プロローグ
ネットで遊んでいたカジノが違法であるとされ、封鎖されてしまった。オールインを賭けた瞬間に、スマホの画面にはグルグルと円形に回り続け回線が停滞していると視覚的に分かりやすく表示された。ノリに乗っているときは、いつもこうなる。そして、いつも衝動的な怒りに身を任せ、部屋に無造作に置かれたごみ袋を蹴り飛ばす。息が荒くなり、頭を掻きむしり、無駄に筋肉に力を入れながらポケットの煙草の箱を取り出す。上部を指で軽く叩きながらその安い紙煙草を出す。摩擦で二本ほどつられて出てくるも、一本のみを指でつまんで取り出し、中途半端に出る煙草は指で打たれた。
机の上に置かれた4個ほどの100円ライターから一つを適当に手に取り、煙草に火をつける。それからカーテンを開け、窓を開け、やっと煙を気管に通してやった。喉を燻製してから肺胞の隅から隅まで煙で満たして、ゆっくりと震えるような息を吐く。そして、そんな俺の対極にいるような下校途中の小学生を見下ろす。
「あー…」
ゾンビのような呻き声が漏れる。脳みそはニコチンでふわふわとし始め、イライラしていた感情がスーッと沈殿していくような感覚になる。
横に転がっていたスマホが震えたので、手に取り確認すると編集者の名前が表示されており、何の面白みもないメッセージであることが確定した。俺の小説なんて、誰も見ようとはしないだろうに。俺は煙草を吸いながら次の小説のネタを考える。今日はバイトも休みだし、ゆっくり考えてやろう。俺ってば、なんて働き者なのだろう。24歳で賞を取り天狗になっていたあの頃からは想像もつかないほど更生してしまったようだ。
煙草の灰がフィルターの近くまで侵食されたのを確認して、煙草で山盛りになった灰皿で消す。スマホの画面に目を落とし、『うるせぇハゲ』と返信してあげてから、ゆっくりと窓を閉じた。
◇
気が付いたら、俺は真っ白な空間に一人ポツネンと木製のベンチに座っていた。気付いたら、という表現は曖昧なので、具体的に描写しよう。転んで頭を打った人なら似たような経験があるかもしれないが、突然視界がぐらぐらと歪んでおり、ゆっくりと正常な世界へと戻っていく途中で徐々に「そういえば俺の名前は『西野 楓』だった。」「そういえば俺はついさっきまで小説を書いていたんだ。」ということを思い出すんだ。でも、自分がなぜこんな状況になっているのか、その直前の記憶だけは思い出せず、混乱して辺りをキョロキョロと見渡して無意識に状況整理のための情報を得ようとする。そんなような状況だった。
無意識に煙草を求めた右手がポケットに手を入れるが、煙草がないどころか服も着ていなかった。そういえば、木製のベンチのささくれが尻にチクチク刺さっていた。
「混乱しているようだな。」
突如横から男性の声がかかり、反射的に立ち上がる。心臓がテンポの速い四つ打ちを刻み始めた。声の方向には元々俺が座っていた横に足を組んで座っている、白い人型の光がいた。そうとしか表現できないほど、シンプルなデザインだった。真っ白な頭部がこちらを見ている気がする。
「ここは転生するための場所だ。」
「転生…?」
エコーのエフェクトをかけているような声が響く。対して俺はその日本語にオウム返しをして、自分の脳の情報処理を手伝っていた。転生というのは、仏教由来の考え方で生と死を車輪のように繰り返していき、現世の業に従って次の人生に影響をもたらす。そのような意味合いだった気がするが、断言はできなかった。前に小説のネタ集めで調べたけど、もう忘れかけている。
脳の処理が追い付き始めた頃、やっと一つの事実にたどり着く。
「いや待てよ。つまり、俺は死んだのか?」
「そうだね。」
淡々と、さも当たり前かのように告げられた。いや、ここが転生をするための場所なら彼にとっては当たり前なのかもしれないが、俺には少々受け入れがたい事実だった。
焦ったように、俺はその人型の光に疑問符を感情的に伝える。
「さっきまでただ小説をパソコンで執筆していただけの男が、なんで死ぬんだ!?」
