79、封じれらし呪い
背筋を這う威圧感に、思わず唾を飲み込んでしまいました。
慌てて腰の短剣に手を当て、気配察知で威圧感の主を探します。
『●●●!』
『●●●●!?』
遊んでいた精人達もこの尋常でない気配に気がついたのか、途端に騒ぎ出す。
視線をエシュネトさまへと移せば、その表情は焦りで歪んでいました。
やはり只事ではないと察し、どう行動すればいいか必死に考えます。
「なんですか、これは……?」
「おそらく、この地に封印された魔物が蘇ろうとしておる。……ああ、やはりアレは引き金であったか……!」
憎々しげに奥歯を噛み締めていたエシュネトさまは、顔を上げて威圧感の発生源を睨みつける。
身の毛もよだつほどの気配ーー多分、魔気なのでしょうがーーに、覚えがあるようです。
封印された魔物……。
それは、精霊であるエシュネトさまがこんな森にいることと関係があるのでしょうか。
「あまりに時期が悪い……しかし、余が食い止めねばならぬ。すまぬが、少しここを離れるぞ」
「わたしも行きます!」
即座にそう言ったわたしに、エシュネトさまは一瞬驚いたもののすぐに首を振ります。
「いや、アレは普通の人間が太刀打ちできるような相手ではない。どれほどの力を取り戻しているのかはわからぬが……この気配からして並の魔物など足元にも及ばぬ。ここで待っていろ」
「いいえ、もしエシュネトさまが負けてしまうようなことがあれば、この子達が危ないです。危険とわかっていて、放っておけません」
確かにこの魔気は恐ろしいです。
今も足がすくんでしまいそうなほどに恐怖を感じています。
でも、だからこそ、立ち向かわなければいけません。
「っ! ……いや、それでも許可できぬ。これは余の問題だ。そなたが身を危険にさらすことはない」
「ここで躊躇えば、きっと後悔します。ご主人さまも、同じことをするハズです」
わたしはわたしの思った通りに生きると、そうご主人さまに誓いました。
だからわたしは、迷うことはしません。
ここぞというときに一歩踏み出せないようでは、トーヤ・アシハラのパートナーを名乗れませんから。
たとえどんな恐ろしい敵でも、守りたいものがあるならば勇気を奮い立たせることがわたしの望む、憧れる生き方です。
この信条だけは、誰にも譲れません。
わたしはそうなったんです。
「行かせてください。お願いします」
じっとわたしの目を見るエシュネトさま。
わたしも決して逸らさずに見返し、数秒の時が流れます。
「……敵は広範囲の攻撃を得意とする。余が庇いきれぬかもしれぬ」
「大丈夫です。自分の身は自分で守ります」
日々の訓練は欠かしていませんし、街道付近の魔物を倒して順調にレベルも上がっています。
それに一応切り札と呼べるものもありますし、そうそう簡単にやられるつもりはありません。
「そうか。その言葉、信じるぞ」
「はい!」
「……黒狼の獣人族、そしてその目。やはりあやつに似ておるのう」
最後の呟きの意味はわかりませんでしたが、どうやら連れていってくれるようです。
わたしが喜びをあらわにすると、エシュネトさまは散らばっている精人達に目を向ける。
そして大声で呼びかけました。
「我が子らよ! 余はこれより巨悪を滅ぼしに向かう! 祝福の聖歌を!」
すると全員が動きを止め、エシュネトさまに注目しました。
『●●!!』
『●●●●!』
どうやらやる気を奮起させたらしい精人達はやがて一箇所に集まります。
何をする気なのでしょう。
エシュネトさまの言った、聖歌というものなんでしょうか。
興味を持ったわたしの耳に精人達の声が届く。
『『●●~~~♪』』
風の吹き抜ける一面の草原を思わせる、透き通った歌声が響き渡る。
優しく緩やかな旋律が耳を撫で、神聖さに全身が支配されたような錯覚に陥ってしまいました。
綺麗。美しい。
称賛の言葉がひたすら浮かび、わたしはただ呆然としてしまいます。
今もまだ強烈な魔気が発せられているというのに、わたしはその歌に聴き入ってしまいました。
「こ、これは……」
聖歌が終わり、ようやく声を搾り出すと同情に、違和感に気づきます。
といっても、体に不調を来すなどといったものではありません。
これはむしろその逆。
全身から力がみなぎってくるように感じます。
「余の生み出した精人は、歌魔法というスキルを身につけることができる。魔力を乗せた歌によって対象を強化することもできるゆえ、ここでかけさせてもらった」
なるほど、納得しました。
ステータスで言うと、五割増しくらいでしょうか。
改めてみると、とんでもない強化です。
「さて、もう時間がない。奴もしびれを切らしたようだからのう」
足音を立てて一歩一歩近づくかのように、気配は強くなっています。
本当にこれに太刀打ちできるんでしょうか。
不安が募りますが、首を振って拳を握りしめます。
大丈夫。きっとなんとかなります。大丈夫。
自分に言い聞かせると、深呼吸するだけの余裕は取り戻せました。
「最後に聞くが、本当について来るのだな?」
「はい。ここで逃げ出すことは絶対にできません」
「そうか……。そなたのような高潔な魂を持つ者が、増えるとよいのう」
エシュネトさまは嬉しそうに微笑む。
そして手をわたしの前に差し出します。
「行くぞ」
エシュネトさまが差し出した手に触れると、景色が切り替わる。
転移を使ったのでしょうが……わたしがそのことを推測する前に、眼前の光景に絶句しました。
黒く染まる木々……いや、視界全体が闇に支配されていました。
草花も、空気も、木の葉のひとつひとつまで。
夜よりもずっと暗い、闇と同化しているかのように黒く塗り潰されています。
そして、その中心にいるのは……魔物、なのでしょうか?
