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66、一進一退

 主人に抱えられながらの高速戦闘。

 目まぐるしく切り替わる景色に酩酊を感じつつも、アリスは必死に主人にしがみついていた。


 正直、足手まといを自覚してはいたが、下手に離脱を試みてもすぐに狙われて主人に迷惑をかけることになるだろう。

 そう判断したアリスは、腕の中からのサポートに徹した。

 その甲斐あってか、ここに到達するまでに学んだダンジョンの知識を生かして落とし穴を発見することができたし、無茶な動きをしたでも振り落とされることはなかった。


 しかし……。


「称賛に値するナ! 勇者!」


 眼鏡をかけた男、ロットがそう叫んだ瞬間、主人の足元に魔法陣が出現した。

 完全なる不意打ち。魔法陣にどんな効果があるのかは不明だが、今までの傾向からして厄介極まりないものであることは間違いないだろう。


(避けられない……!)


 あまりに突然の出来事にアリスは意表を突かれ、声を上げることもできずに硬直していたが、彼女の主人は違った。


「──コキュートス」


 白い光に包まれ、最後に魔法名を告げて……。


 アリスを残して、トーヤはこの場から姿を消した。


「ご主人さま!」


 トーヤを包んでいた白い光が完全に消え去りトーヤもまたいなくなっているのを理解すると、反射的にアリスは叫んだ。

 そして次の瞬間、


 バキィィッッ!!


 周囲が、周囲の空間が、凍りついた。


 比喩ではなく、アリスとロットを中心に階層全体が氷に包まれたのだ。

 地面から大小様々な氷柱が立ち、一瞬にして冷気が立ち込める。

 ともすれば幻想的とも思える景色の中、一際大きな氷柱がアリスとロットを隔てていた。

 それはトーヤが最後の一瞬でアリスを少しでも危険な男から遠ざけるために施したものなのだと、アリスには理解できた。


「っ!」


 その意図を汲み、アリスは大きく後ろに跳躍した。

 一面の凶暴な銀世界に体が慣れておらず、動き辛くはあったがなんとかロットと距離を取るという目的は果たす。


「ク、ク、クハハハハ!! ありえない! 素晴らしすぎる! あの一瞬でここまでの魔法を構築するなど、予想だにしていなかったナ!」


 そんな、吐いたそばから吐息が白く染まっていくような環境でもロットは狂気の表情を崩すことはなかった。


 トーヤが放ったこの魔法は、氷属性魔法レベル10のコキュートスである。

 辺り一面を瞬時に凍結させる大魔法だ。

 本来ならばロットの言うように一秒にも満たない詠唱時間で構築できる魔法ではない。

 長くて数分、凄腕の魔法使いでも数十秒はかかる。


 しかし、並列演算スキルを持つトーヤにとっては別だ。

 複数の物事を同時に考える、これをスキルとして技術化したものが並列演算スキル。

 使いこなせば数々の罠を縦横無尽に飛び回って回避しながら魔法を構築し、あらかじめ大魔法を完全させておき、任意のタイミングで発動させることも可能なのである。

 ただし、実際にそれをするには並外れたセンスと集中が必要だ。

 そういった視点から見れば、トーヤが魔法使いとしてどれほどの適性を持っているか理解できるだろう。

 尤も、この場の二人がそれに気づくことはないが。


「だが、転移罠は回避できなかったようだナ。まあ、あれだけ好機を見計らっていたのだからむしろ避けてしまわれては困るがナ」


 独り言を呟き続けるロットは、先程からアリスを見ようともしない。

 取るに足らないとでも言うかのように、コキュートスの分析ばかりしている。


 だが、『転移罠』という単語を聞き取り、アリスは安堵した。

 転移罠が主人の使う空間魔法と同じ効果であるならば、主人はどこかに飛ばされただけで死んでしまったわけではないということだからだ。


(今なら逃げられますけど、この男を放置しておくのは危険です)


 主人からは身の安全を第一に考えるよう言われているアリスだったが、今ロットから目を離せば後悔することになると直感が告げていた。

 しかし、あの激闘を見たあとでは攻めようという気は起きない。

 次々と繰り出される搦め手に対応できる自信が、アリスにはなかった。


(なら、ご主人さまが戻ってくるまで時間を稼ぎます)


