3 困惑
壁に掛けられた蠟燭が頼りなく照らす廊下で、加賀美宗は途方に暮れていた。
どこまでも続く石造りの通路はどこを切り取っても同じように見え、ただっぴろい王城の中で自分が今どこにいるかも分からない。おまけに光源は窓から差し込む頼りない月明かりだけ。
端的に言えば迷子になっていた。
そもそも彼が深夜に部屋を抜け出したのには理由がある。
自らの惨めさを突き付けられ、部屋で一人泣きつかれていた。ベッドが思いのほかふかふかだったのが良くなかったのかもしれない。風呂にも入らないままいつの間にか深い眠りについていた。
こんこんとドアがノックされた音が脳を揺らし、目が覚める。こんな時間に誰だろうと疑問に思うも、自分の部屋を訪ねて来るのは恋歌かいとこのゆあんだろうと結論付けた。恋歌は言うに及ばず、ゆあんもたまに家に遊びに来ては一緒に寝ていた。もしかしたら、ちゃんと一人で眠れているか確認しに来たのかもしれない。未だ暗闇が支配する部屋を慎重に移動し、金属の取っ手に手をかけ扉を開けた。
「こんばんは、加賀美君。きちゃった」
そこにいたのは、クラスメイトの女子だった。なんだか緊張した様子で立っている。
顔は知ってる、教室で見たことあるから。でも名前までは知らない。同じクラスメイトなのに申し訳ない気持ちになる。
それにしても、こんな時間に何の用だろうか?宗が首を傾げると彼女は意を決したように口を開く。
「私が守ってあげる!だから、一緒に寝よ?」
一緒に寝る?なんで自分なんかと?守る?なにから?
目の前の女子の言葉は同じ日本語のはずなのに、一言一句に疑問符が付きまとう奇妙な文言だ。その真意を測りかねていると、さらに言葉を畳みかけられる。
「だって加賀美君、あんなよわっちい魔法しかもってないじゃん。この世界には危ない生き物がいっぱいいるのに一人になんてできないよ!」
憐み、同情。そうか、彼女は僕の事をそんなふうに思ってたんだ。
断りの返事の代わりに、部屋を飛び出して闇雲に走り出した。彼女は何か言っていたような気がしたが、聞こえないふりをする。今はただ、彼女から離れたかった。
結果、迷子になった。元来方向音痴な上、王城なだけあって途方もなく広い。自分の部屋に帰ることは砂の中から一粒の宝石を探すように思えた。
いつもなら道に迷った時、恋歌が腕を引っ張ってくれたりゆあんが笑いながら見つけ出してくれていた。でも、今は二人に頼れない。きっと各々の部屋で眠りについてるだろう。
心細さを覚えながらも、どことも分からぬ目的地に向かって足を進める。せめて誰かが起きていれば・・・と淡い期待を持つも光が漏れる部屋は見当たらない。
カーペットは柔らかいのかな、などと通路で眠る決意を固めた時、彼はそれを見つけた。
否、彼は見つけられた。
身体のラインがくっきり出る程薄いネグリジェを纏い、月明かりを優しく包み込むように青白く輝く髪。天女の如き少女は、コバルトブルーの瞳を大きく見開きながらバルコニーを下る。
一歩一歩、熱に浮かれたように覚束ない足取りで宗に向かって進む。互いの顔がはっきりと認識できるまでになった時、宗は思わず息を呑んだ。宵闇ですら彼女の美貌を翳すことは叶わず、むしろ影の深まりによって少女の持つ妖艶さが増したようにすら感じた。日ごろから美少女に囲まれているとはいえ、慣れないものは慣れない。ましてや目の前の少女は西洋風の美を纏っている。道案内してもらおうだとか、そんな考えは吹き飛んでしまい、ただ流れに身を委ねるのみであった。
少女は輝く瞳で暫く宗を見つめていた。さながら永遠の様に感じられたが、それは唐突に終わりを告げる。
「・・・欲しい」
少女の部屋は、意外にも質素だった。宗に宛がわれた部屋とは大きさから家具の配置まで一致しており、とても優雅な王族の部屋だとは思えない。強いて言えば、全身を写せるほどの鏡が立てかけられていること、そして窓際に花が飾られていることが辛うじて少女としての矜持のようなものを感じられる。
などと部屋の観察をしている間に、少女によって強引にベッドに座らされた。蠟燭の灯りに照らされた少女の横顔には喜色がありありと示されている。
「まずは、自己紹介をしましょう」
目の前の少女の事であれば昼間に彼女自身から紹介されている。アルメスト・フェリーヌ。アルメスト国の第一王女で、現国王の一人娘。本来なら二人きりになることすら許されない天上の存在。・・・これ、国の然るべき人にばれたらまずいのでは?と内心で不安の種がすくすくと育っていると、目の前の少女は無邪気な笑みを浮かべて続ける。
「私の名前はフェリーヌ。17歳です」
そうなんだ。
「好きなものは読書とお茶です。ですが、最近はお茶を共にする方がいなくてどうにも張り合いが・・・」
へえ。
「結婚願望はあります」
なぜ急にそれを?
