第18話 人の涙と神の決意――ザ・ゴールデン・アグスライン その3
「――さて、ネインよ。ここでよいのか?」
夜空をゆっくりと駆けてきた絶対神とフロリスが、山のふもとにある小さな集落の上空で足を止めた。眼下には深い森に接して建ち並ぶ木製の家が数軒と、いくつかの家畜小屋しか見当たらない。今はどの家にも灯りはなく、完全に静まり返っている。
「はい。あそこはぜんぶフォブズさんの土地で、みんなチェルシーの親戚なんです。一番端の大きな家がロバートさんの家で、そこから抜け出してきたんです」
「そうか。では、その家の前に降ろしてやろう」
「ありがとうございます――あっ!」
「うん?」
不意にネインが声を上げたので絶対神は首をかしげた。
「どうしたネイン」
「あ……あの、その……ベリスマンさまは絶対神さまなんですよね……?」
「うむ」
「それじゃあ、その……この世でできないことはないんですよね……?」
「まあ、そうだな」
「それじゃあ、あの……」
ネインはおそるおそるロバートの家の方を指さした。絶対神がその小さな指の先に目を向けると、そこは広い庭だった。ネインは庭の中央を指さしながら言葉を続ける。
「父さんと母さんを生き返らせることって……できないでしょうか?」
「なるほど。そういうことか」
絶対神は自分の腕の中ですがるような目をしている少年をまっすぐ見つめて口を開く。
「ネインよ。死んだ人間の魂は肉体を抜けて、セスタリアの空を流れるソルラインに導かれる。ソルラインとは無限の数の魂が寄り集まってできた光の川だ。見たところお主の父と母の魂はもう肉体を離れておる。おそらくソルラインに合流し、今頃は安らぎを得ているはずだ」
「それじゃあやっぱり、生き返らせることはできないんですね……」
「ネインよ。我はお主に正直に話そう。絶対神である我ならば、無限の魂の集合体であるソルラインの中からお主の父と母の魂を見つけ出し、元の肉体に戻して生き返らせることは可能なのだ」
「ほっ、ほんとっ!? だったらおねがいしますっ! 父さんと母さんを生き返らせてくださいっ!」
ネインはとたんに目を輝かせ、絶対神の腕をつかんでお願いした。しかし絶対神はネインを見つめ、首を小さく横に振る。
「我はたしかにお主の父と母を生き返らせることはできる。しかし、お主の願いを叶えることはできぬ」
「……え?」
ネインはその言葉に呆然とした。
「ど、どうして……? 生き返らせることはできるんですよね……? なのに、どうして……?」
「ネインよ、よく聞くがよい」
絶対神は穏やかな声で言い聞かせる。
「お主の父と母、ザッハとジュリアの魂は既にソルラインの一部となった。彼らの魂は悲しみと苦しみから解放されてセスタリアの空をゆっくりと巡り、その魂に刻まれた罪を長い年月をかけて浄化する。そしていつか再び命を得て、お主が生きる世界に戻ってくる――。それが命と魂の在り方なのだ。そしてその生と死の円環から外れた魂は業が深まる。ゆえに、お主の願いを叶えることはできないのだ」
「え? わ、わかんない。ベリスマンさまは生き返らせることができるんでしょ? だったらおねがい! とうさんとかあさんを生き返らせて! おねがいしますっ! ボク、なんでもいうこと聞きますからっ! おねがいだから生き返らせてっ!」
ネインは黄金色のローブを握りしめてすがりついた。声を上げてお願いした。心の底からお願いした。しかし――絶対神はネインを見つめ、その首を横に振った。
「どうして……? どうしてできるのにしてくれないの……?」
ネインの目からは再び涙があふれていた。黄金色の瞳の神に、ネインは震える小さな手ですがりついたまま泣いていた。どうしてなのかわからなかった。理解ができなかった。今の幼いネインには、絶対神の深い優しさにまで思いを至らせることができなかった――。
「おねがいだから……ボク、なんでもしますから……なんでもいうことききますから……おねがいします……とうさんとかあさんを生き返らせてぇ……」
それは悲痛な声だった。魂の叫びだった。家族を失った少年の、心からの願いだった。
しかし絶対神はその願いを叶えなかった。その代わりに万能の神は、腕の中で震えて泣く小さな背中を抱き寄せる。そしてその震える背中を優しくなでながら、言葉をかける。
「――すまぬな、ネインよ。お主の願いを叶えない愚かな我を恨むがいい。そしてその悲しみを魂に刻み、全身全霊で己の生をまっとうするのだ」
月明かりの星空の下、ネインは至高の神の腕の中で、愛する父と母との別れを心に刻みながら泣き続けた――。
「――ネインを寝台に寝かせてまいりました」
泣いて疲れ果てて眠りに落ちたネインを、ロバートの家のベッドに運んだフロリスが戻ってきた。夜空で腕を組んだまま待っていた絶対神は、明るい月を見上げながら口を開く。
「絶対戦線の候補者は選抜できたか?」
「はい。つい先ほどホローズより連絡が入りました」
フロリスは軽く乱れたロゼ色の長い髪を素早く整え、言葉を続ける。
「アグス様のご指示どおり、候補者は九つの大陸に一名ずつ、全部で九名を選抜致しました。中央大陸アンリブルンはネイン・スラートに決まりましたので、ホローズが選んだ候補者は控えに回しました」
「うむ。他の者は?」
「はい。北方大陸ハイバインは帝国の王子。地下大陸コアリスは獣人国の王女。神聖大陸ベイリアは大賢者。南方大陸ザイーズは二つ星魔女。空中大陸ソラミスは魔人。東方大陸ヒロンは七星女神。北西大陸ジブルーンは九大魔王。そして海央大陸シーブリンは静定五竜を選抜しております」
