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王都遺品整理局――魔力ゼロの整理官は、死者の部屋に残された嘘を拾う  作者: 秀人


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1/10

死者はその遺書に触れていない

死者の部屋を片づける、王都遺品整理官アレン・クロウ。


最初の依頼は、事故死した宮廷魔導師の部屋でした。

死んだ人間の部屋には、たいてい一つだけ、持ち主の知らないものがある。


アレン・クロウは、それを見つけるのが仕事だった。


王都北区、白銀通り十三番地。


朝から細い雨が降っていた。


石造りの三階建て住宅を見上げ、アレンは革鞄から一枚の依頼書を取り出した。


エルド・バーレン。四十二歳。


宮廷魔導師。


昨日未明、自宅書斎にて死亡。


死因、魔力暴走による心臓停止。


王都警備隊による現場確認済み。


事件性なし。


そこまで目を通し、アレンは紙を畳んだ。


玄関の前には、黒い喪服の女性が立っていた。


「遺品整理局の方ですか」


「はい。アレン・クロウです」


身分証を差し出す。


女性はそれを確認すると、かすかに頭を下げた。


「妹のリディアです」


三十代後半ほどだろう。


濡れた金髪を首元でまとめ、右手には家の鍵を強く握りしめている。


「このたびは、お悔やみ申し上げます」


「……ありがとうございます」


短い沈黙。


アレンは、それ以上言わなかった。


元気を出してください。


時間が解決します。


きっと安らかに眠っています。


六年間この仕事をしてきたが、そうした言葉が遺族の役に立った場面を、アレンは一度も見たことがない。


リディアが扉の鍵を開ける。


「兄は二階の書斎にいます」


言ってから、彼女の手が止まった。


「……いました、ね」


アレンは訂正しなかった。


死者の家では、よくある。


いる。


使っている。


好きだ。


帰ってくる。


残された人間の言葉だけが、しばらく死を理解できない。


室内へ入る。


乾燥させた薬草。


古紙。


暖炉の灰。


焦げた金属。


それに、魔法を日常的に使う者の家に特有の、空気そのものが焼けたような臭いが混ざっていた。


「すみません。まだ何も片づけられなくて」


「そのままで正解です」


「え?」


「最初に物を動かされると困るので」


リディアが、不思議そうにアレンを見る。


「遺品整理なのに?」


「遺品整理だからです」


何を残すのか。


何を遺族へ返すのか。


何を処分するのか。


それを決める前に、死者がどんな場所で暮らしていたのかを見る。


アレンは必ずそうしていた。


二階の書斎。


扉には、王都警備隊の現場確認済みを示す黒い封印布が貼られている。


アレンは印を確認してから手袋をつけた。


「開けます」


リディアが頷いた。


封印布を外し、扉を押す。


広い部屋だった。


左手の壁一面を埋める本棚。


中央には重厚な執務机。


窓際には魔法実験用の作業台。


床には砕けた魔石がいくつか転がっている。


そして机の横。


絨毯だけが、丸く黒く焦げていた。


「兄が倒れていた場所です」


リディアが言った。


アレンは焦げ跡の前でしゃがみ込む。


触れない。


まず、見る。


これは昔、師匠に叩き込まれた癖だった。


死者の部屋では、何かに触れた瞬間から、自分もその部屋を変えた人間になる。


だから最初の五分間だけは、何もしない。


机。


椅子。


本棚。


窓。


燃え残った蝋燭。


飲みかけの水。


作業台。


床。


焦げ跡。


アレンはゆっくり立ち上がった。


「昨夜、警備隊以外でこの部屋に入った方は?」


「私だけです」


「何か触りましたか」


「……遺書を」


リディアの視線が机へ向いた。


アレンもそちらを見る。


机の中央。


そこだけ妙に整然と、一通の白い封筒が置かれている。


表には、


――リディアへ。


達筆な文字。


赤い封蝋。


「警備隊の方が見つけました」


「中身は?」


「読みました」


リディアの声が少し低くなる。


「研究に疲れたことと、自分で魔力を暴走させたことが書かれていました」


自ら魔力を暴走させた。


つまり、自殺。


依頼書には事故死と記されていたが、正式な処理がまだ終わっていないのだろう。


アレンは机へ近づいた。


「お兄さんの筆跡ですか」


「はい。間違いありません」


「警備隊も確認を?」


「過去の書類と照らして、本人のものだろうと」


アレンは封筒を見る。


少なくとも見た目に不自然なところはない。


「触れても構いませんか」


「はい」


アレンは右手だけ手袋を外した。


リディアの眉が、わずかに動く。


遺品整理官が素手で遺品に触れる。


本来なら、あまり褒められた行為ではない。


だがアレンには必要だった。


人差し指を、封筒の端へそっと置く。


かすかな熱。


薄い。


霧のような残留魔力が、紙の表面に残っている。


おそらく警備隊か、リディアが触れたもの。


それだけだった。


アレンは眉を寄せた。


「……変だな」


「何がです?」