周囲の闇に紛れているせいで目を凝らさなければ判別できませんが、巨大な何かがうごめいているのが分かります。
家屋をゆうに超える大きさを持つ『それ』は、ゆっくりと、本当にゆっくりと前進しています。
輪郭がぼやけて、細部まではっきりとは見えませんが……なにか、ひどく冒涜的なものを感じます。
その姿を目にするだけで、魂を逆撫でされるように錯覚し、嫌悪感が湧き上がります。
わたしの深い部分にあるものが、『それ』の存在を受け付けず、問答無用で拒否しようとするほどの、根源的な嫌悪。
周囲の闇で視界が充分に確保できない今でなければ、すぐにでも斬りかかりたいくらいです。
いや……闇が濃いからといって、敵の位置を確認できないわけではありません。
なら、このまま一気に終わらせて…………。
「──いかん! 飲まれるでない!」
エシュネトさまがわたしの右腕を掴んで引き止めます。
「邪魔……しないでください……!」
「くっ、失敗だったか。近づきすぎたようだのう」
「離してください……!」
鬱陶しい。
なぜ止めるんですか。
エシュネトさまが危険だって言うから、こうして倒そうとしているのに……!
抵抗するわたしに構わず、エシュネトさまの魔法が発動されます。
「森よ、かの者に光を」
そして、光が身を包んだと気づくと同時に、ドロドロとした気持ちの悪い感覚が薄れていくのを感じます。
「…………え? わ、わたし……」
「気をつけろ。奴は強力な呪いの力を持っている。近づくだけでも影響されてしまうのだ。今は解呪できたが、次は保障できぬ」
「す、すみません! その、呪いってどういう……」
敵前で話していますが、相手はまだこちらに気がついていないのか、なにかしてくる気配はありません。
それを確認して、エシュネトさまは続けます。
「奴の呪いにかかった者は、自然と奴自身に襲い掛かるよう精神を狂わせる。そうして近くに飛び込んできたところを、奴は喰らうのだ。安易に動いてはならぬ」
忠告を聞いて、わたしは忸怩たる思いに駆られます。
あれだけ勇気だなんだと豪語しておきながら、こんなに呆気なく敵の罠に嵌まってしまうなんて。
これでは何もできない……どころか、ただの足手まといです。
そうです、きっと思い上がっていたんです。
ご主人さまに鍛えてもらって、確かにわたしは強くなったでしょう。
それは間違いありません。
けれど、それだけです。
ご主人さまみたいな圧倒的な強さなんて、手に入れられるわけがなかったんです。
わたしは近くにご主人さまがいることで、安心感を自分の力と勘違いして。
あたかも自分が強くなったかのように思っていた。
そんなわたしが、今ここにいる意味はあるんでしょうか。
一番いいのは、すぐさまここを離れることでしょう。
しかし、それができるとは限りません。
これだけの威圧感を放つ相手がそう簡単に逃走を許してくれることはないと、直感が言っていますし、それに足がすくんでうまく動けません。
ああ、本当に。
どうすればいいんですか。
どうすれば。
「……そなたはそこに隠れておれ。呪いの範囲を見誤り、迂闊に近づいた余の責任だ。奴は……ノーデンスは、余が必ず討つ」
エシュネトさまは魔物の方へと向かっていく。
少しずつ近づいてくる魔物と距離が詰められていき、焦燥は加速します。
巨大で、未だ全体像の見えない魔物と比べて、エシュネトさまの背中はひどく小さく感じました。
「森よ、地の祝福を」
そう唱えたエシュネトさまの足元から、地面に亀裂が入る。
亀裂は広がっていき、魔物の真下に来るとその重みによって地面を陥没させました。
バランスを崩した魔物は歩みを止めます。
エシュネトさまが腕を振り上げる。
次の瞬間、地面が大きな音を立てて隆起しました。
魔物と同等の巨大さを誇る土の壁は魔物を囲むように展開し、その身を拘束します。
「森よ、彼の者を貫く光の槍を」
エシュネトさまの手に目眩い光が収束する。
輝きを増し、やがて陽炎を作り出す程の熱量を持ったそれは極光となり、音さえも置き去りにする速度で魔物へと放たれます。
拘束された魔物に逃れる術はなく、極光の直撃をもろに受けてしまいます。
魔物の巨体を光が貫く、そう思った瞬間、魔物の内部で爆発が起こりました。
ここが森の中なのをお構いなしに、辺りが爆炎に包まれる。
「す、すごい……」
目を疑う程の大規模な魔法をありえない速度で見せつけられ、認識が追いつきません。
唖然としたわたしに、エシュネトさまが声をかけます。
「どうやら、精神にかけられた呪いは和らいでいるようだのう。余では肉体の呪いしか解けぬゆえ、そなたの心が強くて助かった」
「えっ……もしかしてわたし、まだ呪いにかかっていたんですか!?」
「ああ。精神の均衡を乱す呪いにかかっておった」
な、なんてしつこい……。
こんなに頻繁に呪いにかかっていると、なんとなく呪いの脅威が薄れていくというか。
警戒心が空回りしてしまいます。
とはいえ、実際は逆なんでしょう。
頻繁にかかるということは、それだけ効果の強い呪いだということ。
気を引き締めていかなければいけません。
でも、魔物はエシュネト様が倒してしまいましたし、もう心配は……。
「──下がれ!!」
爆煙の中から、おぞましい気配が物凄い勢いで迫ってくる。
輪郭のはっきりとしない、ぼやけた姿の魔物がそこにいると認識したときには、既に遅かったのです。
わたしは、魔物に飲み込まれていました。