 倒さずとも、目を離さなければそれでいいのだ。

 ロットをこの場に留まらせておくことだけに集中しようと決めた。

 アリスが体勢を低く構えると、ロットはそれに気づいたように顔をこちらへと向ける。


「ふむ、それで、そこの奴隷はどうするカ? 生憎とこのダンジョンは通路が複雑ダ。勇者が戻ってくるとしても、相当の時間がかかると思うがナ」


「ここであなたを見張っています。下手な動きをすれば、容赦しませんよ」


 先の戦闘では罠を使った攻撃ばかりしていたことから、ロット自身の戦闘能力はそれほど高くないと判断したが故に、アリスは高圧的な態度に出た。

 ロットの琴線に触れて即攻撃されかねないが、そうはならないだろうという確信がアリスにはあった。

 その根拠とは……。


「随分な自信だナ! だがその余裕も……ナ!?」


 再びダンジョンコアに触れようと伸ばしたロットの手は、直前でなにかに阻まれた。

 それは分厚い氷である。

 そう、トーヤの放ったコキュートスによってダンジョンコアは凍りついていた。


(この男が攻撃するときあの球に触れていました。だったら、それができない今は攻撃手段がない)


 最高の置き土産を残してくれた主人への感謝と共に、自分が有利であるという自信からアリスは笑みを浮かべた。

 常識はずれな力を持つ主人に一ヶ月程度とはいえ鍛えてもらったのだ。

 アリスのステータスとスキルは一般人のものと比べて高い部類に入っていた。

 だから彼女は、慢心していたのかもしれない。


「ククッ、これも想定外。尽く予想を裏切ってくるナ。本当に面白イ。ならば、別の手段を使うまでだナ!」


 ロットが懐から取り出したナイフを投擲する。

 アリスに向かって正確な軌道を描いて投げられたナイフだったが、距離もあるせいでそれほど速くはなかった。


 余裕を持って回避するアリス。

 ナイフは背後の壁に刺さったようだ。

 そして対抗するように彼女もナイフを取り出し、投擲する。


「クッ!」


 ステータスに差がある分、アリスが避けたときと比べてロットの回避には余裕がなかった。

 この世界では経験値を溜めてレベルを上げれば身体能力は簡単に上がる。

 ゆえに子供と大人という差は戦闘においてそれほど重要ではない。

 リーチや思考力などは違ってくるが、ステータスという単純な強さの指標があるため年齢、さらに性別などの要素は勝ち負けに影響しないのだ。


 そのことをよく理解しているロットはナイフの投げ合いでの勝負を早々に諦めた。

 とはいえダンジョンコアでの罠攻撃は封じられているうえに氷柱によって動きが制限されているので逃げ回ることもできない。

 しかもステータスではアリスに劣っているので、ロットは完全に追い詰められていると言えた。


 しかし……本人がそう思っていないことは三日月型に歪んだ口元が証明している。


「この程度、問題は全くないナ!」


 懐から今度は何やら筒状のものを取り出すと、先端をアリスに向ける。

 そしてそれは徐々に発光していき、先端が大きく光る。


「死ネ!」


「っ!」


 掛け声と共に電撃が発射された。

 警戒を強めていたアリスは咄嗟に反応すると、体を大きく反らす。

 かろうじて躱すが、腕の一部に被弾してしまい焼け付くような痛みが走った。


「やはり戦闘用の魔道具は雷属性に限るナ。射程、威力、速度ともに申し分ナイ。さて、そろそろ死んでもらおうかナ」


 再度魔道具が光を放つ。

 それを見たアリスはすぐさま駆け出した。


「クヒャハハハ!!」


 電撃が発射され、背後の壁や地面がえぐれる。

 さらに、耳をつんざくような雷鳴は続けざまに聞こえた。


「連続で、ですか!?」


 単発ではなく連射できるとなると回避の難易度は大幅に上がる。

 アリスは明らかに苦戦を強いられていた。


「逃げてばかりカ?」


 高速で迫る電撃。

 必死の思いでなんとかかわしながら、アリスは考え続けた。


(近づけさえすれば、勝機はあります。でも、あの電撃を突破するにはなにか盾になるものが必要ですね……。! そうです、ご主人さまの作ってくれたフィールドを最大限利用すれば)


