないと、これから先も言い続けられるのだろうか。
依然、私は顔が上げられない。ノワール殿下の顔を見るのが、酷く怖いのだ。
――しかし、頭上から聞こえたノワール殿下の声は、とてもハッキリとした綺麗な声だった。
「もちろんです。好きな女性に信じてもらえないようでは、あなたを守ることもできませんから」
「ですから、信じてください」、と。
ノワール殿下は、澄み切った声で。自信を持った、力強い声で。
――私が思わず顔をはね上げてしまうほど、目の覚めるようなかっこいい声で、そう言ってくれた。
「……ぁ、の、ノワール殿下……」
「どうか、ノワールと呼び捨ててください、ノエルさん」
「ぇ、あ、そ、それは……」
なにかを言わないと、と焦る私を宥めるように、ノワール殿下はそう言う。さすがにそれは、と私が尻込みすると、ノワール殿下は苦笑した。
「ノエルさん、俺はあなたが好きです。今は信じてもらえなくても構いません。ですがこれから信じてもらえるよう――」
以前のプロボーズの時のように、ノワール殿下は私の手を取った。
ノワール殿下は自身の胸の前に私の手を引いていき、私の手を包み込むように両手で握りしめる。
……あたたかい。
「――ノエルさんにも俺を好きになってもらえるよう、頑張りますから。どうか、俺の隣でそれを見ていてください」
こんな熱烈な告白を受けて、拒否権のついでに経験もない私が、断れるはずなどなかったのだ。
「……は、はい……わ、わかりました……」
私がしどろもどろでなんとか返事をして、ノワール殿下が心底嬉しそうに微笑みながら受け取って――ここに、私たちの結婚が、正式に決まった。