「宗様には理想の家族像はありますか?ああ、そちらの世界とこちらでは少々価値観に違いがあるかもしれませんね。ですが、例え地獄の悪魔だろうが子を慈しむ親の心を持っています。子供を授かって喜ばない親はいないでしょう。私は・・・やはり同性の姉妹がいないのでやはりそれに少し憧れというか、未練というか、もしいたらどうなっていたのかなって想像することはあります。その意味で、私達が子を成すとするなら最低4人は欲しいですね。子だくさんの方が家庭もにぎわって楽しいに決まってますから。宗様には兄弟は・・・いらっしゃらないのですね。ああ、当然ですが旦那様との時間も忘れませんよ。子供が出来るまでは毎日ハグをして、愛を囁きあって、つまらない事でも笑いあって、そんな日々を過ごしましょう。ええ、きっと私達ならそうできますわ。時に宗様には好きな食べ物は御座いますか?・・・ハンバーグ、いいですね!私もハンバーグは大好きですわ。近頃は領地の縮小によって入手できる肉の種類は少なくなってしまいましたが、それでも宗様のお口に合うようにシェフに作らせましょう。ああ、でも私も作れるようにならなければ。だって、旦那様の胃袋を管理するのは妻であるワタクシの役目ですもの。時に」
・・・なぜ、一国の王女がこのような与太話をするのか。宗には意味が分からなかった。ましてや自分は魔法の才能がない無能で、なにもできない無能だ。皆、そんな僕を憐れんでるんだ。だからこそ励まそうとわざわざ話してくれてるんだ。
艶やかな唇から紡がれる熱のこもった言葉の数々は、宗の冷えた心の上っ面を滑り落ちていった。そしてそのうち眠くなったのでベッドに横になった。
朝。柔らかく、温かい枕だ。心地よい微睡に誘うそれに、宗は手を伸ばした。
「おはようございます。起きられたのですね、宗様」
頭上から降り注ぐビオラのような声はモーニングコールにはぴったりで、無意識のうちに上体を起こす。
目をこすり、欠伸を一つ挟んでから目を開ける。モザイク状の色彩は段々と輪郭を帯びていき、やがてそれは人型となる。そこに来て宗は、王女の部屋で一夜を明かしてしまったことに気が付いた。
「ふふ、寝顔も大変魅力的でしたよ」
などと宣う王女様を押しのけ、自分の部屋に帰るべくベッドを飛び出す。こんなとこに居るのがばれたら怒られるかもしれない。それに、自分のことを起こしに来るであろう恋歌に心配を掛けたくはなかった。ドアを開けようと手を伸ばしたその時、
「お待ちください。今後の事について話し合いましょう」
白くたおやかな掌で掴まれ、またしても強引に椅子に座らされてしまう。王女はいつの間に用意したのか、ティーカップで唇を湿らせる。
「宗様には私の伴侶になっていただきます」
もしかしてこの世界って相手の了承なしに結婚できちゃうのかな。
「恐らくお父様は反対するでしょうし、宗様に纏わりつく虫けらもいい顔はしないでしょう」
恋歌たちを虫けらよばわりするなんて、酷い人だ。初めに王女を見た時は、国の為を思って働く立派な少女という印象だったのに、今では訳の分からないことを言いながら幼馴染を罵倒する危険人物だ。なんとか隙をみて逃げないと・・・。
「ですので、今日の朝食の席で発表しちゃいましょう。大丈夫、その場で誓いのキスをすれば皆さん分かってくれます。宗様もそう思うでしょう」
そんなわけない。君の言ってることは滅茶苦茶だ。
「そうでしょうとも。であれば早速・・・と言いたいところですが、婚約発表をするにはそれに相応しい恰好をしなければなりませんね。私は部屋にドレスがあるのでいいのですが、宗様に着せるものが・・・、いや、いっそのこと宗さまにもドレスを着てもらいましょう!背丈は私と同じくらいですし、きっと似合いますよ」
トイレ行きたい。
「トイレでしたらこの部屋をでて突き当りに・・・、案内して差し上げます。さあ、共に参りましょう」
そして、宗は見られてしまった。王女と共に部屋を出る瞬間を。
恋歌に、叶に、メイドたちに。このあとどうなるんだろうと、半ば他人事のように天を仰いだ。