「ふむ。人間が5名に魔人が1名。あとは女神と悪魔と界竜か。バランスは取れているが、ザイーズは天位審判官ではなく魔女を選んだか」
「はい。セラサリナ・シンシイルはシャルムの地に固執しておりますので、絶対戦線の任務には適していないとホローズが判断しました」
「なるほど。たしかにあれには別の役目が向いておるな」
「……ですがアグス様。本当によろしかったのでしょうか」
「何のことだ?」
不意に疑問の声を漏らしたフロリスに絶対神が顔を向ける。フロリスは眼下の木の家を一瞬だけ見下ろしてから言葉を続ける。
「ホローズが選抜した者はすべて、絶対戦線の任務に耐えうる力を所持しております。王子と王女はまだ幼い子どもではありますが、天性の才能に加え国家権力と財力があります。大賢者と魔女には他を圧倒する知識と魔力、魔人には超古代の魔法技術、あとの三名に至っては我ら五熾天使に匹敵する能力をもっております。ですが――」
「ネインには何もないと言いたいわけだな」
「……はい」
フロリスはわずかに顔を曇らせながらさらに言う。
「おそれながら、ネイン・スラートには才能がありません。母方のロックバードの血を色濃く受け継いだのは妹の方であり、ネイン自身はごく普通の子どもです。どれだけ鍛えたところで戦闘力も魔法力も人並みが限界です。そのうえ後ろ盾となる存在もないとなれば、異世界種に対する戦力として計算するのは難しいかと思います」
「うむ。フロリスよ。それはたしかにお主の言うとおりだ」
「では――」
フロリスが口を開いたとたん、絶対神は手のひらを向けて遮った。
「しかしなフロリス。考えてもみよ。なにゆえ異世界種どもはネインの妹のナナルをさらったと思う。しかもたださらうだけではない。奴らはナナルの父と母を殺し、ネインも始末したつもりでいる。そしてイグラシアの記録を二重に改ざんし、さらにその直後にはカオスゲートまで発動したのだ。この一連の行動に、いったいどういう意味が隠されているかわかるか?」
その絶対神の問いかけに、フロリスは何も答えられなかった。
「よいのだフロリス。我にも確たる答えはまだわからぬ。ただし、異世界種にとってナナルの存在は非常に重要だということは間違いない。ならば、そのナナルを取り戻すために、自分の命を投げ打つことのできる者は誰だ? 愛する父と母を無残に殺され、涙を流しながら妹を探し出すと誓った者は誰だ? この絶対神たる我に向かって、異世界種どもを一人残らず打ち倒すと自ら誓った者は誰だ?」
絶対神は黄金色の瞳を星空に向けてゆっくりと言葉を続ける。
「よいかフロリス。人間は弱い。その中でもネインは最も弱い存在と言っても過言ではない。なぜならば、ネインには何もないからだ。地位もない。権力もない。財もない。才能もない。そしてもう、己を守ってくれる親もいない――。生まれてからわずか8年の子どもが、この先たった一人で生きていくのは非常に難しいだろう。しかし――人間は成長する存在なのだ。そしてその成長は意志の強さによって大きく変化する。――見よ、フロリス。この広大な宇宙を」
絶対神は星の世界に向かって手を掲げた。
「我は第3世代の人類をこの星から追放して以降、人類との接触を断った。あれからどれだけの年月が流れたかお主ならわかるであろう。その膨大な時間の中で、この我と巡り合った人間など一人もおらぬ。――よいか、フロリス。この広大な宇宙の中で、無限に近い数の生と死が繰り返された世界の中で、我と巡り合った人間はただの一人もおらぬのだ。しかし今日、その無限に続く時の果てで、ついに我を見つけた人間が現れたのだ」
絶対神は天に掲げた手を地に向けた。そしてネインが眠る木の家を見下ろしながらさらに言う。
「ネインは今夜、運命の決断を下した。それは我との契約ではない。母の温もりを思い出すために家を飛び出した決断だ。力のないか弱い子どもが、たった一人で暗い夜の森を抜け、体中に傷を作りながら、足を引きずって山道を登り、涙をこらえながら家族が亡くなった場所に向かったのだ。そしてその決意が、その決断が、その意志の強さが、我と巡り合うという運命を引き寄せたのだ――」
絶対神はゆっくりと顔を上げて、フロリスをまっすぐ見つめる。
「フロリスよ。本質を見極めるのだ。地位や権力や財などはどうでもよい。才能ですら必要ではない。大事なのは意志である。ネインは自らの意志で道を切り拓き、この我を見つけたのだ。これはもはや偶然などではない。必然であり、運命なのだ。そして我の魂の一部を手に入れたネインは、この世界の命運を握る鍵となったのだ。――そう。我にはわかる。ネインは誰よりも強く成長するであろう。そして必ずや、我らの世界を守る盾となる――。フロリスよ。今の我の言葉、しかと覚えておくがいい」
「はい――」
フロリスは宙に浮いたままひざまずき、首を垂れた。
「絶対の神たる御身の御言葉、この胸にしかと刻みつけました」
「うむ」
絶対神は黄金色のローブをひるがえし、再び夜空に顔を向けた。そして怒りで燃える黄金色の瞳で天空の星々をにらみつけ、絶対の決意を固める――。
「――さて。愚かな異世界の者どもよ。我らの世界に土足で踏み込んで来たその罪、絶対に許しはせぬ。どれだけ時間がかかろうと一匹残らずあぶり出し、確実に滅ぼしてやる。我と我らの世界の逆襲は、今この瞬間から始まるのだ――」