 考えをまとめると、氷のフィールド全体を隈なく観察するように動き回る。

 小さく頷くと、アリスは氷柱の一つに身を隠した。


「どこに隠れようと無駄! すぐに破壊するだけだナ!」


 言葉通り、二回の電撃で氷柱は砕け散ってしまった。

 しかしアリスは既に他の氷柱へと移動していた。


「チッ、ちょこまかと。時間稼ぎのつもりカ!?」


 その後もアリスの隠れた氷柱をロットが破壊し、その隙にアリスが他の氷柱へ移動する流れが繰り返された。

 一見意味のない攻防に見えるが、アリスは着実にロットとの距離を詰めている。

 やがて彼我の距離が五メートルを切ったころ、ロットには焦りが生じていた。


「マズいナ……。だが、この近距離ならバ!」


 氷柱が砕け散り、飛沫の中からアリスと思わしき影が飛び出したのを確認すると、ロットは形振り構わず電撃の引き金を引いた。

 直撃する電撃。

 ロットは勝利を確信し、ほくそ笑んだ。


「少し焦ったが、なんとか………っ!?」


 頬を切り裂き、走る剣閃。

 背後からのただならぬ殺気に、ロットは思わず倒れるように回避した。


「仕留められませんでしたか。やっぱり殺気を抑えるのは難しいですね」


 ご主人さまなら難なくこなすのでしょうけど、と困ったように呟くその少女はつい先程殺したハズのアリスだった。


「貴様、どうやって……!」


「別に、ただ上着を脱ぎ捨てただけですが」


 ハッとなって振り返る。

 粉砕された氷柱の飛沫が収まったそこには、黒焦げになった白い上着があった。


「ク……クハハハ! こんな単純な手に引っ掛かるとはナ! 急きすぎたのが失敗だったカ!」


「そうですね。詰みというやつです」


 そして最後の一手を詰めにかかる。

 ありったけの力を込めて踏み込み、短剣をロットの喉に突きつけ……。


 刃が触れる直前、アリスの耳に風切り音が届く。


「っ!」


 後一歩のところで身をよじって回避を優先してしまう。

 直後、数本の矢がアリスの周囲に突き刺さった。


「なっ……まさか!?」


 ロットの手元に注目する。

 そこには、一部だけ氷の削れたダンジョンコアがあった。


「いつの間に……」


 どうやらダンジョンの氷は一際固く張られていたようだが、ロットはあの電撃の魔道具でアリスの目を盗んで少しづつ削っていたようだ。


「クハハハハ! 振り出しに戻ったようだナ! やはりあの勇者がいなければ獣人の娘に手間取ることなどあるハズがなかったナ! さて、どうすル?」


 互いに隙を見せることのない膠着状態……だったハズが、ダンジョンコアの復活によって均衡が崩れた。

 圧倒的不利。この戦闘においてアリスは初めて八方塞がりな現状を感じた。


 そのとき、アリスの獣耳がピクッと小さく動く。


「……わたしは、ついこの間まで生きた魔物も見たことがないくらいの軟弱者で、とても弱かったです」


「いきなりどうしタ?」


「でも、ご主人さまのおかげで以前とは比べものにならないほど強くなりました」


「まだ時間稼ぎをしようとしているのカ?」


「それは、ステータスだけじゃなくて……」


「無謀だナ!」


 全身の力をこめて、地面を蹴る。

 助走すらなかったが、弾丸のごとく発射された体はトーヤの速さにすら迫っていた。

 全身全霊を賭けた最後の一撃。それだけの覚悟を携え、アリスはナイフの柄を握りしめる。


「心も、です」


「起動!」


 ダンジョンコアがロットの意志を受けて輝く。

 それはその首に刃が届くよりも早かった。


 アリスの足元に魔法陣が展開。

 赤く染まった円環は今にも爆発してしまいそうなほどの危険な輝きを放っており、アリスの記憶が正しければこの魔法陣は一秒とかからず火柱をあげるだろう。


 ロットは内心でほくそ笑んだ。

 己の敗北を悟って捨て身の特攻をしかけたアリスはなにもできないままここで死ぬ。

 トーヤが遅れて戻ってきたときの絶望の表情を想像し、さらに笑みが深まった。

 ただ、アリスを殺したあとはすぐに撤退する予定なので実際には見ることができないのが少々残念だと感じたが。

 それでも、自分は勝ったのだと、ロットは揺るぎない確信をもった。

 そして実際に、数秒もすればロットの想像通りの展開となるだろう。


 ……トーヤがロットの想像に収まる存在ではないという事実を、失念していなければの話だが。



「ただいま。それと、さよなら」



 背後から突如現れたものによって、ロットの首は宙を舞った。


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