答えず、机の上に置かれた銀時計へ触れる。


熱が指先へ返ってきた。


遺書とは比較にならない。


長い間、持ち主が毎日のように触れてきた物に残る、濃い魔力の痕跡。


次に万年筆。


こちらも濃い。


研究書。


椅子の背。


机の縁。


どれにも、確かに残っている。


人間は誰でも、多少なりとも魔力を持つ。


物に触れれば、ごくわずかな魔力が残る。


一度触れただけなら、数時間から数日で薄れていく。


だが繰り返し使えば、魔力は少しずつ物へ染み込んでいく。


ましてエルド・バーレンは、宮廷魔導師だった。


普通の人間より、遥かに強い魔力を持っていたはずだ。


問題は、アレン自身には魔力がないことだった。


普通の人間が残留魔力へ触れれば、自分自身の魔力と混ざってしまう。


アレンには、混ざるものがない。


だから分かる。


誰の魔力なのかは分からない。


いつ触れたのかも分からない。


ただ、


残っているか。


どれほど濃く残っているか。


それだけは分かる。


アレンはもう一度、遺書へ指を置いた。


薄い。


あまりにも。


エルドが自分で文章を書いたのなら、紙を押さえていたはずだ。


封筒へ入れた。


封蝋をした。


机へ置いた。


一度や二度触れただけではない。


まして強い魔力を持つ宮廷魔導師が死の直前に扱った物なら、もっと濃い痕跡が残っていなければおかしい。


「リディアさん」


「はい?」


「お兄さんは、これを書いたあと、自分で封をしたんですよね」


「……そうだと思います」


「自分で机に置いた」


「はい」


「それなら、おかしい」


リディアの表情が硬くなる。


「何がですか」


アレンは遺書を指した。


「この紙には、最近触れた人間の魔力が少しだけ残っています」


「私です。昨日、読みましたから」


「おそらく」


「だったら――」


「でも、お兄さんのような魔導師が、この遺書を書いて、封をして、ここへ置いたのなら」


アレンは一度言葉を切った。


「こんなに薄いはずがありません」


リディアの唇が止まる。


雨粒が窓を打つ音だけが、部屋に残った。


「つまり……?」


「僕に誰の魔力かは分かりません」


アレンは手袋を戻した。


「だから、これだけで偽物だと決めつけることもできない」


「では……」


「ただ」


机の上に置かれた白い封筒を見る。


「少なくとも、お兄さんがこの遺書を書いたという話と、ここに残っている痕跡は一致していません」


リディアの顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。


「兄の字なんです」


「ええ」


「私が見間違えるはずありません」


「筆跡については、僕には分かりません」


「じゃあ、何なんですか。これは」


アレンは答えなかった。


分からないことを、分かったふりはしない。


それも、この仕事を始めた頃から決めている。


ただ一つ。


依頼書に書かれていた言葉を思い出す。


事件性なし。


その判断の根拠の一つが、この遺書だったのなら。


「王都警備隊に、もう一度来てもらったほうがいいですね」


「どうして……」


「この遺書を前提にして、お兄さんの死を終わらせるのは早いと思います」


リディアは何も言わなかった。


そのとき。


アレンの視線が、机の端で止まった。


「……」


木製の天板には、薄く埃が積もっている。


その中に。


四角い形に、埃のない場所があった。


つい最近まで、何かが置かれていた跡。


アレンはしゃがみ込む。


大きさは、手帳か、小型の本くらい。


周囲の埃を見る限り、ずっと同じ場所に置かれていた物だ。


けれど、今はない。


「リディアさん」


「……はい」


「ここには、普段何が置かれていました?」


リディアも机を覗き込む。


「そこ……?」


「ええ」


彼女はしばらく考えた。


「すみません。兄の仕事机なので、詳しくは」


「最近、部屋から何か持ち出しましたか」


「いいえ」


「警備隊は?」


「分かりません。でも、持ち出した物があるなら記録に残っているはずです」


アレンは四角い跡を見つめた。


本人が書いたはずなのに、本人が扱った痕跡のない遺書。


そして。


死後、部屋から消えた何か。


偶然が二つ。


アレンは、偶然を嫌っていた。


正確には。


偶然が二つ並んだとき、それを一つずつ別々に考えることを嫌っていた。


「……アレンさん?」


リディアが名前を呼ぶ。


アレンは立ち上がった。


「警備隊が来るまで、この部屋には触らないでください」


「事件なんですか?」


「まだ分かりません」


それだけは、はっきり答えた。


「でも」


机の上の遺書へ目を向ける。


死んだ人間の部屋には、たいてい一つだけ、持ち主の知らないものがある。


六年間、そう思ってきた。


どうやら今回は。


一つでは済まないらしい。



お読みいただきありがとうございます。


王都の遺品整理官アレンが、死者の残した物から小さな矛盾を拾っていくファンタジーミステリーです。


次話から、偽物の遺書と「消えた何か」をめぐる事件が本格的に動き始めます。

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