「煙草の不始末。」
「あ、あぁ~…」
その感情的な原動力は一瞬にして鎮火した。
あの山盛りの灰皿を思い出してみろ。当たり前だ。ましてや、そこかしこにゴミが散らかっていたり、大好きなウィスキーのコレクションが秘蔵されていたんだから燃え広がるには最適な環境だったろう。俺は思わず空を見上げ、力を失うように再びベンチに座りなおした。
「さて、状況を理解できた君には私が指定する世界に転生してもらおうと思う。しかし、事前情報も必要と思うからこの世界の構造について教えてあげよう。」
人型の光は手を少し上の方へ伸ばすと、そこに映像が円形に映し出される。左は見慣れた日本の情景で、真ん中はヨーロッパのような洋風の街並みが映し出され、右は森の中に三角屋根の家が並んでいるような情景だった。
「左は君が生まれ育った科学だけの世界、その名も『科学世界』。右はその真逆の魔法だけの世界、その名も『魔法世界』。そして、真ん中はこれら二つの世界の元となった親となる世界、その名も『基本世界』。ここまでは良いかな?」
「分かったつもりをしておく。じゃないと話が進まない。」
「結構だよ。」
人型の光は真ん中の『基本世界』の映像を拡大する。画面が広がったことで細かいところまで見えやすくなる。通りを歩いているのは自分のような人間の他にも人型の犬や猫や爬虫類等が普通の顔をして歩いていた。こうも種族がハッキリと別れているのを見ると、差別とかは元の世界よりもあるかもしれない。
「君にはこの『基本世界』に転生してもらう。この世界はね、定期的に科学出身と魔法出身の転生者を送っているんだ。そうすることで『基本世界』の文明が発達するんだよ。科学と魔法、それぞれが特化した世界で得た知見を親の世界である『基本世界』に還元してもらう。遥か昔から繰り返し行われてきた転生の仕組みなんだ。」
なるほど。なかなか面白い設定だ。いや、設定ではないか。職業柄、そう思ってしまったが設定ではなく事実そういう仕組みでこの三つの世界は成り立っていたのだろう。そして、そうなってくるとハッキリする事実が一つある。
「つまり、俺は記憶を保持しながら転生するということだな?」
「おぉ、そこまで冷静に整理しようとしてくるのは久々だな。」
「ちゃんと話を聞いてみたら意外と合理的なことを話されたもんでな。摩訶不思議であることには変わりないが、ファンタジー小説の設定だと思って聞いたらスッと入ってきた。」
「なるほど、君らしいね。」
人型の光は感心したような声を漏らすと、ゆっくりと立ち上がりこちらに顔を向ける。前も後ろも同じのっぺらぼうだから、果たして本当に顔を向けているのかは定かではないが、動き方を見ると恐らくそうだろう。
少し明るくなった声が反響した。
「さて、そんな『科学世界』から無作為に選ばれた西野楓さん。貴方には一つだけ、貴方の望む能力を一つ付与しよう。世界が崩壊しない限りは、何でもね。」
「それはなんでだ?」
「前金的なものかな。慈善活動で『基本世界』に恩恵をもたらしてくれるならそれに越したことはないけど。」
「なるほど。」
なんでも、一つだけ望んだ能力を得ることができる。この世の全ての小学生が妄想するものの代表格と言えるだろう。
あの頃の無限に広がる想像力は一体どこから湧き出ていたのだろう。空を自由自在に飛んだり、透明人間になったり、好きな漫画の新しい能力者を考えたり、物語を想像したままにペンを走らせるあの頃のイノセントな想像力は、今は存在しないのだ。
恐らく、現実的な知識、法則や現象や事象を知ってしまったからその知識が自由な想像に蓋をしてしまったのだろう。万有引力で空は飛べないし、盲点で見えない部分は脳が補完するし、特殊能力にはタネや仕掛けが必要だ。そんな知識が、想像力の邪魔をするんだ。だが、それを受け入れてしまえば蓋をされた中で熟成された想像は現実味を帯びた作り話になる。それが、俺が火だるまになりながら執筆していたものだ。
「気になるよ。普段からフィクションを考えてお金に換えてきた君が、どんな能力を望むのか。」
興味津々、と言うような声色だ。勝手に期待されても困る。
兎にも角にも、この現実を受け入れて自分のイメージに委ねる。いつも通りの作業をするだけで特別なことは何もない。
どうやら馴染み深い科学的な要素もありながら、ファンタジー要素のある世界らしい。とするならば、最初から自衛ができるような能力が良い。また、最初から俺が生きていくための衣食住と煙が用意されていると勘違いをしてはならない。もしかしたら、何も持っていない状態で砂漠のど真ん中に転生するというような、最悪なシナリオを想定して能力を考えなくてはならない。つまり、魔法よろしく炎を扱えようが、風を操れようが、何の役にも立たない。衣食住が約束され、自衛もできるような能力。
そんなものは、あるだろうか。いや、思いつかない。俺が執筆していたのはファンタジーではないのだ。畑がそもそも違うのだ。いくら考えてもインスピレーションは顔を見せてくれない。
「悩んでるね。」
「当たり前だ。下手な能力をもらったらそのまま死ぬかもしれないからな。」
「そんな修羅の国じゃないよ『基本世界』…」
「映像だけじゃ分からないからな。」
人型の光は少し困ったような表情をしている気がする。しかし、どちらにせよ下手な能力にはしたくない。衣服にも、食べ物にも、寝泊まりする場所にも困らない、自衛ができる能力。もっと自由な発想から、それこそ小学生のような無邪気なイメージを!
「…イメージ?」
今までフィクションばかりを想像しては、文字に起こして読者の想像力に委ねていた。それは小説の美点であり、無限の可能性を広げる構造だった。解釈次第でいくらでもその物語はハッピーエンドにもバッドエンドにもできる、それが小説だ。作者の意図は作者本人にしか知り得ない。分からないから各人で必ず存在する正解を想像する、その美しさ。サモトラケのニケやミロのヴィーナスのような、不完全を想像する美しさがそこにある。
作者側からすれば、みんなが想像することしかできない正解を世界で自分だけが知っているという愉悦。不完全の先にある完全な状態を知っているというのが、ニコチンからも得ることのできないドーパミン系の快感。どういったメッセージを込めているかを聞かれる度に分泌されるのだ。
しかしながら、同時に伝わらないもどかしさがある。だから、俺はその作品に込めたメッセージ性を遠回しにではなく直接的な表現で解説してしまうのだ。だから、俺の小説は美しさを失ってしまうのだろうが。それでも、俺は伝えたい気持ちをそのまま表現したかったのだ。なんなら、具現化してほしいとすら思ったことがある。
「そう、それだ。」
「お?何か思いついた顔だね。」
俺は人型の光に目を向ける。顔がなくとも、そいつは俺が何を求めてくるのかを期待しているのが分かる。それに応えるように、俺は口角が両耳にまで到達してしまうほどの興奮した笑顔を向けた。
「俺が望むのは『イメージを現実に影響させる能力』だ。」
「イメージを現実に?詳しく説明して。」
「例えば、ペットボトルに入った水を想像するんだ。それはキンキンに冷えていて、外との温度差から結露した水滴がついている。手で掴んだらそれは皮膚を濡らしながら体温を奪っていき、ペットボトルの指ではじいても痛くならない程度の硬さが触覚で感じられる。キャップは更に硬く、開けやすくするためにギザギザとした溝があるんだ。持ち上げると、それは重力に従ってペットボトル内を右往左往して重さが不安定になる。そんなペットボトルに入った水が目の前にあるって、リアルにイメージするんだよ。そしたら、そのイメージしたとおりの水が具現化され、実際に飲むこともできる。他には、切り傷に対して糸で縫い付けるイメージをするんだ。糸が傷口に近い皮膚や肉を貫通し、反対側の皮膚や肉を貫通する。それを繰り返し行うが、その時に生じる傷みや引っ張られる感覚すらも鮮明にイメージするんだ。そしたら、傷口は縫合されている!どうだ、これなら衣食住もクリアできるし、自衛できる武器や防具もそろえることができる!」
興奮してしまい、早口で、段々と声が大きくなりながら説明してしまう。しかし、そんなことを自覚できるほど客観視はできなかった。いつもこのような感じで、降ってきた啓示を頁に移していたのは確かだが。
そんな気味の悪い俺を、人型の光は観察するように眺めていた。
「…つまりは、よりリアルに火をイメージすれば火を生み出し、その錠の構造を知り得たなら鍵がなくとも開けるイメージで開けられ、相手の思考すらイメージで書き換えてしまえるわけだ。小学生が考える能力みたいだね。」
「まさしく!俺が小学生の時にはどんな能力を想像しただろうってさ!」
「…呆れた。というか、許可するわけがないだろう?」
想定内だ、流石にこれは万能すぎる。だからこそ、次の発言が活きるのだ。
「そんな…いや、なら想像を具現化させるのはどうだろう?俺ができるのは前半に話した、物をリアルにイメージしてそこに生成するところまで。勿論、構造や何で作られているかが分からなければ具現化はできない。ペットボトルはポリエチレンテレフタレートであると分からなければ生成することはできない!」
「うーん、まぁ、それならいいだろう。」
ビジネスの話術として、色々なところで散々擦られてきている『ドア・イン・ザ・フェイス』という技術がある。簡単に言えば、断られる前提の要求をして相手に断らせてから、本来の要求を伝えるのだ。そうすることで一度断ったという申し訳なさや、さっきに比べたら今の要求は飲めるなと、納得感を相手に与えることができるのだ。
ちなみに、俺はこういう解説を本文に入れるような作品があったら、真っ先に読むのをやめる。解説をするということは読者を信じていないようなもので、想像を働かせる美しさはそこに存在しないからだ。粗悪と言ってもいいだろうが、ここは小説の世界ではない。現実の出来事であると俺は受け入れたからこうして自分の行っていることを心の中で解説して、イマジナリー称賛を浴びるんだ。ドーパミン中毒とは、俺を意味するのだ。
「何か質問がなければ、このまま君を『基本世界』に送ろうと思うのだが。」
「質問。火、水、木、雷などの元来自然由来のものは俺が知っている知識で生成できるか?」
「できる。けど、それらは君が想像し得る方法以外からも生成されるよ。何せ、魔法という概念もあるんだからさ。」
「なるほど。いや、生成できることさえ分かればそれでいいんだ。質問は以上だ。」
何よりも大事な質問だった。俺が今から転生する世界では科学的な知識は通用しないとなった場合、それこそ俺の能力は何の役にも立たなくなるのだからな。
「それじゃあ、『基本世界』の発展を祈って君を転生させる。」
そう静かに人型の光は呟いた。瞬間、俺の立っている地面に魔法陣のようなものが浮かび上がる。しかし、同時に電気自動車のような静かな機械の起動音が聞こえてくる。科学と魔法の混ざり合った世界、今からそこに生まれ変わるのだと教えてくれているようだった。
「ちなみに、0歳からスタートはなかなか動きにくいだろうから、20歳として生まれ変わることとなるからね。」
「なんでこのタイミングで言うんだよ。」
「忘れてた。」
そんな人型の光は逃げるように散り散りになって姿が空間に溶けて消えた。生まれ変わって、俺は新たな世界で何をするのか。何もできないのか。何もなし得ないのか。そうだろうな。人間、そう簡単に変われないし、結局ねじ曲がった性格のまま何も果たせず死んでしまうのがオチなのかもしれない。こんな瞬間でさえ煙の匂いがするアルコールとタールに抱かれたニコチンのことを考えているのだ。
突然、興奮が冷めてしまい、俺の異世界転生は虚しい感情からクラウチングの姿勢をとった。
【後書き】
第三話までは毎日投稿しますが、それ以降は不定期更新となります。悪しからず。
また、第一話は本作品のプロローグが公開されてから10分後に公開されます。




